りんごのエッセイ「大きくなったら何になる?」
第1章 「安産への道-長女編-1992〜1993年春の話」
    @初めての産婦人科
    Aマタニティスイミングで助産婦さんに会う
    B予定日前の破水
    C陣痛促進剤を使ったお産
    D後産と会陰切開の痛み
    Eむくみが辛い
    Fむくみは何で治ったか
    G病院の母乳指導
    H新生児のしゃっくり
    I退院日

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2005年2月4日金曜日

第1章
@初めての産婦人科

初めての婦人科診察は衝撃的でした。

「産婦人科ってどこもあんな風なの?」
すごく待たされて、
カーテンの中にやっと入ったと思ったら
その中にも5人ぐらい待っててびっくり。
生理日から不妊症の治療の相談、
子宮筋腫の経過とか・・・
今までの病気とか・・・
今まで流産したかどうかまで?
全部、ここにいる知らない人にわかっちゃうの?
出てきた人の顔を見たら、
何を相談した人なのか全部わかっちゃうの?

「そんなのみんな嫌じゃないの?」
・・・私はまだ出産だからましなのかもしれないけど・・・
これが病気の方だったら、こんなの耐えられない。

「カーテンでどうして仕切るの?」
私の身体を見るのに、どうして“そこ”だけ見るの?
他の診療ではそんなことしないのにどうして顔を隠すの?
(日本以外の国では“隠す”ということはないそうです)
仕切りの向こうの先生はカーテンで仕切られた
陰部ばかり並べた状態でどんどん“処理”していくの?
そんなの“人”を見ていることにならないじゃない?

・・・でも、病院でそんなことが言えるわけもなく。
ただ、黙って帰ってきたのですが、
こんなも自分の「人権」を無視された気持ちは初めてでした。

子どもを産むのに、こんな関門があるなんて。
こんなの何度もガマンしないと子どもは産めないの?
私はそんなの嫌!こんなのおかしい!

収まりが着かず、義姉や先輩ママの友人に相談しても
“う・・・ん、確かにそうだけど、どこも、ま、そんなもんよ”
・・・という反応ばかり。

唯一、母だけが、
「そうよね、私もおかしいといつも思っているわ」と
賛同してくれました。
でも、どうしたらと解決策が見つかるわけではありません。

とにかく、戦争中祖父も入院したという由緒正しく(?)、
実家からほど近い、胃痙攣で入院したこともある国立病院では
産まないことだけは決心したのでした。

じゃあ、どこで産もう?
当時、インターネットというものが存在したら、
私ももう少し違った経験をしたかもしれませんが・・・
雑誌も本も大“病院”の紹介ばかりでした。
図書館に行って、“本”を読み漁りました。
その中で姉兄も立会い出産をしたお母さんの話の本に感動しました。
家族みんなでお母さんの妊娠中も協力し、
出産にも立ち会う立ち会うのです。

「よし、立会い出産」ができるところにしよう。
それだけは決めました。(当時はまだそれほど多くなかったのです)
あまり遠い病院も通うのが大変そうだったし。。。
その見つけた本に書いてあった“病院”は
その時済んでいた家から40分程度の距離だったので、
考えた末にそこで生むことにしました。

立会い出産については、積極的とは言えない夫でしたが、
なにせ“海外逃亡半年”という弱みがありましたから、
嫌とは言わせません。
父親教室とかにも参加して、立会い準備は万全でした。
マタニティスイミングにも通いました。

そこで出会ったのが・・・
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2月5日土曜日
Aマタニティスイミングで助産婦さんに会う
(2月15日書き直し)

妊娠中に近くのスポーツクラブの
マタニティスイミングに通っていました。
とっても楽しかったです。
お腹が大きくて何をしてもお腹に意識がいくのに、
スイミングだけは、いつもと変わらず泳げるんですから。

その楽しいスイミングでコーチが“交流会”を
開いてくださいました。
その時にいらしたのはいつも一緒に泳いでいるプレママと、
コーチと、そしてよく知らないおばあちゃんでした。
内容はよく覚えてないのですが、
お茶を飲んでお菓子をちょっといただいて、
どこで産みます、とか○人目です、とか
そんな自己紹介などとちょっとしたおしゃべりをしました。

そしてその小柄なおばあちゃんは、
いつも私達が泳いでいる時に控えて下さっている
助産師さんだったのです。

助産師さんという職業の方を
この時初めて意識しました。
しかも、ただの助産師さんというより、
いわゆる昔から赤ちゃんを取り上げてきた
『お産婆さん』という感じの方でした。

この方との出会いが私の人生に大きく影響するなるなんて
この時の私には全く想像していませんでした。

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2005年2月6日日曜日

B予定日前の破水

“助産院って??”と地元マタニティ友達に聞くと、
「う〜ん昔ながらのお産婆さんって言うの?
なんか病院とはちょっと違うけど、赤ちゃんが産むところなんだって。
聞いたらね、ウチのダンナはあのA先生に取り上げられたんだって」

ひぇ〜!そんな昔から?・・・って感じ・・・はあるけど。

よくわからないまま、この友人に誘われて、
一度このA先生の助産院へ伺いました。
当時、“リーブ法”を提唱し始めたS先生(今はアロマ学会でお見かけします)が
講習会を行うというので行きました。
そこの助産院はビルになっていて、
最上階が和室になっていて、
アットホームな感じで講習会は行われました。

この助産院で産むことになると・・・
このおばあちゃん先生一人しかいないし。
もし、生むときに、このA先生に何かあったらどうなるんだろう?
と、ほんの少し、このA助産院で生むことを考えたものの、
それは当時の私にはリスクがあるように思われました。

そして、T相互病院で産むことにしました。

暇ですから、整理整頓ばっちり、
赤ちゃんのために押入れ半間あけ、準備万端、
スイミングへ行き、せっせと歩き、
もう、安産間違いなし!と思っていました。

予定日よりも1週間ほど早いある金曜日。
今では子どもの学校のぞうきんしか縫わないミシンで、
分不相応にもパジャマなんて縫っていました。
(結局パジャマにはならずに終わりましたが>笑)
その時、ふいに パチンとはじけた感じがしました。
「破水だ」とすぐわかりました。
(この時は結構量も多かったです)

でも、陣痛も来てないし、
とりあえず、冷蔵庫の中のものをチェック!
帰ってこなくても大丈夫なように、
生の魚をグリルで焼くぐらい・・・余裕がありました。
夫が帰ってくるのを待って病院に一緒に行きました。

陣痛は全くなかったので、
一応病院で待機になったものの私は涼しい顔をしていました。
隣のベッドでは、一緒ぐらいに病院に来た方が
陣痛で辛そうに何度もナースコールを押しては、
「まだ、まだですから」と冷たく言われているのを
聞きながら眠れない夜を過ごしました。
その方は明け方無事に出産されました。

お薬の陣痛促進剤を飲まされたものの、
全然聞かず、陣痛らしい陣痛もなく・・・
分娩監視装置なるものをつけても、
とんと陣痛は来ませんでした。

涼しい6月でした。薄手のパジャマにソックス。
手は冷たかったです。
今は、こんな状況で陣痛が来るはずないってわかるのですが、
当時、雑誌と本の知識しかなかった私には、
そのうち来るかな?ぐらいしか思っていませんでした。
2日経っても陣痛が来ないなら
「点滴で陣痛促進剤を使います」と言われても、
なすすべを知りませんでした。
何か赤ちゃんのためにできることはないかと思っても、
何も思いつきませんでした。

いよいよ明日は陣痛促進剤を使うことになりました・・・


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2005年2月7日月曜日

C陣痛促進剤を使ったお産

「破水してから、48時間経っても陣痛が来ない場合は
感染の危険が高まるので、
点滴の陣痛促進剤を使います」と説明されました。

こうなると「まな板のコイ」です。
夫は一応付き添っています。
ちょっとだけ安心。
ベットに点滴を打たれて、心細いまま部屋に一人っきりよりは、
とりあえず、誰でもいいからいてくれるとうれしいし。

点滴が進むと、陣痛が来るようになりました。
点滴にしばられ、分娩監視装置なるものにしばられ、
動くこともままならず、
ベッドに横になっていないといけないことが
ものすごく辛かったです。

夫に“会陰”を押さえてもらうと少しは楽でした。
考えてみれば、赤ちゃんは会陰に向かって
ぐいぐい押して出てくるわけですから、
座っていれば少しは楽なのですが、
なにせ横たわっていてという指示が苦しかったです。
夫は命じられるままに、必死で押さえてくれました。
当然、翌日は筋肉痛だったとか。
ありがとう、夫。

それでも耐えかねて
途中、助産婦さんに訴えて、多少座らせてもらいました。
でも、またすぐに寝て下さいって言われたり。

陣痛って、不思議なことに「お休み」がありますよね。
激痛の合間に、ハッとする何事もなかったような時間。
神様がくれた“休憩”時間なんだなぁ〜と思いました。
その“休憩”時間に、ちょうど病院の“おやつ”が出てきて
食い意地の張っている私はしっかり夫に食べさせもらいました。

そのおやつ忘れもしません、アイスクリームだったんです。
母乳の本を1冊でも読んだ方は、
「だめじゃん、それ」って思いますよね。

まぁ、そんなダメダメでも、
陣痛促進剤の力で、なんとか陣痛を呼んでいただいて、
全開大となりました。
ここで、夫はバイバイ。
・・・なんで?ここから赤ちゃん出てくるのに・・・
なんて、ともかくも襲ってくる陣痛に耐えるのが精一杯で、
訴えることもできず、考えることは、
「もう、早く終わってくれ」という気持ちだけです。

顔を見たこともない、
日曜当番の外来の男性ドクターが
(それまで掛かっていたのは女医さんでした)
やっとおでましになり、
「会陰切開しますね、その方がキレイになおりますから」と
有無を言わせず、パチンと切られ、
(切りたくないと要望は出しておいたので、一応形は断ってくれた)
するっと女の赤ちゃんが出てきて、
「やったぁ〜」と私以外のお医者様と助産婦さん看護婦さんも
「やったぁ〜無事出産!」とほっとされていました。
臍の緒がまだつながっている赤ちゃんを
抱かせてもらいました。
もう、この時の思いはとても文にはできない感動でした。

「陣痛促進剤を使って6時間、
アナタ、自分では大変だったと思われたでしょうけれど、
とても“安産”だったんですよ」とドクターに言われました。

夫は「どっちでもいいよ、元気な子なら」と大喜びでした。

この時の私は、出産の後の苦しみをまだ知りませんでした。


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2005年2月8日火曜日

D後産と会陰切開の痛み

不覚なことに、出産=産むまで
と思っていました。

いえ、確かにマタニティスイミングの先輩ママから、
「産むのはね〜かかっても1日だけど、
育児はずっとだからね〜」と言われて
さすが、育児経験者!とうなずいたことはありました。

でも、産んだ後も、こんなにいろいろ困難が続くなんて、
知りませんでした。うかつ!!

まず、最初の辛いのは後産でした。
産んだ後、伸びきった子宮が縮むために痛い。
おっぱいあげるとお腹が痛い。
寝ててもお腹が痛い。
キューキュー痛い!痛い!
でも、痛くないと縮まないから我慢、我慢。。。

本当に泣きたいほど辛くても、
赤ちゃんは愛しい。
・・・こうやってみんなママになるんだなぁ〜
と駆け出しママであった私は思うのでした。
(うん、まだまだ甘いねぇ〜・・・と今は思う)

でも、人によって、いろいろ辛いのは違うようで、
浣腸の後がとてつもなく辛かったという人もいます。

同室した方では、会陰切開した後に、
あとわずかで生まれるかと思ったら、なかなか出てこなくて、
赤ちゃんの心音が下がったと、
緊急帝王切開になったママは
「上も下も切られてお腹も、下も痛い。
これ以上悲惨なことはない」と言って、
一同、確かにそれは悲惨だと同情したり。

同室は自分の赤ちゃんが泣いて気をつかったり、
他の赤ちゃんが泣いてママが起きずに寝てたりすると、
眠れないこともあったけど、
“同室”はいい思い出でした。
あの時だけの出会いだけれど、
年賀状をずっと交換している方もいます。

そして後産が落ち着いた頃、辛かったのは、
会陰切開の跡。ひきつるような痛み。
「出産の痛みは忘れることが出来る」という言葉が
あるそうだけど、その時私は
「出産の痛みは忘れても会陰切開の痛みは忘れない」と
思ったほど、辛い痛みでした。
抜糸まであと1日、という時に、
「あと24時間・・・あと20時間・・・」と
カウントダウンするほど辛かったです。

はっきり言って、よっぽど下手なドクターに
あたっちゃったんだと恨みました。
だって、他の人はそんなに痛がっていませんでしたから。

でも、抜糸をした助産婦さんが
「うわぁ〜、お傷すごぉ〜くキレイですよぉ〜
へぇ〜あの先生こんなに上手だったんだ」と感動していたので、
もしかして下手じゃなかったのかも。
でも、今でも、人生の中で一番の痛みでした。

そして、入院生活で辛かったことは他にもまだありました。

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2005年2月9日水曜日

Eむくみが辛い

入院中の出来事で嫌だったことは、
当然といえば当然であり、
たいしたことないといえば、たいしたことなくて・・・
でも、個人的に嫌だったことは
“お風呂に入れなかったこと”でした。

あっ。
今、PCの前でなぁ〜んだって笑った人いたでしょ。

でも。
「日本人には風呂がある」って
某ガス会社のCMがだいぶ前にありましたが、
あ〜そうだよねぇ〜って私はすごく共感できました。
お風呂が大好きなんです。
別に温泉じゃなきゃ、とか言いません。
ただ、お風呂に毎日入って髪を洗うのが好きなんです。
どんなに遅く帰った時も髪まで全部洗うのが好きなんです。

それが、“出産後24時間以降にシャワーOK”でした。
でも、私の場合は出産までに破水していますから、
出産前に2日入ってないんです。
そして、病院の生活時間がありますから、
4日間シャワーすら浴びれませんでした。

最近は自然災害などで被害にあわれる方が多くいらっしゃり、
「やっとお風呂に入れました」とTVでうつったりすると、
そのお風呂に入れた喜びがわかるような気がしてしまいます。
いえ、被害にあわれた方には失礼な話でしょうが・・・

お風呂なし生活は、出産にまつわる、
思いもよらなかった“嫌なこと”のひとつでした。
でも、まぁこんなことはくだらないといえばくだらないことです。

出産後に一番身体が辛かったのは、
会陰切開のひきつれる痛みでした。
そして二番目に身体が辛かったのは、後産、でした。
三番目に身体が辛かったのは、
ふくらはぎの『むくみ』でした。
「むくみ」がこんなに痛いなんて知りませんでした。
押すとへこむ程度のむくみじゃなくて、
この時は一目見てすぐわかるほど腫れて痛いんです。

あ〜昔の私のそばに、今の私がいたら
あんな辛いことにはならなかったのに。。。

OLあがりのフツーの新米ママな私に何が出来たでしょう。

回診に来てくださったドクターに
「足がむくんで痛いんです」と訴えました。

ドクターは「あ〜確かにちょっとむくんでいますね。
足は少し高く・・・上げていますね。
辛いんですか?そんなに辛いならお薬出しましょうか?
でも、母乳は飲ませているんですよね?」

「はい」と私。

「お薬入りますか?出しましょうか?」
どんどん回診をこなさないとならない忙しそうなドクター。

「お薬はいいです」

「じゃあ、あんまり辛かったらお薬だしますからね」

「はい。ありがとうございました」

しょぼん。。。
足、痛いまんまだし。
母乳せっかく出ているのに、
薬はなるべく飲みたくないし。
なんで、足がこんなに痛いんだろう・・・?
どうしたら痛くなくなるんだろう・・・?

誰も教えてくれない。

(『気づけよ!自分!』と・・・今ならツッコミたい)

これも我慢。。。我慢。。。我慢。。。
だって、ママだもん。
赤ちゃんかわいいんだもん。
こんなにいろいろ我慢しないとママってダメなんだ、きっと。。。

(ちっがぁ〜う!いらん我慢せんでいい!早く治せ!!と・・・今なら言える)

そして、次の日には、足は前の日よりも
もっともっと痛く辛くなり、足首もぷっくり腫れていました。

そして再び回診の時間となります。。。

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2月10日木曜日
Fむくみは何で治るか
(上書きしてデリートした為2月15日書き直し)

足はしびれて、とても痛く、
こんなに“むくみ”が辛いことを私は初めて知りました。
助産婦さんや看護婦さんに聞いても、
どうしていいのか誰も知りませんでした。

夕方はどうしたら良いかわからないまま
回診の時間となりました。
ドクターは昨日とは違った若めのドクターでした。
カルテを見ながら

「足のむくみはどうですか?」

「痛くてとても辛いです」

「じゃあお薬出しますか?」

「母乳なのでお薬は飲みたくありません」

「この薬は、まぁ大丈夫なんですけどねー。
じゃあ、辛かったらお薬出しますから言ってくださいね」

あ〜あ、やっぱり。これで終わりか。。。

帰りがけにドクターが、ふと、私の裸足の足を見て言いました。
「靴下履くと少しは楽になるかもしれませんよ?」

「えっ、靴下?靴下履くと楽になりますか?」

「ええ、たぶん」

それで靴下を履きました。
ところが1時間も経つと前よりももっともっと痛いんです。
足がじんじんして来ました。

それでも、「たぶん」であっても、
とにかくなんとかしたかったので、我慢してました。

4時間ほどで少し楽になってきました。
翌日には、すっかり腫れは引いていました。

今なら原因はわかります。
単に身体が冷えすぎていたのです。
その年は1993年。
お米ができないほどの記録的な冷夏の年でした。
初夏でも例年とは比較にならないぐらい寒くて、
病院に持参したパジャマが薄く、
私はとても冷えていたのです。

私は健康なんです。
私は薬を飲みたくありませんでした。
靴下を履けば私の足は治ったんです。
最初からお薬なんかいらなかったのです。

靴下を履けば治る“むくみ”なのに、
あんなに辛かったことと、
薬は出してくれると言うけれど、
靴下を履くことは2日経って、
あんなに辛くなるまで
誰一人教えてくれなかった病院って・・・
『医療って?病院って?』と疑問が残り、
後々まで印象に残る出来事でした。

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2005年2月14日


G病院の母乳指導

病院でうれしかったこと

喜びの場である出産後の入院生活で、
思いもよらなかった悲しい思いをしたのですが、
もちろんうれしいこともありました。

なによりも赤ちゃんの存在そのものと
そして赤ちゃんの命をつなぐ
“おっぱい”が出たこと。

一応、選んで入院を決めた病院だったので、
母乳の推進については私のチェック項目でした。

WHOが母乳についての10箇条の勧告を出しています。
全部知りたい方がコチラをどうぞ
特に分娩後30分以内に母乳を与えること、
母子同室にすることについては、
病院の方針によるところなので、
実践している病院を選びました。

この病院はとても親切に母乳について指導をしていました。
私は母乳についてはほとんど問題なく出たのですが、
病院に一緒に入った(初日に隣のベッドで苦しんで産んだ)方は、
ご自身でも「すごく出るタイプだと思ったのに、なんで??」というほど、
なかなか出ずに、助産婦さんから何度もマッサージされたり、
授乳指導を受けたりされていました。

それでも退院する頃には、
ちゃんと出るようになっていました。
少し困っていらした方もいましたが、
退院する頃にはどなたも母乳で大丈夫になっていました。
WHOの10か条を守るような適切な指導さえあれば、
ほとんどの方は母乳で大丈夫だというのは
本当なんだなぁ〜と実感しました。

母乳を与えることにより、
子宮は収縮し、元に戻りやすくなり、
出産中に付いた余分な栄養を出すような働きになるそうです。
本当に人間の機能ってすごいものです。
母乳を与えていると母としての実感が湧き出てきますし、
命を育てている感慨もあります。

そして、これは余裕のない入院中には気づきませんでしたが、
母乳を与えると、ホルモンの機能により、
性的な快感も得られるように人は作られています。
後から鍼灸師になり、医学的にそのシステムを勉強しましたが、
こればかりは体感してみないとねぇ〜と
資料を見ながら思ったのでした。

母乳がうまくできない場合は、
それはお母さんのせいでなく、
医療者の介入の仕方が適切でないことが多い、
すべてのお母さんが母乳育児をできるように支援しよう、という
医療者や一般の方のグループの活動は各地で行われています。

ただ、このころの私は、
赤ちゃんの顔を見て、自分のおっぱいが出て
赤ちゃんがそれを飲んでくれる喜びだけで
本当に満たされていました。

これはなにより大きな喜びでしたので、
後産の痛み、会陰切開の痛み、むくみの辛さ・・・
苦しくて痛い入院生活も楽しかったのだと思います。

この病院でのお産と後の助産院でのお産の差が、
鍼灸師を目指すきっかけになりました。
そして、もうひとつ私の転機となるきっかけとなった出来事がありました。


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H新生児のしゃっくり

病院で困ったこと

病院で赤ちゃんのことで、
私も同室のみんなも困っていたことがありました。

生まれたばかりの小さな赤ちゃんが
しゃっくりをするんです。
ヒック・・・ヒック・・・ヒック・・・

「ウチの子もなのよ」
「とめてあげられないかしら?」
「なんかかわいそうよね」
「どうしたらいいのかしら?」
新米ママ達が授乳室で相談しています。

みんなバラバラに、また数人で助産婦さんや看護婦さんに聞きました。
でも、誰も有効な解答に出会えませんでした。

一番効果のあった答えが
「抱っこしているとなんとか止まる」でした。

今、私が聞いたら吹いちゃいますが、
当時は、病院の医療者に新米ママが手分けして聞いて
やっと得られた情報がコレだけでした。

私は抱っこで止められるなら・・・と
ずいぶん頑張って抱っこしていました。
確かに、少しは和らぎます。

でも、すぐまた始まってしまうのです。
出ないように、寝ていてそっとしておいてもいい時間まで
しゃっくりのために抱いていました。

勤務6年の結構頼りになった助産婦さんでも
「うん、(しゃっくり)出ちゃうんですよね〜
どうしてでしょうね〜」で終わっていました。

3日間ぐらいみんな赤ちゃんにしゃっくりをさせたまま、
心配しながら・・・退院していきました。
私も病院では、わからないまま・・・
そして、退院してからも、
しゃっくりが出る赤ちゃんに困ることがありました。

たいした話ではない、と思うかもしれませんが、
3kgに満たない新生児がしゃっくりを出しているのは
ちょっと苦しそうでしたし、何もできない自分が悲しかったです。
病院では子どもの、たかがしゃっくりを止めることができないことは
私の心に印象深い出来事として刻まれました。


・・・だから、2年以上経って、助産院で出産した時に、
おばあちゃんの助産婦さんが
長男のしゃっくりを迷うことなくあっという間に止めて、
そして、なぜしゃっくりが出たかを明確に教えてくれた時に
これが私が求めていた医療の姿だと思いました。
この話は第7章「全てが楽なお産」
B新生児のしゃっくりなんてすぐ止まる へどうぞ
(このページ↑は検索でいらっしゃる方がとても多いです。
 やっぱりみんな心配するんですよね)

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2005年2月15日火曜日

I退院日

退院の日

退院の日のことなんて・・・
本当は書きたくなんかないんです。
たまたま昨日までが数えたらHだったので、
やっぱり区切りよくIにしようと思ったら・・・ということです。


退院の日は、晴れやかな日ですよね。
まぁ、気持ちは晴れやかでした。
これで赤ちゃん連れてやっとお家へ帰れますから。

そういえば、いわゆる“お里帰り”を私はしていません。

だって、『私と夫』の赤ちゃんです。
1日だって赤ちゃんの顔を夫が見ないなんて
おかしいと私は思いました。
それに、最初の大変なところを知らずにいるなんて?

一番大変なお産は私がしたんですから、
当然、その後の大変なことは夫もすべき、という私の主張で、
狭い部屋に帰ることにしました。
(実家は夫が泊まるほど広くなかったという事情もありました)
母と義母に産後は交互で手伝いに来てもらっていました。
ちょっと脱線してしまい、すみません。

病院からいざ帰るという時に、
大きな心労がありました。それは・・・

会陰切開の後がまだ痛くて、
車に乗るのも辛いと思ったのです。
座って、下が揺れることを考えるだけでも
どうしよう・・・と・・・不安・・・
もう、考えただけ帰りたくないほど、痛そうで嫌でした。
車で30分の距離なのに。

帰る前に、立ち会ったかわいくて若い助産婦さんが
「写真撮ってもいいですか?」と言ってくれました。
その時に、彼女にとって、
うちの娘が6番目に取り上げた赤ちゃん、
というのを聞き・・・ああ・・・やっぱり・・・??と脱力しました。

小さな命を抱えた喜びにあふれながら・・・
一生懸命に病院も選んだつもりで、
一生懸命にいいお産をしようとしていたのに、
なんか、ちっともそうじゃなかったような気がして・・・
どうしたらよかったんだろう・・・?
という疑問が拭えないまま岐路につきました。

そしてこれは2年後の長男のお産の時まで、
ずっと心にしまっておくことになります。


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