りんごのエッセイ「大きくなったら何になる?」
12章「再び専業主婦」1996.7.〜1997.1.頃の話

@ふりだしに戻る
A公園
B公園の話題
C鍼灸学校
D希
E通学(勤)時間
F3年間という長さ
G残った選択肢
H幼稚園?
I幼稚園に見学に行く
J保育園
K鍼灸学校を受験する
L無認可保育園を尋ねる
M無認可保育園
Nバザー!

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2005年12月8日木曜日 9:30

@ふりだしに戻る

1996年7月。長女3歳。長男9ヶ月(授乳中)。
私、無職。妊娠9〜10週目。

せっかく目標を見つけて、決心したと思ったのに。
まさに、すごろくで「ふりだしに戻る」にあたった気分。
すごろくはゲームだからいいけど、
一体何だったんだろう。NYの生活は。
決心したことは何の意味なかったのかしら。
鍼灸師になるなるなんて、
やっぱり無理なことだったのかしら・・・
ばかげた考えだったのかしら・・・
再び出口のないトンネルに入ってしまったように感じました。

また専業主婦になってしまい、
また妊婦になってしまい、
昼間は公園に行って、
子ども達を遊ばせて、食べさせて、
おっぱいあげて、おむつ換えて、
それで一日が終わっちゃう〜!
┐( ̄ヘ ̄)┌ フゥゥ〜

気持ちは“あきらめないぞ”と思っても、
ただ、毎日毎日、生活するだけで、
日がすぎていきました。

夫は何事もなかったように、
毎日会社へ出かけられることが、
(そうでなかったら生活に困ることは事実なのですが)
とてもうらやましかった。

子どもが何人いようが、
妊娠しないで、授乳もしないで、
子どもに24時間縛られることなく、
毎日会社へ行き、飲みにも出かけられる夫が、
オトコが、ずるい、と思った。

ぶちぶちネチネチ文句をいう私を、
夫は否定しなかった。
ごめんね、と言って会社に行った。
大丈夫、と労わってくれてた。
子どもの世話をしてくれてありがとうと言ってくれた。

この二男出産までの期間ほど
夫が忍耐強かったことは後にも先にもありませんでした。

前章の産むかどうかを悩んだことが、
よほど効いたのでしょう。
“産んでもらう”ことのありがたさが
身にしみたのか、
とにかく優しく受けとめてくれました。

この積み重ねた時間があったから、
約4年後、最大の離婚の危機に、
思いとどまることができました。
この期間は“トンネル期間”ではありながらも、
“蜜月”だったのかもしれません。

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2005年12月9日金曜日 22:00

A公園

3歳と0歳児を持つ専業主婦の行くところ。
なんと言っても近くの公園です。

子どもの健やかな成長のために、
外で遊ばせて適度な運動をさせるために、
必要なことなのですね。きっと。

公園デビューという言葉がありますが、
NYから帰った時に、
知り合いのママ友にお願いして、
初日は一緒に行ってもらいました。

晴れている日はなるべく毎日外へ出て、
お砂場の道具を持って
公園で子どもを遊ばせる。
夏も近いと暑い日は、
水遊びの道具を持って水遊びのできる公園へ。
毎日同じ公園だとつまらないから
たまにはちょっと歩いても別の公園へ・・・

子どもはかわいいです。
どのお子さんもめちゃめちゃかわいい。
よちよち歩きの赤ちゃんが
だんだん歩けるようになったりするし、
ブランコに乗るのがだんだん上手になったり、
子どもの成長もよく見えるし、
予防接種やいいお医者様などの
情報交換の場でもあります。


・・・でも・・・正直言って、苦手でした・・・

仕事を持っている時には、
休日の公園はとても楽しかったのに。

仕事がなかった時の公園は、
時間にも余裕もあり、のんびり子どもと遊べて
もっと楽しんでもよかったと思ったのだけど、
「こんなところにいたいわけじゃないのに」なんて
心のどこかでは思っていました。

それでも表面上は“いいママ”ぶりたい
見栄っ張りなので、
公園の後の、さらに続くお茶会や
雨の日に「お友達のおうちに遊びに行く」ために、
お菓子やパンを作ったりしていました。

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2005年12月12日月曜日18:30

B公園の話題

この頃、近くの公園ママ達と
おしゃべりの中で辛かったことは、
なかなか自分のことを話せる場がないことでした。

公園でのおしゃべりの話題は、
基本的に“子どものこと”。
お天気の話題と子どもネタだけで
結構、子どもが遊んでいる間もつのです。

a:子どもの成長
例:「Aくんは、随分上手に歩けるようになったわね」
他:走る、ブランコ、三輪車など

b:子どもの性格や特徴
例:「Bちゃんは自分の使っているものを
貸してあげられて偉いわぁ」
他:譲れない子には「Cくんは元気がいいのよね」など。

c:その日の服装
例:「Dちゃんの今日の服、かわい〜い」
他:ママの髪型、子どもの服はチェック対象。

d:病気&病院
例:「○○幼稚園では、今おたふくが出ているそうよ」
他:「今、うちの子、ちょっと鼻水で出てるんだけど、
どこの病院がいいかしら?」

e:TV関連
例:「今、Eくん、△△レンジャーが好きなの。
ウチもそうで困るわよね〜」
他:良質なオモチャや絵本の話題や、キャラ関連。


a〜eの範囲だけでも、
子どもは日々成長しているので、
公園で毎日あっても、
意外と話題には事欠かないのです。

でも、そこから一歩踏み出すには結構勇気が必要(^.^;。

私は、みんなが仕事に戻りたいと思っていないか、
とても興味があったけれど、
それを聞けるようになるには、
結構、時間がかかりました。
やっと聞けても私のように、
公園にいることが“ちょっと辛い”と思っている人は
多くないように感じました。

公園で挨拶したり話せる人が増えたものの、
私は自分がここ(公園)にずっといたいわけではないと、
あらためて思ったのでした。

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2005年12月14日水曜日18:30

C鍼灸学校

鍼灸学校に3年通わないといけないって、
そもそもどこにあるのかしら?

ある日ふと、思いたち、
子どもがお昼寝の最中に、
本棚から“資格取得の本”みたいなものを取り出し、
探してみました。

当時は、全国で28校しかありませんでした。
(現在は35校?)

東京には5校。

四谷、渋谷、蒲田、新大久保、高田馬場、葛飾。

へぇ、渋谷にもあるんだ。

あれれ?この住所・・・

地図で調べてみると、
ずっと以前からよく知っている場所でした。
家から車なら5分でいける。

鍼灸学校が住んでいるところから車なら5分。

しかも父の事務所から30秒のところ。

w(°o°)w !!
こ、こんなところに学校があったんだ!!


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2005年12月15日木曜日22:00
HP開設して一年経ちましたL(@^▽^@)」
これからも宜しくお願いします(゜゜)(。。)ペコリ

D希

鍼灸学校が近くにあるとわかった時、
希望の光が見えたと感じた瞬間でした。

この距離なら行けるかも!

子どもを3人保育園に預けて、
学校に通えるかも!!

0歳児と3歳になったばかりの子を抱え、
毎日毎日おっぱいとおむつと向き合い、
お腹が大きくなりつつある妊婦の私。

どこに行くにも2人を連れて歩き、
一人では1時間の外出さえ難しい時に。

この学校なら行けるかもしれない、という
ほんの少しの可能性であっても、
それが一筋の光と感じました。

「いつか鍼灸師になりたい」ではなく、
「○年後に鍼灸学校へ行く」というような
具体的な目標が欲しかったのかもしれません。


その夜にはさっそく夫に報告。

夫は予想外のことに驚きながら、
「えっ?本当にこれならお義父さんの事務所からすぐだねぇ」
と言い、ちょっと考えて
「子育てしながら学校というのも
悪くないかもしれないよ」
と予想以上の好反応でした。
(単にご機嫌とりだったのかもしれませんが)

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2005年12月16日金曜日22:00

E通学(勤)時間

「子育て」と「学校」という
思っても見なかった手段を
私が思いついたのは、
単に「思いのほか近い」からでした。

それに夫はとても共感しました。

やはり「近い」ということは
時間の短縮になることだから、
意味は大きい。
ここ(社宅)を出る前に、
都心にある学校に通うというのは、
検討する価値がある。

学校は都心にしかない。
(今はそうでもありません)
どこから通っても都心に行かなければならないとすると、
家を買えたとしてもそれは郊外になるだろうから、
近い場所に住んでいるうちに、
通うのはいいんじゃないかな。

それに仕事をすることに比べたら、
学校に行く方がまだ楽なんじゃないかな。
学校は仕事みたいに9:00〜17:00じゃないんだろう?
夏休みとかの休みだってあるだろうし。

この頃夫は、以前の社宅に比べて、
通勤時間が半分になっていました。
通勤時間が片道80分だったのが、
引っ越して40分になりました。
その差は毎日80分。

通うことにかける時間を、
一番感じていたのは、
毎日会社に行く夫だったのです。
夫にもっと感謝しないといけないな、と反省した私でした。

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2005年12月19日月曜日11:00

F3年間という長さ

鍼灸学校に行きたい、行こう、
仕事をしたい、外に出るんだと強く思う一方で、
不安はたくさんありました。

やっぱり私には無理。
そんなことできるのかしら?
資格は取れたとして、
仕事になるんだろうか?

3年間も通って。
それで何ができるようになるんだろう?

特に3年間という期間は、
とても長く感じたし、一番の不安材料でした。

それを説得したのは夫でした。

『でもさ。
3年間って長いようでも
結構短いものだよ。
考えてごらん?

A(長女)が生まれてから
今までがちょうど3年だよ。
そんなに長かった?』

(^◇^ ;) おぉ〜!!確かに!!
そう考えると、短い!!
結構アッという間かもしれない。


この言葉がとても心に響き、
以後、3年間という期間を
あまり気にしなくなりました。


・・・でも、結果としては、
学校に通っていた3年間はあまりにも大変で、
私にとっては決して短くなかった3年間となったのでした(´ー`)


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2005年12月20日火曜日11:00

G残った選択肢

最後に試験受けたのいつ?

入るのも試験。
学校に入っても試験。
最後は国家試験。
好き好んで試験を受けることなんてありえないのに。
ただ働きたいだけなのに。
このまま専業主婦でも、
誰にも何も言われることもないのに。
・・・いや、やっぱりそれは嫌。


学費もかかるのに?

「安くないとは思うけれど、
今までと違う仕事をしようと思うのだから、
それぐらいはかかってしまうのは
仕方ないんじゃないの」と夫。


私なんかにできるかしら?

「キミには結構向いているんじゃないかと思うよ。
まぁ、仕事にならなかったとしても、
オレは(治療)やってもらえるし、
子ども達にもできるだろうし、
お義父さん、お義母さんにもやったりもできるよ。
それでもいいんじゃない?」と夫。

[2005年11月27日放送されたテスト・ザ・ネイ○ョン
あなたの適職度チ○ックを珍しく家族揃って見ました。
テスト結果では私の適職に“鍼灸師”が入っていて
ちょっとうれしかったです(^^*) ]


私の強い意志で鍼灸師の道を選んだというよりも、
夫婦で家族で生活している上で、
お互いがなるべく譲り合い、
幅広く共通項を探したつもりでも、
二人の譲り合える部分で残った選択肢は
実はほとんどなくて、
それが鍼灸師になることだった
・・・という消去法による選択でもありました。
カッコ悪いけれどこれも本当のことです。

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2005年12月22日水曜日18:00

H幼稚園?

長女が3歳になっていました。
同じ学年を持つ公園で会うママ達は、
夏から幼稚園情報を集め、
秋になると幼稚園の見学会?体験会?などに行きます。

幼稚園は住んでいる場所によって違いが大きいようで、
千葉の知人は朝5時に幼稚園に並んだそうです。
ちなみに今年は調布市在住の弟も朝6時に並んだとか。
東京近郊だと、給食があったり、
バス通園は当たり前?

当時住んでいたウチからは、
幼児と歩いていける幼稚園が4園ありました。
お弁当持参のバスなし。
どこもそれなりに評判もよく、
並ぶような状況ではありませんでした。

お受験する子の多い○○幼稚園は遠いし、
△△幼稚園もいいらしいけど、通園が大変よね。
・・・という感じで、ママ友のほとんどは、
この徒歩で行ける4園のうちの
どこに行くか検討中でした。

我が子が3年通う場所ですから、
どのママも一生懸命です。

私は保育園志望だったので、
幼稚園には行かせてあげられないなぁ〜と
思っていました。

でも、このまま無職だったら保育園には入れないし。
幼稚園ということも考えないといけない?
それで、ママ友がみんな行くという幼稚園の見学会に
私も一緒について行くことにしたのでした。

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2005年12月24日土曜日18:00

I幼稚園に見学に行く

それはいいお天気に恵まれた暖かな秋でした。

公園のママ友で、
長女と同じ年齢のお嬢さんたちは、
その幼稚園が有力候補だったようなので、
みんなが見学に行くというので、
私もついて行きました。

キリスト教の小さな教会のある幼稚園でした。
小さいながらもお庭もあり、
そのお庭で取れる果実を、
お母さんの会がジャムを作りましたということで、
クラッカーにジャムを載せていただきました。
クリスマスには生誕劇をするそうです。

多くの保護者の方がいた中で、
なぜか私は園長先生に「いかがでしたか?」と声をかけられて
「とても素敵な幼稚園だと思いました」と答えると、
「ありがとうございます(^-^ ) !」と、ギュっと握手されました。
「本日はありがとうございました(^^*) 」と私も答えながら・・・

ホントに素敵だと思います。
でも、私はこんないいママはできないのです。
毎日幼稚園の決めた時間に送り迎えをして、
お弁当を作り、幼稚園バッグを手作りして、
お母さんの会に参加して、
そういうことが私にはできません。
私はやはり保育園に子どもを入れます。
・・・と心の中で答えました。

他の幼稚園も検討した結果、
公園の長女のおともだち女の子3人は、
春にこの幼稚園に入園したのでした。

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2005年12月26日月曜日18:00

J保育園

保育園にどうやって入ったらいいのか・・・
今の状態では申請しても、
全く通る見込みがありません。

さすがに3歳&1歳抱えた無職の妊婦では、
役所の保育園の窓口に行っても
どう考えても求職中ではなさそうにみえます。

それでも相談には行きました。
今の状態で区立の保育園に入園できる可能性は
ほとんどないけれど、
入園できる状態になった時に、
無認可保育園に入れておくと、
その必要があるということで、
同じ状態の方と並んだ場合には、
ポイント加算のような場合もあるようなことを伺いました。

一応、3歳の長女だけなら入れる区立保育園もあると聞いて、
すぐ見にいきました。
でも、そこは車で片道25分はかかる上に
近くに一時的に駐車できる場所も全くなく、
バス通園なら40分以上かかる場所にありました。
現実的に毎日通える範囲とは思えませんでした。

その時に住んでいた場所は、
保育園には恵まれていて、
歩いて15分以内に4箇所の区立保育園がありました。
でも、どこも定員で一杯で、
待っているママがたくさんいました。

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K鍼灸学校を受験する

保育園に子どもを預けるためには、
『要件』が必要でした。
なんらかの事情により、
子どもが“保育に欠ける”状態でなければなりませんでした。
(当時。今は空きさえあれば要件がなくても大丈夫です)

保育園に入れないと学校へは行けません。
仕事がないと保育園には入れません。
母親が何か困窮する状態でないと保育園には入れない。
(ホント、夫と離婚して保育園に入れたいと思ったぐらいでした)

・・・入学が決まれば保育園に入れるかも。
こうなったらとにかく進んでみよう。
それで、鍼灸の学校を調べました。
この前見つけた渋谷の学校は、
国語と英語と小論文。

四谷にある学校は、
高校からの推薦があれば、論文だけで
“推薦入試”という制度があることを発見。
テストを避けたい私は、
この“推薦”という言葉にとても魅かれました。

教職免許のために行って以来、
ご無沙汰していた母校の高校に電話をして、
担任の先生に連絡を取り、
推薦書をもらってきました。
それで秋に“推薦枠”を争い10代の人たちに混じって
受験をしたのですが、結果は不合格でした。

・・・う〜ん・・・駄目かぁ〜・・・
そして、一旦はあきらめました。

すっかりあきらめたつもりだったのですが、
あまりにも保育園に入れなそうな状況であり、
保育園に入れなければ、
次にどうしてよいかわからなかったため、
やっぱりここで入っておきたい!!と、
1月下旬が予定日だったにもかかわらず、
臨月に渋谷の学校の3次試験を受験しました。

3人目の臨月のお腹での受験だったからか、
単に実力がなかったからかはわかりませんが、
その時も結果は不合格でした。

その結果にがっかりしたのは私だけで、
夫も両親も義理両親も周囲の人みんなから、
「あ〜受からなくて本当によかった(^.^;
万一、受かってしまったらどうしようかと思っていた。
もう少し子どもが大きくなってからでもいいじゃない」と言われました。

(1997年春入学の頃の話です。
今は鍼灸学校が増えたので入りやすくなりました。
国家試験の難易度は年々難しくなっていると言われています)

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2006年2月7日(火)8:00

L無認可保育園を尋ねる

区の窓口に何度行っても、
公立保育園に入るのは非常に厳しいとわかったため、
無認可保育園を尋ねることにしました。

仲良しのIさんの長男Kくんは
この無認可保育園を経由して公立の保育園に入りました。
同じ「点数」なら無認可保育園に入れれば、
『配慮』されて公立保育園に入園しやすい。
真実かどうかは知りませんが、
そんな話も聞きました。

必死だった私は、
歩いて12分ほどかかる無認可保育園を尋ねました。
どちらかというとボロいと言ってもいいような
アパートの2階でした。
公立の保育園のように広くありません。
階段上がって狭い玄関、小さな部屋。
でも、すぐ隣が広い公園という立地でした。

中に入ると狭いながらも部屋の中は
赤ちゃん達が気持ちよく過ごせるように、
工夫され、かわいらしい様子、
きちんと子ども用のトイレなど、
保育士さん達の細やかな心遣いが伝わってくる、
暖かな空間となっていました。

そこは公立の保育園よりも、
保育園料も高かったし、
設備も劣ってはいたのですが、
Kくんが通っていたこともあり、
夫を説得して、
長女と同様に長男は1歳の誕生日を過ぎてから
無認可保育園に預けることにしたのでした。
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2006年2月9日(木)9:00

M無認可保育園

家族で仲良しのI家の長男Kくんが
そこに通っていたことから、
特に先入観もなく無認可であるN保育園に入れました。

入れてから話が違うこともなかったし、
保育士さん達は熱心に子どもに関わってくれたし、
公立保育園よりも料金が割高でしたが、
良心的な保育園であり、
園長先生も信頼できるお人柄でした。

でも・・・
無認可保育園はよくない、
という偏見があると子どもを入れてから気づきました。

確かに無認可保育園で保育士の管理不足による
乳幼児の死亡事故がありましたが、
保育園に子どもを預けられず
困っているお母さんのために、
財政が苦しくとも人的に大変でも
(公立保育園に園児が入園する春〜夏は園児が少ないため)
子どもを預かろうとする良心的な保育園だってあります。

この時一緒にこの園に預けていたお母さんが、
朝○新聞の「声」欄に投稿し採用されていました。
良心的な無認可保育園を
もっと行政が支援すべきという投稿内容でした。

無認可保育園はダメと決め付けず、
自分で足を運んで見ることが大事だと思います。

・・・それは保育園に限らず、
何でもそうですけれど、ね。

人の話よりも自分の目でみて
確かめたことが自分にとって真実かなと思います。
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2006年2月14日(火)16:00

Nバザー!

無認可保育園の一番の思い出。
入園して翌々月にあった
『バザー』の手伝い経験です。

目的としては、
お金がない無認可保育園なので、
園の中で使う体育マットを購入したり、
ちょっと園でみんなが使う大きな遊具などを
購入するための費用を捻出するため。

でも、それだけでなく、
バザーの打ち合わせが必要になるので、
保護者と保育士さんは交流するし、
保育園に来れば、保護者の理解も深まるし、
バザーを開催することで、
保育園のPRもできるという
いろんな点からも必要と考えられて
続いてきた一大イベントだったようです。

前の週2回ほど集まりがありましたし、
前日の土曜日はまるまる準備に費やし、
当日の日曜日は終日働きました。

土曜日は夫が子どもの面倒をみて私がお手伝い、
日曜日は私の両親に見てもらい
夫と私はバザーの手伝いというハードさでしたから、
今では保護者に負担すぎるのでなくなったようです。

確かに大変でした。
何度も書きますが、この時は、
妊婦で3歳児と1歳になったばかりの子を
保育園に入れて12月初めの寒空の下、
公園でバザーしたのですから。

売り上げは、目的には達したものの、
1日手伝った親の頭数分×4000円分?ぐらいの金額でした。

とにかく寒かったし、
すごく安いのに外国語で値切られて困ったり、
勝手に持っていこうとしたりする人がいたり、
売れない衣類やぬいぐるみがたくさん残って
処分が大変だったりしたけれど、
いろんな人がいるんだなぁ〜という
いい経験になりました。

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