Ichishuのさだ作品批評シリーズ(第3弾)

 

歳時記(ダイアリィ) 〜アルバム「夢供養」より〜

 

 

 

歌詞参照 http://www.cai-insect.jp/sada/lyrics.html#dialy

 

(文中では、さだまさし氏の敬称を略させていただいています)

 

この作品は、歌詞は読んでの通りで、解釈の余地は少ないが、茨城県水戸市にお住まいのお父様、T氏の「こむずかしいのはやめてくれよ」というリクエストにお応えして批評を書いてみた。

 

さて、まずは、この曲を聞いた皆さんはどんな印象を持っただろうか。

私が最初にこの曲を聞いたのは確か高2の冬であったが作品全体がパステルカラーに彩られている感じがしたことを今でも覚えている。というか、今でもその時の印象は変わっていない。そんな風に思ったのは私だけであろうか。物語の最後は少し切ない気もするのだが、それでも全体的にホンワカした暖かいイメージが残るのはなぜか?曲調のせいか、あるいはかわいらしい主人公のせいだろうか。

この作品の歌詞の中に、しばらく何のことかわからなかった部分があった。そう、「そんなちひろの子供の絵のような君の笑顔がとても好きだった」というところである。皆さんはどう解釈したであろうか。これを聞いたときには、私は何の気もなしに「ちひろ」というのは女の子の名前だと思っていたが、よく歌詞を聴けば、「ちひろ」と言ったすぐ後に「君」が来るのはどうもおかしい。で、当時誰かに聞いてみたところ、「それは多分、画家の『いわさきちひろ』のことだろう」と。そして、その後しばらくして、いわさきちひろの絵をたまたま見る機会があり、ああ、さだまさしの歌に出てきた「ちひろの子供の絵」というのはこのことか、と。そして次の瞬間鳥肌が立つほどの驚きが襲ってきたのだ。なぜなら、私がこの作品(歳時記)に対して最初に抱いていたイメージと、いわさきちひろの絵の雰囲気が驚くほど合致していたからである。逆に言えば、いわさきちひろの絵を見る前から、この曲を聞いていわさきちひろの絵をイメージしていたということになり、そんなことが果たしてあるのだろうかという驚きであった。

 

ところで、この二人は、もともと両思いだったわけだが、彼女の「卒業したら故郷へ帰らなければならない」という事情(多分これは彼女自身の希望ではなく彼女の両親が許さなかったのだろうが)で、離れ離れになることが決定していた。だからこそ彼女は、卒業までにこの二人の愛を何か形に残るものにと二人で日記を始めたのである。

しかし、二人が本当に愛し合っているならば、卒業したら故郷に帰るのではなく親の反対を押し切ってでも結婚する、あるいは駆け落ちするというような、別の選択もできたはずだ。ところがそうはしなかった。それはなぜか。彼女は、彼と離れ離れになることは身を引き裂かれるほどに辛いと思った。しかしあんな性格だから、親を裏切るなんてできない。とりあえず一度故郷へ帰って、何年後かにきっと彼と結婚しようと思って別れていったに違いない。で、彼の方はというと、もちろん当時から彼女を好きであったが、別れてからもその気持ちは変わっていない。というよりもむしろどんどん想いが募っていったのではないだろうか。

ところが、彼女の彼への想いは少しずつ薄れていく。というよりも寂しさに耐えかねて、ついにそばにいた人を結婚相手に選んでしまったのである。彼は大いなるショックを受けた。そして彼は「つまりそれが2年の月日」と自分自身を納得させるのである。

さて、彼の彼女に対する想いは日々募り、彼女の彼に対する想いは日々疎んじていくという結論であるが、その理由の一つに、別れた後、二人の思い出の歳時記を彼が持っていたということも考えられる。しかし、最大の要因を、男と女の構造的な問題としてさだまさしは捉えているのだ。それは「まほろば」の歌詞の中にも出てくるが、「遠い明日しか見えない僕と、足元のぬかるみを気に病む君と」である。別に女性蔑視をしているわけではなく、また「それは全く逆だ」という例外もあるだろうが、神が授けたもうた典型的な男女の構造的差異。それ以上の説明は要らぬだろう。

 

 一つだけ残念なことがある。それは、この作品にはかなりの誇張表現というか非現実的な表現があり、その部分があることによって曲全体から現実感が損なわれ、あくまでフィクションとしてしか聴けなくなってしまうことである。

 まず一つ目には、かすみ草も知らない女の子がいるのかということ。しかも少なくともこの子は大学生あるいは短大生であり、将来先生になる人だ。かすみ草を知らない先生がいたら気持ち悪くてしかたない。そして二つ目、「水を過ごして枯らしそうになって、眠らず一人看病してたよね、花の名前呼び乍ら、無事だった朝涙ぐんで・・・」いくらフィクションとはいえあまりにも非現実的な表現だ。この部分には私の知人の中には嫌悪感すら抱く人もいた。しかしまあ、残念ではあるが、それだけ一途で素直で優しくて、でもちょっと天然で。。。そう、それこそ多くの男性諸氏が好む典型的な女の子のタイプをよく表現しているとも言えるので、目をつぶることにしよう。ちなみに私は、かすみ草も知らない女の子は敬遠するだろうが。。。

 

ところで、この曲のベストオブフレーズ、というか、数あるさだまさしの作品の中でもかなり上位にランクインされるであろう表現がこの作品の中にある。それは

すてきな水色に君は笑った」である。

もちろん顔が水色だったわけではない。水色はいわさきちひろの絵のイメージカラーなのだ(と勝手に決めたが確かにいわさきちひろの作品には水色がポイントとなっているものが多いようだ)。なんと爽やかで、よどみなく、限りなく透明なイメージなのだろうか。もちろん、うれし涙の色でもあるのだろうが。「水色に笑う」という発想に感動。

 

さて、さだまさしは、なぜ日記とせずに歳時記というタイトルとしたか。その理由は2つある。1つは、この日記が永遠に続くものではなく、たった1年のものであり、二人の想いを四季折々の表情に乗せて表現したものだったから。きっと書き始めた頃は日記と呼んでいたものが、別れた後、彼が歳時記と呼び直したのであろう。2つ目の理由は、その方が単純にカッコいいからである。歳時記と書いてダイアリーと読むのも語呂のよさとかっこよさである。ちなみに同じアルバムに収録されている、療養所(サナトリウム)も然りである。この頃から漢字のタイトルに横文字読みというのが、さだまさしの中で流行りだしたと思う、ちなみに思いつくだけでも、「立ち止まった素描画(デッサン)」「交響曲(シンフォニー)」「距離(デイスタンス)」「聖野菜祭(セントベジタブルディ)」「小夜曲(セレナーデ)」「極光(オーロラ)」「記念樹(メモリアル・トゥリー)」などがある。

 

PS.「いわさきちひろ」は子どもを生涯のテーマとして描き続けた画家でした

http://www.chihiro.jp/top.html

 

以上

 

   第1弾 春告鳥へ    第2弾 空蝉へ    第4弾 まほろばへ    第5弾 夕凪へ   第6弾 晩鐘へ   第7弾 ひき潮へ  

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