磯 達雄 Tatsuo Iso  建築ジャーナリスト


スーパースタジオとはどんなグループだったのか。僕が大学で建築を勉強したのは1980年代。だから同時代的にはまったくわからない。だから僕の愛するポピュラー音楽、特にロックの分野で考えてみよう。
実はスーパースタジオが活躍した60年代末から70年代初めにかけて、特にプログレッシブ・ロックの分野ではイタリアは素晴らしいバンドをいくつも輩出した。イエスやELPといった先行する英国ロックのスーパーバンドを意識しての活動だったが、なかには地中海音楽のフレイバーを加えてオリジナリティを発揮したバンドも存在した。その意味で、英国のアーキグラムを横目で見ながら、イタリア合理主義の建築的伝統にも則って活動したスーパースタジオに、当時のイタリアを代表するプログレッシブ・バンドであるPFMやアレアのイメージを当てはめるのも、まんざら的はずれではない気がする。ともに(僕も含めて)世界中にファンがいるという意味でも。

さて、僕にとって一番好きなスーパースタジオの作品といえば、やはり『コンティニュアス・モニュメント』である。森林、荒野、湖畔、歴史都市、摩天楼……。いずれも周辺の環境との何らの相互作用を起こすことなく、ただひたすらに連続していく構築物。その情景は、地球全体に何かが起こってしまった後、というイメージすらかき立てる。『クリスマスのための12の訓話』や『12の理想都市』もそうだが、彼らのプロジェクトは、建築や都市のデザインという範疇を軽く飛び超え、ある種の未来史として迫ってくる。

『コンティニュアス・モニュメント』を知ったときのことをおぼろげながら思い出すと、実は初めて見た感じがしなかった。それはおそらく、木村恒久のフォトコラージュを既に見ていたからだろう。木村の作品はマンハッタンの風景と巨大な瀑布を重ね合わせたモンタージュ写真などで知られている。僕が高校生だった70年代末、こういうのが「パロディ」として流行っていたのだ。西武百貨店の文化活動が華やかなりしころで、その流れのなかでパロディ雑誌『ビックリハウス』や日本パロディ展(JPC展)が盛り上がっていた。今にして思うと、そうしたネタもとのひとつがスーパースタジオだったのだろう。が、同時に言えるのは、世界の見方を一挙にひっくり返すような一枚のコラージュのパワーが、多くの人に共有されていた時代だったのだな、ということ。

彼らのラディカル・アーキテクチュアがひっくり返す相手が(これは木村らにも共通しているのだが)、個人でも企業でも国家でもなく、人類の文明そのものだったことも強調しておきたい。そういうでっかいものを相手に、当時の建築家やデザイナーは闘っていたのである。今、そんなだいそれたことを目論んでいる表現者が、果たしてどれだけいるか、なんて、考えてみたりする。