りんごのエッセイ「大きくなったら何になる?」
8章「棚からぼた餅?NY生活 1995年秋〜春の話」

@退職・移動・異動
Aお七夜
Bヘルパーさんの利用
Cお風呂に入れる
D渡航準備と退園
Eなりゆき
F出国

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2005年8月23日火曜日9:00

@退職・移動・異動

書き損なっていまいましたが、
編集プロダクションは産休に入るところ・・・
出産の1ヶ月前で辞めました。

二人目の出産のこと、
8月初めに目黒区に転居したこと、
夫が仕事で9ヶ月間NYに研修で行くことになり、
出産後の生活が全く見えなかったことが理由です。

8月1日にはI市に在籍していることから、
8月中の保育園はI市に通えるということでした。

8月中は妊娠8ヶ月のお腹で
目黒の自宅から長女と一緒に家を出て、
車で1時間運転し、I市の保育園に長女を預け、
車を前のマンションの駐車場に置き、
電車に乗り換えてパートに通っていました。

引越し荷物を片付けながら、
週末は助産院に毎週行っていました。
楽ではありませんでした。

別に辞めても誰も何も言わなかったと思うのです。

ただ、産休まで勤める経験をしておきたかったのです。
長女のために。
この子がこういう経験をするかもしれない。
その時のために、
自分が経験しておきたかったのです。

そんなワガママを許してくれた、
編集プロダクションの方々には、
本当にいつも感謝しています。

1ヶ月そんな生活をして、
産休に入るタイミングで、私は
お世話になった編集プロダクションを辞めました。

そして退院後に、お七夜で名前をつけると、
その一週間後に夫はNYへ行ってしまったのでした。

引っ越したばかりの街で、
2歳の長女と生まれたばかりの長男と私は、
新しい生活を初めたのでした。

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2005年8月25日木曜日7:00

Aお七夜

一番苦労したお七夜でした。
5日で退院だったので、
確か帰って2日目かと思います。

新居に、双方の両親を招き、
実母がデリバリーでご馳走を持ってきてくれました。

夫の両親は「命名 ○○」と書いてくれる予定でした。

私は、そこそこ部屋を片付ければよかったので、
大変ではなかったのですが。

母が「名前決まったぁ?」と料理を持って、
ウチに入って来た時に、まだ名前が決まっていませんでした。
「あら?何、やってるの?
(夫の)ご両親は5時にいらっしゃるんでしょう?」

名前は、夫がPCで作ったリストになっていて、
100以上の候補がありました。
図書館から借りてきた命名辞典が4冊。

なのに削除されて手元に名前が残りません。

長女の時に『この名前、素敵』と思って付けたら、
クラスに必ず一人いる程の当時流行りの名前でした。
それがショックで、
今回は「ない名前をつけよう」を目標にしました。

親戚一同、友人たち、友人の子ども・・・
私が良いと思っても、
夫の友人の子どもにいたり。
夫が良いと思っても、
私が会社の時に思い当たる人がいたり。
(人事なので400名ほど頭と顔が一致していました)

ああっ〜〜名前が決まらないっ!
あと2時間しかないっ!

なんか、まだ体調が本調子でないのに、
試験前のような辛さ。
すごく苦しかった・・・(^.^;;;

最後にやったのは・・・
あい、あう、あえ、あお、あか、あき・・・・あん・・・
いあ、いい、いう・・・

そう!
五十音順に上から意味もなさそうな言葉を
ブツブツ唱えていったのです。
(長男の名前は『ま』行です・・・長かった・・・)

なんとか候補が2つあがり、
玄関にピンポーン♪となる10分前に、
無事に名前が決まったのでした。

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2005年8月26日金曜日20:00

Bヘルパーさんの利用

出産10日後、夫はNYに単身で渡りました。
2歳の長女、新生児との3人生活が始まりました。

長女は長男が生まれた月から、
これまた奇跡的に自宅から徒歩15分ほどの
目黒区の公立保育園に入園できて預けていました。

私は、3人の出産に当り、
実家には戻りませんでした。
基本的に夫と私の子どもなので、
夫と一緒に生活することを優先したのです。
(実母と義母はちょくちょく手伝いに来てくれました)

さらに、今回は夫がいなかったので、
2週間ほどヘルパーさんをお願いすることにしました。

保育園の送迎、洗濯・掃除・料理などを
お願いできました。

家のことを全く知らない方にお願いするのは、
抵抗があったのですが、
夫がいないことから、友人が勧めてくれ、
思いきってお願いしてみたのです。

産後はやはり身体の疲れ方が、
通常とは全く異なるので、
とてもありがたかったです。

周囲の人に手伝ってもらったため、
赤ちゃんもぐんぐん成長し、
母乳も順調でした。

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2005年8月29日月曜日8:30

Cお風呂に入れる

一人で一番大変だと思ったのは、
毎日のお風呂でした。

1ヶ月はベビーバス(義姉宅のおさがり)を使ったものの、
ふにゃふにゃのたかだか生後30日程度のベビーと、
これまた2歳半前後の長女。

一人で脱ぎ着ができません。

脱がせて、洗って、入れて、着せて。

ベビーは長くお風呂に入れないし、
お風呂の外、脱衣所に置いて、
長女と入っていると泣くし。

子どもと入ると、
湯温を低く設定しないといけないし。
(子どもが快適な温度は36〜38℃ぐらいのようです。
39度でも子どもは交感神経が高ぶって眠れなくなることがあるので、
お風呂の温度には気をつけましょう))

お風呂から出たら、
咽喉が渇くから、白湯を飲ませたり。

・・・そういえば、
長女の時は、夫が帰ってくるまでは、
お風呂に入れてなかったんだった。

たまぁ〜に飲み会の時だけ、
頑張って一人で入れたこともあったけど、
『一人』だったものね・・・
2対1と1対1では大違いだわ。。。

「えっ〜、毎日なんて入れない〜」って友人もいたけど、
お風呂が大好きな私としては、
どんなに慌しくても、
毎日入りたかったので、入っていました。

「子どもが寝てから入りなおす」という友人もいて、
それはナイス!と思ったんだけど、
できたのは1回ぐらい。
子どもにおっぱいあげながら一緒に寝ちゃうんですよね。

結論としては、一人でお風呂に入れる場合は、
【バスローブが必須アイテム】と思いました。


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2005年8月30日火曜日18:00

D渡航準備と退園

お風呂は手が2本しかないのは、
やっぱり辛いなぁ〜と思いました。

お買い物も確かに大変だけど・・・
洗濯物もまた布オムツで洗濯したけれど・・・
この時は、仕事や辞めてしまっていたので、
その前の状態に比べれば、
生活していただけなのでそれほど大変ではありませんでした。

1ヶ月経つと、
子どもも順調そうで、
夫も少し落ち着きアパートも決まり、
どうやらNYへ行けそうな感じになってきました。

ベビーはパスポートがなかったので、
仰向けに寝せて、タオルの下に義母が手を入れて
頭を支えて正面を向かせて上から撮りました。
受け取りは本人確認が必要ということで、
抱っこして連れて行きました。
長男のパスポート写真は生後1ヶ月の写真でした(-^〇^-)
その後1回も使えず、使ったのはこの時だけでした(^.^;

長女は保育園に通園していたのですが、
私が仕事を辞めてしまい、
次のいつ、何の仕事に再開できるかわからなかったので、
「また帰ってその時になったら、
入れればいいや」と退園しました。

2度もすんなり入れてしまったので、
そのありがたみがわかってなかったのです。
この時、退園したことを、
後から2年間、ずっと悔やむことになるとは、
この時の私には、まだわかっていませんでした。
(後から半年なら“休園”できたことを知りました)

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2005年8月31日水曜日8:30

Eなりゆき

NYとの時差は日本時間から-14時間。
夫の仕事の合間なので、
連絡できる時間は限られていました。

こちらの朝9時がNYの夜7時なので、
電話したのは、そのぐらいでした。
娘の「パパ♪」の声には夫は癒されていたかも。

ところが、NYへ行くだけでなくなってきました。
せっかくならとクリスマス休暇を兼ねて、
FloridaのWalt Disney Worldへ行くことを考え始め、
(NYへ行った夫は、最初は英語研修だけで
少し時間的な余裕がありました)
せっかくなら、一緒に双方の両親も・・・
なとどいう話に発展して、
私は産後1ヶ月経った頃から、
旅行会社やツアーを調べたりして、
そちらのことでは忙しい思いをしました。

加えて、以前夫がホームステイでお世話になった方が
現在OHIOに住んでいてクリスマスに遊びに来い、と
言われた・・・という話もあって、
日程調整と共に、なんか、
すごく慌しいことになってきました。

それらの打ち合わせを電話でするには、
まだ電話料金が高い時代だったので、
(今ならSkype使えば無料ですが)
ダイヤル回線でしたがほとんどのやりとりを
Eメールを使ってやりとりしていました。
1995年のこの時、
まだ携帯電話を持っていなかった頃でした。

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2005年8月31日水曜日8:30

F出国

今までは旅行で出かけることはあっても、
海外で生活したのは、
せいぜい1ヶ月のホームスティ。

それが新生児含む子ども2人を抱えて、
NYでの滞在はハンパな半年。

1年に満たないので、
住んでいる場所も、全部そのまま。
NHKの引き落としだけ止めましたが、
(これが3回もあちこち連絡したのに、
いなくなっても引き落としされて(^_^メ)ピクピク・・・ )
電気・ガス・水道・電話も全部そのままでした。
・・・楽といえば、楽なんだけど、損した気分・・・

まぁ、どうせ日本にいても、
大して動けやしないんだから、
せっかくなら行っちゃおうってノリでした。

長男を出産して2ヶ月半後の冬に
NYに行ったのでした。

最初は大変そうなので、実母も同伴してもらいました。
実父と義父母は成田まで見送りに来てくれ、
クリスマスにはFloridaのWalt Disney Worldでの
再開を約束して、出国しました。

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