りんごのエッセイ「大きくなったら何になる?」
11章「失敗の始まり」1996.3.〜1996.6.頃の話

@乳製品大好き
Aたっぷり食べた乳製品
Bなんかちょっとヘンだなぁ
Cまさかぁ
D妊娠検査薬
E帰国に際して思ったこと
F病院へ
G人生最大の・・・
H中絶という選択肢
I憧れの4人家族
J夫の反応
K中絶したあるお母さんの話
Lまして男の子
Mこんな子宮で大丈夫なの?
N乳幼児3人抱えたら
O明後日は手術の夜
P断りの電話

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2005年10月6日木曜日11:00

@乳製品大好き

その年は『ブリザード96』と後に言われた、
寒いNYでも特別にお天気のよくない冬でした。

生まれて3ヶ月の子どもを、
連れて歩けるようなお天気ではなく、
もちろん知った人もいません。
(後から近所に住む小さいお子さんのいる
駐在員のご家族の方などに知り合ったり遊んだりしました)

時間はたっぷりあり、
外にも出れない日が多かったので、
ガス代はタダで、大きなオーブンが使い放題、
材料費が格安・・・ということで、
私はこの頃毎日のように
3歳に満たない長女と一緒に、
お菓子作りを楽しみました。

クリームチーズをふんだんに使った
ベークドチーズケーキやレアチーズケーキ、
サワークリームケーキに
バターたっぷりのクッキー・・・

毎日手作りおやつをいただけるだけ作っていました。

料理にもいつもは高いから使えない、
サワークリーム・生クリーム・チーズを
よく利用しました。

向こうで買うとサイズも大きく、
その消費量が伺えました。

楽しんでいたのですが、ある日、
赤ちゃんの肌がプツプツしているのに気づきました。

・・・あれ?・・・
もしかして・・・乳製品取りすぎ?
母乳から出た乳製品がいけなかったのかしら?

2日間、乳製品をやめたら、
赤ちゃんの肌は元のすべすべに治りました

長女の母乳時代、読んだ本に、
母乳の時は「和食が一番」、
「乳製品を取りすぎはいけない」って書いてあったなぁ〜と
思い出して、少し量を減らすことにしました。

でも、あまりにも安くおいしく大好きな乳製品。
赤ちゃんの肌を見ながら、
時々食べていました。

それが後にどう影響するか、
この時の私は考えもしませんでした。

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2005年10月7日金曜日8:00

Aたっぷり食べた乳製品

私はとても『食いしん坊』です。
おいしいもの、甘いもの大好き。
どれぐらい食い意地が張っているかというと、
長女の時のつわりの時期、
気分が悪くて普通の人なら“食べられない”という時に、
布団の中で何が食べられるか
必死に考え3食抜かず食べたほど。
自分がおいしくないと感じるものは口にしないほど食いしんぼ。

クリームチーズは日本でも以前よりはかなり安くなったけれど、
それでも原価500円はかかるのに、
200円ぐらいでラウンドチーズケーキができちゃう。

チーズも種類が豊富で日本より安い。
サワークリームの売っているサイズが日本の4倍ぐらい大きい。
バターも安くておいしい。

私の滞在期間はたった半年。
気分は作らにゃソンソン。

さすがに赤ちゃんのプツプツは見てわかるから、
すこぉ〜し減らしたけれど、
出ない程度ならとパクパク食べていました。

同じマンションに住んでいた
日本人で夫婦共お医者さんのKさんとお友達になりました。
Kさんは二男くんがひどいアトピーで、
ミルクティーがちょっと肌にかかっても、
(ウチに遊びに来た時にこぼしてしまったことがありました)
ぱぁぁ〜と発疹ができるほど。
卵はもっとひどくでるそうです。
それで母乳をあげていたので、ママは卵と牛乳を止めていました。
やはり止めると状態は緩和されるそうです。

病院に行って、
卵と牛乳のアレルギーだというと、
ドクターにとても笑われて、
「卵と牛乳のアレルギーなんて聞いたことない。
あなたは心配しないでmilk&eggをEnjoyしなさい」
と言われたそうで、
こっちの人はやっぱり違うのね。
人種の違いって絶対にある・・・と話していました。
(日本人の女医さん談)

やはり他の駐在の方も、
お子さんが乳製品のアトピーのようだけれど、
お医者さんにかかっても、
「そんなのありえない!」って笑われて、
相談できるところがなくて困っていると言っていました。
(大使館婦人談)

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2005年10月24日月曜日9:00

Bなんかちょっとヘンだなぁ?

母乳を長男にあげていたので、
あまりにも多すぎる乳製品は、
どうも影響が大きすぎるみたい。
赤ちゃんの肌がブツブツしてきちゃうし。

長女の時には、卵は2日に1度、
牛乳は朝のミルクティーぐらい。
バターはパンに入れて使うけれど、
控えめにしていました。
長男の時にも同じように、少しだけ、
卵と乳製品を控えていました。
母乳の時には、
どうも昔の日本の食事、
玄米菜食が母乳もサラサラしていいらしいけど、
和食を多めにすればいいかな〜、
という程度しか気をつけていませんでした。

長男の肌を見ながらで、
やっぱり“和食がいい話”は本当なのかも・・・と思いました。

実家の母と時々電話をしていました。
「元気?大丈夫?」と聞かれて
「なんかちょっと頭が痛いの」と何回か答えていました。

春になりやっと暖かくなっていて外に出られるようになる頃、
まもなく帰国という状況でしたので、
平日は、一人で2人をダブルストローラーに乗せて、
(二人用ベビーカー)
美術館やセントラルパーク、
こちらでの奥様とのお茶の約束など、
ちょこちょこあちこちに出かけていました。

だからちょっと疲れたのかなぁ・・・?
なんか眠い気がするけど、春だからかなぁ・・・?

そう思いながらせっせと遊んでいたのでした。

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2005年10月25日火曜日8:00

Cまさかぁ・・・

なんか疲れやすい気もするけれど。
授乳中だからかなぁ。

いつもより眠い気もするけれど。
ずっと雪で外に出られなかったから、
体力がなくなったからかなぁ。

何もしてない割には、
頭が痛いなぁ。

『もしかして妊娠したんじゃないの?』
と電話の向こうで母が言いました。

「えっ?だって、授乳中だし・・・」

『結構、そういう人も多いのよ。
授乳中できにくいなんて“ぜった〜い嘘”よ。
だって、たっくさんそういう人知っているもの。
授乳中は、排卵とかのリズムも
狂っちゃうからわかりにくくて・・・』
(なぜか力説する母)

・・・そういえば、少し気持ちが悪い気も・・・
肩こりからかと思っていたんだけど。

でも、長女や長男の時みたいな、
「うっ」て吐き気のするつわりじゃないし・・・

でも、一応ドラッグストア行って、
なんか調べられるのがあるみたいだから、
買ってみようかな・・・

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2005年10月26日水曜日8:00

D妊娠検査薬

なにせ古くさい人間なので、
それ自体を購入するのが、
ものすごぉ〜〜く恥ずかしかったのですが、
そこはNYでしたから、少しは気も楽。

買ってきたはところまではよかったのですが、
私、マニュアルの読めない女。
(このHPはビルダーで全部私が作っていますが、
マニュアルを全く読まずに作っています。ソフトが偉い。
・・・いえ、読もうと努力はしたんですよ、一応・・・

まだ、妊娠検査薬なんて日本では売り始めたばかりの頃でしたから、
もちろん、使ったことなんてなかったし。
当然ながら、英語のインストラクションなんです。
使用方法は、まぁ理解できたんですが・・・
使用方法の通りにはできなかったんです。
何分後に見なきゃいけないとか書いてあったんですが、
ちょうど長男が泣いておっぱいあげたり、
長女がぐずぐず言っているうちに、
気づいたら、時間が過ぎていました。

・・・で、結論としては、
検査結果みても、
写真の見本みたいには色も明確じゃないし、
はっきり言ってよくわからなかったんです。

でも、よくわからないまま、
たぶん大丈夫だろう・・・
きっと大丈夫・・・
と希望的観測の元に勝手に結論づけました。
(全く意味なかったです)
*これは一概に私のせいだけでもなく、
妊娠の初期だとやはりわかりずらいことはあるようです。


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2005年10月26日水曜日8:00

E帰国に際して思ったこと

前章で書いたように、自分がこの先何をしようか、
何になろうかをずっと考えていて、
とうとう日本に戻る6月頃には
来年の春、鍼灸学校に入りたい。
できるかどうかわからないけれどやってみよう。
とにかく試験を受けてみよう・・・と決心していました。
NYの生活をめいっぱい楽しみ、
無事に家族4人で帰国しました。

帰りの飛行機はJALでしたが、
この飛行機に乗った時の安堵感は忘れられません。

自分でもちょっと不思議でした。
日本の地に着いた時ではなく、
ほっとしたのは飛行機に乗った時でした。
それは旅行などでは味わったことのない安堵感でした。

この時になって、初めて私は、
自分がどんなに心配していたかを知りました。
もしも、子どもに何かあったら、
滞在の必要のないNYにいたことを、
どんなに自分が責められることか・・・と。
「行かなくてもよかったんでしょ?
なんでこんなに小さな子ども二人も連れて
NYなんかに行ったのよ?
(だからこんなことになるんじゃない)」
そんな風に思われたりしなくて済む・・・
無事に到着すれば。

安全になったとは言ってもNYという街で、
3歳になったばかりの長女と0歳の長男を連れて、
のんびりセントラルパークを散歩していた時でさえ、
常にどんなに『防衛』を意識して過ごしていたか、
飛行機の中で緊張が解けてわかりました。

時々、この感覚をふっと思い出して、
さほど緊張せずに歩ける日本って、
本当に平和なんだなぁ・・・とありがたく思っています。

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2005年10月27日金曜日9:00

F病院へ

帰国して、少し落ち着いても、
“何かヘン”の感覚が残ったままでした。

目黒に引っ越して来て、
3ヶ月ほどでNYへ行ってしまったので、
とりあえず「目黒便利帳」という区でもらった資料で
一番近い婦人科の病院を調べて行きました。

駅からすぐのビルにあるそのクリニックは、
若いお嬢さんが多く、
付き添っている男性は彼氏というよりも、
お仕事でという雰囲気でした。
どうも風俗業の範囲に入るような・・・
そんな雰囲気の人の比率が高い病院??と思えました。
今まで通った病院とは違い、
どちらかというと性病を調べるとか、
治療をしているような印象を受けました。

思いなおして帰ろうかと思ったのですが、
子どもを預けて出てきたので、
それも面倒でした。

とりあえず検査だけ受ければわかることだから・・・と。

検査をして、名前を呼ばれて中に入り腰掛けました。

『おめでとうございます。妊娠ですよ』


( ̄□ ̄;)ガーン

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2005年10月27日金曜日9:30

G人生最大の・・・

『おめでとうございます。妊娠ですよ』


と言われた瞬間。

やっぱり (>_<)

困った (・・,)

・・・と思ったのは長女の時と一緒。


ヤッタ!よかった!\(^ ^)/

・・・と思った長男の時とは異なり。

拒絶したい気持ち。

YES,NOの選択肢があれば断じてNO.

だって3人なんて欲しくない。

男女いるし2人で充分。

なにより鍼灸学校に行くと決めた。

だから、人生最大の失敗だと思いました。


でも・・・ここは日本。

悲しいことに適切な性教育を伝えようと現場にいる教師達や、
中絶がどんなに心と身体を傷つけることになるかを
痛感している良識ある産婦人科医達が活動しても、
“行過ぎた性教育は反対”という名目で、
現状の悲惨さを分かっていない政治家や宗教団体などの圧力によって、
性教育が事実上全く行われていない一方で、
通勤前に読む雑誌や新聞に裸体の女性が必須アイテムとして存在し、
電車のつり広告は目を覆いたくなる過激な写真が氾濫し、
小学生の読むコミックでさえエロエロな構図が頻繁に出るおかしな国。
(「なか○し」「りぼ○」「ち○お」でもビックリしますよ)
そして低容量ピルが普及しにくい状況を作っているため、
未だに子どもたちだけでなく、
主婦の中絶も先進国で異常に多いニッポン。


「中絶」という“選択肢”について考えよう。
望まない妊娠をしたことの重さを夫と考えよう。
どん底まで苦しんでみようと思いました。

いつ頃生まれるか、ここの病院は入院施設がないなど、
ペラペラ説明しているドクターに、
息を吸い込んでから・・・言いました。

『ワタシ。欲しくないんです。』

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2005年11月1日火曜日11:00

H中絶という選択肢

『ワタシ。欲しくないんです。』

それまでニコニコぺらぺら説明していた先生の表情が、
一瞬。止まったように感じました。

でも、すぐまた落ち着き払った顔に戻って
「どうして?」と尋ねました。
それは繰り返されている会話だけれども、
それに関しては自分には何の力もない、と
あきらめているように見えました。

『子どもは二人おりますし、
男の子と女の子がいて子どもは充分なんです。
私、やりたいことがあるんです』
言いながら自分が消えたくなりました。
何の理由にもならないことを並べている気がしました。
心臓はドキドキするし
胸がぎゅぅっ〜と締めつけられるように感じました。


私の様子を見るとドクターは、
パチンとスイッチを入れ替えたように、
事務的になりました。

中絶するための安全な期間はそう先までないこと。
この病院ではちゃんと胎児をY寺で弔うから、
何の心配もいらないこと。
入院はしなくていいけれど、
午前に病院に来て午後に帰れること。
堕胎手術をするなら日程は○日か△日・・・。

そして、一週間ほど後の△日を予約して帰ったのでした。
さて、夫にはどう話そう・・・

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2005年11月2日水曜日9:00

I憧れの4人家族

学校へ行こうと決意したそのタイミングでの
妊娠というのも「欲しくない」理由にあったのですが、
私自身が子ども3人を育てる自信がなかったことも大きい理由でした。
2人より3人は全然大変なんですもの!

私は4人家族が憧れでした。
子ども2人の4人家族と
子ども3人の5人家族では、
人生がもう、全然違っちゃう。
日本の標準モデルが子ども2人の4人家族なんです。

それは生活の中で常々感じていました。
乗用車の座席が4人なら余裕だけど5人では窮屈だったり。
スーパーの魚の切り身が4切れパックだったり。
5人だと生活の中で常に“一人多い”感がつきまといます。

私は、自分が5人家族でずっとそう感じていました。
ウチがビンボーなのは一人多いからだと思ってました。(´ー`)
弟は、私が小学校1年生の時に生まれたので、
みんなで赤ちゃんをとっても楽しんだし、
弟がいてよかったけれども、
やはり教育費(学費)の負担は、
一人多いと大変だと骨身に沁みていたのです。
(収入の多い家庭なら気にならないと思いますが)

子ども2人ならもっと優雅に生活を楽しめるのに、
子ども3人だとやっと・・・というのが嫌でした。
子ども2人にやっと慣れてきた頃なのに、
3人なんてとんでもないと思いました。


一方、夫は子ども3人が結婚前からの憧れだったようです。
夫自身は姉のいる2人姉弟ですが、
義父母の理想が子ども3人だったらしく、
義姉は子ども3人育てていましたし、
夫も子どもは3人を理想としていました。
ですから長男を産んだ直後の発言が
『これで3人目はどっちでもいいね』だったほど。(^.^;

でも、命がけで産むのは私だし、
産むために10ヶ月我慢するのも、
オッパイをあげるのも、
オムツだオッパイだと24時間拘束されるのも
全部自分でないということは、
夫はよ〜くわかっていました。

そんな状況で心の準備がなく妊娠が発覚したのでした。

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2005年11月5日土曜日 20:30 10月25日の様子アップ

J夫の反応

夫は朝病院に行くと聞いて出て行ったので、
ちょっとドキドキだったようでした。

『病院で調べたら、妊娠してたの』

私の言葉を聞いた瞬間、
夫の顔は、パッと喜びに輝きました。
今でもはっきり覚えています。
(間違いなく夫自身は忘れていますが)

そうか!3人目か。ちょっと大変だけどよかった!
そう思った顔つきでした。

『でも、私。もう、産みたくない』

夫は、すごく焦ったしびっくりしたと思います。
青天の霹靂。
妊娠もビックリだけど、
よもや妻がそんなことを言うとは思いもよらない、
驚いて言葉も出ない様子でした。


彼の反応を見て、
オトコにとって所詮“妊娠”なんてヒトゴトなんだ。
私がこんなに苦しんでいるのに、
彼は、産めばいいと思って喜んでる。
彼にとって赤ちゃんが生まれることは、
仕事に支障もないし行動に何の制限もないんだ!

女だけ10ヶ月も赤ちゃんがお腹にいて、
命がけで痛いの堪えて生んで、
生まれたら授乳とオムツで24時間365日拘束。
その間、1人で外を歩くことすら贅沢なんだから。
お酒だって飲めないし、
食べ物だって制限したりしてるのに。
オトコは面倒なことは一切気にせず過ごすことができる!

冗談じゃない。
このまま3人目を生んだら、
せっかく家事を手伝うようになってきた夫が、
仕事だけに戻ってしまって、
私は3人の子どもの世話で家から出られなくなってしまうじゃない。
そんなの絶対に嫌!
たぶんそう思ったんだと思います。

とことん夫と自分が
どん底まで落ちて苦しんで苦しんで考えて、
それでも“産む”という結論が出ないなら・・・
・・・どうしよう・・・

長男がまだ1歳になってない時に3人目なんて・・・
赤ちゃんが生まれる頃に、長男はまだオムツは取れてないのよ?
長男にまだオッパイあげているのに、妊娠なんて・・・
私、鍼灸の学校に行くって決めたのに・・・
3人目は欲しくないと思っていたし、
経済的にも3人では人生設計も違ってしまうわよ・・・
夫にはこんな風に言いました。

夫はあまりにも驚いて何も考えられないという風ながらも、
「結論を急いだり、早まったことは頼むからしないでくれ」と
肝心なことだけはちゃんと私に言ったのでした。

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2005年11月7日月曜日 16:30遅くなりました。

K中絶したあるお母さんの話

中絶について、
長女を産んだ時のママ友達から聞いた話で
とても印象に残った話がありました。

そのママ友のAさんは
目のぱっちりした美人で活発な方でした。
その方は自分自身が4人きょうだいでした。

当時、保健所のマタニティ指導でお友達になった8人で
月に1度“お茶会”をしていました。

一人目の妊娠でオドオドしていた私には、
『子ども4人』を産み育てることがとても立派だと思い、
「ご両親は最初から4人生む予定だったの?」と伺ったことがありました。

『そっれがさぁ〜』で始まった話は予想外の話でした。

お母さん3人生んだ後ね、
4人目ができちゃったんだけど、
それをお父さんに4人目は絶対ダメだって反対されて、
お母さん、仕方ないから堕したんだって』

(・_・) 聞いていた7人はびっくりしました。

『でね、お母さん、それがすっごぉく悔しかったんだって。
もう、泣いて泣いて・・・とにかく悔しかったんだって。
その後、お母さん、密かに4人目を産もうって決心したのね。
こっそり妊娠して今度はお父さんに言わなかったんだって。

ウチのお母さん、つわりがひどくてゲーゲーやってたの。
でもね、言ったらまた堕せって言われちゃうから、
ずぅ〜とお父さんに言わないで、隠していて、
お父さんの前では平気な顔してたんだって。
私、その時お母さんが影でゲーゲーやってたの覚えてるんだ。
でも、お父さんにはナイショって言ってたの。
それで、もう絶対に堕せないって時になってから
お父さんに言ったんだって。
それでね、4人きょうだいなの』

その4番目のお子さんである弟さんは、
とても親思いのいい男性に成長したそうです。

「中絶」を考えた時に、
このエピソードは何度も何度も思い出しました。
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2005年11月8日火曜日 10:30

Lまして男の子

お腹にいるとわかった瞬間から、
この子は男の子に違いないという確信がありました。

長女の時は女の子であって欲しいと願い、
長男の時は男の子であって欲しいと願い、
たまたまその通りでした。

この子の性別がなぜわかったのかと聞かれても、
『そう思ったから』としか答えようがありません。
ただ、間違いなく男!と感じたのです。

万一、3人の子ども産むことがあっても、
せめて女の子なら・・・と思ったのです。
その根拠は、自分に妹がいてよかったと思っているので、
長女に妹を生んであげられないのが
残念だという気持ちがどこかにあったからです。

あとは、私の思い込み。
男の子はヨメさんに渡すまでの預かり物だけど、
女の子はずっと一緒に遊べるもん。
男の子は汗臭いし、お弁当も巨大だから大変だけど、
女の子はキレイなモノを一緒に楽しんだりできるし。
(あながち外れてもいない・・・バレエに付き合ってくれない息子達(>_<))

男の子の年子の兄弟なんて
私には想像つきませんでした。
すごく恐ろしい・・・と思いました。
(兄弟ゲンカは今もスゴイ)

そんなことを考えながらも、
男の子だからいらないとか
女の子ならいてもいいとか、
そういう問題じゃないだろう (○`ε´○)
・・・と自分でも思っていました。

『どーしてアナタはこんなに強引に
私のお腹に入ってきたの?
私は、産むつもりなんかなかったのに』
と何度思ったことでしょう。

そして、自問自答しながら、
私なんて産みたいとか産みたくないとか
苦しんでいるけど、きっとまだいい方なんだ。
産めない状況で妊娠した女性はどんなに辛いだろう。
相手の男性から産むなと言われた女性はどんなに辛いだろう。
産むかどうかを考えるだけで、
こんなに胸が苦しいのに、
まして自分だけでなく周囲に否定された赤ちゃんが
お腹にいたらどんなに母親は辛いだろう。
きっと、ずぅ〜と・・・いつだって・・・
女だけがそうやって命を宿してきたんだなぁ・・・
そんな“女の宿命”にも思いを馳せました。


後から、性別については、
ママ友達がみんな口を揃えて保障してくれました。
「大丈夫よ。二男ってすごぉ〜く親思いだし。面白いわよ」
そして強く言ってくれる人は皆、
『だってウチの夫、そうだもの(´ー`)』と
微妙な表情で言うのでした。


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2005年11月9日水曜日 9:00

Mこんな子宮で大丈夫なの?

妊娠がわかったのは授乳中でした。
長男の出産後7ヶ月でした。
おっぱいをまだあげているし、
出産からわずかな間しか経ってないのに、
子宮は大丈夫なんだろうか??

赤ちゃんってそんな中で、
無事に五体満足に生まれてくるものなんだろうか?
障がいを持って生まれたりしないのだろうか?

生んだ2人は『普通』のカラダだけれど、
3人目がそうでなかった場合、
先に生まれた2人にも大変な思いをさせたりして、
生んだことを悔やまないだろうか?

この子がお腹に入ってから飛行機にも乗ったし、
(NY-OHIO往復とNYから日本への帰国)
まさか妊娠しているなんて思わなかったから、
最後のNYで忙しく遊んで過ごしたし。
お酒も飲んでしまっていたし。
幸い薬は飲んでいなかったけれど。


もし、この子の身体が五体満足でなかったら。
あの時に産まなければよかったと思わないだろうか。

先の2人を生んだ時にも、
『それでも授かった時には受け止めよう』と
決心してから私は生みました。
(この点については夫は“自信がない”と一緒に考えてくれませんでした)


『そういう話はあまり聞かないわねぇ』と
言ったのは実母でした。
『3人年子の人とかも知っているけど、
それとコレとはあんまり関係ないんじゃないかしら。
そんな心配はしなくていいと思うけど』

・・・そうは言われても、
こればかりは“神のみぞ知る”なのかと。
無神論者の私ですが、
人に出来ることは祈ることだけかと思うのでした。

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2005年11月10日木曜日 18:00

N乳幼児3人抱えたら・・・

3歳の長女と0歳の長男の育児。
この時は専業主婦でしたが、
帰国後の荷物の整理、
公園デビュー、社宅でのおつきあい、
来年の長女の幼稚園探し・・・?
などなど雑用に追われてもいました。

今でもこんなに大変なのに、
この上、赤ちゃんが生まれたら、
3人抱えたら・・・鍼灸の学校なんて
いつになったら行けるかわからなくなっちゃう"(ノ_・、)"

2人の子どもで充分と思っていて、
『来年は、鍼灸学校に行こう』と決心して、
NYから戻ってきた私には、
3人の子どもの世話は、
想像の範疇を超えていました。

それに生まれてくる子どもは、
そのつもりでなかったから、
何も気をつけてもいなかったし、
お腹も充分回復しているとも思えなかったし、
そのせいで障がいがあるかもしれない。

ごめん。
私、あなたを産みたくないの。
なかったことにしたい・・・
いなくなって・・・
そう願った夜もありました。

そんな日に思い出す話は、
「中絶したあるお母さんの話」と同じママ友で
お茶のみ仲間だったある方。
『私、この子、全然欲しくなくって、
流産しないかな〜と思って、
冷たい海に入ってずっと我慢してたり、
走ってみたり、他にもいろいろやってみたんだけど、
流産できなかったから、仕方なく産むことにしたんだ』
という話をした30歳前半のママがいました。

その人を思い出して、
そう簡単に自分が思うようには、
流産もできないらしいし・・・と
罰あたりなことも考えました。


こんな考えを持ったことがあったと、
子どもが10歳を過ぎた今でも・・・
いえ、たぶん一生・・・、
私は二男には「ごめんね」と思い続けています。
(だからつい彼だけに甘いところがあります(*´ー`) )

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2005年11月11日金曜日 17:00

Oあさっては手術の夜

選択肢に「中絶」ということがあるということを、
二人で充分と思えるほど考えた後で・・・

もし、この子を堕ろしたら、
3人目が欲しいと思った時に、
産もうというのはないよね。

3人いてもいいと思うならば、
この子を産むべきで、
今はタイミングが悪いからダメで、
次の時ならいいってことはないよね。
だから、この子を殺してしまうなら、
もう一生、子どもは生まないことにしないと、
この子に申し訳ないよね。
・・・というのはお互いに同じ考えでした。


じゃあ、絶対3人は何がなんでもダメなの?

3人産むことでできなくなることはなんだろう?

もしかしたら、2人でなくて3人の場合に、
思うような教育を受けるお金が足りないかもしれないね。
でも、キミは働きたいんだろう?

キミが一人多い分ぐらいは、
働けばなんとかなるのではないか?

年子だから、上の子二人にかける時間が
足りなくなるかもしれないね。

でも、それは本当に一時のことなんじゃない?
幸いキミのお母さんやお父さんに助けてもらうこともできるし、
まだオフクロとオヤジも元気だし、
オレもできるだけ手伝うよ。

3人いても二人で頑張ろうよ。
きっと大丈夫だよ。

3人はいいなってずっと思ってたんだよ。
オレは2人だけど、
キミの妹と弟がいる3人姉弟を見ていて、
オレ、すごくいいなと思うよ。
自分も子ども3人欲しいと思う。

オレ、頑張るから。

生んで欲しい。

3人頑張って育てようよ。

学校は子どもが少し大きくなれば行けるよ。

頼む。

せっかく授かったんだから。

夫は懇願しました。

私は不安を抱えながらも、
この時に、これは神様が私に3人の母親になりなさいと
言っているということなんだと思って、
この夜、この子を産むことを決心したのでした。

そして夫はこの時の気持ちを忘れず、
この時から、とても主体的に家事に参加するようになりました。
(最近は忘れてる気が・・・(^.^; )

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2005年11月14日月曜日 17:00

P断りの電話

産むと決めたので、
明日の手術はしないとお断りしなければ・・・と思いました。

憂鬱・・・ /(-_-)\

なんていえばいいんだろう。
キャンセルなんて、
怒られたりしないかしら。。。

朝から電話かけなきゃ・・・と思いつつ、
そうだ。電話なんて考えてみれば先生は出ないよね。
電話に出た看護婦さんに断ればいいや。
・・・なんて気をとりなおし、
やっと受話器を持ったのは夕方だったような気がします。


なぜか電話に出たのは先生でした。
(*男なので声で明白)


/(・_;\ ドキドキ・・・

『すみません、私、生むことにしました。
だから手術はキャンセルさせてください』




「そう!」



「よかったね。」


ハレバレした声で
「先生、ホントはそれが一番うれしいんだよ。
よかった。
赤ちゃん頑張って育ててね」


(;_;)クスン(;_;)

・・・はい。ありがとうございます・・・


産むと決めたのは成功でしたが、
そこには失敗のタネも潜んでいたのでした。
(その話が出るのは来年になりそうですね(^.^; )

11章終わり
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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