11月のモスクワは寒かった。

僕が旧ソ連をはじめて訪ねたのは

国営テレビ放送局で技術セミナーをやった時のこと。

アメリカ出張の直後に出張命令が出ていた。

西側から東側への極端を移動することになった。

明るく華やかなUSAの後のUSSRだから

いろんな意味で相当な落差を感じた。

 

空港の室内の照明は電気の節約だろう

半分しか点いていなかった。

宿泊したのは一番と言われる国際ホテルだったが

とても質素だった。

こんな国が宇宙に有人宇宙船を出したり、

高価なミサイルを山ほど持ってる。

複雑な気持ちだった。

 

でも楽しみはあった。

国営放送局にはUA3DR・HAMのレオがいる。

フルネームはレオニード・シャラポフだ。

1ヶ月前に手紙を書いておいたが届いたかな。

彼は技術者らしい。まだ交信したことはない。

会社のソ連担当者から日本のハムにと

UA3DRのQSLカードが届いていたのに応えたのだ。

 

 

 

 

放送局でセミナーの準備中、

Where is Mr.Inoue?

(井上さんはどこ?)

分厚いコートで部屋に飛びこんできた紳士。

レオだった。

Happy to meet you Leo !

(あえてうれしいよ)

Mr.Inoue sounds too formal. Call me Hack.

(井上さんじゃ堅苦しいよ。ハックと呼んでよ)

レオの英語はロシア人にしては上手かった。

コートに輝くバッヂはモスクワオリンピックの時、

市民英語通訳を務めた記念という。

 

なかなか一般人の日本のハムと会うことはない。

KGB・カーゲーベーの職員がそこここにいた。

日本も西側だからあまり親しそうにできない。

レオへの手紙は所轄の役所で開封され、

中味をチェックされて受け取ったのはなんと、

昨日のことだと・・1ヶ月も・・・

レオはすっかり興奮していた。

たったままで仕事も忘れそうになるほど話した。

 

彼は毎日セミナーに出席してくれた。

やはりHAM。技術の質問が鋭い。

仕事が終るとHAMの話をした。

当時ソ連のHAMは殆ど自作の無線機で出ていた。

お金もなく、部品も不足する中、苦労だったろうね。

アンテナだって日本やアメリカのように

立派なものは作れない。

部品は航空会社アエロフロートの航空機搭載の機材の

定期交換時期になると分けてもらったり

アルミパイプは統制が厳しく買えないから

電線と細い木の枝を使ってアンテナを建てる。

感動ものだ。これが本当のアマチュア無線家だ!

ホテルで毎食出される、ボルシチとキャビアにうんざり。

そろそろどっか行きたい。

申し入れをすると、バレエ団、サーカス、市内遊覧が

準備された。モスクワの外には出れない。

別にビザの申請が要る。

どこへいっても人相の悪いKGBが引率する。

写真撮影も全て許可を必要とする。

 

日本に生まれてよかった。

外国にいくと「自由」のありがたみが分かるよ。

レオに尋ねた。

Can I visit your HAM station ?

(君たちの無線局を訪問できるかしら?)

レオはいかにも申し訳なさそうに答えた。

I do not think so. They do not permit...

(だめだろうね。お上が許さない)

無線家なんて一番にスパイ容疑のかかる趣味。

あきらめた。迷惑はかけられない。

 

翌日、レオは無線雑誌を山ほど抱えてきた。

僕にくれるという。貴重な資料だ。ロシア語!

でも図面と写真なら共通語だ。

宇宙開発の記事が多かった。

注意事項:アメリカ関係者には見せるな!!

またかよ。HAMは全世界、友達なのに。

実際彼らは交信している。

ホテル内でもアメックスが使えるのに!!

何なんだよ。

 

帰国の前日、レオがホテルに来た。

入り口で厳しく調べられたらしい。

西側の人間にコンタクトしようとする不審なやつ。

そうとられたようだ。

手にはお土産がいっぱい!

サビシイ国だが個人の付き合いは素晴らしい。

教えてもらったよ。ロシア語。

ボリショーイェ・スパシーバ

(大変ありがとう)

ダスヴィダーニァ

(さようなら)

帰国後、もちろん日本との間で交信は成立した。

ソ連邦が崩壊する時の内紛はすざまじかった。

テレビでニュースが悲惨を放映する。

国営放送局が占拠された。

レオと僕が語りあった場所が目の前で爆破される。

彼は巻き込まれなかったか・・・

心が・・・痛みます。

・・

「モービルハム誌」に詳しく掲載されました。