先週末からの寒さが今日も続いている。せっかく開いた桜の花も足踏み状態だ。まだまだ暖房が手放せない。
先週末で仕事がいくつか片付き、今週は仕事的にはほっとできる1週間になりそうだ。こういう週は次いつ訪れるかわからないので、月曜日にはTSUTAYAからビデオを借りてきて、まず1本観た。1959年製作の「氾濫」(増村保造監督、伊藤整原作)である。ちょうど今、伊藤整の本を読んでいるということもあるが、先日TSUTAYAで別のビデオを借りるときにパッケージの解説を読んで気になっていた作品だったからでもある。
化学会社の技術者の真田(佐分利信)は自らの開発した製品が大ヒットした功績で会社の重役に昇進する。それから彼の生活は一変する。彼と彼の妻(沢村貞子)、娘(若尾文子)の周りには様々な人間が甘い汁を求めて近寄ってくる。この映画は、人間の一皮むいた醜い部分を容赦なく暴いている。増村保造の個性とあいまって、見応えのある群像劇になっている。役者陣が素晴らしい。真田家の3人のほかに、中村伸郎、川崎敬三、船越英二、伊藤雄之助、多々良純、叶順子、そして圧倒的な存在感の左幸子。伊藤整の原作もぜひ読んでみたい。
昨日は、先月から読んでいた伊藤整の「イカルス失墜」をやっと読み終えた。作者の初期作品集、短篇集である。北海道の風土が色濃く出た作品が多い。自己のみを恃んで生きていこうとする人物(おそらく作者自身に重なるものと思われる)がどの作品にも登場する。詳しい感想は近日中に読書ノートに書きこみたい。今日からは「森鴎外全集第1巻」(ちくま文庫)を読み始めた。最初に収録されているのは「舞姫」である。
きょうは、池袋の東京芸術劇場でコンサートを鑑賞した。2003東京国際音楽コンクール<指揮>で2位、3位を受賞した指揮者の入賞デビューコンサートである(1位受賞者なし)。オーケストラは東京フィルハーモニー交響楽団。曲目はチャイコフスキーの交響曲第5番とブラームスの交響曲第1番。3ヶ月ぶりのコンサートだったが、いつ聴いても生の演奏会は素晴らしい。今日は心から音楽を愛する人と一緒の鑑賞だったので、何倍も楽しいコンサートとなった。これからも何とか時間を(と、お金も)つくってできるだけコンサートに通いたいものだ。
桜の開花予想どおり、3月18日から東京地方の桜も咲き始めてきた。でも、きょうは一日雨模様となってしまい、気温もずいぶん低かった。駅に貼ってあるポスターに弘前と角館の桜の写真がレイアウトされていた。数年前に、東北桜めぐりツアーで弘前と角館に行ったときのことを思い出した。この年は開花が遅く、私が訪れたときはどちらもまだ固いつぼみで、本当に残念だった。あれから何年が過ぎたのだろうか。年年歳歳桜の花は咲くが、去年までいたあの人は今はどうしているやら(亡くなったという意味ではないが)。人間の世界は変転が絶え間ない。そんなことを感じさせてくれるのも桜の花である。
昨日今日とバッハの管弦楽組曲1番から4番までを聴いた。この中では2番と3番が有名だが、何といっても、第3番の2曲目の「アリア」(G線上のアリア)は心に染み込んでくる名曲だ。いつも聴くたびに自然と涙が出てきてしまう。なぜなのかわからないが…。今年はもしかしたら、バッハに目覚める年になるかもしれない。
今週は、最高気温が25度を超える日があったかと思うと、翌日は10度も気温が下がるといった、気温の変化の激しい1週間だった。桜の開花予想によると、東京地方は18日に開花するとのことなので、あと数日で桜の花が見られそうだ。今年の冬はそれほど寒くなかったが、それでも桜の花が開くのは待ち遠しい。
去年の8月末から半年間にわたった「新書総合目録」の作業が一切終了した。長かった。今回が20年目である。一人でよく続けられたものだ。今回は、Nさんの協力も大きかった。全部一人でやるのはとても無理だったろう。2005年版があるかどうかはわからないが…。
「新書総合目録」が完了した日に、久しぶりで阿佐ヶ谷に足を延ばした。阿佐ヶ谷で飲むのは1カ月ぶりくらいか。○○さんとも久しぶりで会うことができた。人間同士の関係というのは、歳月の経過と共に少しずつ変化していくものだ。いいとか、悪いとかいうことではなく、それが必然なのだろう。ガロの「学生街の喫茶店」ではないが、「時は流れた」ということだ。「万物は流転する」とも言えるかもしれない。
先週録画した「ある愛の詩」をやっと見終わった。1時間40分くらいの映画なのに、15分くらいずつ6、7回に分けて見たので、ちょっと印象が薄くなってしまった。ビデオもできるだけ一気に見たほうがいいようだ。この映画は、アメリカのボストンが舞台になっていて、ニューヨークやロサンゼルスが舞台の映画と違うアメリカを感じることができた。富豪の家の長男・オリバー(ライアン・オニール)と庶民の家庭に育ったジェニファー(アリ・マックグロウ)の出会いと、二人の間にはぐくまれる愛、そしてジェニファーが25歳で病死するまでを描いた映画だった。
オリバーが図書館の受付でジェニファーと会って、勝気な彼女に一目で惹かれていく場面から、どんどん惹きこまれて見た。オリバーの父親役の俳優がどこかで見たことがある人だと思ったら、レイ・ミランドだった。ジェニファーの父親役の俳優が指揮者のカラヤンに似ているなと思った。ジェニファーが音楽学部の学生で、仲間とバッハを演奏するシーンがあった。ブランデンブルグ協奏曲だったろうか。オリバーはアイスホッケー部に入っていて、アイスホッケーの試合の場面が何回か出てきた。現在、フジテレビで放送中のドラマ「プライド」もアイスホッケーが出てくるが、スタッフの中に「ある愛の詩」のファンがいるのかもしれないなと思った。
「ある愛の詩」はファーストシーンとラストシーンが同じシーンになっている。ある場所は、大半の人にとっては特別の意味はない、ただの場所だが、ある人にとっては恋人と一緒に時間を過ごした特別な場所であることがある。私にもそういう場所がいくつかある。
今週はもう1本、「キル・ビル」を観た(ギンレイホールにて)。クエンティン・タランティーノ監督の4本目の映画である。私は第1作の「パルプ・フィクション」以来で彼の映画を見た。結論から言うと、こんなに血まみれの映画とは思わなかった。陰惨な感じではないのが救いだが、どうも私の好みには合わない映画のようだ。ただ、ゴーゴー役の栗山千明はなかなかよかった。
今週は、バッハのブランデンブルグ協奏曲を2回聴き、バイオリン協奏曲(1番、2番)も聴いた。バッハの曲を美しいと感じるようになってきている。自分ではよくわからないが、自分の中で何か変化が起こっているのだろうか。
昨日は、一時小雪もちらつく寒い1日だった。でも、日差しは確実に春の柔らかさを感じさせるものになってきている。今月の20日過ぎには桜も開花するとの予報も出ており、もう少しで春がやってきそうだ。
先週末から仕事が立て込み始めてきた。来週半ばまで忙しくなりそうだ。先週録画した映画「ある愛の詩」も少しずつ見ているのだが、まだ見終わらない。きょうは、高田馬場での仕事だった。先日高田馬場で仕事のときは、えぞ菊というラーメン屋に入ったのだが、それほどうまいとは思わなかった。きょうは「ぶろんそん」というラーメン屋に入った。ラーメンと黒豚丼のセットで500円という値段が魅力的だったからだが、味も結構いけた。
先週末、家で仕事の時にバッハのブランデンブルグ協奏曲全6曲を聴いた。段々とバッハの曲が馴染んできている。モーツァルトとは違う厳しさを感じるが、冷たい曲とは以前ほど感じなくなってきた。自分を律する厳しさはバッハもモーツァルトも同じなのかもしれない。ただ、その表現の仕方が異なっているだけなのかもと思うようになってきている。
NHKのBS2で先日行なわれたアメリカのアカデミー賞の授賞式の模様がダイジェスト版で放送され、後半を見た。映画界の人間がスタッフも俳優も一緒になって、産業であり、芸術でもある映画をみんなで立てるというか盛り立てている様を見て、日本との違いを感じた。活躍した人を称えるということがごく自然にできるアメリカと、自分が受賞したかどうかだけを気にする日本。もっと、日本人は、いいものはいい、と思えるようにならないといけないなと、毎年アカデミー賞の授賞式を見るたびに感じる。
先週までの暖かさがうそのように、昨日、今日と、冬に逆戻りしたような寒さとなった。きのうは、雪まで降ってしまい、本当に寒かった。本格的な春の到来にはもう少し時間がかかりそうだ。
昨日、確定申告を税務署に提出した。これが終わらないと去年にきりがつかない。これで、2003年に区切りがついた感じだ。一生懸命働いたつもりだが、年収がほとんど前年と同じで、それこそ、石川啄木の歌が実感として迫ってくる。前の年の収入より減っていなければ、よしとしなければいけないのかもしれないが…。
先週から、本をスキャンしたゲラを元の本と照合して、正しくスキャニングされているかどうかをチェックする仕事をしている。ほとんど表組なのだが、スキャニングの間違いが結構あり、気が抜けない。
慶應が慶鷹になっていたり、社長が杜長になっていたりするのだ。11.0が
1L0になってしまったのは、1と小数点をつなげてしまったためだろう。まだまだ、人間によるチェックが必要だということだ。
昨日はアメリカのアカデミー賞の発表があったが、「ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還」が11部門を制した。巷の話題は、渡辺謙が助演男優賞を受賞できるか、「たそがれ清兵衛」は外国語映画賞を受賞できるかにあったが、両方とも受賞はならなかった。私にはそれよりも、主演女優賞の行方が気になったが、お気に入り女優のひとりであるシャーリーズ・セロンが「モンスター」で見事受賞した。公開が楽しみだ。
今日は昼食後に神保町を散歩した。信山社の店頭で週刊「日本の樹木」(学研)という週刊百科を見かけた。創刊号は白神山地のブナが収録されており、写真が素晴らしくて購入しようかどうか迷ったが、店内に入ったら、ちくま文庫のコーナーに鴎外全集が並んでいて迷わず第1巻を購入した。1000円はちょっと高いが、以前第3巻を購入して読んだので、できれば同じ文庫のシリーズで全巻揃えたいと思っていたからである。ちくま文庫の鴎外全集を置いてある書店は東京でも少なくて、なかなか見つからない。以前、第3巻を購入したのも同じ信山社だったような気がする。今読んでいる伊藤整の「イカルス失墜」を読み終わったら読むことにしよう。
鴎外は日本の作家の中で私にとって最も気になる存在である。作品数はそれほど多いわけではないので、このちくま文庫版を毎年1冊ずつは読んでいこうかなと考えている。信山社の棚の中に、講談社選書メチエというシリーズで、礒山雅氏のモーツァルトについての本「モーツァルト 二つの顔」を見つけ、少し読んでみたが、興味深い内容だった。発刊は2000年になっていた。
私にとって、森鴎外、モーツァルト、ベルイマンは文学、音楽、映画の分野で最も敬愛する人である。できれば、この人たちについて書かれた本を集め、読み耽りたいという願望がある。ささやかな願望だが、現実には金も時間も思うようにならないが、少しずつ叶えていこうと思う。
(末藤雄二記)