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近 況 報 告 & ご 案 内
【「アメイジング・グレイス」の執筆を開始しました】

 一昨年から取材を進めていた「アメイジング・グレイス」の誕生にかかわる秘話を執筆始めました。ストーリーは次のようになります。期待していてください。

物語の概略

いま全世界を魅了している聖歌「アメイジング・グレイス」は長らくゴスペル・ソング(黒人霊歌)ではないかと思われていた。アフリカ系アメリカ人に親しまれ、歌われていたからである。

しかし近年の研究によって、これは1779年ごろ、イギリス国教会のジョン・ニュートン牧師が作詞したものと判明した。しかも、ニュートン牧師は英国教会の牧師になる前は奴隷貿易に携わっていた船長で、多くのアフリカ人を西アフリカからアメリカに運び、チャールストンやニューオリンズで売買していた。その懺悔の思いから書き上げたのが、「アメイジング・グレイス」だという。

ギリシャの歌手ナナ・ムスクーリの哀調を帯びた声で歌われた「アメイジング・グレイス」に心を打たれた私は、この聖歌の誕生秘話を知りたいと思い、イギリスに取材した。そしてこの聖歌が書かれたオルニーのセントピーター・アンド・セントポール教会の牧師館を訪ね、ロンドンの東郊外にある生家を訪ね、船長時代に住んでいたリバプールの家を訪ね、またイギリス国会で奴隷貿易禁止法を成立させようとして精力的に活動していたころ牧会していたセントメアリー・ウルノス教会を訪ね、往時を偲んだ。

この聖歌でニュートン牧師は、「かつては奴隷貿易に携わるほどに人非人になっていた私だったのに、今はこうしてキリストの僕(しもべ)として、人々の霊的生活に奉仕できる立場に引き上げられた!」という感謝を込めて、神の導きを「アメイジング・グレイス」(何と驚くべき、神の恵みよ!)と讃美した。

しかしこの聖歌は長年虐(しいた)げられてきた者たちにも共感され、アメリカではこともあろうに、アフリカ系アメリカ人やインデアンの間に広まっていった。その象徴的な出来事が『アンクル・トムの小屋』の主人公トムの上に現れた出来事である。


『アンクル・トムの小屋』がもたらした影響

 アメリカ中が黒人奴隷是か非かで沸騰していて、南北戦争に突入する直前の1851年、週刊新聞「ナショナル・イーラ」に、ハリエット・ビーチャー・ストーの『アンクル・トムの小屋』が掲載され始めると、またたくまに評判になった。翌年早速出版され、その年すでに100万部売れて社会現象となり、19世紀アメリカにおける最大のベストセラーとなった。 

1862年、リンカーン大統領はストー女史に会ったとき、

「あなたが今度の南北戦争を引き起こした女性なんですか?」

 と言ったという逸話が残っているが、この本ほど奴隷制の悲人道性を暴き、アメリカを奴隷解放しようという世論に導いた本はなかった。南北戦争はアメリカにとって奴隷制度は是か非かが争点になって戦われた戦争で、『アンクル・トムの小屋』が引き起こしたわけではないが、リンカーン大統領が象徴的に述べたように、この本が果した役割は大きかったといえよう。

 この本の中でストー女史は南部のレグリー農場に売られていった主人公トムが農場主に拷問されるシーンが描かれている。鞭打たれて皮膚が裂け、肉が飛び、血だらけになっていったトムは、薄れゆく記憶の中でキリストの幻を見、レグリーに、

「あっしは心からあんたを許しますだ」

 と言って気を失う。レグリーに命じられてやむなく鞭打っていた奴隷頭のキンボとサンボは、レグリーが立ち去るとあわててトムの傷を洗い、介抱して、イエスの教えを乞うた。トムや黒人奴隷たちは恨みや怒りや憎しみの虜(とりこ)になるどころか、それから解放され、「アメイジング・グレイス!」と讃美する者たちに変わっていった。

こうしていつの間にかトムの小屋は、日曜日ごとに黒人奴隷たちが集う小さな礼拝堂に変わっていった。

「アメイジング・グレイス!」はニュートン牧師の讃美の声だけではなく、虐げられた者たちの口からもあがった讃美の声だったのだ。


「アメイジング・グレイス」の更なる広がり

「アメイジング・グレイス」が白人たちにも広がっていったのは、1960年代後半、アメリカがベトナム戦争で敗れて深く傷つき、政府も軍も何もかも信じられなくなり、人間不信の荒野になっていたとき、フォーク歌手ジョーン・バエズのバックコーラスをしていたジュディ・コリンズが楽器無し・無伴奏のア・カペラでこの歌を歌いだしたことからだ。

 すると不毛の砂漠に水が染み込み、緑の大地に蘇っていくように、アメリカは再び信仰を取り戻し、「アメイジング・グレイス」は第2の国歌と呼ばれるようになっていった。

 この聖歌はその誕生秘話からして人間の本質に迫るものがあるが、それが共感され広がっていった過程にも心を打つものがある。その意味でも人類の精神的遺産と呼べるのではなかろうか。その誕生秘話を明らかにしたいと思う。


【素行会の忘年会】

 12月10日、銀座で素行会の忘年会が開かれました。40名集まって盛況でした。歌手のAikaさんも駆けつけてくださいました。


 
【屋久島ツアー】



 
【西アフリカに取材に行ってきました】

 11月6日~17日まで、西アフリカ(セネガルとガンビア)にいまなお残る2つの奴隷島ガレ島とジャンジャンビレ島に取材に行ってきました。名曲『アメイジング・グレイス』の誕生秘話を書くための取材です。昨年イギリスで作詞者のジョン・ニュートン牧師のことを調べました。
 今回は牧師になる前、ニュートンが奴隷船の船長だったころ、奴隷貿易でしばしば訪れていたセネガル、ガンビアを訪ねました。そこから黒人たちをアメリカに運び、綿花畑の労働力として売さばいていたのです。
 取材中、プロットがほぼ固まったので、いよいよ執筆に入ります。期待していてください。



ガンビアの草原
  
人々の生活
  
サンチュ・グンド小学校
  
ゴレ島・奴隷小屋
  
ガンビア・ジャンジャンビレ島の奴隷小屋で
 
【第17回武蔵嵐山志帥塾開かれる】

 10月8~9日、恒例の武蔵嵐山志帥塾が東京・池袋の郊外にある国立女性教育会館で開かれました。ここは戦前、安岡正篤先生が日本農士学校を開いておられたところで、秩父丘陵の一角にある風光明媚なところです。講師は元奈良県立障害児教育センター所長の向野幾世さん、自動車用品の卸小売業イエローハット創業者の鍵山秀三郎さん、それに私、音楽はママさんユニットのコクーンでした。220名の方々が泣き笑い、交流の2日間を持ちました。

  
聴講者からの質問も活発です
  
 
体験を通して語られる
鍵山先生の講話はいつも身にしみます 

 【お伊勢参りに行きました!】

 この8月6~7日、横浜志帥会の16名で、お伊勢参りに行きました。
 1日目、三重県亀山市にある、日本武尊(やまとたけるのみこと)を祀ってある能褒野(のぼの)神社に詣でました。そのあと、伊勢神宮の外宮で正式参拝し、修養団伊勢同情で、中山靖雄先生のご講話をお聴きしました。
 2日目は伊勢神宮の内宮を正式参拝し、伊勢神宮の東南、磯部町にある伊雑(いざわ)宮に詣でました。神代の昔から伊勢神宮に収める神饌(しんせん=お米のこと)を採っていた場所です。その後、伊勢神宮に隣接するおかげ横丁で昼食を摂って帰路につきました。道中ずっと中山先生の奥様緑さんがついて説明をしてくださったので、最高の旅になりました。

  
伊勢神宮(内宮)の階段前で
  
伊勢神宮の中を流れる五十鈴川のほとりで

【ハワイ瞑想の旅】

 みなさん、長旅、ご苦労さまでした。私は帰国後、早速『敗れざる者 ダスキン創業者鈴木清一』(PHP研究所)の初校ゲラの校正が始まり、それが終わるまで身動きできませんでした。1昨日、ようやくそれが終わったので、昨日1日かかってハワイ旅行の写真をプリントし、みなさまに発送できるようになりました。
 今回の旅は2つあったように思います。
 1つはスサノオノミコト、そして日本(やまと)武(たけるの)尊(みこと)ゆかりの草薙(くさなぎ)の剣を受け継ぎ、凛とした生き方をすることによって、新生日本の要として立つ決意をしたこと。もう1つはマウナ・ケア山のオニズカ・ビジターセンターで、佐伯宏美さんに降りてきた、日系人ではじめて宇宙飛行士になったエリソン・オニズカさんのメッセージでした。
 エリソン・オニズカさんは1986年1月28日、2回目の宇宙飛行でスペースシャトル・チャレンジャー号に乗り組みました。しかし打ち上げから73秒後に、右側固体燃料補助ロケットが発射直後に破損した影響でチェレンジャー号は空中分解し、乗務員7名とともに大西洋に落下していき、犠牲者となってしまいました。
 エリソン・オニズカさんはハワイ島のコナの出身だったこともあって、同島のマウナ・ケア山(4205m)の頂上にある天体観測所のビジターセンター(2800m)に名前を冠せられ、今ではオニズカ・ビジターセンターと呼ばれて親しまれています。
 佐伯さん自身にオニズカさんからメッセージが送られてきたときの様子を語ってもらいましょう。
「オニズカ・ビジターセンターへ入って、夕食のお弁当をさあ食べましょうとお箸を持ったとたん、私の胸の中にやさしい表情の男性がぱっと浮かんで、本当にいきいきしたメッセージが流れ込んできました。オニズカさんのメッセージはこうでした。
『今日は日本からたくさんの神様を連れてきてくれて本当にありがとう。ハワイの神々様と一緒に、みんなすごく喜んでいます! 
 僕は不幸なことに宇宙シャトル「チャレンジャー号」の事故で死んだけど、じつはそれもこうして多くの人を宇宙の素晴らしさに案内出来ることミッションだったんだと感じています。このビジターセンターにオニズカという名前を冠してもらい、ここでたくさんの人を励まし、みんなに勇気を与えてあげるのがとっても嬉しいんです。
 僕は本当に宇宙が大好きだった! 子どもの頃から宇宙の神秘に魅せられていたんです。そしていまさらに宇宙の神秘を多くの人に感じてもらいたいと思っています。
 いま、地球はとっても危うい危険な状況にあります。人類の行く末を宇宙から多くの生命(いのち)が心配しているんです。
 みなさんは広大な宇宙の中で、地球ははかない生命が宿っているたった一つの星だと思っているでしょう。でもそれは違います。宇宙は生命に満ちているんです。
 人類は自分たちだけで生きていると思っているよね。
 それも違うんです。人類が生きていられるのは、地球の多くの生命と、それを守っている神様が存在していて、その両者のどちらもがお互いを支え合っているから、生命は存続できているんです。
 だから人類は孤独じゃないんです。宇宙の中、生命の中に存在しているんです。たくさんの生命が地球のことを心配し、祈っているんです。
 いま地球はとっても大事な時期にさしかかっています。バランスを取って生きることが大切なことに人類は気がついて欲しいんです。
 人類が自分たちだけが生きていると錯覚し続けることはもう難しいんです。宇宙の中の存在であることに気がついてほしい。
 でも、多くの祈りがいま地球に向けられているから、心配もしなくていい。その祈りに気がつきさえすればいいんです。このマウナ・ケア山の頂上で、美しい宇宙をたくさんの人に見てもらって、気づきが早まるのを僕は願っています』
 今回のことは全く予想していなかったのですが、あまりに真剣なメッセージだったのでびっくりしてしまい、お弁当も喉を通りませんでした
 私(佐伯)は、日本の神々様がここ(マウナ・ケア山の天体観測センター)へ来られるまでは、けっこうへとへとでぼろぼろだったのに、山頂で美しいサンセットを眺め、満月が出て素晴らしいパワーをチャージしていただいたので、すごく元気になって大喜びで日本へお帰りになったように感じました」
 私(神渡)もマウナ・ケア山頂から下りるためにバスに乗り込んだとき、オニズカさんが、「人類は宇宙に思いを馳せたとき、もろもろの違いを超えてひとつになれるんです」とおっしゃっているような気がして、泣けてなりませんでした。
 震災後の日本に立ちのぞむ覚悟が決まったような、ハワイ瞑想の旅でした。
 同じ時間、空間をシェアできて、本当にありがとうございました。



マウナケア山からの夕日
 
ハワイ瞑想の旅

お別れディナー
 
ハワイの読者たちと
【来客】

前田理恵子さんが主宰される気功教室の初級講座の方々が、卒業式に記念にわが家を訪ねてこられました。
写真、上段左から、堀井さん、前田さん、黒川さん、佐藤さん。前列左から、徳留さん、私、生方さん。
1時間半ほど歓談して、その後、近くの七井戸公園の新緑を散歩しました。



 【気付きの出発点】

MSN産経新聞の記事

1頁目
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110415/bdy11041507300000-n1.htm
2頁目
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110415/bdy11041507300000-n2.htm
3頁目
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110415/bdy11041507300000-n3.htm
写真
http://sankei.jp.msn.com/life/photos/110415/bdy11041507300000-p1.htm

 
(クリックすると拡大します)

『敗れざる者 ダスキン創業者鈴木清一』(PHP研究所)
あとがき


 平成23年(2011)3月11日、昼2時46分、マグニチュード9という巨大な地震が日本列島を襲って2万人以上の人々が犠牲となり、あわせて福島第一原子力発電所の大惨事が起きた。私はあのとき、自宅の書斎で本書を執筆中で、昭和39年(1964)、世界1のワックスメーカーのジョンソン社に自社ケントクを乗っ取られた鈴木清一氏が、かねて師事していた一燈園の西田天香さんに相談に行った下りを書き終わったところだった。
鈴木氏はかねがね「損と得あらば、損の道をゆく」を信条としていたが、いざ実際にそういう場面に遭遇すると、信条とは裏腹に、はらわたが煮えくり返ってしまった。
意見を求められた天香さんは、自分も巻き込まれた関東大震災の話をした。
「私は御殿場近くの汽車の中であの大震災に遭遇しました。東京に入ってみると阿鼻叫喚の巷と化し、燃え盛る紅蓮の炎に巻かれて焼け死んだ人々の遺体をそこここに見ました。想像を絶する大惨事に直面し、私は荒灰の中につっ伏してお詫びしました。
『関東の方々、どうぞ許してください。私が気づくのが遅かったばかりに、こんな大惨事が起きてしまいました』
 私には他人事と思えなかったのです。自分への警告と思われ、これは身を正さなければと反省したのです。瓦礫の後片付けを手伝ったあと、京都に引き返すと、それまで住んでいた家を引き払い、裸ひとつで出直しました。
鈴木さん、天はあなたの中の甘えを削ぎ落とすために、今度の出来事を仕組まれたのではないでしょうか。あなたが祈りの経営を実践し、道と経済の合一を果たそうとしても、あなたの中にないものは顕現しようがありません。まずあなた中に形成されて、次にあなたの会社に実現されていくものです。
今度のことはお光があなたに課した〝行〟だと思いなさい。つらく悲しい行です。でもその行を経て、あなたの中に新しいものが育ったとき、そこから新しいひこばえが育つのです。誰も恨んじゃいけません。全部自分への諭しだと思って、感謝して受けとめなさい」
鈴木氏はその諭しを聞いて、初めて人間的な迷いが吹っ切れた。そしてもう一度ゼロから出発し、ついにダスキン王国を創り上げたのだ。
私はそんな出来事を書いていたのだが、あまりに符合することが多く、驚いてしまった。私も評論家的に無責任にものを言うのではなく、荒灰の中にひれ伏してまずお詫びし、新しい質が育ち、そこから新たなひこばえが芽吹くよう、精進しなければいけないと思った。
ところで実に的確な諭しをした天香さんが依拠していたお光とは、宇宙、大自然、あるいは神仏のことである。この視点に立つとき、人間はこの世的迷いから解放される。
ヒマラヤ山脈の第3の高峰カンチェンジュンガの山ふところで、カリアッパ師について修行してついに悟りを開き、その歓喜が死の病と恐れられていた肺結核を吹き飛ばしてしまった中村天風のことを書くため、私は現地取材したときのことを思いだす。
夜、戸外のひんやりした霊気に包まれ、草むらに寝転んで、銀の真砂を敷き詰めたような満天の星屑を仰いだ。いつしか60兆個の全細胞のDNAの記憶が呼び覚まされ、原初の世界に導かれていった。広大な宇宙はアルファ(初め)であり、オメガ(終わり)である。星屑で満ち充ちている宇宙を眺めているうちに、私は陶然となっていった。宇宙が私なのか、私が宇宙なのか……、宇宙と私はひとつになり、覚醒していった………。
その体験から書き上げたのが、『宇宙の響き 中村天風の世界』(致知出版社)である。天風さんがヒマラヤでつかんだものは宇宙意識だったのだ。
天香さんが鈴木氏に呼び起こしたものは、まさしくこの宇宙意識である。天香さんは鈴木氏を宇宙意識へ導くことによって、本来の自分をとり戻させたのだ。

さて、今回の東日本大震災は私たちに何が必要であり、何が要らないものであるか、内省させ、原点に立ち返らせるための出来事だった。歴代宰相に指南役として仰がれた東洋思想の碩学安岡正篤は、『易と人生哲学』(致知出版社)にこう書いている。
「われわれの欲望というものは、いうまでもなくこれは陽性です。それに対する内省、反省というものは陰であります。欲望がなければ活動がないわけですから、欲望は盛んでなければなりませんが、盛んであればあるほど内省というものが強く要求されます。内省のない欲望は邪悪であります。そして内省という陰の動きは、省の字があらわしておりますように、〝省みる〟という意味と〝省く〟という意味があります。内省すれば、必ず余計なものを省き、陽の整理を行い、陰の結ぶ力を充実いたします。人間の存在や活動は省の一字に帰するともいわれる所以であります」
内省を通して新しい質が育ち、新しいものが生まれてくるというのだ。
安岡は『東洋的学風』(島津書房)にこうも書いている。
「日本の民族精神・民族文化といえば、その根本にまずもって神道を考えねばならぬ。その神道の根本思想の一つに『むすび』ということがある。むすびということから人生すべての事が始まる。仏教の言葉でいえば、『縁起』である。
ある事が縁によって因となり、果を生じる。すぐれた因が、すぐれた縁で、すぐれた果を生じる。勝因・善因が勝縁・善縁によって、勝果・善果を結ぶ。このむすびほど不思議なものはない」
 古来より「結び」の思想を尊重してきた日本人は、厄災をも善因として善果に結びつけていくことができるというのだ。
私はこの大惨事がよその国で起きたのではなく日本で起きたことに感謝したい。日本だったらパニックにならず、政府や行政や電力会社を非難して恨みつらみの泥沼に陥ってしまうのではなく、この危難を見事に乗り切っていくことができる。大惨事になっても日本はそれ以前よりはるかに次元の高い国に生まれ変わることができる。それが生き残り、再建を託されている私たちの使命だと思う。
そしてそれは結果として世界に範を示すことになり、紛争に明け暮れている世界に対して、別な道があるのではと提言できることになる。いやできるからこそ、天はこの厄災を敢えて日本に下されたのだ。
 ダスキンの鈴木清一氏は天香さんのアドバイスを杖として、破局から立ち上がり、祈りの経営を実践して見事な会社をつくり上げた。そのことが今回の難局を乗り越えていく指針となっているような気がしてならない。
 本書の制作にあたって数々の助言をしてくださったのはPHP研究所の若林邦秀さんである。若林さんのおかげで本書を世に送り出すことができた。この場を借りて心から感謝申し上げたい。

平成23年5月吉日
千葉県佐倉市の暁星庵にて 神渡良平

 【安岡先生の著書の英訳本が出ます!】

 来年5月、安岡正篤先生の『日本精神の研究』の英訳本が出ます。初めての英訳本です。その推薦文を頼まれたので、次のような文章を書きました。ご笑覧ください。

英訳『日本精神の研究』の発刊に寄せて
作家 神渡良平

大手書店にある安岡コーナーのにぎわい
 東京駅の八重洲口に八階建てのビル全部が書店という八重洲ブックセンターがある。そこの四階に東洋哲学者安岡正篤先生のコーナーがある。七十数冊に及ぶ安岡先生の書籍や講演テープ、CDはもとより、他の作家やジャーナリストが安岡先生について書いている本も集められており、書棚だけでは間に合わず、平積み台も含めてコーナーを形成している。
 そこでは立ち読みし、本を探している人々の姿が見かけられる。子育てで迷っているのではと思われるような若い女性や、部下を持つようになって改めてリーダーシップについて考えるようになった中年のサラリーマン、あるいはまた人生を俯瞰し、よき締めくくりを模索されているらしい白髪の老紳士などが、安岡先生の本を取って立ち読みしてされている。思索する人々にとって、安岡先生の本ほど導きの星となるものはない。
 安岡先生が亡くなられたのは一九八三年十二月十三日だったから、かれこれ二十年が経ったわけだが、今なお多くの人が「人生の師父」として仰ぎ、その思想を人生の指針としている。

私に使命を目覚めさせてくれた!
 私は三十八歳のとき脳梗塞で倒れ、右半身が麻痺し、寝たきりの生活となった。職を失い、収入が無くなり、将来の不安にさらされた。失意のどん底にあった私を励ましたのは安岡先生の書物だった。
 「人間はどんな人でも一隅を照らすだけの力量は与えられてこの世の中に送られている。だからあれこれ迷うのではなく、その持ち場で一隅を照らそうと一心不乱に仕事をすれば、十年二十年経つうちには、誰もが有意義な仕事ができ、ひとかどの人物になれるようになっている」
 それは私を奮い立たせるメッセージだった。落ち込みがちな私の気持ちが切り替わった。
「お先真っ暗で御用済みのような私にも、存在する意味があり、まだ人々のお役に立てるのだ。一意専心、ただひたすら努力しよう」
 歩く練習が始まり、字を書く練習が始まった。最初は成果が見えないリハビリだったが、社会復帰にこぎつけるだろうことは微塵も疑わなかった。
 それに安岡先生の人間観は私を励ましてくれた。安岡先生は『運命を開く』(プレジデント社)にこう書いておられた。
 「人間の生命というものは全きもの、無限にして永遠なるものです。その偉大な生命がなんらかの機縁によって、たまたま一定の存在になり、一つの形態を取るのです。われわれ人間が存在するということは、すでに無限の限定であり、無限の有限化であることを知る必要があります。この有限化を無限と一致させるということが真理であり、道理であり、道徳であります」
 私は膝を叩き、まったくそうだとうなずいた。
 ――私という存在は無限なる存在が有限化して現れたのだ。従って地上に出現した私という存在を錬磨して、大本の無限なる存在に限りなく近づけることは、私に託された使命だ。私は私を作り上げることを通して、天地創造に加担し、その一翼を荷っているのだ!
 その自覚は「聖使命の自覚」とすら言うことができた。この使命に目覚めたら、頑張らずにすますことはできない。こうして夜も昼も、寝ても覚めても、ただひたすら精進する日々が続き、少しずつ形ができていった。
 
絶対の世界に対峙する
 安岡先生が私に気づかせてくださったものに、「独を抱く」ことの大切さがある。『照心語録』(関西師友協会)にこう書いておられた。
 「人間にとって『独を抱く』ことは非常に大切だ。独とは単なるひとりではなく、相対に対する絶対の境涯を示す。つまり、群集に伍し、大衆に混じることなく、自己に徹するということだ。人は自己の絶対に徹して、はじめてあらゆる相対に応じることができる」
安岡先生の勧めに従って、私は一日の執筆が終わると書斎の灯りを消し、月明かりや星明かりを招き入れ、そのもとで独り坐る。静寂なひと時が流れ、いつしか悠久なる世界、絶対の世界に対峙する。
 すると、世俗の世界にあったときの心の乱れが消えてゆき、絶対の自分が現れてくる。そして今生の人生でこれだけのことは成就しておきたいという心願が固まっていく。そこには揺るぎがない。自分の弱さや他者に妥協しない。孔子がそうであったように、「一以って是を貫く」信念ができてくる。
 その姿ははた目には頑固に見えるかもしれないが、本人はいたって自由で、融通無碍である。明鏡止水の境地だ。だから私は安岡先生に感謝せずにはおれない。安岡先生は私の心の眼を開いてくれたのだ。
 今回ホノルル財団が安岡先生の著書の初めての英訳本を刊行した。これが嚆矢となって、以後続々と英訳本が出され、多くの方々がその恩恵に浴するだろうと思うと感謝でならない。

 【(仮)『アメイジング・グレイス物語』の取材進捗状況】

 その一方で私は名曲『アメイジング・グレイス』の誕生に関する資料を読んでいます。
 18世紀中葉、奴隷船の船長として、イギリス―西アフリカ―アメリカの三角貿易に従事していたジョン・ニュートンが下船後、悔い改めて牧師になり、あの名讃美歌『アメイジング・グレイス』を書いたわけですが、それを小説化しようとしています。
 またこの歌の誕生秘話だけでなく、ジュディ・コリンズ、ジョーン・バエズ、マリオン・ウイリアムズなどによって、アメリカでもヒットして全米に広がっていき、ついには第2の国歌とまでなったことも書き加えたいと思っています。
 ニュートン牧師があの讃美歌を書いた中部イギリスのオルニーの町にあるセント・ピーター・アンド・セント・ポール教会の近くには、クーパー・ニュートン博物館があり、いろいろな資料が集められているようです。
 そこで11月6日から14日まで、オルニーや、ニュートンに関連する場所であるリバプール(奴隷貿易の船が出港した港があり、船長を辞めたあと、税関職員として滞在していた町)、ケント州メイドストーン近郊(幼児期に過ごした町)など訪ねる予定です。
 それに奴隷貿易や黒人差別の実際を調べてみて、知れば知るほど唖然とし、あらためてあの曲が生まれた背景が鮮明になってきました。人間が正常な状態に到るまでには、おぞましい歴史があったんですね。
 奴隷貿易の拠点となっていた西アフリカのガンビア、セネガル、シェラレオネにも取材に行こうと思っています。ガンビアの奴隷島ジャンジャンブレ島は首都のバンジュールからガンビア川を一日さかのぼったところにある中州ですが、奴隷が閉じ込められていた部屋には鎖や足枷(あしかせ)などが残されているそうで、ぜひ取材に行こうと思っています。
 でも、一人で歩き回ったら必ず強盗に遭い、金品を奪われ、丸裸にされてしまうそうです。現地の実情を知っている人は必ず止めます。でもどうしても行きたいので、伝手を探していたら、ようやく見つかりました。彼を頼って来年の雨季が明けるのを待って、11月頃行こうと計画しています。脱稿できるのは再来年の春か夏ごろになるでしょう。
 幸いなことにPHP研究所が出版を引き受けてくださいました。これもまた私の記念碑的な作品になるだろうと思っています。どうぞご期待ください。


【FMラジオに出演しました】

  http://blog.livedoor.jp/narumi_healing

【お奨め】

京都・太秦の広隆寺にある弥勒菩薩はお勧めです。
心が癒されます。詳細は拙著『安岡正篤「珠玉の言葉」』(講談社+α新書)をお読みください。



【鈴木さんの無農薬コーヒーが評判に】

 ブラジルで頑固一徹に無農薬コーヒーを作っている鈴木功さんのコーヒーが評判を呼んでいます。コーヒー愛飲の方、どうぞお試しになってください。


【ブラジルで有機珈琲を生産している鈴木さんからメールがありました】

Sent: Tuesday, February 09, 2010 4:54 AM
Subject: お陰様で私たちの珈琲「極」好評です

神渡良平様

お元気でご活躍のことと思います。実はうれしいニュースが一つありメールしました。

先日、私の珈琲を日本で売り始めた秋本さんより電話がありました。秋本さんは2月2日~5日に東京ビッグサイトで開催された2010春グルメ、ダイニングショーに私の珈琲を宣伝するため、チラシやポスターを作り出展されましたが、その結果が思った以上の大好評、大成功だったと電話してくださいました。

試飲に供した珈琲は5000杯、名刺交換250枚、2人の応接嬢を雇い接客してもらったが、応対にてんてこ舞いだったようです。一度飲んだ人が他の人を連れてきてまた飲みに来たり、何度も飲みに来る人も多かったということでした。

飲んでもらった人の評価は概ね「香りが良い」「まろやか」「コクがある」「清々しい」「後味がすっきり」「苦味が少なくブラックに良い」等などとても良いもので、そのグルメショー期間は展示だけで本当は販売できない規則だったのですが、試飲した人々よりぜひとも売ってほしいと言われ2日目からこっそりと売り始めたということです。喫茶店や小さな焙煎をされている方々からも使ってみたいといった評価も数件あり、今後注文がどんどん増えそうなので、持っているストックがいつまで持つか分からない等と興奮気味に語っておられました。

私たちもとても嬉しく、妻と今後もよりおいしい珈琲をしっかりと作っていこうと二人で喜びをかみしめました。

グルメショーの様子をブログに出すということですのでぜひともアクセスして私たちの喜びを分かち合っていただければうれしく思います。ブログは http://d.hatena.ne.jp/ryoen001/ です。

有難うございました。
鈴木


【サイババのアシュラムに行ってきました】

1月31日から2月5日まで、南インドプッタパルティにあるサイババのアシュラムに行ってきました。もう85歳という高齢のため、車イスになっておられました。しかし、静寂に満ちたアシュラムは維持され、瞑想をするために欧米からもたくさんの人が来られていました。宇宙の絶対者と一体となる時間を持つ――忙しすぎる私たちの時間に時にストップをかけることもいいことかもしれませんね。



みんなに祝福を送るサイババ 





アシュラム全体を見渡す


静寂が満ちたアシュラムの居住区


プッタパルティの町の中

【ポスターのご案内】
平成12年の武蔵嵐山志帥塾のお土産は、
ニューヨーク州立大学病院の壁に書き残されたある患者さんの詩でした。
(サイズ 横70cm×縦34cm)
賞状入れの紙筒に入れて送りますので、代金は送料別で1,000円です。
ご希望の方はお申し込みください。

※額は含みません


リンク集




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