りんごのエッセイ「大きくなったら何になる?」
10章「NYで見つめたもの」1996.1.〜1996.6.頃の話

@NYでゴミを考える
Aエネルギーの消費
B住みやすい街
C黄色人種である私
D職業選択の自由?
E職業選択の自由?続
F日本を振り返って
Gモデルって?
H会社で働かなくてもいいんじゃない?
I想定外
Jサイドビジネス

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2005年9月16日金曜日21:00

@NYでゴミを考える

OHIOでのクリスマスを終えて、
NYへ戻るとすぐまたFloridaのディズニーワールドで、
New Yearを迎えました。
Floridはただのレジャーなので話は省きます。

NYに戻ってから、
以前よりももっと違和感を覚えたのはゴミ置き場。
各フロアに1箇所ありました。

燃えるゴミはダストシュートがありました。
↑ってわかります?
私が小学生の時には校舎にあったのですが、
学校の廊下の壁に扉があって、
そこを開いて、ゴミを入れると
シューとゴミが1階まで落ちるのです。
24時間いつでもゴミが目の前からなくなります。
すごいです、これは。
ゴミについて全く気にならなくなります。

燃えないゴミは大きなバケツがあってそこに入れます。
このゴミは量もすごいし、出し方もひどいです。
アルミカップ、デリバリーされた食料品を包んだもの、
ペットボトル、缶・・・油や汁もついたまま。

OHIOでは生ゴミは全部水に流してしまうし、
NYではボンボンなんでも使い捨て。
ゴミがすごく出る生活をしていても、
気にならないサイクルが出来ている・・・

これは1996年のことですが、
日本では熱心な方はコンポストなどを使ったり、
大手電気メーカーが生ゴミを堆肥にする機器を出し始めていました。
もちろん目黒では分別していましたし、
古紙回収・牛乳パック・プラスチックトレイ等の
リサイクルも行われていました。

日本では欧州に比べて遅れていると言われながらも、
“ゴミ減量”に取り組んでいる人たちはたくさんいましたし、
私もひとつのことしかできないものは買わない、
(→それをしなくなったら使わなくなってゴミになるから)
買うときはよく考えて買う、
コンビニで物を買わないなど実践していました。

でも、USAではゴミについて
考えている人はいないように感じられて、
地球規模で考えたら、
日本でみんながゴミ減量に取り組んでいることは、
役に立っているのだろうか?・・・と虚しく感じたのでした。

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2005年9月20日火曜日10:30

Aエネルギーの消費

OHIOへ行ってNYのアパートに帰った時、
FloridaからNYのアパートに帰った時。
わかってはいましたが、
それでも『もったいない』と悲しくなったことがあります。

アパートは私達がいてもいなくても、
同じように暖房・空調が効いているのです。
室温は27度ぐらい。
住んでいたのは11階でしたが、上に行くほど暑くて、
上の階の方は真冬でもTシャツでないといられないぐらい、
昼間は軽く30度を超える温度になるのです。

繰り返しますが、外は氷点下なんです。

私達がエアコンのスイッチを切り忘れた?と
思われたかもしれませんが、
選択肢はないのです。
室温・空調のON/OFFスイッチというものが
初めからついてないのです。

全室の冷暖房・空調が一括管理されています。
各自でコントロールはできません。

その上、私達が問題だと思ったのは、
電気代とガス代がアパート代に含まれていることです。
つまり、使い放題。
使っても使わなくても同じ料金。

このアパートは新しくありませんでした。
30年以上は経っていたと思います。
それでもNYではそれほど古いほうではありません。

密集した高層アパートのほとんどが、
こんな構造だと考えると、
エネルギー問題に多くのアメリカ人が鈍感になってしまうことも
無理もないように感じました。
(実際に、遊びに行った日本人が住んでいるアパートは、
どこも同じような構造でした)

ホントにこんな生活は、バチが当る・・・(・・,) と思いました。

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2005年9月21日水曜日17:00

B住みやすい街

最近、日本でも増えてきたように感じますが、
NYで車椅子の高齢者の姿を非常に多く見ました。
午前中のセントラルパークは特に多かったです。
障がいをお持ちの方も、
日本に住んでいるよりも、
ずっと多く目にしました。

バスに乗る時などでは、
車椅子の方の乗り降りに
当然余分に時間がかかるのですが、
誰もそれを気にしているようには感じませんでした。

私はベビーカーで出歩くのですが、
お店に入ろうとすると、
道を歩いている人が、
私のためにドアを開けてくれて、
また道に戻りそのまま行ってしまうことは、
しょっちゅうありました。
日本で誰が用もない店のドアを開けてくれるでしょう?
見知らぬ人のために。
(せめて自分の後ろに来た人のためには、
ドアを持って待ちましょう・・・と思います)

邪魔そうな視線を向ける人もいなかったし、
やさしい言葉もたくさんかけてもらえました。

handycap peopleと呼ばれる人たちにとって、
少なくとも子連れの母親にとっては、
日本よりもずっと住みやすいと感じました。

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2005年9月22日木曜日9:00

C黄色人種である私

NYは多くの人種が混ざって存在する街です。

肌の色、髪の色や質、目の色、
身長の高さ、身体の大きさ・太さ・細さ。
人の服や靴などの外観、
化粧の仕方、香水の香り、マニュキュアの色・・・

自分が黄色人種であることを、
意識せざるをえません。
黄色い肌と黒い髪。

子ども連れていたせいかよく聞かれました。
『CHINEESE?JAPANEESE?』
子ども達については、みなさんベタほめです。
日本でもそうであればいいのになぁ〜と思います。
『Where are you from?』という質問も多かったです。

「JAPANEESE」「Tokyo」と答えると、
SONYやHONDA、TOKYOなど、
日本に関係のある単語を言って微笑んでくれるのです。

(そういえばご主人の駐在に同行された奥様が、
子どもがいなかった頃は2年間、
誰にも話しかけてもらえなかったけれど、
赤ちゃんを産んだらいろんな人が話しかけてくるので
すごくびっくりしたと聞いたことがあります)

自分では、あまり差別をされるような視線は、
感じませんでした。

チャイナタウンへ行った時に、
中国語でまくしたてられて、
値段がいくらかを聞き取れず、
何度も「JAPANEESE!」と言っても、
中国語で大声で繰り返すだけなので、
しかたなく適当にお金を出すと、
「なんでコイツわかんないんだろう??」
みたいな顔をされたこともありましたっけ。

人種の異なる人ばかりいる街の中は、
自分のことを考えるのにはうってつけでした。

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2005年9月26日月曜日10:00

D職業選択の自由?

NYではいろんなところで“肌”の色を意識しました。

人々が働いている場所では、
特に目につきやすく感じました。

高級店では店員さんは肌の色が白かったり、
ディスカウントショップではほとんど肌の色は濃かったり・・・

メトロポリタン美術館などの公的施設では、
職員の人種が混ざっているのをあきらかに感じるほど、
5番街のブランドショップでは明らかに真っ白な美人店員率高く、
スーパーでも高級スーパーと安いスーパー、
アパートのガードマン達も賃料で、
肌の色が異なっているのを感じました。

もちろん、街を歩くビジネスマンvビジネスウーマン達は、
肌の色は混ざっているんです。

でも、ほころびのように、あちこちに・・・
今回のハリケーンカトリーヌが見せたような・・・
問題はあちらこちらにあるのを感じるのです。

中でも一番私の心を痛めたのが、
スーパーのデリバリーでした。

スーパーで買い物をすると、
子どもを2人連れた私は荷物が大変でした。
念のために言うと、
NYでは子どもを置き去りにしたのがバレて、
警察に通報されたら、訴えられてしまいます。
日本みたいに“寝てるからちょっと買い物”と
置いていくのは許されないわけです。

厳冬の雪の積もるNYで、0歳と2歳児連れという状況で、
$2.5だったかな?チップを合わせても
500円しないで荷物を家まで運んでもらえるのです。
これは助かるシステムで、何度か利用しました。

でも、レジのそばで、
デリバリーの仕事を待つ、
体格のいい肌の黒い男の人たちの列を見るたびに、
非常に心が痛みました。

こんなに健康でいい身体を持つ、
立派で親切な若い男性達の仕事が、
こんなに低賃金で収入の安定しなさそうなデリバリーという現実。

足元の悪い雪の日ほど、
デリバリーを待機して待つ肌の黒い男性達の列がありました。
そしてデリバリーを頼むのは、
肌の白い高齢者が多かったのです。

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2005年9月26日月曜日10:00

E職業選択の自由?続

車椅子の高齢者はよく見かけましたが、
そのほとんどは肌の白い方で、
車椅子を押しているのは、
そのほとんどが肌の白くない若い女性でした。

カジュアルなレストランのウェイトレスやウェイターは、
やはり肌の白くない男女ばかりでした。

まっすぐ伸びたわかりやすい道路で、
区切られたマンハッタンでは、
肌の色で明らかに住む地域が、
異なる印象を受けます。

もちろんたまには、
肌の色が異なる仲の良さそうな男女を
見かけることもあります。
仕事の話をしているビジネスマン達の肌の色が
異なることはあります。

でも、圧倒的に肌の白くない人が、
低賃金労働を担っていると感じました。

文字としては違和感がないかもしれませんが、
体感した私はやはりショックでした。

(肌の白くないというのは、
黄色人種を含めて幅広い肌の“黒”さがあるからです)

この時ほど、当時の日本の労働状況が
恵まれていると感じたことはありませんでした。
今も当時と比べれば厳しいですが、
それでもまだまだ・・・
日本はぬるま湯に浸かっているようなものだと思います。
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2005年9月28日水曜日9:00

F日本を振り返って

日本に人種差別がない。
・・・とは言い切れないけれど・・・

人が仕事に就こうと思ったら、
とりあえず仕事があって。
そんなにがむしゃらに仕事をしなくても、
それなりの仕事には就ける能力のある人がたくさんいる・・・
日本はとても恵まれた国だと感じました。

でも。

このまま“定年まで終身雇用”なんて続くのかしら?
日本だって、世界の中の国。
国際的な競争をしないと生き残れないはず。
世界の都市NYでさえこんなに厳しいのに、
いつまでも日本はそんなに甘い労働状況に、
耐えられるのだろうか?

自分たちの将来のことや、
今後の政治や経済のことを二人でよく話し合いました。

あと10年も経てば、
労働状況は今よりずっと厳しくなる。
終身雇用は崩壊する。
高齢社会はずっと進み、
高齢者を支えるために、私達の世代の税金は増える。
(しかも取りやすい会社員はどうせ増税だろう)
貧富の差が今よりもずっと広がる。
子ども達が大きくなる頃はさらに競争が厳しくなる。

明るい展望ではありませんが、
それが当時の私達が考えた2005年の日本でした。

つい・・・社会がいつまでも同じように続くかのように
感じてしまっていたけれど、
ちょっと考えてみれば、
いつの時代だってドラスティックに変化してきた。
そして自分はその中にいる。
人は常に社会の変化に対応しないと
生きていきにくいのかもしれない。

私達は子どもを守るために、
何ができるのだろう・・・

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2005年9月29日木曜日9:30

Gモデルって?

父親が外で働いて、母親が専業主婦、
子どもが二人というモデルが
ここ十数年は“普通”と思われていたけれど、
それは一体いつまでのことなんだろう?

私達の出した結論は、
それが一番長く続いたとしても、
私達の世代あたりが最後なんじゃないか?
・・・ということでした。
(まぁ、もちろんお金持ちは奥様が働かなくてもいいのでしょうけれど。)

子どもが成長する頃には、
「専業主婦」という存在は、
きっと「昔はお母さんが働かなくてもよかったんだってね」
なんて言われてしまうかもしれない。
水道もなく井戸から水を汲み、
お湯がでない、お風呂を薪で炊いて、
お買い物も商店街を種類別に買って歩き・・・
専業主婦が外で仕事をしていなかっただけで、
家族のためにどれだけ大変な家事労働をしていたか、
想像もつかない子どもたちによって。

そういう子どもたちは、
家事労働が機械化され生活が便利になった分、
外で働く女性が当たり前になるのではないか。

だって、もともと女性達は働いてきたのだから。
どこで働くのかが違っているだけで。

『子どもたちの“当たり前”は私達が作るもの。
その“当たり前”に母親の私が働いていた方がいいと思わない?』

「それは同意できるけれど、
それなら働き方も、考えてもいいんじゃないのかな。
会社に入って会社のために働くことだけが、
何も働くことではないと思うよ。」
というのが夫の意見でした。

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2005年10月1日土曜日0:30

H会社で雇われなくてもいいじゃない?

私は外に出て行くのも、
人の中で仕事をするのも好きです。
組織の中の一部であることは、
すごく面白いと思っているし、
会社の力を借りて自分の実力以上のことができることは、
メリットだと思っています。
また、お勤めに行きたかったのです。

夫は私の話を一通り聞くと言いました。

でもさ。
会社員って、どんな会社でも、
会社には逆らえないし、
組織の中からは出られないんだよ。
ガラス張りで税金一番収めさせられるのも会社員だし。
オレは自分でそれを選んだことを後悔してはいないけれど、
キミは会社を一度辞めてしまったんだし、
子どもだって小さいんだから、
焦って外にすぐ出ようとしなくてもいいんじゃない?

例えば鍼灸師の資格を取って家で開業するとか。
そしたらオレも治療してもらえるし、
子どもの具合が悪い時もキミができるだろうし、
家で仕事ができるから、
子どもだって寂しくないんじゃない?

他の仕事よりも、
最初の投資が大きくなくても始められるし。
会社を例えば続けていれば、
続けるメリットがあると思うけれど、
一度辞めてしまったキミは、
別の方法を考えた方がいいんじゃない?
二人して「会社員」にならなくてもいいんじゃない?

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2005年10月3日月曜日9:00

I想定外

鍼灸師?今から?私が?

国家試験に合格しなきゃいけないし。
専門学校に『3年間』も通わなくちゃいけないし。
お金が400万とか500万とかかかるし。

それ、元取れるわけないじゃん。

大体、国家試験なんて、無理!

試験なんてずっと受けてないし。
生理学とか、理科で得意なものなんてないし。
生物とか気持ち悪いモノばかりだし。

あのツボの『漢字』なんて見るだけでゾッとする。
難解な漢字ばかりじゃない。
あんなの覚えられるわけないし。

ちょっと前までは都道府県試験だったから、
もっと簡単だったみたいだけど、
国家試験になってからは、難しくなったというし。
(編集プロダクションの時に一応情報だけは仕入れた)

そんなに苦労しても、
鍼灸師なんて、美容師と一緒で、
一人一人に手間と時間がかかるわけだから、
そんなに儲かる仕事のわけないし。
そんなにお金かけて元なんて取れるわけないし。

試験なんて嫌。
キミの頭なら大丈夫だろうけれど、
私、そんなのやだぁ〜
・・・とにかく『嫌』だと思いました。
そして主な『嫌』な理由は
なんと言っても【試験】があるということでした。
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2005年10月4日火曜日10:00

Jサイドビジネス

鍼灸師になり開業することを
やんわり勧める夫と、
試験が嫌で他の仕事に就きたい私。

それでも今は結論を急ぐわけでもない。
NYにいたから話す時間ができて、
明白になっていっただけで、
1年以上前からお互いに、
そんなことを感じていたのでした。

そんな時期が数ヶ月続いた滞在期間に、
面白い話を聞きました。

ある日、夫がパンを持って帰ってきました。

そのパン、夫が通院していた歯医者さんから
貰ったというのです。

なんで歯医者さんでパン??

日本人でNYで開業しているDr.Y。
以前から、日本と比較すると驚くほど高い治療費で、
そして技術も全然高ければ、説明も丁寧。
人柄も良く、歯科医院はいつも予約でいっぱい。

あれだけの技術と機械のためには投資も
すごくかかったのだろうけれど、
日本人の駐在員だけを相手にしていても、
かなり収入が見込めるのではないか・・・
すごいね、と二人で話していたDr.Y。

そのDr.Yの奥さんがパン屋さんを始めたので、
その宣伝に、患者さんにパンを配っているというのです。

Dr.Yの年齢は、私達よりも少し上ぐらいということでした。
なんでこんなに成功している歯医者さんが、
パン屋さんを開くことを考えるのか。
ものすごく忙しいでしょうに。
もちろん夫も聞いたそうです。

『先を考えて』と答えたそうです。

いつまでも歯科院がうまくいくかわからない。
そんな時のために、
次の手段を確保しておく、というようなことを言ったそうです。
自分が歯医者さん、奥さんにはパン屋さん。

成功している時だからこそ、次の手を打つ余裕がある。
『転ばぬ先の杖』

私は会ったこともないDr.Yのパン屋さん開業は、
彼のように成功していても、
次の生きていく手段を確保しようとする姿勢、
アメリカで生きていくことの厳しさ、
実際に厳しい社会に生きているのに、
それとは気づいていない自分達の甘さ、
そんなことを気づかせてくれた出来事でした。

(余談:そのパンは美味しかったです。
私がパン屋さんかケーキ屋さんをやってもいいかも、
という話は当然出ました(=^_^=)。
NYでケーキ屋さんならできそうだと思いました。
だって日本人が満足できるお店がなさすぎる・・・ )

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2005年10月5日水曜日11:00

Kリスク分散

夫はいかに私が自営業であると
お互いにメリットがあるかを主張しました。

とにかくキミは働きたい。
僕は子どもが小さいうちは家にいて欲しい。
でも、自宅で仕事をすれば、
それは専業主婦であることとは違っても、
とにかく母親はウチにいる。
その形なら僕も反対はしない。

とりあえず今は僕の給料でも生活できる。
でも、今の状態では僕がいくつまで会社にいられるかわからない。

年金は、どんどん受給時期は先送り、金額は減る。
全くあてにできない。
そんな時でも、開業して現役なら、
キミの収入が期待できるだろうし、
それは15年先、20年先でもいいと僕は思うよ?
子どもが小さい頃、始めてすぐは
それほど仕事も多くないだろうし、
子どもが大きくなって手がかからなくなった頃に、
仕事をちゃんとして収入が確保できるようになればいいじゃない?
それにはそれなりに時間もかかるよ。

外で仕事してもいいけど、
その頃、首切られちゃうかもしれないよ?
そしたらその後、キミはどうするの?
キミはA先生みたいに生涯現役がいいんじゃないの?

鍼灸師なら僕や子ども達も、
キミにやってもらえるし。
お父さんやお母さんにもできるし。
それだけでもすごくいいと思うよ。

自営業だと会社員とは違って、
「必要経費」の幅があるし。

会社員と自営業は、
夫婦でリスク分散の形としては、
悪くないと僕は思うよ。

夫に説得&説明されると確かに【試験】と、
【私が】鍼灸師になって開業する以外は、
そう悪くない話だという気がしてきたのでした。

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