DU9RG/ロビン

 

 

向かって左がロビンで右が私です。若かった。

 

DU9RGはフィリピンのハム

中国系で名前は Robin U Go 呉さんと書くんだろう

僕らはロビンと呼んでる

初めてあったのは無線通信でだった

彼の出資するテレビ放送局の機材が故障して

僕が部品を揃えて緊急手当てをして上げたっけ

付き合いは長いなあ足掛け30年にもなる

彼の本拠地は南のミンダナオ島コタバト市

僕も会いに行ったその時の話も面白い

マニラからセブで飛行機を乗り換えて

コタバトへ向かう途中

僕は何気なく窓へ目をやった

どういう訳だろう

プロペラの回転が落ちて・・・・

止まっちゃった!

グーンと傾く飛行機

騒ぐ乗客

スチュワーデスが出てきてアナウンスした

Don't panic ! It's gonna be alright.

(パニックしないで下さい。大丈夫ですから)

そういう彼女も額にびっしょり汗・・

他の乗客にはお祈りを始めるものもいた

泣いているのもいた

 

 

日本人は勿論僕だけ

人間こうやって死ぬものなのかと思った

でも飛行機はよろよろしながら出発地のセブに戻った

滑走路には消防車がスタンバイしてた

ほとんどの現地の人が帰ったあと

フィリピン航空と交渉した

どうしてもコタバトへ行きたいと

飛ばしてくれることになった

なんと同じ飛行機!!

燃料切れだったらしいナンジャーこりゃ

メーターは満タンだった

飛行中に突然カクンと針がゼロになった

危ない危ない!怒るよもう!!

一日一便しかない飛行機は何時間も遅れて到着した

暗くなった空港でロビンは待っててくれた

I knew you had a trouble.How was the flight?

(トラブルあったようだね。フライトはどうだった?)

尋ねるロビンに強がって答えた

It was an interesting flight...Very interesting.

(面白いフライトだったよ、とてもね)

 

 

写真は歓迎の幕。ロビンのアレンジ。

 

ロビンの家に近いホテルに泊った

反政府ゲリラがドンパチやってるので危ない

マニラでも知人達は僕を制止したけど

ロビンに会いたくて来ちゃった

その夜は銃声を聞きながら寝た

ロビンは僕のためにいろんな準備をしてくれた

日本人は珍しい

ホテルでは第二次世界大戦後この地へきた日本人は

あなたで二人目だって

ミス・コタバトに会わせてくれたし

TV放送のインタビューに出演した

「友達に会いに来た」

僕はインタビューに答えた

 

 

向かって左はTV局員、中央は私、右側ロビン

 

ロビンの家は大きかった、大金持ちなんだね

大変なご馳走で迎えてくれた

豚の丸焼きや臭いドリアンには閉口したけどね

無線設備もすごかった

彼の監督下でオペレートした

世界中のハムから呼ばれた

 

 

ロビンの無線設備をつかわせてもらった。

 

ロビンの家族も日本に遊びに来た

東京ディズニーランドのできた年

ロビンは奥さんのクリスティンと

長女のシャロンを連れて来た

 

 

ロビンの家族今は子供達もおおきくなった

 

僕の家族と一緒に東京のホテルに宿泊し

ディズニーランドで遊んだ

別れの日、仲良くなった両方の奥さんがたが泣いた

別れが辛かったらしい

一昨年前、フィリピンに家族旅行をした

クリスティンと子供たちはマニラに住んでいる

学校教育に力をいれるためだ

ロビンもコトバトから上京してきて

何年ぶりかの再会

子供たちは大きくなった

僕もロビンもクリスティンも

髪に白いものが混ざり始めた

We get old.

(私たち年とったわね)

早朝一番の便で日本に帰った

暗いうちからお土産をいっぱい準備してくれ

車で送ってくれた

フィリピンは近いといっても日本じゃない

そうしょっちゅう会えないんだよね

空港では・・別れの握手の手が

なかなか離れない・・もう

みんな泣きべそめ!!

・・

無線だけの付き合いではありません

いい友達はいっぱいいます

・・詳しい話は電波実験社「モービルハム誌」の

バックナンバーに掲載されています。