子供の頃の僕は、日に焼けて真っ黒けで泥だらけ、生傷が絶えないような汚い子だった。
メガネをかけパソコンの前に座っていたりギターを弾いたり、今の僕からは想像がつきにくいかもしれないが、その頃は相当にわんぱく坊ずだったから、
母はいつも『なんで英樹はこんに悪いんや』と顔をしかめた。しかし、たまにやって来る祖母は、その度に『悪い悪いって言うで悪くなるんや、ひでは良い子やもんな。』とニコニコしながら頭をなでてくれた。
(「悪いと言うから悪くなる」と言うことは、やはり本当に悪かったのだろうと今になって思う。)
ただ自分で言うのもなんだが、今も変らないのは「紅顔の美少年」とよく言われたことだ。(こうがんと聞いてニヤケたような人はすぐにお引き取り願いたい)
そんな子供の頃の僕は、動物が大好きで、自分で捕まえられそうな動物を探すのにいつも夢中だった。
そして実際に捕まえることのできた動物は家で飼おうとした。具体的にはフナなどの魚や、蛙、サワガニ、ドジョウ、ミズカマキリなどの水生生物、
カブトムシやクワガタ、カタツムリなどの昆虫類、ネズミやモグラ、天然記念物とは知らず"ヤマネ"という小さいリスのようなかわいいのを飼ったこともあった。
時にはアオダイショウ(蛇)まで飼おうとし、僕に鍛えられ大概のものには驚かなくなった母にも「それだけはやめて!」と猛烈に叱られた事もあった。
今になって考えると、僕にとって動物はペットとして可愛がるのではなく、生態や動きなどを観察する対象だったような気がする。
だから今は、小さなあり蟻んこでも潰すのに躊躇するが当時はかなり残酷なことをしたような記憶がある。
しかし、その中でも僕が最も興味を持ったのは鳥だった。
鳥はとても身近な動物であるが、虫のように簡単に捕まえられないことも僕の心を引きつけたのだろう。
鳥を捕まえるにはいくつかの方法があるが、父が子供の頃は、霞網で捕まえていたらしい。
しかし、それはひどく昔の話で、僕が子供の頃は既に霞網は禁止されていたし、霞網を買うことも出来なかったから、
成鳥(巣立ちして飛べるようになった大人の鳥)を捕まえるには"鳥もち"(粘着力のある餅のような物を、鳥が止まる木などに塗っておく)か、
ざるを糸を縛った棒で支え、その下に餌を撒き、鳥がついばみに来た瞬間に糸を引き、被せて捕まえる方法くらいしかなかった。
でもこれは、所詮子供がやることだから、成功率は低く、成鳥を捕まえることは非常に困難だった。
そして、仮に捕まえることが出来たとしても、鳥かごで飼育するために餌付けをするのはとても難しいのだ。
成鳥を捕まえた場合、ショックや環境の変化、見慣れない餌などが原因となり、人間が用意した餌を食べないのである。
それを食べさせることが餌付けで、鳥をそっとしておき、落ち着かせることが絶対条件のこの作業は"観察したい"少年にとって実に禁欲的な時間で、
すぐに禁を破ってしまう僕には成功率は非常に低かった。
餌付けに失敗するということは鳥が死んでしまうことであるから、ずいぶんかわいそうなことをしたことになる。
それに対し捕まえやすいのは雛鳥で、雛鳥は巣立ちの少し前でない限り、人間を親だと思い、口を大きく開けて餌を欲しがるので、餌を与えるのは簡単だった。
しかし、餌が悪いのか、いじくりすぎるのが悪いのか、親鳥にまで育て上げることはなかなか難しかった。
小学校の頃は、教室の外にあるカラマツに、青ヒバ(多分これは飛騨弁で本名はカワラヒバ)がよく巣をかけたから、巣から落ちた雛は捕まえたし、
木に登って捕まえたこともあった。ホオジロも身近に多く見ることが出来る鳥だが、この鳥は堤防の土手や低い木の枝に巣をかけることが多く、捕まえるのは容易だった。
当時ははそんなことばかりが頭の中にあったから、鳥の鳴き方や木の形などで、巣があるところを直感的にみつけることができた。
しかし、そうやって小鳥を捕まえたりすると、決まって同じクラスの女子軍団から「かわいそうだ」という非難の声があがり、ずいぶん肩身の狭い思いもした。
ただ僕は、女子軍団に何を言われようとめげることなどはなかったが、鳥ならなんでもかんでも捕まえたわけではなかった。
特に、身近にいて捕まえやすい鳥"セキレイ"は絶対に捕まえたりしなかった。
僕を「良い子だ」と言ってくれた祖母は、僕が小学校1年生のときに死んでしまったが、その祖母は鳥が大好きな僕にいつも
「セキレイは捕まるなよ。祟りとか、身内に悪いことが起こるから。」
と言っていたからだ。
セキレイとはスズメよりほんの少し大きく、すらっとしており、キ(黄)セキレイとハク(白)セキレイがいる。顔はいかにも虫を捕食する鳥といった感じで、
くちばしは尖っており体は細くて尾が長くスマートで、いつも尾を上下に激しく振り、張りのあるよく通る声で「チチチッ チチチチッ」とさえずる。
スズメのようにピョコピョコ歩くのではなく、足を前後に交互に動かして早足で歩き、割とどこでも見かけることができる鳥である。
僕は祖母が言った言葉を信じ、決してセキレイを捕まえることはなかった。
こんな僕でも一応大人になり、今はむやみに小鳥を捕まえたり、鳥の巣を探し回るようなこともなくなった。
そして「セキレイを捕まえるな」という言葉も意識の中から消えかけていた。
ところがある日、近所のオッちゃんが、家の前の公民館の石垣に、セキレイが巣をかけて卵を温めていたが、
最近、雛が孵ったと教えてくれた。
近寄って巣をのぞいてみると、まだ毛も少ししかはえてなく、目も開いていない小さなセキレイの赤ちゃんは、それでも大きな口を精一杯広げて餌をさいそく催促し、シャリシャリと鳴いていた。
そして僕の中で忘れかけていた『セキレイを捕まえるな』という言葉も頭の中によみがえってきた。
先にセキレイは捕まえやすいと書いたが、この鳥は非常に低い位置に巣を作る。同じように低い位置に営巣するホオジロは、枝や葉っぱが茂り見つかりにくく、人があまり近寄らないところに作るのに対し、 セキレイは石垣のすきま隙間や、小屋の柱と壁の隙間みたいなところに好んで営巣するのである。 だから当然、人間も近寄るし、飼い猫にも見つかりやすいだろう。現に今回見つけた巣がある石垣も、非常に人通りの多い場所である。 こんなに見つかりやすく、危険が多いところで営巣するのは、常識的に考えて非常に理解に苦しむところだが、その危険にも替えがたいメリットがきっとあるのだろう。 しかし、そのメリットはさておき、僕が気になるのは祖母が言った言葉の方で、しきりに餌をねだる雛は「祟り」などという恐ろしい言葉とは無縁のかわいさである。 祖母は「セキレイを捕ると祟りがある」とか「えんぎ縁起が悪い」と言っていたが、果たして本当に祟りなど起こるのだろうかとうたが疑わしく思えてきた。 幽霊や超常現象的なことを何の疑いもなく信じていた子供の頃は真に受けていたこの言葉も、今となれば非常に胡散臭い感じがしてならない。 だが、理由もなく昔の人がそんなことを言うとも思えない。 そんなことを考えていたとき、同じ職場の博識な上司が「セキレイのさえずり声が『親死ね子死ね』と言っているように聞こえるから縁起が悪いと聞いたことがある」と教えてくれた。 しかし、実際にセキレイの鳴き声を聞いてみれば分かるが、これも非常に無理がある。
話は少しそれてしまうが"マンドラゴラ"という植物がある。
これは中世のヨーロッパでは、死刑囚の血が染み込んだ土からしか生えないと言われていた植物で、それを掘るときに「ギャー」というものすごい悲鳴をあげ、その悲鳴を聞いた人は死んでしまうという言い伝えから、
犬に掘らせ、市場では悲鳴を聞いて死んだ犬と一緒に売られていたという植物である。
マンドラゴラは形が男性の体のような形(朝鮮人参に似ている)であることから強壮剤としてもてはやされていた。
しかし、その成分を科学的に調べてみると、アトロピンというアルカノイドが含まれてる。
この薬はどうこう瞳孔を開くための散瞳薬として用いられる他、興奮作用や幻覚作用もある薬である。要するに、形が似ているから類感呪術的に精力剤とされたが、その裏には興奮作用のある薬という科学的な根拠があったのである。
上司が教えてくれた「親死ね子死ね」もこの類ではないだろうか。
まわりくどくなってしまったが、そこで大人になった僕が考えた「セキレイを捕まえるな」の科学的な根拠はこうだ。
セキレイは肉食であり、農作物に被害を与える昆虫を主食としている益鳥(人間に対して有益な鳥)である。
ツバメもそうだが、昆虫を食べる鳥が居なくなれば、農薬など無かった昔は害虫による農作物の被害は相当な量になっただろう。
昔の人はそれをしっかり解っていて、大切な益鳥をむやみに捕まえさせないためにそんなことを言った。というものである。
セキレイは他の鳥と比べ捕まえやすいので、むやみに捕まえればすぐにその数を減らすだろう。「祟り」や「縁起」といった神秘的な怪しさで覆ってしまえば、人は近寄らなくなり、無防備なセキレイを守ることが出来ると考えたのではないだろうか。
もちろんこれは僕が勝手に立てた仮説に過ぎず、科学的に正しいかどうか分からないし「科学とは違った世界があり、科学なんか万能ではない」と考える人もいるかも知れない。
しかし、確かに科学は今のところ万能ではないが、鉄の塊の飛行機が飛ぶのも、携帯電話が通じるのも、科学的につじつまが合っているからである。
「セキレイの祟り」それは歴史の中で体験的に言葉となり、言い伝えられてきたことかもしれないが、全てのことには科学的に裏付けられたれた根拠があると考えたほうが、むし寧ろ感動的で夢のある話ではないだろうか。
僕はそんな科学が大好きである。
「ではお前が試しに捕まえて、本当に祟りが起こるか確かめてみれば良い」と言う人がいるかもしれない。
しかし、それではセキレイがあまりにも気の毒だし、毎日の犬の散歩ついでに巣を見守っているオッちゃんの楽しみをも奪ってしまうことになるので、それは出来ない。
と考えていた矢先、家の前の巣をのぞいてみると既に雛の姿は消えていた。
この石垣のある通りは、小学校の通学路だし、近所の猫もよく歩いているから、かわいそうだけどきっと、祟りの事など知らない小学生か、少しだけ野性を取り戻した猫ちゃんの餌食になったのだろう。
もぬけの殻となった巣を見て「巣立ちして良かった!」と喜ぶオッちゃんがセキレイと同じくらい気の毒に思えた。