私は文学部社会学専修に所属してて、「ナチズムと大衆社会」という卒論で卒業したのである。
でもって元来が社会心理学の人なので、思考の核となるのはフロイト系のE・フロムや
T・W・アドルノあたりの論であった。で、論文としての主張の根本は
「ナチ体制下のドイツ人は、主観的には『鉄血体制に束縛』されているようには感じてなかった」
ということをあぶり出し、戦後「あの時代、逆らったら殺されたのだ。だからいやいや従ってたんだ」
と言い張る一般ドイツ社会の偽善性を暴くことにあった。
 
しかしそういう心理学者の説は、けっこういいとこ突いていても実は憶測の連鎖だったり臨床実験の範囲に
留まったりして、「心理学業界以外では通用せんわ」なことが多いのがつらい。それを別口の歴史・社会学研究の
成果とリンクさせ、より実証性を増して相乗効果を狙うのがわたしの卒論であった。
 
歴史・社会研究の成果としてはデートレフ・ポイカートによるものが超よかった。例えばユダヤ人迫害の
実相について当時のドイツ一般人がなんぼのことを知っていたか、というのはけっこうタブーというか
グレーゾーンなハナシであるが、ポイカートはこれについてもケーススタディ的な検証を駆使し、
(正確な言い回しは忘れたが)「みんな知っていたがみんな知らなかった」という示唆に満ちた結論を
導き出していた。実にグレート。その辺りがカギというか突破口になって、論のまとまりがいいカンジに
なったように記憶している。
 
一般的な歴史・社会研究資料では、ひたすらナチ首脳部や他政党の動向と一般人の投票行動の
因果関係を追っかけるのが多く、これはつまらなかった。
それでは後知恵的な結果分析はできるにせよ、原因に斬り込むのは不可能である。
 
あと、ファシズム研究の資料を漁っててすげー違和感を覚えたのが、多くの研究者が
イタリアンファシズムとナチズムを、わりと同列に、というかいっしょくたに扱っていたことである。
まあたしかに分類上はそうかもしれないが......それではもっと重要な核心からそれてゆくような気がした。
イタリアンファシズムは(こうも単純化しては怒られるだろうが)カーニバルの一種に近いものではなかっただろうか。
それに比べれば第三帝国ってーのは「完成形は銀河帝国」みたいな。
これを科学的に立証しろというのは困難ではあるのだが。
 
また、F・A・ハイエクやH・アーレントなどが代表的だが、ナチズムとスターリニズムを「全体主義」として
必要以上に同一視する論法にもなじめなかった。これらは冷戦構造下でもてはやされたわけで、
現在の視点からはそういう政治的なバックグラウンドを差し引いて評価されるべきだと思う。
 しかし、えてして研究の本筋と関係ないところに「うおおコレは見どころばい!」
な要素が転がっているものである。しかもシンプルな。ナチにしてもスターリン体制にしても
「本物を極めた顔のやつはやることもスゴイ」の法則とか。
第三帝国ではR・ハイドリヒとかポイント高い。一般にはあまり有名じゃなさそうだけど。
ヨゼフ・ゲッベルスとかって、なんとなればUSA市場とかでも成功しそうに思うのである。
それはちょっと本物度ではマイナス。
やっぱ「ドイツ以外ではつぶしがきかなそう」な味を大切にしなくては。
当然、そんなことまでは書けっこないが.....
 
 
 .....以下続刊であります。