第1回 侍従職日記 昭和20年(1945年)8月14日



この画像は、侍従職に保管されている「侍従職日記」である。(クリックすると大きな画像がでます)
「侍従職日記」とは、宮内庁の説明によると「宿直を勤める侍従職の事務担当者が、天皇・皇后の日々の動静や参殿者などのほか、当直職員の氏名などの事務的事項に至るまで、侍従職の事務遂行上参考となる事項について記録するものであり、後日、必要に応じて行事の日時・内容の確認、参殿者の日時の確認などのために適宜参照するもの」であるとのことだ。(情報公開・個人情報審査会の平成17年度(行情)答申第10号より)

今回、私が裁判になっている4番目の文書がこれにあたる。
9月以降の文書がまだ出てきていない。

この文書の何が面白いか。それは、天皇の面会者、面会時間が系統的にわかるということである。
では早速だが、文書の解説に入ってみよう。


昭和20年8月14日と言えば、ポツダム宣言受諾の最終決定がなされた日である。
この文書に書かれているものを書き出してみる。(ウェブ上で見やすいように表記を改めてある)

まず枠の外に、空襲の警戒警報の発令・解除記録が書いてある。
これを見ると、夜中から朝にかけて、そしてその日の夜10:55からもまた警戒警報が発令しており、米軍の空襲が8月15日まで続いていたことがわかる。

「御動静」の所には、「聖上内廷庁舎出御」と書いてあり、その下に2行ほど黒塗りされた部分がある。
これは、玉音放送の録音をするために、宮内省に行ったことを指すのだろう。
黒塗りされた部分は、出発・到着時刻であることはほぼ間違いない。
宮内庁は、「私的な」場所である御文庫から天皇が出発及び到着する時刻は開示しないと明言しており、情報公開審査会もそれを容認している。

「典式」には、

元帥拝謁(杉山、畑、永野各元帥 御召ニヨル)
 前10:30〜10:50 於 御文庫拝謁ノ間
最高戦争指導会議構成員、国務大臣、枢密院議長 拝謁(鈴木内閣総理大臣以下二十三名) 御召ニヨル
 前11:02〜11:57 於 御文庫附属室


との記載がある。

「御対面・拝謁」には、

鈴木内閣総理大臣 前8:40〜8:55
梅津参謀総長 前8:57〜9:10
東郷外務大臣 後5:30〜5:53
鈴木内閣総理大臣 後6:00〜6:30
鈴木内閣総理大臣 後8:30〜8:40


とある。後は「参勤者」「上直」(侍従長や武官、侍従の参勤・宿直情報)、「守衛隊司令官」について書かれているが省略する。

さて、専門家の人が見ると「上の情報のどこが新しいんだ」と言うであろう。
すでに既刊の『木戸幸一日記』や『徳川義寛終戦日記』の記載とほぼ一致するからだ。
例えば、鈴木首相が午後8:30に拝謁しているのは、翌日に発表する内閣の詔書案の承認を得るためであるということは木戸日記に記載されている。

しかし、これまで木戸日記に書かれていることが正確であるという証明が、完全になされていたと言えるだろうか。
この公文書は、木戸日記や徳川日記の正確性を証明しているのだ。

また、この侍従職日記が、昭和初めから、かなりの年数分存在すると聞いたら、興味を引かれる人は多いのではないだろうか。
正確に述べると、昭和2,3年(1927,8年)と8年(1933年)以降は毎年あるとのことだ(侍従職庶務第一係「庶務関係録」の中にある)。
昭和4〜7年の間の部分は、宮内庁が調べた限りではないとのこと。
おそらく別の場所にあって、現在の職員では見つけられないという可能性が高そうである。
木戸日記は基本的には自分の面会記録であるので、天皇が誰と会っているかという記録ではない。
この侍従職日記が全て公にされれば、天皇と政治の関係がより明確になるはずである。


なお、最後に注記しておくと、この史料にも大きな欠点がある。

まず、事務日記を書く侍従の性格によって、記載内容の細かさが異なっているという点だ。
そのため、面会者がそこに記載されている人で全てなのかという点には、若干の留保が必要となる。

次に、内部の面会者については書いていない。
つまり、内大臣や侍従長の面会記録は記載されていない。

最後に、公務員しか名前が開示されないので、それ以外の人の名前は黒塗りされる。
すでに、その点については佐藤宏治氏(日本大学人文学研究所研究員)の文章で、元老西園寺公望が消されている可能性が高いことが証明されている(佐藤宏治「歴史史料と情報公開法―宮内庁所蔵『侍従職日記』を例として―」『年報日本現代史』第9号(現代史料出版、2004年)151頁)。
ただし、私が現天皇の教育係であった小泉信三の名前を出させるために情報公開審査会で争ったりした結果として、現在では「非公務員の公務員的な行為」についてはある程度開示されるようになってきているので、全て消されているのかは、今後の開示状況を見ないとわからない。

こういった欠点はあったとしても、史料としての価値は高いと思われる。
だが、今のところ、1年単位で情報公開請求をすると、開示までに最低3年はかかりそうである。
もし興味がある人がいれば、「数日単位」に絞って請求してみるといいと思う。
それならば、1年かからずに出てくるかもしれない。是非お試しあれ!

追記
私が情報公開審査会で争ったことの詳細については、上記佐藤論文が入っている同じ号に、「情報公開法の不服審査−宮内庁に関する審査の実例」として一筆書いておりますので、そちらをご覧ください。→現在Webで公開中。
いずれは、このHPでも紹介する予定です。


2006年8月17日執筆

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