●医学ジャーナリスト協会メーリングリストより

混合診療の危険
医療制度研究会・済生会宇都宮病院院長 中澤 堅次

  新聞紙面の扱いは小さかったのですが、小泉首相が混合診療の完全導入の意思を表明したのにはビックリしました。規制の強い医療を一般に開放し、市場原理を導入すること、具体的には国民や企業や国が支払う保険医療に自由診療を上乗せするという議論で、多くのメディアも、おそらく当の小泉首相もこの政策の矛盾にきづいていません。
  医療は病人を弱者ととらえた社会保障です。弱者の救済には富の注入を必要とし見返りはありません。自由診療が基本のアメリカは、経済弱者救済のメディケイド、高齢者救済のメディケアに巨額な国庫資金を投入しています。この額は日本の国民医療費総額に匹敵し、自由診療のもとではじかれてしまう経済弱者を国が救済している形です。一方、日本の医療費は低く抑えられています。理由は公定価格による規制、さらに疾病ごとの包括払いを基本とするDPCなどで厳しい抑制をかけているからです。しかも国はその費用の3分の一しか負担していません。官僚統制が受診者の満足度を犠牲にしている難点はありますが、医療費用の観点から見ればこれまでは有効に働いているとみることができます。
  高齢化により救済すべき人口が増加しているので、それにみあった支出の増加は必須ですが、それを国庫の財政難が阻んでいます。高齢者や病気の人は自分で富を生み出す事はできません。この危機を回避するために、人は元気なときから保険やお金を蓄めて備えるのが普通です。国民が若く富の蓄積が可能であった時代に、こうなる事を予想して国も蓄財を行うべきでした。しかしそれに気付く人は無く、道路や土木建設に意味の無い投資をして失ってしまったように感じます。そうはいっても最小の費用でできるだけの効果を狙うのは正しい方向性と思います。
  たとえ話で恐縮ですが、冬まじかの野原にあるアリの巣のなかで、年をとり傷ついたアリたちの面倒を見ようと、介護アリが血眼になってはたらいています。食料がなくなってお腹を空かせたキリギリスの集団がアリの巣にやってきて、年老いた人にもっと良いサービスをするから手伝わせろといっています。財政難のなか介護アリの給料を抑えて働かせたい厚労省は、キリギリスの集団にまわす金は無いとおことわり。巣の中で介護アリを統括する医師会は自分の取り分が減ると思っているので同じように反対しています。冬の野原でえさが少なくなっても元気に働いているアリさん達は、サービスの悪い介護アリの元締めは大嫌いで、夏の間楽しませてくれたキリギリスに夢を託していますが、これ以上の参加費を支払う気持はありません。さて、傷ついた年寄りアリであふれかえる巣の中に、大量消費型のキリギリスを入れてサービスを向上し、その費用をお年よりと、働く家族が負担できるでしょうかというのが混合診療のパズルです。
  医療が発達していなかった昔、お年よりが死を迎えるまでの支えは家庭がしていました。家庭が崩壊した今、必要最低限のサービスは、国が社会保障として提供するべきです。過剰なサービスは廃すべきですが、必要な資金は投入するべきです。今となってはなけなしの財源を投入するのですから、お年寄りの救済とは何かを、自然死も視野に入れて日本中が議論するべきです。死にいたるすべての分野に関わっている医療がまず変わることが大切で、必要な医療はなにか、無駄な医療は何か、どうやってサービスを確保するか、利害を超えて議論し制度化することが改革だと思います。国庫の財源を投入するのですから、監視のために規制はむしろ強化されるべきで、現在厚生労働省の施策はその線にそって行われており、DPCの導入などで効果はさらに確かなものになりつつあります。残された問題は救済の内容と、財源の規模の議論になっていくでしょう。
  混合診療は規制を緩和する方向性なので、社会保障制度としては異質なもの、医療を消費産業とみなした利潤追求が目的で、現代医療の焦点、高齢者医療の本質を考えたものではありません。老いと死は避けうるものでないことは、お釈迦さまも指摘した永遠の真理です。投入される延命技術はほとんどが成果をみないまま、死の瞬間に全てが無に帰するという真理の下に行われています。見果てぬ夢を追った過剰投資の付けは、また新たな不良債権になって人に帰ってくるでしょう。
  外国で効果が確認され日本では認可されない夢の薬は、メディアが混合診療に期待するものですが、この手の薬を使って一時的に癌が消えても、数ヵ月後には再び例外なく進行し、永遠の命をもたらすものではありません。高齢者の場合自然死と化学療法の効果の差は明確に区別をつけがたいというのが常識です。高齢者医療の本質を議論すれば混合診療の全面解禁がいかにいかがわしいか良くわかります。医療技術は自然死をも克服する、生命は地球より重い、国も個人も、無関係ではいられない家族も、これに全てをかけるべきだという現代人のセンチメンタリズムがまた大きな無駄を作らなければ良いと思います。
  医師会が国民の支持を失っている中で進行する議論は一方的なものになり、高齢者救済、社会の責任、少ない財源、死を持ってすべてが無に帰するという真理など、正面きった議論が金儲けに吹き飛んでしまうことに気が気ではありません。ジャーナリストの皆さまにお願いします。厚労省は首相の意見を反映しなければならず、厚生大臣も「導入に条件をつけなければ医療制度は崩壊する」とトーンが下がった発言をしています。崩壊する危険を認識しているなら、首をかけても阻止する気概を時代は要求しています。医師会の調査は、混合診療を望む国民はわずかに18%であることを示しています。病人対象の調査であればもっと少なくなるでしょう。保険制度は弱者のための保障、合併問題でゆれる宮内オリックス会長(規制改革・民間開放推進会議議長)が望む企業の利益とはまったく相反するものです。
  「死を迎える国民を少ない投資で人道的に支える」という大儀が高齢化日本にもとめられ、それを示すのは政治です。いろいろ批判はありますが、大儀を現実に移すのは医療者です。国民が大儀に基づいたモラルを問い続けることで医療者は変わるでしょう。利益を生むために、自由な発想と変わり身の早さを要求される企業に、大儀とモラルを問うことの難しさはこの比ではありません。

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