日記(2004年2月)

2月26日(木) 晴れ

今日の東京はぽかぽか陽気で、午後はあまりの暖かさで眠気に襲われて困ったほどだった。それでも、日が落ちると急に肌寒くなってくる。こういうときに風邪を引くことが多いので気をつけねば。
2月ももう終わりだ。来週からは3月。

昼休みに書店に入り、興味を惹かれた本を拾い読みした。
今日読んだのは、佐野眞一著「東電OL症候群(シンドローム)」(新潮文庫)。同じ著者の「東電OL殺人事件」に続くノンフィクションである。この中で、対照的な二人の裁判官のことが取り上げてあった。一人は買春に走ってしまう裁判官、もう一人は緻密な論理を構築して検察官に控訴を断念させた素晴らしい裁判官。どうして、人によってこうも違うのかとあきれてしまうほどだが、裁判官という職業のストレスは並大抵ではないようだ。
この事件が起きた東京・渋谷の円山町は仕事でよく行くところなので、事件が起きたときから妙に気になっていた。佐野眞一氏によると、円山町は飛騨地方のダム建設によって水没する村の人が移住してできた町だとか。ダム、電力、東電(東京電力)という連鎖を佐野氏は指摘している。数ページ読んだだけなので全体はつかめていないが、力作であることは間違いない。
もう1冊は、豊田健次著「それぞれの芥川賞 直木賞」(文春新書)。先日発表された今年の芥川賞は19歳と20歳の女性が受賞ということで大変な話題となり、受賞作を掲載した雑誌「文藝春秋」は100万部を大きく超え、過去最高の部数を記録したとか。これには、話題になっているということに加えて、2作を雑誌1冊で読めるというお得さも加わっていると思う。
豊田健次氏は文藝春秋社に長年勤めた編集者で、芥川賞、直木賞の候補作を同人誌から探す作業にも携わっていたという人である。この本には、野呂邦暢、山口瞳、向田邦子の3人について主に書いてある。私が拾い読みしたのは、野呂氏についての件である。ファックスもコピーもなかった頃の作家と編集者とのやり取りが書かれていて、興味深い。一人の作家が世に出るには、その作家に惚れこんで、作家と一緒になってひとつの作品をよりよいものにするという編集者の存在があるということがよくわかる。

アメリカのアカデミー賞が来週初めに授賞式が行われるということで、NHKのBSで過去のアカデミー賞受賞作を毎日放送している。今週も、「追憶」や「クレイマー、クレイマー」などが放送され、少し見た。20、30年前の作品だが、出演している俳優が若くて驚いた。「追憶」はロバート・レッドフォードとバーブラ・ストライサンド、「クレイマー、クレイマー」はダスティン・ホフマンとメリル・ストリープ。この内、ダスティン・ホフマンは「ムーンライト・マイル」、メリル・ストリープは「めぐりあう時間たち」と「アダプテーション」でそれぞれ最近作を見ているだけに時間の流れを感じた。特に、メリル・ストリープはすごい。30年近くも第1級の作品に出演し続けているというのは、稀有のことではないか。一時期、スランプの時期もあったようだが、完全に復調し、50代という年齢の女性を見事に演じている。

宮本輝氏の公式ホームページを久しぶりに見たら、読売新聞の朝刊に今年の春頃から小説を連載するとのニュースが載っていた。宮本氏は過去に、朝日、毎日、産経、日経の各紙には連載したことがあるが、読売に連載するのは初めてではないだろうか。わが家は読売なので楽しみだ。ここ数年、同時に複数の連載をされていたが、「流転の海」シリーズ以外は全て完結したと思うので、今度の連載小説には期待できそうな気がする。



2月22日(日) 晴れ、夜になって雨

きのうきょうと、4月の陽気だ。風も生暖かく感じられる。ただ、夜になって風まじりの雨となった。雨はずいぶん久しぶりのような気がする。こうやって、一雨ごとに春が近づいてくるのだろう。
昨日に続いて家で仕事。昨日はあまり気が乗らなかったが、今日は淡々とできた。久しぶりでモーツァルトを聴いた。最初にプラハ交響曲を、その後、交響曲第15番から21番までを聴いた。やっぱり、モーツァルトを聴くと心が落ち着く。これは他の作曲家では得られないことである。モーツァルトの曲には、悲しみが、どの曲にもある。それは、生きることの悲しみとでもいったらいいのだろうか。孤独感ともいえる。でも、決して絶望しない強さがモーツァルトにはある。そこが好きなのかもしれない。モーツァルトを同時代で理解した人がどれだけいたのだろうか。しかし、200年後の21世紀の人にも感動を与えている。逆に、当時絶大な人気を誇っていて、現在では名前すら忘れられている人も数多いることだろう。これからも、モーツァルトは私にとって終生の友であり続けるだろう。

午後4時から、NHKテレビで放送された日本美林紀行「青森ヒバ」を見た。下北半島に広がる日本でも有数のヒバの森を作曲家の中村幸代さんが昨年秋に訪れたものを収録した映像である。ヒバの緑と広葉樹林の紅葉の織りなすコントラストに目を奪われた。秋田・青森にまたがる白神山地のブナはあまりにも有名だが、その他にもまだこんなに美しい森があることを知って嬉しくなった。と同時に、訪れてみたくなった。年々、こうした自然に心引かれるようになってきている。わずらわしい人間関係から逃れたいという思いが強くなっているのかもしれない。

インターネットの検索エンジンにGoogleというのがあるのを知り、検索してみた。YAHOOとはかなり違っており、使い分けるのも面白いかもしれない。
伊藤整の初期作品集「イカルス失墜」を読んでいる。10代の終わりから20代にかけての著者の経験がもとになった作品集だが、上手に人と付き合えないことの苦しさが描かれていて、どこか自分と共通するものを感ずる。伊藤整が好きだという友人もそうなのだろうか。



2月15日(日) 晴れ

昨日、春一番が吹き、日差しにも春らしさが感じられるようになってきた。ただ、日陰に入るとまだまだ寒い。
きのうは、岩井俊二監督の長編映画第1作「Love Letter」がテレビで放映された。一昨年にレンタルビデオで見ているが、もう一度見たくて、鑑賞した。何度見ても爽やかな感動が残る佳作である。小樽の坂のある風景、主演の中山美穂の透明感のある美しさ、酒井美紀の初々しさ、物語にぴったり合致した硬質の抒情を漂わせた音楽などが作品成功の要因だと思うが、分析などしてもあまり意味がない。作品の世界に浸って楽しめばいいのだ。
岩井俊二の作品は他に「四月物語」を見ているが、その他は見ていないので、少しずつ見てみようと思う。3月には新作の公開が予定されている。

今週はもう1本、レンタルビデオで「ハッシュ!」を見た。橋口亮輔監督、田辺誠一、片岡礼子、高橋和也が主演した2001年製作の映画である。ゲイの2人(田辺と高橋)の不思議な共同生活と、2人の間に入ってくる一人の女性の関係を描いた不思議な味わいの映画である。公開時に劇場で観ようと思っていたのだが、タイミングが合わなかったのと、映画館に入るのが少しためらわれたために、見逃したままになっていたが、気になっていた作品だった。周囲の人間とうまく距離をとっていけない女性を演じた片岡礼子が何ともいえない魅力を持っていた。彼女はこの映画でキネマ旬報の主演女優賞を受賞している。たしか、このあと病気でしばらく休業していたのと思うのだが、もう健康を回復されたのだろうか。俳優にはその年齢でないと演じられない役があり、輝いていられる時間はそんなに長くないと思うので、もっと活躍してもらいたい女優である。
中山美穂には、「Love Letter」のほかに、「東京日和」という佳作もあるが、もっと映画の世界で活躍してほしい女優だ。彼女の魅力を生かした企画がないのだろうか。惜しいと思う。テレビでは、素が出てしまうが、映画ではそれがないので、映画のほうが魅力を発揮できる俳優もいると思うのだが…。

大岡昇平の「野火」を読了した。ずしりとした重みのある小説だった。昨日から、伊藤整の「イカルス失墜」を読み始めた。氏の初期作品集である。



2月12日(木) 晴れ

1月初めから行ってきた仕事が今日で終了した。これで、現在仕掛かり中の仕事は一つだけになった。
今日は仕事が早めに終わったので、ギンレイホールで映画を鑑賞した。「クジラの島の少女」と「マグダレンの祈り」の2本立て。「クジラの島の少女」はニュージーランドの先住民族マオリ族に伝わる伝説をモチーフにした詩情豊かな作品である。
マオリ族にはリーダーとなるべき族長が選ばれるが、新たなリーダーとして期待して生れた男女の双子のうち男のほうは死産で、生れたのは女の子だった。族長になれるのは男子と決まっていて、期待していた祖父は失望する。物語は12歳になった少女パイケアと祖父母との物語である。後半には見せ場も用意してあり、美しい自然と家族の葛藤や心の交流が丁寧に描かれていて、爽やかな作品になっている。登場人物を演じている俳優も全員マオリ族の人たちなので、映画に真実味を加えている。女性であるというだけで最初からハンデを負わなければいけない、というか、チャンスが与えられないことの不合理さについても考えさせられた。ニュージーランドの海と空の青さが心に染みる映画である。
もう1本の「マグダレンの祈り」は1996年まで実在していたという、女性更生施設「マグダレン修道院」に収容された3人の少女の修道院での生活を通して、修道院という名の下に、いかにひどい人権抑圧が行なわれてきたかを告発した映画である。
3人の少女は、従兄にレイプされた被害者であり、孤児院で近所の少年たちに色目を使っているとみなされただけだったり、結婚せずに子どもを産んだだけだったり、と現在なら(少なくとも日本では)こんなにひどい扱いをされることはないだろう。しかし、1960年代(この映画の時代設定)のアイルランドでは、女性の性に対しては非常に厳しい見方がされていて、レイプされた(本来なら被害者であるのに)だけで家族の恥として家から追い出すということが当たり前のように行なわれていたらしい。
この映画はさまざまなことを考えさせてくれる。聖職者がいかに堕落した、あさましい人間であるか。どんな状況になっても希望を失ってはいけないこと。40年もこの修道院に入っている老女が登場するが、「ショーシャンクの空に」に出てきた、刑務所から出るのが怖くなる囚人を連想した。加害者の側がいかに無神経であるか、善悪、正邪を決める基準はいったい何なのか、など。
出演している女優たちはほとんど新人であるが、みな素晴らしい。

ギンレイホールのシネパスポートがまもなく期限切れになるので、更新した。1万円はちょっと痛いが、これでまた1年間(3年目の特典でプラス1ヶ月)、何度でも無料で見られるので、今年も大いに映画を見よう。



2月8日(日) 晴れ

レンタルビデオのTSUTAYAが旧作半額だということで、久しぶりで行ってみた。めぼしい映画はほとんど貸し出し済みで、目当ての「ハッシュ」も貸し出し中だった。日本映画のコーナーに行ってみたら、戦前から昭和20年代、30年代、40年代、50年代に製作された映画がたくさん並んでいて、思わずタイトルの背文字をじっくりと眺めてしまった。
増村保造監督の作品も多数置いてあり、その中から「爛」という1962年の映画を借りた。これは、自然主義作家の徳田秋声の原作を元にした映画で、脚本は新藤兼人である。主演は若尾文子。若尾文子は元キャバレーの女給で、いまは田宮二郎の2号さんに収まっている。田宮二郎に妻がいることを彼女は知らなかったが、彼は慰謝料を払って妻と別れ、若尾文子と籍を入れる。しかし、別れた夫のことを焦がれつづけた元妻は狂い死する。この辺りの描写が、女を描く名人である増村監督の本領発揮の場面である。
このあと、2人のアパートに、若尾の姪(水谷良重)が親の見合い話を嫌って上京して転がり込んでくるところから、女2人で田宮二郎を奪い合う展開となる。こういう役をやらせたら田宮二郎は天下一品である。彼亡き後、こういう役がぴったりはまる男優は誰だろう。
増村監督と若尾文子のコンビは日本映画史上に残る名コンビである。まだ見ていない作品がたくさんあるので、今年は少しずつ見ていこうかなと思う。何といっても、若尾文子はいい女だ。悪女の部分と聖女の部分を同時に持った女性を演じられる女優で、とにかく色気がある。それと、あの声がいい。

もう1本、「武蔵野夫人」を借りた。大岡昇平の原作を巨匠・溝口健二が映画化した作品で、昭和26年の製作である。冒頭に、秋山(森雅之)と道子(田中絹代)夫婦が戦争末期に空襲で焼け出されて、道子の実家(小金井)に引っ越してくるシーン、道子の両親が相次いで亡くなるシーンがあるが、これは原作にはない場面で、時代背景を説明するために付け加えられたのかとも思うが、必要ないシーンだったと思う。
物語は、旧家の伝統を守ろうとする道子と、武家出身の堅苦しい道子の実家の気風に圧迫感を感じてきたフランス文学教授の秋山夫婦を中心にして、道子の従兄で軍需工場を経営する大野(山村聰)、大野の妻・富子(轟由起子)、戦地から復員してくる道子の従弟・勉(片山明彦)の5人が織りなす愛憎劇である。俗物の秋山を嫌いながらも、家を守るという自らの役割のために夫婦でありつづける道子。戦地から帰って、戦後の日本社会の急変ぶりについて行けない勉。二人は急速に惹かれ合っていく。後半、物語は思わぬ方向に急展開していくが、その詳細は省略する。
はっきり言って、この映画は少し期待はずれだった。やはり、心理描写が中心の小説を映画化することには限界があるようである。ただ、日本の美風というか、良さを守ろうとする道子像はある程度は伝わってきた。この映画はいまから50年ほど前の作品だが、当時はあんなに自然が残っていたのかとか、電車の車両の型の古さとか、そういったところに50年という時の流れを感じた。



2月5日(木) 晴れ

今週に入って、風邪を引いたみたいで体調がすぐれない。昨年からの疲れが出ているのかもしれない。年齢と共に、だんだん無理がきかなくなってきている。これは、どうしようもないことなので受け入れるしかない。
今日は高田馬場で仕事だった。高田馬場は、かつて乗換駅として利用していたことがあり、懐かしい街である。昼食後に少し散歩をした。駅前のレコード店ムトウ(CDショップというよりもこちらの呼び方のほうが好きだ)に入り、シューベルトの歌曲集「冬の旅」のCDを購入した。歌唱はディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウ、ピアノ伴奏はジェラルド・ムーア、1962年の録音である。シューベルトは交響曲、弦楽四重奏曲、ピアノソナタは聴いてきているが、歌曲はまだ聴いたことがなかった。歌曲王とも言われるシューベルトの音楽を本当にわかろうと思ったら、やはり歌曲を聴かなければと思い、購入した。じっくり聴いてみたい。
以前録画した映画「グリーンカード」を途中まで見た。主役のアンディ・マクドゥエルが素敵。衣装も可愛い。が、それ以上に場面場面に挿入されているモーツァルトの音楽(クラリネット協奏曲やフルート協奏曲)が映画のシーンにぴったり合っていて素晴らしい。



2月1日(日) 晴れ

2004年も2月目に入った。つい、この前新年が始まったと思っていたのに、もう1ヶ月がたってしまった。
今週にはいって、昨年から仕掛かり中だった仕事が続けて片がつき、今週末は久しぶりで穏やかな週末を迎える事ができた。仕事のことを気にしなくていい土日を迎えられるという事が、こんなに解放的なものだということを改めて感じる事ができた。
1月30日(金)は1ヶ月ぶりで映画館に行った。といっても、ギンレイホールだが(ギンレイホールさん、ごめんなさい)、「アダプテーション」を観た。「マルコヴィッチの穴」の監督・脚本コンビの第2作である。内容はともかく、1か月ぶりに映画館の座席に身を沈めて、映画の世界に浸れただけで満足だ。やっぱり、映画館で映画を観るというのは何物にも代え難い楽しみである。
昨日は、昔録画したテープの中から、イギリス映画「邪魔者は殺せ」(キャロル・リード監督、1947年製作)を観た。アイルランドの秘密結社(IRAか?)のリーダーが、資金稼ぎのために工場を襲撃して金を奪うが、その際にもつれ合って一人を殺してしまい、市内を逃亡する。その主犯格のジョニーの逃走と、彼を愛し何とか助けようとする女性(キャサリン)の必死の行動を描いたドラマである。白黒の映像が見事だが、撮影のロバート・クラスカーは「逢びき」のカメラマンでもある。彼は「第三の男」も撮影している。
ジョニーの行動に賛同できるかどうかは別として、あそこまで思ってくれる女性がいたら男冥利に尽きるなと思わせる映画だった。 (末藤雄二記)



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