この顔に、ピンと来たら「時間衝突」!!  
 
 
奇想SFの大家として知られるバリントン・J・ベイリーの作品は、驚くほどの生理的エグさを 
散りばめながら実に見事なパフォーマンスを展開し、業界を震撼させた。 
尋常でないセンスと知性を発露させまくりながら 「お話」 的まとまりを無視してまでも 
センス・オブ・ワンダーを追究する姿勢は、正しく巨匠時代以降絶えて久しかったものである。 
おそらく20世紀の作家では最後だろう。私はこの孤高の輝きが好きでたまらない。 

ベイリーの作品が放つ豊かさを表現するのは難しい。 
それはなにやらむやみな壮麗さに集約されるもののようにも見える。 
苦闘の求道者P・K・ディックの会心作を音楽にたとえるならチェリビダッケ渾身の 
指揮のブルックナーみたいなものだろうが、それに対し、ベイリーはさしずめカラヤンが指揮する 
サン・サーンスのオルガン交響曲の趣きである。あの輝かしい音の奔流と同様、ベイリーの作品も 
非常に視覚的かつ幾何的な光彩に満ちている。 
彼が奇想世界を構築する手際はまさに手品であり、まやかしが前提となっているのは判っていながらも 
酔いしれずにはいられない。 これはサイバーパンクのような 「形式」 の追究からは為し得ないもので、 
まったく見事なアマデウスぶりといえよう。 

またベイリーの世界で際立つのは、隅々のちょっとしたところまで行きわたった意図的な悪趣味さである。 
これが最も満開になった例は長編 「禅銃」 だろうが、クサヤの干物級の強烈感で読者を選ぶことは 
間違いない。さすが大英帝国人の面目躍如といったところだ。 

私が最も好きなベイリー作品は長編 「時間衝突」 である。古代文明の遺跡が時間経過と共になぜか 
勝手に復元していき、そしてその先には....という話。 
ここには 「禅銃」 でのような思いっきりな下品さはないものの、例えば主人公の属する社会が「タイタン」と 
名前こそ変えてあるもののあからさまに第三帝国にしか見えないとか、それと対決するイタチみたいな 
ヒューマノイドの文明が帝国以上に頑固だとか、時間を達観しきった中国人の時空コロニーが 
悟りの境地でそこに調停を仕掛けてくるとか、異様さに満ちた見どころはつきない。 
ラスト近く、中国の技術でコンタクトに成功する超知性体が提示してきた強引な解決策によって話は一応 
収まるが、それで根本的にハッピーでもない後味の渋さも英国ライクで非常に絶品。 

「時間衝突」 に出てくる第三帝国は、ブルルンという名の将校が出てきたりして一見ふざけてるように 
見えかねない。が、明らかにSS特別行動隊と思われる一団が 「決して楽しんでいる風ではなく」 
ミュータント種族を処分してゆくさまや、義務感とか生産効率への執着など、見事に内面の本質を突いた 
極上なものとなっている。これはF1王者ミハエル・シューマッハがいくらフェラーリ情熱の 
レーシングスーツを身にまとったところで帝国な正体がバレバレなのと似ていて大変興味深い。 
表層的な考証ばかりに気をとられるアメリカ流とは実に対照的といえよう。 
で、そういう本作の強烈キャラクター中でもひときわ帝国っぷりのはなはだしさで魅せてくれるのが 
「惑星指導者」 リムニッヒ閣下である。物腰その他あまりにも帝国精神を極めた描写がすばらしく、 
読んで即ビジュアルイメージに昇華できるのは間違いない。作中の設定とは食い違うのだが、 
ズバリ上掲した写真な顔であることは確実。自我が膨張した 「眼からビーム」 な表情がたまらない。 
嗚呼、これぞ剛速球な本質というもの。ジョン・ウィンダムの名作  「光る眼」 もこういう背景から 
生まれたのである。 

ベイリーは本作のあと 「永劫回帰」 を書いているが、これは奇想とはいってもやや普通のお話めいてて、 
個人的にはいまいち燃えなかった。真に言いたいことは既に吐き出し尽くしていたということかもしれない。 
これは、例えばディックが偏執狂的に認識論的テーマを深化させ、フーガ形式のように様々な形で 
展開させることをライフワークにしたのとは対照的である。 
おそらくベイリーは純粋に才能と思いつきの人であり、執念の人ではないのだろう。 

また時代に刺激されるかなんかで、無造作に人類文化の本質のツボを突きまくるような 
怪作を書いてほしいものである。ああ大英帝国よ永遠なれ。 
 

 
 .....以下続刊であります。