 2001年現在の西宮球場(現スタジアム)外観。 球団関連の看板類は全て取り外されて久しい |
2001年11月。
今日現在、阪急西宮北口駅南側には在りし日のままとは言えませんが、その姿は残されています。
「阪急西宮球場」。 しかし、今年度限りでの西宮競輪の開催終了や噂される市民病院の設立など、この球場の未来は決して楽観出来るものではありません。 僕が熱狂していた80年代のプロ野球でパ・リーグ各球団がフランチャイズ、あるいは準フランチャイズとして使用した球場のほとんどがその役目を終え姿を消していっています。 さびしいですがこれが現実というものでしょうか。
ついそんな思いから先日西宮球場に足を運んでしまいました。
関西方面への出張が週末に重なったためです。
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阪急西宮北口駅で下車して、かつていつもそうしていたように駅南口を出て球場方面に向かう。
まず驚かされたのは駅を出てからの景色だ。球場周辺にいたるまでの民家、商店がかなり取り壊されている。再開発の足音が近づいているのを確かに感じた。 さびしさにいきなり打ちのめされながらも球場へと歩を進める。
当たり前だろうがその本来の役目を終えた球場は、非常に静かで閑散とした雰囲気を漂わせている。実際に辺りの人影もまばらだ。ただこの日がKGの練習日だったのか、何人か部員が球場に入っていく姿も見られた。
一塁側球場入り口のかたわらにはブレーブスこどもの会30周年の記念碑がひっそりと残されている。これは昭和54年に作られたものらしいが今となってはかつてここに阪急ブレーブスが居たことを示す唯一の証となってしまったようだ。まるで阪急の墓標の様にも見える。
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 ブレーブスこどもの会30周年記念碑 |
 レフトスタンド後方。奥には競輪のバンクが |
そのまま3塁側入口の方へも足を伸ばしてみる。
以前の様に警備員がいるわけでもない。駐車場になってはいるが、付近の住民、あるいはサラリーマンなどが駅への近道として通りぬけに使っている。
しばらく行くとレフトスタンド後方に競輪のバンクを見つけた(左写真)。もうこれらも来年度以降は使用されないのであろう。
そしてさらによく見るとレフトスタンドの脇が開いていることに気付く。ゲートも開いているではないか。おそらくは何か搬入の作業でもあるのだろう。アメリカンフットボール秋期戦の準備かもしれない。
ともかくちょっと覗いてみたいという気持ちで、悪いとは思いながらもグラウンドへ入ってしまった(!)。
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レフトのちょうどポールのあるあたりからそっと球場に歩を進める。まず真っ先に視界へ飛び込んできたのは競輪用の貴賓席だ。その新しさだけが際立っている。かつてアストロビジョンがあった場所とは思えない変わり様だ。
球場内を見渡してみるとどうも一塁側ベンチに座って誰かが弁当を食べている様子が見える。とりあえず内野に近づく事はやめよう。しかし注意されないのでしばらく見させてもらう事にしたが、フットボールの関係者だろうか。
ちょうど右の写真を撮影したあたりがレフトのポール近辺である。人工芝とはいえこの辺りはかつてはラッキーゾーンもあり、その中はブルペンでもあったので足場はかなり悪い。実際に足を踏み入れてみて感じた事だが、野手が守備につくときにスパイクからシューズに履き変える理由がよく理解できた。なるほどこれではスパイクのままでは危険だなという感じなのだ。
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 レフトから見えたのは競輪の貴賓席。まだ新しい |
 レフトスタンド。ちょうどラッキーゾーンのあった辺り |
左の写真がレフトスタンドである。
先にも書いた通り本来芝の部分はいたるところでくぼんでいるのが確認できる。
また写真を見てもらってお分かりの様に、スタンドのビニールの屋根もところどころ破れてしまい、いかにも貧相である。
また、外野フェンスのラバーにはいたるところに打球が当たったらしい跡が多数残っていてしみじみさせられた。
兵どもの夢のあと、である。
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足元に目をやるとかつてのブルペンの面影が(右写真)。ラッキーゾーンがあったころはここでビジターチームのピッチャー達が投球練習を繰り返していたのだ。
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 かつてのブルペンの形跡が今も残る |
 レフトから見たスタンド。本塁付近にアメリカン
フットボールのポールが立っているのが見える
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しばらくとぼとぼと外野を歩き思い出にふけっていたがあまり長居もしていられないと、立ち去る事にする。
しかしこみ上げてくる感情はなつかしさよりもやはりさみしさの方が大きい。
今は出来るだけ長くこの球場が残っていて欲しいと願うばかりである。
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