りんごのエッセイ「大きくなったら何になる?」
13章「3度目の出産」1996.秋〜1997.2.頃の話

@妊娠期間
A夢みた安産
B致命傷
C認識不足
D認識不足その2
E認識不足その3
Fカルシウム不足と言われて
Gサプリメントについて私案
H陣痛?!
I再び陣痛
Jなくなっちゃう陣痛
K夜中の陣痛
L予定日の陣痛
M予定日を過ぎて
N予定日の一週間後にキタ!
O陣痛が来なくて眠れない夜に
P土曜日はいいお天気
Q最後の陣痛
R頭のカタイ赤ちゃん
Sサプリメントのメリット

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2006年2月15日(水)9:30

@妊娠期間

12章で書いたように
自分の将来を考えながら、
子どもの保育園を案じながら、
鍼灸学校に2度も落ちながら、
無認可保育園に子どもを送り迎えしながら・・・

長男の出産と同じ助産院で産むつもりだったので、
車で片道1時間以上かけながら、
月に1度・・・2度・・・と
助産院に通っていました。

内腿踏みの成果を感じていた私と夫は、
妊娠が分かるとすぐ内腿踏みを開始。
今回こそ“いいお産”目指したいと
1日もかかさず内腿踏みをやってもらいました。

長女の時にはあったつわりは、
2人の子どもが口を開けて待っているせいか、
ほとんど感じませんでした。

やはりお腹が張ることはあり、
『冷やさない!』『こんな服じゃダメ』と
助産師の先生には口をすっぱくして
度々言われました。

今ならわかるけれど、
その頃の私はどんなに注意されても、
自分が冷えているという自覚が足りませんでした。
手が冷たいことは当たり前。
冬に手が暖かいのは珍しい、という感じでした。

それでも、今度こそ絶対に
『いいお産するぞ〜』と安産目指していました。

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2006年2月16日(木)18:00

A夢みた安産

助産院に通っていた頃、
たびたび聞かされたお産の話。

「ちゃーんと赤ちゃんは自分で出てくる」

「Wさんは、お産が来た時にずぅ〜と
お風呂に入って暖まっていたのよ」

「する〜と、いきんだりしなくても、
力を抜いて赤ちゃんが出てくるの」

「焦ったり慌てたりしないで全然大丈夫」

誰でも思うことだとは思うけれど、
安産でありたい。

それは例えばこんなお産。

なんかお腹がちょっと痛いかも・・・と思ったけど
ウトウトしばらく寝ていて、
気づいたら4、5時間経っていて
まだかなぁ?と思ったけど、
一応連絡して、産院に着いたら
「何でもっと早く来なかったの」と言われ、
その時にはほとんど全開大。
そのまま分娩台に上って
あれよあれよという間に赤ちゃんが出てきちゃったのよ・・・

本当にこんな感じのお産をした人を、
実はたくさん知っている。
助産院仲間のWさんMさんYさんもコレに近い。

こんなお産を夢見て、一生懸命だった私。

でも、決定的に私には足りなかったことがあって、
夢で終わってしまったけれど。

だから、赤ちゃんが授からない方や、
妊婦さんたちの治療には、ついアツクなってしまいます。
私のような思いをさせたくない、と。

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2006年2月20日(月)11:00

B致命傷

私に決定的に欠けていたこと。

3回も安産を目指してきたのに、
一度も夢見たお産ではなかった理由。

それは【冷え】に対しての認識不足。
・・・と今は思う。

食事に気をつかい、
子どもが2人一緒だからこそ可能な、
早寝早起きの規則正しい生活。
3度目の妊娠期間中は、
産後7ヶ月程度で妊娠しているから
働いてもいない。
(2人目と3人目は1年4ヶ月しか離れていません)

頭では身体を冷やしてはいけないと知っていた。
A先生にも繰り返し言われていた。

でも私は本当には
身体を冷やすということが
どんなことなのかわかっていなかった。
どんなことをすれば身体を冷やしてしまうのか。
何をしてはいけないのか。
どうしたらよいのか。

気にしてはいたけれど、
安産を求めるには、
足りなかった冷え対策でした。

例えば靴下の2枚重ねでは、
私にとっては不十分でした。
冬にもスカートを履いていました。
ヨーグルトは冷たいまま食べていました。
ふと気づくと手足が冷たいことは
よくありました。

自分の生活習慣というのは、
あまりにも“当たり前”すぎて、
何がいけないのか、
どうすべきなのか、
実は非常にわかりにくい・・・と私は思いました。

より具体的に明確な指摘でも
受けないことには、
本当に変えることは難しい・・・ように感じました。
そして継続も難しい・・・と心から思います。

私が【冷え】に関してや、
治療の時に生活習慣について、
こと細かく聞いたり、お話しするのは、
この時の自分の失敗があるからです。

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C認識不足その1

妊婦は冷やしちゃいけない。
それはわかってる。

だからタイツを履いて。
スカートでなくパンツを履いて。
時に靴下も履けばいいと思っていました。

でも、それでもお腹が張る。
「だって張るんだもん」と思っていた。

その上にさらに毛糸のパンツを履いたり、
腹巻をしたり、
スパッツはいたり、
レッグウォーマーしたり、
とにかく自分の足が冷たかったら
暖かくなるまで着なきゃダメなんて、
思わなかったのです。

だいたい、かっこ悪いし。
いくら子連れの妊婦だからって・・・
あそこまでは着れない。
・・・と思っていました。

私は全く勘違いをしていました。

カラダはみんな違う
だから、スカート履いて、
タイツだけでも足先が暖かければOK。
でも、足先が冷たい人は、
それは冷えているということだから、
もっと着なきゃいけなかったんです。

「みんなこれぐらいだから」
↑↑これダメです!↑↑
みんなのことは関係ないんですね。
産むのは自分なのですよね。

まず、自分の手足が冷たいのは
妊婦ではダメなんです。

安産を目指すなら、
自分の手足は常にポカポカするぐらいでないと。

A先生にあれほど口を酸っぱくして、
「冷やしちゃダメ!」って言われたのに、
私は全然わかっていなかったのです。
“いつもより着てるし、
これ以上どうしたらいいかわかんない”
と思っていました。
コレじゃダメです。

自分の頭で考えなきゃ、ね。

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2006年2月27日(月)15:30

D認識不足その2


妊婦は冷やしちゃいけないとはわかってたけれど。
それが食べ物のことも入るなんて
よくわかってなかった。

ゼリーやアイスクリーム、
クッキー、果物、卵、
チーズやヨーグルトの乳製品。

ダメという人もいるようだけれど、
なぜダメなのか、
なにがダメなのか、
全然わかってなかったから食べていました。

この中で一番失敗したなぁ〜と思うのは、
卵だったけれど。

上の子二人の時には、
アレルギーが心配で2日で1個にしていたけれど、
(今は冷蔵庫に卵を常備するのはやめてしまいましたが、
当時は生協で週に2パック購入していました)
二人ともなんともなかったし、
三人目で見当違いの思い込みで、
大丈夫なんじゃないかなぁ〜と、
1日1個食べていました。
→見事に二男は卵アレルギーでした(・・,)

ゼリーやヨーグルトも冷たいまま食べたら
お腹が冷えるなんて思わなかったし、
この頃は暖かいものを飲まないと
カラダを冷やすなんて思ってなかったから、
冷蔵庫で冷やした麦茶も飲んでいたっけ。

果物はカラダを冷やすなんて知らなかったし、
果物の中でも高い木の上にあるものは
特にカラダを冷やすから食べない方がいい、
なんて考えてこともなかったのでした。

今、考えると足りないことだらけでした。
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2006年3月1日(水)15:30

E認識不足その3

妊婦は冷やしちゃいけないとはわかってたけれど。
それがちょっとした短い時間でも、
冷えは冷えとして身体に影響するなんて
よくわかってなかった。

例えば、お風呂からあがった後。
2歳と1歳児と入るから、
ロクに暖まる時間もとれないまま、
出る時には、拭いて、
着替えさせていたら
自分の身体はひんやりしてしまっていました。
子どもこと優先で、
自分の髪が濡れっぱなしで頭が冷たかったり。

“Wさんはお風呂で暖まったから安産”は
耳にタコが出来るほど聞いたので、
時には夜中に一人で入りなおすこともあったけれど。

例えば、車に乗った時に、
エンジンが暖まるまでの間。
薄着のまま乗り込み、
車が暖まるまでの10分程度は寒いままだったり。

例えば、ばったりマンションの廊下で、
友人に会い薄着のまま立ち話をしてしまったり。
部屋の中にいる服のまま、
生協のグループ配送の仕分けをしたり。

手が冷たいなら手袋はめて。
足が冷たいならもう一枚履いて。
汗をかいたらすぐ拭いて。
小まめな衣類の調整は大事。

お腹が張るのは寒いからよ。
赤ちゃんが寒いって言っているから。
お母さんボク寒いようって言っているんだよ。
だからもっと寒くないようにしなさい。』
・・・ってあれだけA先生は教えてくれたのに。
ちっともできなかった落第生の私。

今、考えるとやっぱり足りないことだらけ。

それでも“それなり”には気をつけていたので、
妊娠期間中のトラブルはなかったのだと思います。


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2006年3月6日(月)12:30

Fカルシウム不足と言われて

今ではサプリと言えば誰でもわかる程、
知名度が上がりましたが、
1996年当時は、さほどでもありませんでした。
でも、私はNYでは1ブロックごとにあるかと思うほど、
多くのビタミンスタンド?お店に
ずらりと並ぶサプリメントを見てきて、
OHIOではBarlyもJoanも毎日たくさん飲んでいるのを
見てきました。

助産院に通っていますが、
妊娠前期、後期に1度ずつある
東京都の検診(公費で受診できます)の際に、
近くの婦人科へ行った折にドクターから、
『うん。順調ですね。問題なし。
ただ、あなたは二人目を生んでまもなく
三人目を妊娠したんだから
カルシウムに気をつけさないね。
みんな赤ちゃんに取られちゃって
お母さんのカルシウムがなくなっちゃうからね』
と言われた言葉はストンと腑に落ちました。

“こんなお腹で大丈夫?”と不安に思ってたけど、
やっぱり気をつけないと大丈夫じゃないよね。
・・・そんな風に思ったのです。

ちょうど利用していた化粧品会社が
サプリメントを売り出した頃で
そこのカルシウム剤を摂取していました。
効果はわからなかったのですが、
足りないと言われ強迫観念に駆られたので、
メーカーが摂取した方がよいとする量よりは
少なく飲んでいましたが、
せっせと毎日飲んでいました。

・・・今考えるとぞっとします。
私とサプリの話をしたことのある患者さんは
笑っていらっしゃいますね?(^.^)
ホント知らないって怖い。

これがどう影響があったかは、
3度目のお産が終わった頃にお話しますね。
よい妊婦のみなさんは決して真似をしてはいけませんよ〜(^^*)

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2006年3月9日(木)11:30
Gサプリメントについて私案

サプリメントについては、
患者さんと話題になることも多いです。

私のスタンスは
『摂取することを否定しないけれど、
取り方には注意してね』

これは鍼灸学校時代に栄養学の先生に聞いた話ですが、
ヒトが栄養を取るのって、
やっぱり細胞が大変なんですって。
食品を分解するために、
身体の中の細胞が一生懸命働くそうです。
(泥付き野菜からきんぴらごぼうにするイメージ?)

サプリメントは摂取しやすくできているので、
細胞も分解するのが楽だそうです。
(自動販売機でジュースを買うイメージ?)

定期的にサプリメントで補っていると、
食物が身体に入ってきても、
“どうせサプリメントが来るからいいや〜”って
細胞が働かなくなるそうです。

結果として食品から栄養を摂取する能力が低下する。
⇒カラダが怠け者になっていく・・・らしいです。

私にそれをどこの論文から持ってきたとか
聞かないで下さい。知りません(^.^;
ただ、私は“さもありなん”と思いました。

だから、相談を受けた時に言っているのは、
“ここぞ”という時には飲んでもいいと思う。
やっぱり頑張りたい時ってあると思うし、
絶対やりたいことはできた方がいいと思う。
規定量以下の摂取を守れば、
それで体調がキープできて、
自分も周りもハッピーならそれはいいこと。

ただ、止める時には気をつけて。
急にゼロにはしない方がいいんじゃないかな。
ゆっくり減らしていって。
毎日飲んでいたら、まずは3日に1度飲まない日を1週間とか。
次に2日に一度飲まない日を1週間とか。
止める時は1ヶ月ぐらいかけて止める。
その方が身体の負担にならないと
私は思っているんだけど、と。

そこそこ健康な20〜50歳ぐらいの方に対しての
私の考えなので、
病名のついている病気があったり、
年齢が超えている方については、
このまま鵜呑みにしないで下さいね。

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2006年3月10日(金)13:00

H陣痛?!

1月下旬が予定日でした。
長女は予定日よりも10日ほど早く
長男は予定日よりも2日早かった。
二男(と信じて疑わなかった)の出産が
予定日よりも遅れるはずがない。
・・・という根拠がいいかげんなのに思い込む私。

2週間前に陣痛らしき痛みがあった時には、
「陣痛だ〜!」と思いました。
ちょうど診察の日(その時期だから毎週診察)。

助産院への道中途中の実家に
子ども二人を預けて、夫と助産院へ。

・・・ところが途中で、
お腹の痛みも張りもなくなってしまいます。
「あれ?」

かなり早く助産院に到着して、
最後までいたのですが、
陣痛らしきものは収まってしまいました。

「そういうこともあるから。
慌てない慌てない。」
仕方ないのでそのまま帰ってきました。

せっかく休みの日に陣痛が来て、
ちょうどよいと思ったのになぁ〜残念。

と、しょんぼりウチに帰ったのでした。
その時は、まだ次の陣痛があったら、
産めると思っていたのでした。

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2006年3月16日(木)13:00

I再び陣痛!

最初に陣痛かな?という痛みがあった4日後の水曜日。

夜中にお腹が痛くて目が覚めます。

時計を見ると夜中の2時。

いよいよかしら・・・と
思いながらウトウト。

でも、またお腹が痛んで目を覚まします。

時計を見ると30分後。

よしよし・・・今度こそ・・・

子ども達も夫も寝ていますが、
いよいよ赤ちゃんが生まれてくるかと思うと、
ドキドキします。

加えて今回は子ども二人を置いていき、
長女は出産後は保育園に1ヶ月
特別枠を利用して入園するので、
その手続きや準備のことなどを、
どのタイミングで誰に言うか、とか。

長男は無認可保育園に預けていますから、
朝の送りやお迎えは・・・とか。

今日は母がお教室
(料理を教えている)だから、
出産となったらパパが保育園はお迎えかしら・・・とか。

気づくとまたお腹の痛み。
うん。よしよし。
生まれてきても大丈夫よ。

そんな風にいろいろと思いを巡らせ、
20分間隔の痛みがあったかと思うと・・・、
30分間隔に戻ったりして・・・、
朝が来ました。

起きてきた夫には
(私は陣痛でよく寝られなかったのに、
アンタは何も感じずに寝られていいわねぇ〜)と
冷ややかな気持ちも持ちつつ
「陣痛が来たみたいなの」というと、
『そうなの?どお?』
いかにも心配そうな優しい夫の表情。

(ま、夫がわからないのはしょーがないわよねー)と
機嫌をなおす私。
ホント、妊婦はいつもに増して気分屋だと思う。

『会社、休んだ方がいいかな?』とやや緊張気味に。
「うん。でもまだみたいだから、
一旦会社に行っても大丈夫だと思うわ。
近くなったら会社に電話するわね。」
(この時はまだ携帯電話を持っていない二人。時代を感じますね)
なんていいながらも、
偉い。私。余裕あるじゃん。
・・・なんて自画自賛。

朝食の準備に起き、
子どもを起こし、おむつを代えて、
着替えさせ、朝食を食べさせて、
合間合間で陣痛の時間をみます。

よしよし・・・20分間隔が続いている・・・

そんな大人は緊張気味の中でも、
3歳児と1歳児は泣いたり怒ったり笑ったり、
朝でも賑やか。

アレは食べたいけれど、コレは嫌だの、
わけもわからず泣く赤ん坊はいるし
まったくおかまいなく子ども達は、
いつものように過ごしていました。

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2006年3月22日(水)9:00

Jなくなっちゃう陣痛

陣痛は、痛みもともかく、
出産が始まったら、
いきなり主婦が4〜5日間は
家を空けることになりますね、
自宅分娩でもなければ。
それだけでも面倒なことなのです。

保育園に入れていない長女が
出産すればすぐ目の前の保育園に行くことになっていましたし、
長男はちょっと遠い無認可園に行っていました。

保育園は連れていき迎えに行きます。
誰がどこへ行くかの手配。
夫と母&父の仕事の都合。
保育園への連絡や区への連絡。
もちろん助産院への連絡。
まぁ、自分の仕事はなかったんですが。
食料品の管理から、洗濯物など、
生活で面倒なことは山ほどあるわけです。
いつ生まれるか、みんながドキドキでした。

なのに、なのに・・・

夫を会社に送り出し、長男を保育園に連れて行き、
陣痛を待っていると・・・
だんだん間隔が空いてきてしまいました。

お昼休みに心配で夫が電話をかけてきた頃には、
「だんだんお腹が張らなくなってきちゃったの。
・・・なんかなんともなくなってきちゃった」

えっ?なにそれ?
そんなことあるの?
夫とそんな気持ちを共有してため息。
母には来なくていいと電話したり。

こんな状態を【微弱陣痛】といいます。

でも、それは知りもしない医者が
勝手につけた名前だよなぁ〜って思いました。
だって、微弱とかいいながら、
結構しっかり痛いのです。
確かに赤ちゃんが出て来るほどには、
強くないのは確かですが。
でも最後がないだけで、
『途中過程』は陣痛と変わりありません。

例えば、山の6合目まで登って、
「はい、ここから立ち入り禁止です」と追い返される感じというか。
さんざん並んだのに、
目の前で入場制限されて入れなかったというか。
GETできなかったというか。
今までの苦労を返してくれ〜という気分。
周りの人々にも申し訳ないし。

なんだかとても疲れてしまうのでした。

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2006年3月28日(火)9:00

K夜中の陣痛

そして次の土曜日はまた助産院の検診日。
(臨月に入ると週に一度になります)

お腹の痛みで夜2時にふと目が覚める。
おっ。来た来た。

・・・しめしめ。
今日は夫もいるし、
検診日だし、
実家に子どもを預けて助産院へ行く日だし、
ちょうどいい。
今日こそ産むぞ。

・・・うとうと・・・
あっ。また陣痛。
よし。30分間隔でちゃんと来てる来てる。

痛い!って足を蹴らないでよ・・・
(3歳長女の寝相が悪く足でよく蹴られました。
ちなみにこの頃は私の右には1歳長男、
左に3歳長女が寝ています)
子どもは寝相が悪いのは元気な証拠とはいえ、
ほんっとによく動くわよね・・・
360度回転しているのは、
1度だけじゃないと思うな。

あっ。また来た。
うん。ちゃんと来た来た。
これで今日は産めるといいなぁ・・・

朝6時。そろそろ夫を起こしてもいいよね。
ちゃんと20分間隔で1時間は来ているし。
もう待ち遠しくて仕方ない私は、
待ちきれず夫を起こしに行く。
「ねぇ、陣痛来たみたい」

朝食の準備だけでなく、助産院に行ったら、
そのままお泊りしても大丈夫なように、
冷蔵庫の中身から、子ども達のお泊り準備も、
掃除も、洗濯もして、母や義母に連絡をして・・・

そして助産院に向かっている頃。

「ねぇ、なんか陣痛・・・もう40分もないの・・・」


助産院に着いて、検診を待つ妊婦さんたちに、
「うわぁ〜もうそろそろですね〜どうですか?」と聞かれて。
「陣痛、今朝もあったんだけど・・・
なくなっちゃったの(・・,)」

何でなんでしょう?とA先生に聞けば、
『アンタがお父ちゃんがいる土曜日に
産もうとか考えすぎるからじゃないの。
赤ちゃんは準備が出来たらちゃんと出てくるんだから、
自分でいつ産みたいとか考えないの』
まったくしょうがないおかあちゃんだねぇ〜アンタは。

o( _ _ )o またダメだったか・・・

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2006年4月7日(金)12:00更新

L予定日の陣痛

次の木曜日は予定日の前日。
これだけ陣痛があった後、さすがに今度こそは生まれるだろうと
夫に会社を休んでもらい、
助産院に行く前に世田谷の実家に行き、
長男は保育園を休んで家族全員で待機。
陣痛を待ちましたが・・・また昼間にはなくなってしまいました。
この日は助産院には行かず。
(夫は会社の人に当然「どっちだった?」などと聞かれ、
『すみません、まだでした』なんて間抜けな返事をする羽目に /(-_-)\)

そして土曜日は助産院での検診日で行き、
先週と同じような会話を他の妊婦さん達と繰り返し。
また“理想の出産”憧れのWさんの話題もでました。
ゆっくりたっぷりお風呂に入り、
そろそろかと思ってのんびり陣痛を待って、
するぅ〜と赤ちゃんが出た、というアレですね。

ホント、お風呂には入りましたとも。
陣痛がくる度に。
たいくつだったけれど、
1時間以上2時間入ったこともありました。
だけどそんなにうまくいかなかった・・・

どーして私はダメなんだろう?
3回目こそ私だって“するぅ〜”と生まれるお産をしたいのに。
もう全然ダメじゃない。
どこがダメなんだろう?
どうしたらいいんだろう?*答え↓

以前、マタニティ雑誌で読んだマンガで、
やはり出産が遅れ「どーしよう・・・一生妊婦だったら」(それはない)と
いうのがあったことをたびたび思い出しました。

助産院のA先生は
もともと予定日なんてつくるから。
アンタたちが気にしちゃって困るよ。
予定日なんてただの目安で、
予定日に産む人の方がだんぜん少ないんだから。

赤ちゃんが出てこないのは、
ただ、今じゃないってことだけなんだから。
大丈夫。

遅れたら遅れたで後が楽だから。
赤ちゃんがしっかりお腹で育ってから、
出した方が、よくおっぱい飲んで、
よく寝る赤ちゃんになるから大丈夫。
・・・と意に介さない様子。

次の日の日曜日にはまた陣痛があり、
今度こそ!と、また実家に子どもを預けて、
助産院まで夫と二人で行くのですが、
結局生まれず。
子ども達はじーじとばーばにたっぷり遊んでもらい、
美味しいものを食べさせてもらい、満足そうでした。
私たちはといえば、陣痛騒ぎに疲れて、
また母の作った食事を食べさせてもらうのでした。
木曜日も来たばかりなのに、母ゴメン。
(母、仕事もしているのに)

子どもの保育園ノートを見て書いているので、
これは本当の話なのですが、自分で書いていても、
あらためて申し訳なく思います。

でも、予定日も過ぎた週末が終わっても、
3人目はまだポッコリ西瓜みたいなお腹の中にいたのでした。


*答え*
もっともっともっーと身体を冷やさない努力が必要でした。
自分では身体を冷やさないように着ていたつもり。
暖めていたつもり。内腿踏みもやっていました。
でも、ちょっとゴミ出しの時に薄着だったり、
家の中でも足が冷たかったり、
冷たいヨーグルトを食べていたり。
今考えると足りないことがたくさんありました。
その頃はお灸をした方がいいなんて知りませんでしたし・・・
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2006年4月12日(水)

M予定日を過ぎて

さすがにこれだけ陣痛が来るのに
途中でなくなってしまうとなると、
開き直ってきました。

公園で「あら?(出産は)まだだったの?」と
声をかけられても、
恥ずかしかったり戸惑ったりすることなく、
「そうなのよ〜(^▽^笑)
陣痛はあるんだけど続かなくて。」
と笑い飛ばせるぐらいに。

毎日、母にも義母にも
「すみません、まだなんです〜」と電話もしました。
義母はネガティブなことは一切言わず、
「まぁ、気にしないで。
あなたのことは全然心配してないわ。大丈夫よ」
というスタンスだったので、ありがたかったです。

母に実労働で奉仕してもらい、
義母には精神的にフォローしてもらい、
夫の献身的な精神力で支えてもらい、
長女と長男からは笑顔で励ましてもらいました。

何もわからない長男ですが、
やはり私を助けてくれていた気がしました。
出産近くにはおっぱいを吸わなくても大丈夫になり、
夜中に起きずに眠ってくれるようになりました。
もちろん「お母さんと一緒」のTVを
食いつくように見ていたかと思ったら、
ぷ〜んと臭うウンチだった、というのは日常でしたが。

こうやって陣痛が来ないと、
助産院でよかったなぁ〜と
またしみじみとありがたく思いました。

だって病院なら『異常』と言われてしまうから。
こんなに陣痛が度々あるのに、
予定日過ぎても生まれないのはおかしい、と
帝王切開を勧められそうです。

でも、お腹切るなんて絶対に嫌。
ちゃんとこの子は生まれてくるもの。
大丈夫だもん。
私も。
赤ちゃんも。

みんな楽しみに待っているからね。
準備ができたら出てきてね。
そんな気持ちになれたのでした。
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2006年4月14日(金) 23:30

N予定日一週間後にキタ!

予定日の一週間後の金曜日。
今度こそ間違いなさそう。

3日前も昨日も陣痛らしかったけど、
なくなってしまったけれど。
今度こそ。

・・・でも・・・またダメかも・・・

信じながらも疑って。
それでも、信じたくて。

朝になっても、間違いない、今度こそと思ったので、
仕事がその日はなかった実母には、
父の出勤に合わせて朝から来てもらい、
子どもを保育園に連れて行ってもらったり
手伝ってもらいました。

夫は一応会社に行ってもらいました。
まだだと思ったので。

それで陣痛がだんだん強まってきたので、
やはり心配になり3時ごろ、
会社に電話しました。
「・・・でも、終わってからでも間に合うかも・・」

夫は心優しい同僚の皆様に
「出産の時ぐらいは、やっぱり行かなくちゃ」と
3度目の正直だったのに、
快く送り出されて家に帰ってきました。

朝から陣痛あったし、
だんだん強くなっているし、
間隔も短くなっているし・・・
いよいよ助産院に電話して向かうことになりました。

「じゃあ、ママは赤ちゃん産んでくるからね。
ばーばの言うこと聞いて、おりこうにお留守番しててね」
と娘に言い聞かせて。
長男はワケはわかってないながら、
ニコニコと送り出してくれました。

「じゃあ、お義母さん、お願いします」と夫。

「はい(^ ^)。いってらっしゃい」と母。
「じゃあ、みんなでママが赤ちゃん無事に生めるように
いってらっしゃいしましょうね」
「(^^ /"" (^^ /~~ママ〜!!がんばってね〜」

「うん。大丈夫。行って来るね」とちょっと涙ぐむ私。
だって、出産後4日ほどは帰れないから。。。

そう、この時には、
このまま出産前に2泊3日も、
夫と私が助産院に泊まりこむことになろうとは
誰も思わなかったのでした。

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2006年4月22日(土) 9:00

O陣痛が来なくて眠れない夜に

結局、陣痛はなくなってしまいました。
「でも、いいかげん産んでも悪くないころだし」と
助産婦先生から滞在のお許しが出ました。

私は産院のパイプベッドで、
夫はそのベッドの隣にある
煎餅布団を重ねた(そうです)カタマリの上で、
その晩もこない陣痛を待ちながら寝ました。

私は眠れませんでした。
出てくるはずの子どもが出てこないんです。
不安がないはずないじゃありませんか。

どうしてこの子は出てこないんだろう。

私が欲しくないと思ったことがあったから、
出てきてくれないんだろうか。

私が妊娠がわかった時に
あんなにいらないと思っちゃったから、
この子は出てこれないんじゃないだろうか。

死んじゃっていたらどうしよう。

身体に異常があるのかもしれない。
だから出て来れないのかも。

身体に異常がなくても
脳に異常があるのかもしれない。

だって、どうして「普通なら出てくるはず」
なのに出てこないんだろう?




やっぱり私がいらないって思ったことが、
いけなかったんだ。






神様、お願いです。
どうか私にこの子を生ませて下さい。



手がなくても

足がなくても

障害があっても


私はちゃんとこの子を育てます。



どんな子であっても
絶対に育てますから。



私は長女と長男がいるから
まだ死にたくありません。
だから自分の命と引き換えに、
この子の命を救ってくださいとはお願いしません。



この子と一緒に生きていきます。


だからこの子を私に下さい。



・・・お願いします・・・



でも、陣痛は朝になっても来ませんでした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2006年4月22日(土) 9:00

P土曜日はいいお天気

朝になっても何事もなく。

「ここにいてもしょーがないし、
いいお天気だし車でオトウチャン(A先生は誰の夫でもこう呼ぶ)と
どっか遠くないとこに行っておいで。
車の振動で陣痛が早まる人もいるぐらいだから、
いい塩梅(あんばい)なんだろうね」

それでちょっとドライブして。
でも遠くに行くのも不安だし。
外は寒いし(2月)。

結局、近くの市営体育館の駐車場に車をとめて
ボッーとしたりしていました。




な〜んにもすることもなく。

できることを思い浮かばず。


あ〜じれったかった!


でも、あの頃は何も知らなかったから。



今、考えるともっともっと身体を暖めるべきだった。
お灸なんておばあちゃんがやることだと思い込んでいて、
自分でやったことはなかったし。
鍼灸で身体を整えようなんて思いつきませんでした。



その時はただ待つことしかできなかったのでした。



でも、一生妊婦なんて絶対ありえない。
この子は出てくるしかないんだから。
明日は日曜日。
長女が生まれたのは日曜日。
長男が生まれたのも日曜日。
きっと明日の日曜日には、
きっとこの子に会える!!



も〜オレは付き合いきれない・・・と
夫は内心思っていたに違いないけれど、
なにせ長男の時に出血多量で驚かせた私。
夫は二男誕生の最後まで
人生で最大の忍耐力を発揮し、
ひたすら優しく労わってくれたのでした。

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2006年4月28日(金) 9:00

Q最後の陣痛

土曜日は結局何事もなく。
自宅では母が子ども二人の面倒を見るため泊まっていました。
私の代わりに長女と長男の間に寝た母は
ほとんど眠れなかったそうです。

土曜日の晩というか日曜日の2:00amから、
ふと目が覚めるとすこぅ〜しずつ陣痛がありました。

!!!!!今度こそ!!!!!

とりあえず寝ておこう。

・・・と思いながらも、ドキドキして4時から起きてしまいました。


も〜絶対産むぞ!

頑張れ赤ちゃん p(^^)q


先生が7時ごろ様子を見にいらした時に、
『やっと来たの?もう私も待ちくたびれちゃうから
いいかげんに生んでおくれ』
ごもっともです。ハイ。
すみません。先生。。。


先生のいる助産院にいて、夫がいて、
このまま陣痛が進めば・・・と思うのに、
一旦、10時ごろ陣痛が弱くなってしまいました。

「どうしよう・・・またなくなっちゃったら・・・」と不安になると
先生が一括『アンタ何言ってるの。
もうここまで来たら出すっきゃないのよ』
その時に今日生まれなかったら、
病院に行っちゃいなさい、みたいなことを言われました。

それだけは嫌!赤ちゃん頑張れ!と思ったせいか、
陣痛復活。


陣痛も途切れなくなってきて、
いよいよ分娩台の上に乗りました。

でも、そこからがまた出ない。

陣痛の痛み、苦しさはあるのですが、
お産としては進んでないようです。


『どうして降りてこないんだろう?』 "( ' ' ;)ウーンと先生。



「ホントに世話が焼ける人だねぇ」
いろいろと文句を言われながら。


『しょーがないね、もう。
じゃ、アンタ、ここに乗って』
↑夫↓

(・_・) ??ぼく??

『そうだよ。オトウチャンは上にまたがって赤ちゃんのお尻がここだから、
私が言ったらこっちの方向に押しなさい。ほら、行くよ』

先生の指示に従って、
言われたように、必死に押す夫。

「ダメだめ。そんなんじゃ。もっと力入れて」

「そんなんじゃ出ないよ。もっとしっかり押して」

「まだ。もっと押すの!!!」

さんざんダメ出しされる夫。

ごめん。普通はそんなことしなくていいのにね。
ありがとう。
ホントに一緒に産んでくれているよね。

夫、最初はこわごわだったらしい。
それはそうでしょうね。
この後、筋肉痛になったらしいから、
かなり必死に押していたそうです。


そして何回も押した後、やっと。


ほら。ここまでは来てるんだよ。
もう少しだからね。
と鏡で見せてくれました。
黒い髪が見えてきました。



先生のかけ声で
いきむ私とお腹の上から赤ちゃんのお尻を押す夫、
God Handで赤ちゃんを導く先生。



やっと誕生したのは、
思ったとおり男の子でした。
長男の時とは違いすぐ声をあげました。


先生、開口一番。
『あ〜、男の子だよ。
無事に出てよかったね。

なんだろうね?この子のアタマ硬いねぇ〜
なんでこんなに硬くなっちゃったんだか。
これじゃ、出て来れないはずだよ。
だからこの子はなかなか出られなかったんだね』


こうして1ヶ月近く断続的な微弱陣痛の後、
やっとpm1:00に二男を産むことができました。

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2006年5月6日(土) 9:00

R頭のカタイ赤ちゃん

A先生は陣痛がありながら、
これほど出てこないのはなぜかと
いぶかしがっていらっしゃいました。

出てきた子どもを触った瞬時に
その原因がわかったという
スッキリしたお顔をされました。

前回のエッセイを読んだ方から
「そんなこと、本当にあるんですか?」と
何人かからご質問をいただきました。

事実です。

私、夫、母、父、義母、義父の
誰が触っても明らかに新生児の頭の堅さではないことが
明確にわかるほど。

こんなに堅かったら、
今度は成長時に脳が成長できないのではないかしら?
と、私は心配したほど。

異常に堅かったのです。

鍼灸学校に入ってから、
解剖学で頭蓋骨を学んだ時に、
本当によく出てこれたなぁ〜と
あらためて思いました。

A助産院でなければ、
間違いなく帝王切開だったでしょう。


「アンタ、何食べて、
こんなになるほどカルシウム摂ってたの」
とA先生に言われて、
自分の行動を思い出しました。
アレ↑がまずかったのか(°口°;) !!


自然なお産がしたいと思って、
一生懸命やっていたのに、
とんだ落とし穴に嵌ったものだと思いました。

通常では摂取できないほどのカルシウムも、
サプリなら簡単に摂れてしまいます。
それは骨粗しょう症には効果があるかもしれないけれど、
多すぎれば結石になることもあるでしょう。
過ぎたるは及ばざるが如し。


鍼灸学校で栄養学を学んだ時に、
栄養学の先生が、私の体験と同じ話をされました。
「“カルシウム剤の摂り過ぎで頭が固い赤ちゃんが増え、
出て来れなくて帝王切開になる例が増えている”
だからあなたのような栄養学を教える人は
妊婦さんはカルシウムの摂り方に注意して欲しいと伝えて欲しい
と産婦人科の先生から頼まれたんですよ。
ここには若い女性もいるから言うけど、
みんな妊婦になったらカルシウムは摂り過ぎちゃダメよ!!」と。

私だけではなかったことを2年後に知りました。

みなさまもサプリメントの摂取については、
くれぐれもご注意くださいませ。


ちなみに二男は頭がずっと固かったけれど、
身体的&精神的には一応「普通」の範囲に入っています
ただお産は特別に人間が動物として能力の限りを駆使する行為なので
なるべく人工的なものを加えない方がよいのかなと思います。


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2006年5月12日(金) 17:00

Sサプリメントのメリット

私の微弱陣痛の原因のひとつは
カルシウム剤の摂取に問題があったと感じています。

では、サプリメントはよくないのでしょうか?

どんなものでもそうですが、
「どう使うか」なんだと思います。
なんとかと鋏は使いようと昔から言うように。

サプリメントは手軽に、
自分では食べきれないほどの栄養素を
摂取することが可能です。


実は、私は、
カルシウムで懲りたにもかかわらず、
複合サプリメントを産後に摂取していました。

フ○ン○ルのサプリに当時、
一袋に6種類ぐらいのサプリが入っている商品がありました。
ビタミンC、カルシウム・・・
あとは何が入っていたのか覚えていません。
自分が考えなくても、
○○セットというような、
元気になれるサプリがセットに
なっているというような商品でした。

それを産前と変わらず摂取していたら、
産後も3番目であるにもかかわらず
身体は楽でした。
ぐんぐん回復できた気がしました。
2人目の時ほどヘトヘトでもなかったし、
顔色もよかったし、
おっぱいも出たし、
産後は順調でした。

子どもが遅かった分、
A先生のおっしゃるとおり、
お腹の中で成長してくれていたので、
生まれてからは、
よく寝てよくおっぱいを飲む楽な赤ちゃんでした。

自分の身体が楽だった原因は、
やはりサプリメントの摂取によるものだと感じています。

13章終わり
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