Ichishuのさだ作品批評シリーズ(第5弾)

 

夕凪(ゆうなぎ) 〜アルバム「帰去来」より〜

 

 

歌詞参照 

 

(文中では、さだまさし氏の敬称を略させていただいています)

 

この曲はさだまさしの名曲。しかも数ある名曲の中でも私の選ぶ好きな曲堂々No.1だ。
 
何をもって一番好きなのかというと、純粋に聞いていて気持ちがいい。その理由は、さだの澄んだ優しい声と、
爽やかで涼しげで清々しいスローテンポなメロディー。そして、曲の最後の異常な盛り上がり。女性のバック
コーラスの入った最後のヤマ。中盤までのスローテンポな静寂を破ってじわじわと高みに上っていく昂揚
感。アウトロ(後奏)では松原正樹氏のギターが美しいメロディーラインから徐々に盛り上がり、唸りを
上げ、ついに爆発。静かに始まり最高潮に盛り上がって終わるという、ドラマティックで、大音響で聞
いたときの爽快感は、例えば、常夏のビーチで寝転がりながら、冷えた生ビールをぐびっとやるあの感
じにさえ似ている。
 

僕は松原正樹氏のエレキギターが好きだ。というか、彼自身の曲というよりも、さだまさしの楽曲の中のソロ

演奏が好きなのだ。この夕凪の他にも、「博物館」「空蝉」「飛梅」「黄昏まで」など、さだまさし初期の多くの

曲を担当している。しかも、「空蝉」にいたっては、約6分の曲の最後の約2分、実に約3分の1が松原正樹

のアウトロ(後奏)で盛り上げるという構成になっている。

 
歌詞を見ると、決して幸せな歌ではない。しかし歌われている歌詞のフレーズがよい。「海猫たち さあもう
お帰り」「大きな貝ガラ白い耳にあてて」「僕も砂を払おう」。静かな穏やかな優しい「海」を思い出す。
「夕凪」は僕が中2だった1976年に発売された、さだまさしソロ第1弾のアルバムに収められている。ちな
みに、当時僕はタイトルの「夕凪」の「凪」を「凧」と間違い「ゆうだこ」と読んで笑われた苦い記憶がある。
 
夕凪とは、中学校の理科で習うが、海と陸の比熱の違いにより昼と夜とで風向きが変るが、海風から陸風に替
わるときにピタリと風が止まる無風状態を言う。昼間は陸地が太陽の熱によって暖められ上昇気流が起こる。
そうすると気圧が薄くなった地表に向かって、海から空気が流れ込む。これが海風。そして太陽が傾いてきた夕
方以降は、今度は海に比べて陸地が冷える(海水の方が土よりも比熱が高いため、海が冷えにくい)ため陸風
となる。その切り替わりの一瞬風が止む。だから凪という漢字は風が止まると書く。
 
さて歌詞を見ていこう。
 
ある夏の夕方。静かな浜辺で、主人公の「僕」が、別れた恋人との想い出を回想している。
昨年の夏、彼女は僕に「ずっとそばにいてね」と言う。彼女には確かに僕が必要だった。彼女は無邪気に大き
な貝殻を耳に当てて海の音を聞く。そして「来年の夏にも二人一緒にいられますように」と願いをこめて未来を
占った。海からの涼やかな風に髪をなびかせながら。それは二人にとってとても幸せな時間であった。
ところがある日、そんな幸せの風がピタリと止まる。
「僕に見えないものが見えたね」この解釈は難しい。
多分このようなことだと考える。「僕」は今でも彼女への思いは変らない。しかし、彼女は去っていった。つま
り、僕は変わっていないが彼女は変った、僕には見えないもの(心変わりをさせたもの)が、君には見えたとい
うことだろう。
 
ひとつの恋の終焉を、風が止まる状態である「夕凪」という言葉に集約し曲のタイトルとしたのであろうが、
の詩の中には、止まるに類似する次のような言葉が使われ、主人公の切なさを増長している。
「風が止まる」「影が消える」「君が黙る」「夕日が沈む」「砂を払う」。
 
この作品は、歌詞を突っついてあれこれ解釈するよりも、曲そのものを楽しみたい傑作である。
                                               以上
 

 

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