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2002.12.30(月)

先日、忘年会でカニ料理の店に行った。

 有名なカニ料理専門店である。「とれとれピチピチ カニ料理」と歌われるこの店のCMソングを歌えない者は、私の周りに誰ひとりいない。このことからもわかるように、こちらの売りが“カニ”であることは広く知れ渡っている。

 とはいえ、私は甲殻類アレルギーであった。カニやエビを食べると、たちまち全身に湿疹が出てしまう。幼少のころから「とれとれピチピチ カニ料理」と陽気に歌ってはいたが、いくらとれとれでも、いくらピチピチでも、自分とは無縁の世界とあきらめていた。

 しかし、カニが食べられなくてもこの店に行くことは叶ったのである。人生、あきらめたものではない。忘年会の幹事役の知人が店に頼み込み、私だけにカニを使わない別メニューを用意していただくことでアレルギー問題は解決した。こうして私は、めでたくかの店へ足を踏み入れることができたのであった。

 さて、カニ料理の店に来てカニを食べない客。これは大変に無礼である。たとえば、薬局に入って「薬はいらん、ネギをくれ」などと言い張る客を想像してほしい。無礼だ。無礼というか、まったく間違っている。私が薬局の店員でこんな客に出会ったら、怒りのあまりなにをするかわかったものではない。しかし、こちらのカニ料理店で我々のテーブルを担当してくださった女性の店員さんは、まったく間違った無礼者にもやさしいのである。私のために肉や刺身などを運んでくださり、「カニが苦手でいらっしゃるんですか?」などと言葉をかけてくださる。まったく頭の下がる方なのだった。  こうして「カニ料理店でカニを食べない客」としての引け目を感じることなく、楽しく食事を終えることができた私は、後日、知人のSさんにこの感動的な体験を話した。Sさんはしばらく考え込んでいた様子だったが、まもなく、何かひらめいたという感じで口を開いた。

「いいなあ。おもしろいじゃないですか。僕もやってみますよ、それ」

 彼は年明け早々、件のカニ料理店で「カニを食べない」に挑戦するという。彼は甲殻類アレルギーではないし、むしろカニは好きな方だというが

「なんか、カニがたらふく食べられる環境であえて食べないって、いさぎよい感じですよね」

と目を輝かせるのであった。「いさぎよい」ってのがまったく理解できないが、なにか私は、この体験をもっとも語ってはいけないタイプの人に語ってしまった気がする。とれとれピチピチのかの店には、ひたすら申し訳ない気持ちでいっぱいだ。






2002.7.9(火)

大阪府河内長野市に完成した生涯学習の施設『キックス(KICCS)』。この愛称は、同市の花「キク」と市の木「クス」を組み合わせたもの。
(朝日新聞より)
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こういうことがあるから公共施設の名前は油断できません。そしてご無沙汰いたしておりました。

 先日、伸びに伸びた髪を切りに美容院へ行った。

 昨年の秋ごろ、ぶらぶらと歩いている途中に見つけた店だが、その後も何度か通っている。担当していただいている美容師さんは若い女性だ。「夜中に友だちと小学校の校庭に忍び込んで、かくれんぼとかやるんですよ。頭に光る風船つけて」などという風流な趣味をお持ちの彼女は、とにかくまあよくしゃべる。テレビ番組のこと、近所にできた大型ディスカウントショップのこと、友人の勤める雑貨店に行ったら、ものすごくわけのわからない商品が置いてあって困惑したが、友人の機嫌を損ねるのも悪いので「当たり障りのない会話」に終始したことなど。そのおかげで、散髪の時間が倍にはなっていると思うが、私もつられて何やかやとしゃべっているぐらいだから、不快というわけではない。

 そんな彼女のいる美容院に、先日久しぶりに行ったのである。受付には、彼女よりもっと若そうなアシスタント風の女の子が座っていた。彼女の手元には顧客カルテみたいなものが数枚あり、私のカルテが一番上に乗っかっている。さて、自分のカルテに何が書かれているのか、興味をそそられるところである。私は、受付の女の子がカウンターの下にしゃがんだ隙にカルテをのぞいてみた。まずは私の名前や住所、その下に担当の美容師が備考を書き込む欄があった。かつて、幼稚園の通信簿で保母に「子どもらしさが足りない」と酷評され、小学校時代のそれには6年連続「動作がスローモー」と母親に書かれた私だが、“子どもらしさ”をどうこう言われる年齢はもうとっくに過ぎているし、“スローモー”にいたっては「今どきそんな言い方をする人がいるものか」と食ってかかれるほどに成長した。私も大人になったものである。これなら文句のつけようがないだろう。けれども、長じてから新たに生まれた欠点というものがあるかもしれない。気づかないうちに他人様を不快にさせているあれやこれやが、いつなんどき“備考欄”に書かれるか、わかったものではない。ここはひとつフンドシの紐(=江戸前に“シモ”とお読みください)を締めなおし、他人様の評価を真摯に受け止めるべきである。私は、恐る恐るカルテの“備考欄”をのぞき込み、そこに書かれていた言葉に何がなんだかわからなくなってしまった。

「ドンキホーテ」

 いや、だから「ドンキホーテ」である。この美容院で私は「ドンキホーテ」とされているらしいのだ。確かに春ごろ、このところ関西にも出店している大型ディスカウントショップ『ドン・キホーテ』について、件の美容師さんと話はした。彼女の自宅近くに開店したらしく、「夜中までやっている。すごく楽しい。私なんか何度も行った」とおっしゃるからたいそう興味がわき、店内の様子や品揃えなどを根ほり葉ほりたずねもした。つまり「この客は『ドン・キホーテ』の話にかなり食いついた」が簡略化されて「ドンキホーテ」になっていると憶測するわけだが、これまでの経緯を知らない人が見れば、「槍を持って風車に突進しかねない無謀な客」ととられるかもしれない。実際そういう意味で「ドンキホーテ」と書かれている可能性もないではないが、いや待て。そういう意味ってどういう意味だ。

 髪を切り終え、店を出るとすっかり日が暮れていた。「ドンキホーテ」と呼ばれている以上、私は「ドンキホーテ」として何かをなすべきだろうが、いったいどうすればいいのだろうか。とりあえず今度の休みの日、私んちの近くにもできた激安の殿堂『ドン・キホーテ』に行って、何か槍っぽいものでも買ってこよう。私はそう固く心に決めたのだった。






2001.2.13(水)

「いろんな国の英語に慣れる会」
(朝日新聞より)
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 大阪市内で行われる講習会やイベントを紹介するコーナーにて発見しました。ルーマニアの方を迎え、ルーマニアの歴史や文化を英語で語る立派な講義をしてくださるらしいが、趣旨はあくまでも「いろんな国の英語に慣れる」。受講者の関心はもっぱら講師の“ルーマニア訛り”に集中。断ってもいいぞ、ルーマニアの方。

 夕方、大阪中央郵便局に急ぎの郵便を出しに行く。

 驚いた。ものすごいごった返しぶりなのである。窓口には行列ができ、その前にある作業台には人が群がっている。何ごとだ。夜まで窓口が開いている局なので、この時間に混むこともあり得なくはないが、だからってバーゲン会場みたいに人が殺到するなんて。しかもその誰もがなにやら殺気立った顔をしているなんて。はて、私はこの異常な混雑の理由を考えた。年賀状か? いや、そんなはずはない。今年の年賀状ならひと月半ほど前に出したし、来年のだといくらなんでも早すぎる。では、私の知らない行事でもあるのだろうか。そのためにこの人たちは、今日中に何かをどこかへ送ろうとしているのかもしれない。生臭い匂いはないから、カニとか新巻鮭とかナマコといった生モノではなさそうだ。「こら、待ちなさい!」とか言いながら何かを追い回す人も見当たらないから、リスやジュウシマツといった小動物でもないようである。皆が手にしているのは大きな紙袋。中には小さな包みがいくつも入っている。そのひとつひとつに“ゆうパック”の送り状を貼っては、あて先を記入していく人たち。

 とまあ、こんなに引っ張ることもなかったと反省しているが、包みの中身はチョコレートのようである。明日はバレンタインデー。大半が女性であるその人たちは、先方にチョコレートを明日必着で届けんがためにこうして中央郵便局に駆け込んでいるのだ。そして彼女らが送ろうとしている荷物のほとんどが、会社の取引先やお世話になった知人などにあてた義理チョコとかいうやつであろうことは、尋常ではないその数から想像できる。バレンタインの贈り物がチョコレートでよかった。もっと重くてかさばるもの、たとえば『広辞苑』とかだったら彼女らも大変である。

 そんなわけで、送り状にあて名を書く→チョコレートの包みに貼る、の作業を一心不乱に繰り返す女性たち。その中に、なにかとても異質な人を発見したのである。白髪混じりの頭髪、灰色のズボンに灰色のベスト。全体的に灰色っぽく、普段なら絶対に注目を浴びなさそうに見えるその人は、小柄な初老の男性であった。彼もまた、周りの女性らと同じ作業をしており、送ろうとしているものも包装紙から推測するにチョコレート。しかも、足もとにいくつも紙袋があるところを見るとかなりの数である。何か事情があるに違いないと思った私は、彼がまさに今、書き上げた送り状をこっそりのぞいてみた。

送り先:○○株式会社 ○○部○○課 ○○様
送り主:クラブ・○○○○ リエコ

 このとてつもなく灰色っぽい、額に汗を光らせてあて名書きに没頭する男性がクラブにお勤めのリエコさんだったらビックリだが、そうは考えにくい。たぶん、忙しいリエコさんに代わり、常連客にチョコレートを送る役をおおせつかった関係者なのではないか。彼は送り状に“リエコ”“リエコ”と何度も書いたのだろう。そのうち「俺ってもしかするとリエコなんじゃないか?」と思いはじめるぐらい何度も何度も。そうして送られたチョコレートを、先方は「お、リエコからか?」とか言いながら受け取るわけだが、それは正解のようで正解ではない。それは正確に言えばリエコさんというより、年配者特有の「紙をめくろうとするとき、指を舐めるクセ」を連発しながら黙々と送り状をさばいていた灰色の人によって送られたものである。だから、貰うとちょっとキツイかもだ。






2002.2.9(土)

小泉首相の支持率低下に伴い、愛媛県の食品会社が昨年秋に発売した「純ちゃんふりかけ」の売り上げがピーク時に3分の1に急落。姉妹品「純ちゃんチーズケーキ」もさっぱり。
(朝日新聞より)
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「(パッケージに描かれた小泉首相の)似顔絵に『感動した』と名ゼリフを添え、黒ゴマときなこをたっぷり入れた健康志向」のふりかけとのこと。口の中がモソモソしそうだが、そもそもうまいのか。

 ホテルの喫茶で芸能人を見かける。

 思ったよりずんぐりしておられるなと思った。穏やかな口調、銀縁のメガネ、そしてあまりにも普通のたたずまい。その人があの有名な仲本工事さんであることに気づくまでに少々時間がかかった。仲本さんは連れの若い男女としばらくそこで談笑しておられたが、先ほど申し上げたように「あまりにも普通」であったためか、気にとめる人もいなかったようである。

 ここ大阪で、吉本興業や松竹芸能所属のお笑い芸人さんを見かけることは多い。けれども東京の、それも全国的に名の売れたタレントさんに遭遇するのは稀である。だからまあ言ってみればこれは「事件」みたいなものだ。今回、その「事件」は仲本工事さんに姿を変えて私を襲ったのであった。換言すれば「仲本工事事件」。“事”が被って読みにくいというのであれば「仲本工事件」としてもよい。なんだかゼネコンの事件みたいで大ごとっぽいではないか。

 と、そんなことを書いている私の心境は複雑だ。街で芸能人を見かける貴重な体験がなぜ「仲本工事さん」なのか。正直に言えば、同じドリフターズならいかりや長介さんや高木ブーさんにお会いしてみたい。志村けんさんや加藤茶さんでもかなりうれしい。しかしそこには仲本工事さんがいらしたのである。華やかさに背を向けた私の人生を思えば、残酷なほどにピッタリの人選。

 たとえば私が火星に行ったとしよう。火星とはいきなりだが、この地味な体験を少しでも派手に転じようとする私の思いは大気圏を突き抜けるほど強いので、そのへんはお含みおきいただきたい。火星の荒涼とした景色に落ち着かぬ私は、なにか生命のあるものを探そうとするだろう。小さな虫でもいいし、草だって構わない。目を凝らし、辺りを見回してみると、遥か遠くに人と思しき影。私は影に歩み寄り、それが何者であるかを確認する。

「仲本工事だ」

 彼は相変わらず「あまりにも普通」のたたずまいでそこに立っているだろうが、私はひどく感激するに違いない。迷わずサインを求め、記念写真を撮るだろう。仲本工事さんに会うのなら、これぐらい極端な設定が欲しいものだ。

 しかしながら、せっかく火星まで来て出会ったのが仲本工事さん。これもこれで、私をさらに複雑な心境にさせる事件ではある。






2002.2.1(金)

尼崎市内のパチンコ店で女性から1万円を引ったくろうとした男。抵抗され、半分にちぎれた1万円札を奪って逃走。ほんの500m先の警察署で札を見せ、「引ったくられたから金を貸して」とウソをついて署員に泣きつくも、すでに被害者から通報あり。犯行がばれて逮捕される。
(朝日新聞より)
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「イージーな犯罪者シリーズ」というのをはじめようかと思ってます。

 大阪・梅田のショッピングモールを歩いていると、どこからともなく太鼓の音が聞こえてくるのだ。ポン、ポポン、ポン、ポポン。規則正しく打たれるその音が鳴る方向を見やると、1匹のタヌキがいる。身長170cmほどはありそうな大ダヌキ。しかしそれは、もうおわかりとは思うがタヌキではなく、タヌキの着ぐるみを被った人である。『ぽん太』という居酒屋の客引きをしているらしいのだが、「街中でタヌキが太鼓」があまりに唐突なためか、誰も皆、そこを足早に通り過ぎて行くばかりだ。はたして、タヌキになって太鼓を叩く方法は、客引きに効果があるのだろうか。「客引き」というよりは「客引かせ」なのではないか。けれど、こういう言葉遊びはあんまりおもしろくないのではないか。しかもこういったどうでもいいことばかりこだわるから、私の日記は本題に入るまでがやたら長くなりがちなのではないか。そんなことを思いながらとある会社を訪ねると、Oさんという方のデスクの上に、なにやら茶色いものを入れたビニール袋があった。

私「何ですか? これ」
O「馬ですよ、馬」
私「馬って、あの“馬”ですか? ヒヒーンっていう…」
O「そうそう。今年の干支でしょ? いろいろ迷ったけど、縁起がいいかなと思って」

 それは東急ハンズのパーティグッズコーナーとかで売っているような“馬の着ぐるみ”なのだった。確かに今年は午年であるし、縁起がよさそうなのは間違いない。だが、干支の物など置物ぐらいで充分だろう。着ぐるみまで手に入れずともよさそうなものである。

O「これ着てね、職場の新年会の司会をやったんですよ」
私「これって、この馬の…、ですか?」
O「そうですよー。いやー、着ぐるみって不思議ですよね。僕も50近いし、着ぐるみなんて恥ずかしいとは思ったけど、ところがどうですか。着てみるとね、『やるぞー!』って気がしてきてね」
私「『やるぞー! 司会をやるぞー! 新年会を仕切るぞー!』と」
O「うん。照れとか、そういうものがすべて吹っ飛ぶ感じでね。いいですよ実際、着ぐるみっていうのは」

「おかげで司会は大成功」。そう言いながら晴れ晴れと笑うOさんは「何か『ここ一番』というときは気ぐるみを着るといい。実力以上の力が出るから」とアドバイスをくれた。それを聞きながら私は居酒屋『ぽん太』のタヌキの人のことを考えていた。寸分狂わぬ正確なリズムで太鼓を打ち続けるあの人。こと太鼓においては思わぬ能力を発揮しているとも考えられるが、

「見ろよあいつ。タヌキのくせにリズムキープが尋常じゃないよ」
「気味が悪いな。タヌキのくせに得体が知れないよ」

 それが却って、客足が遠のく原因になっているのかもしれないとなれば、ひどく悲しい話である。






2002.1.28(月)

27日に行われた「2002大阪国際女子マラソン」で、ローナ・キプラガト選手(ケニア)が優勝。アトランタ五輪金メダリスト、ファツマ・ロバ選手(エチオピア)は両足の土踏まずに血豆ができるアクシデントで7位に。「足のせい。満足していない」と“口をとがらせた(←新聞表記のまま)”。
(朝日新聞より)
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 そうですか。そういうことでしたか。

 申し訳ないが、昨日のことである。

 午前中に難波で仕事を終え、表に出ると昼。天気がよく、春のような陽気だ。気分がよいので御堂筋を散歩することにしたのだが、しばらく歩いているうちに、あたりが尋常でないのに気づいた。小さな旗を手にしている人がいるのである。いるっていうか、そんな人がものすごく多いのである。多いっていうか、その誰もが沿道に立って、何かがやってくるのを待ち構えているふうなのである。こんなとき、チーターやフラミンゴの群がやってくるのを期待するべきではない。この日は「大阪国際女子マラソン」が開催されており、御堂筋の一部がマラソンコースになっていた。小旗を持ったみなさんは、ここを通過するランナーを応援するべく、沿道に立っていたのであった。

 大阪市役所のある淀屋橋あたりに近づくと、小旗を持った人は一気に増えてきた。上空にはヘリコプターが飛んでいる。そろそろランナーが来るのだろうか、とつい立ち止まってしまった私もまた、係員ふうの人に「どうぞ!」と元気に小旗を渡され、“小旗の人”になっていた。試しにヒラヒラ振ってみる。悪くない感じだ。今度は小刻みに振ってみる。少し楽しくなってきた。パタパタパタパタパタパタパタパタ。自分が徐々にはしゃいでいくのがわかる。しっかり税金も払う大人の私が、小旗ひとつで簡単にはしゃいでいくはマズイのではないかと考えたが、もう止まらない。なにかこう、軽くピークを迎えている感じの私は、友人のYさんに携帯電話をかけた。

「あのな、今な、大阪市役所の前におるんやな。なんかマラソンやってるんやな。でな、私な、旗持ってるんやな。あっ! 来た! なんか来た! 先頭を黒人の女の人が走ってる! カメラも来てる! 私、テレビに映ってるかもしれん! うわっ! わー! どわーっ! ガキーン!」

 一心不乱に小旗を振る私の姿がテレビに映っていたかはわからない。興奮状態の友人に戸惑うYさんがテレビをつけたとき、先頭集団はすでに市役所前を通り過ぎていたからだ。マラソンのテレビ中継を見ていて気になるのは、沿道の人たちのはしゃぎっぷりである。ランナーに伴走しようと駆け出す者、よくわからない“のぼり”を振りはじめる者、そしてカメラに向かって手を振りながら携帯電話をかける者。電話では「今、俺ってテレビに映ってる?」みたいな会話がなされているに違いなく、「映ってるけど、だから何だよ」と言われればそれまでだが、何かしらそうさせずにはおられない大はしゃぎなムードといったものが、マラソンの沿道にはあるのかもしれない。常々そう思っていた。私はもうマラソンの沿道には近づくまい。まかり間違って近づいてしまっても、意外に楽しい小旗だけは絶対に受け取るまいと心に誓った。






2002.1.26(土)

ニュース休みます。

 すみません。

 ともかくいろいろで相変わらず慌ただしいのである。ああ、ともかくいろいろだ。あまりにもともかくいろいろで、「ともかく」「いろいろ」という曖昧かつ便利な言葉を使って詳しい言及を避けたいぐらいだ。特に昨日は、ここ半年ほどの間で群を抜く「ともかく」さであった。夜までに仕上げねばならない仕事をやっていたのだが、電話は鳴るわ、ファックスは届くわ。しかもそれらは、さらなる厄介ごとを報せる内容であったりするので、気が散って仕事がまったくはかどらないのである。

 こんなときに冷静沈着でいられるような私ではないが、ともかく落ち着かねばと思った。まずここで「ともかく」は1カウントだ。いや、それまでに10回ぐらいは「ともかく」と思ったことを考えると、すでに「ともかく」は11カウント目を迎えているといっても過言ではない。ともかく(12カウント目)なにか温かいものでも飲んで気持ちを落ち着け、仕事に集中しよう。そう思って私はコーヒーなどを飲み、再び仕事に戻った。だが、ほかに気になることがたくさんあるものだから、どうも思考が働かない。

 と、目を通していた資料の中の、ある単語に引っかかりを感じたのである。よく使われる単語ではある。しかし、それが意味するところは私の中では曖昧だ。そこで、辞書をひいて調べてみることした。いつもならこんな面倒くさいことはやらないのだけれど、無理矢理冷静になろうとしている人というのは、ときに思いがけないことをやりはじめるものである。そうだ辞書をひけ、もっとはっきり言えば『広辞苑』をひけ。ともかく(13カウント目)『広辞苑』のお世話になろう。「えーっと、広辞苑、広辞苑、広辞苑…」。私は本棚に『広辞苑』を探したが、あるべきところに見当たらない。前回、調べものをしたときに別の場所に置いたままにしていたのかもしれない。「広辞苑、広辞苑…」。はたして『広辞苑』はパソコンの横にあった。目の前にあったというのに、しかもこんなにデカイのに、どうして見つけられなかったのだろう。でもまあ、ともかく(14カウント目)無事に見つかりましたということで。

『広辞苑』をドサッと開き、ズラリと並ぶ23万の項目の中から件の単語を探した。「ごうし、ごうし、ごうじ、ごうじ、こうしえん…」。あ。 私は何をやっているのだ。『広辞苑』で「広辞苑」の意味を調べてどうする。「広辞苑、広辞苑、広辞苑」。『広辞苑』を捜索しながら、そう繰り返していたせいなのだろうが、だからってこんな「ピザって10回言って」みたいなやつに自ら引っかかってしまうのはどうしたものか。

 慌ただしさは人から冷静な思考力を奪うが、と同時にわかりやすいコントかなにかのような世界へと、人を導くのである。ともかく(気分的には100カウント目ぐらい)。






2001.5.31(木)

ブッシュ米大統領の19歳の双子の娘、ジェナさんとバーバラさんに、21歳以下の飲酒が禁じられているテキサス州のレストランで酒を注文した疑いが。
(朝日新聞より)
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「双子」と聞くと、どんなことでも少しおもしろく感じられるのは私だけか。例えば、同じ紙面から見出しを拾って(双子)と添えてみる。「山崎専務(双子)が社長に昇格」「イチロー(双子)また快音」「そごう株返還訴訟 前会長(双子)の請求棄却」…、今日のニュースはちょっと無理がありますか。

 仕事の帰りに携帯電話が鳴る。出てみたら大家さんである。今日は月末恒例の家賃お支払い日なので、大家さん宅を訪ねるつもりにはしていたが、先方からご丁寧にお電話とは。で、その用件というのがこれであった。

「あ、○○(←私の本名)さん? 今、あなたの家の近くのラーメン屋さんにいるんだけどさー、よかったらこっちへ寄らない?」

 もちろん、私はこの誘いを断らない。こうして、大家さんは2カ月に1度ぐらいの頻度で私にラーメンをおごってくれる。いや、ラーメンだけではなく、ギョウザとかビールもである。そればかりか、もやしニラ炒めや冷や奴なんかもである。大家さんは大地主で働き者でお金持ちで犬も飼っているから、とても太っ腹なのだ。

 さて、ラーメン屋に到着すると、大家さんはすでに酎ハイなんかを飲んでいたが、隣の席の男性に絡まれてたいへんお困りの様子であった。男性は50代半ば。顔がねじめ正一そっくりで前歯が銀歯。この人、前に一度会ったことがある…と思っていたら、向こうから「久しぶりやな」と挨拶されてしまう。思い出した。この人は「リョウちゃん」と呼ばれるこの店常連の酔っぱらいだ。去年の8月31日、私は初めて彼に会い(こちらのページの一番下にある日記参照) 、ヘロヘロになるまで酎ハイを飲まされたのであった。「リョウちゃん」は今夜もあの日と同じだ。私を「マリちゃん」だの「ユミちゃん」だのといった当てずっぽうな名前で呼び、愛について大ざっぱな持論を展開しては、私と大家さんに同意を求める。いい加減ウンザリしてきた私たちは、「リョウちゃん」がトイレに立った隙に店から逃げ出した。

「やーね、酔っぱらいって。嫌んなっちゃうわ」

東京出身の大家さんは、黄金時代の日活映画のヒロインのかなにかのような可憐な口調でそうこぼす。彼女の言う通りだ。酔っぱらいにはまったく困ってしまう。と、かつて私をひどく困らせた酔っぱらい・Oさんのことを思い出した。数年前の夏、終電を逃した私たちは、共通の知人・Kさんの伯父が経営するまことに家庭的なオカマバーで夜を明かすことになった。そんな中、静かにウイスキーを飲んでいたOさんが豹変。周りの客を「バカバカ」と罵るわ、店の観葉植物をぶっ倒すわ、ソファーカバーを引っ剥がすわの大暴れで、私たちやオカマさんをホトホト困らせたのだった。いやもうホントに酔っぱらいってのは手に負えない。しかし、続いて語られた大家さんの体験は「困る」とか「手に負えない」とかそんなレベルをはるかに超えるものだった。

「私もね、登山仲間の懇親会で困った人に会ったのよ。最初はね、楽しく飲んでたの。でも、なにかで意見が食い違っちゃって。ああでもないこうでもないって言い合ってるうちに相手が怒りはじめたのね。向こうも酔ってるし、もともと絡みグセのある人らしかったから、収拾がつかなくなっちゃって。仕方ないから『もう止めましょう。わかりましたから』って私がトイレに立ったのね。で、用を足して個室から出ようとしたらドアが開かないのよ。何事かと思ったらさー、さっき怒らせた人が外からドアを押してるのね。『なにやってんの!? 開けてちょうだい!』って言うんだけど、ちっともどいてくれなくて、ドアの向こうからなんだか荒い鼻息が聞こえてくるばっかりでねー。あれにはちょっとね…」

 ケンカの腹いせに大家さんを閉じこめようとドアを押し続けた女性、当時68歳。これはもう、ちょっとした怪談ですな。






2001.4.20(金)

『世界のジャガイモ料理辞典』国際バレイショ研究所編著 成田和美訳
(朝日新聞掲載、「日本図書刊行会」広告より)
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「国際バレイショ研究所」というものがあることを初めて知る。国家の枠を越え、バレイショのことだけに没頭する研究所員。毎日毎食、バレイショ続きでも「またイモかよ」とは決して言わない強い人。

 仕事で方々へ。行く先々でなんだかいろんなものを貰ってしまう、まるでロールプレイングゲームのような1日。「Geishaは○○を手に入れた!」ってやつだ。ま、外出時にはリュックを背負い、両手をブラブラさせている私であるから、「なにか持たせてやりたい」と思っていただけたのかもしれない。

1、Geishaはあまりにもデカい灰皿を手に入れた!

 以前、この日記にも登場していただいた“ダイエットに挑むMさん”からいただく。ちなみにダイエットは効果なく終わったそうだが、「これで気が済んだのでもういい」とのこと。決してポジティブとはいえないけれど、いさぎよい考え方だと思う。そんなMさんから貰った灰皿は、どこかのビルの竣工を記念して配られたものらしい。包装紙には“Y社 サトウ様へ”と書かれている。私はY社の社員ではないし、サトウという名でもないから、もともと私にではなく、“Y社のサトウ様”に宛てられたもののようだ。たぶんその“サトウ様”とやらが受け取りを拒んだせいで、私にまわってきたのではないだろうか。
 さて、灰皿はなんと鉄製である。しかも、バカにデカい。記念品として配られる灰皿が、たいてい無駄にデカいことはよく知られている。このデカさをどうお伝えすべきか、ずっと考えていたのだが、「中でカブトムシが飼えるほどデカい」というのはどうだろうか。お菓子作りが趣味の女性方には、「パウンドケーキの焼き型になるんじゃないかと思うほどデカい」って表現がわかりやすいかもしれない。けれど、ケーキ作りには使えない役立たずだというのだから、“サトウ様”が受け取りを拒否する気持ちも充分理解できる。どう使うのが適当かはわからないが、とりあえず土を盛り、アサガオの種でも蒔いてみようと思う。

2、Geishaは悪い夢でも見ているようなメモパッドを手に入れた!

 これは仕事関係の別の知人から。フロッピーケースみたいなプラスチック容器に、メモ用紙の束が入っているもの。正式にはなんと呼ぶのかわからないから、一応“メモパッド”と表現してみた。
 大阪市のとある団体が2008年オリンピック招致活動の一環として作ったものらしく、すべての用紙に「OSAKA2008」とプリントされている。つまり、めくってもめくっても「OSAKA2008」。いくらオリンピックを大阪で開催したいとはいえ、この鼻息の荒さはどうだ。表紙に至っては、夕景をバックに浮かび上がる「OSAKA2008」がホログラムで描かれており、悪い夢でも見ているような心持ちになる。想像してほしい。あなたは仕事を終え、疲れ果てて帰宅した。もう限界だ。早く眠ってしまおう。そう思って寝床に入る寸前、机の上に置いてあったメモパッドの表紙が目にとまった。「夕空に浮かぶOSAKA2008」。その印象的な光景は必ずや夢に現れ、あなたを苦しめるに違いない。ああ、川の向こうに今、「OSAKA2008」で燃え尽きた空が落ちる。あまりの息苦しさに目覚めると、机の上に同じ光景が。つまり、寝ても醒めても「OSAKA2008」。メモ用紙として使うのが適当なのは百も承知だが、とりあえずは悪夢のような表紙を除いてどこか目の届かない場所に仕舞い、「OSAKA2008」とプリントされていない用紙の裏面から使用してみたいと思う。

 そのほか、やはり「OSAKA2008」をアピールしまくる猪突猛進卓上カレンダーや、着古したTシャツなんかも手に入れた。それらが今後、RPGのごとく「襲い来る幾多の困難(例:悪い人に騙される)から私を守ってくれるアイテム」になり得るのかは、まだわからない。






2001.4.16(月)

世界初の臨床用人口赤血球「ヘモピュア」(米バイオ製薬会社「バイオピュア」製)が南アフリカ共和国で認可される。
(朝日新聞より)
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 発音してみたいネーミングシリーズ。「ヘモピュア」は鼻にかけて言ってみるとソフトなムードを演出できます。

 昨日、占い好きの友人に手相とやらを見られ、「近い将来、誰かに騙される」と宣告された。

 そんな、悪い人に騙されたりなんかもするらしい私は、このところ引っ越しを考えている。今、私が住んでいるアパート。ここで再三申し上げているように、大家さんはとてもいい人だ。私にロッククライミング初級者コースの受講を勧めたりしなければ最高の大家だろう。だが、現在の仕事のスタイルを考えると、大阪市内まで往復1時間はちょっとキツいし、なにより、毎年春になるとどこからともなくわいてくる得体の知れぬ羽虫にはウンザリである。築30年ほどにはなるのだろうから仕方ないが、台所の窓の下に1センチほどの隙間があるのはどうしたものか。春や夏はよい。けれど、晩秋から冬にかけ、冷え切った外気がそこから入ってくるのには、どうしても慣れることができない。昭和はまだ、ここにある。

 思えば、かつては“わけありの人”でにぎやかだったこのアパートも、ここ数ヶ月は空室が目立ち、「終わりかなと思ったら泣けてきた」の風情が漂っている。大家さんによれば、とある大学の学生でいっぱいのころもあったようだが、今では老人とか、親子で二部屋も借りているガラス屋とか、物音ひとつたてないナゾのシバタさんとか、そういった覇気のない面々が、ひっそりと暮らしているのである。私にしたところで覇気があるとは言い難いが、それもこれも、件の春の羽虫や外気入り放題の隙間、水道の水漏れ、外の振動をダイレクトに受けてビリビリ震える窓ガラスなど、アパートの老朽化によって年々深刻になる厄介ごとの数々が、人間のちょっとしたやる気なんかを徐々に萎えさせていくせいなのだと思う。

 ああ、このままではノイローゼとかになりそうだ。っていうかもう半分ノイローゼだ。“半ノイロー”って呼び方だとかっこいいのか。などと考えながら、コンビニで買った『週刊住宅情報 賃貸版関西』をめくる。今週はなんと「10830件」の情報を掲載しているというが、滋賀県の奥の方にあるとある駅から「バス20分徒歩15分」という物件は私のノイローゼをさらに悪化させそうだから無視せねばならない。そこで、私の悪いクセである「巻末から雑誌を読む」のをやめ、素直に巻頭の「大阪市内」のページに載っている物件を探すことに。まもなく、魅力的な物件に目が止まった。家賃は格安で一戸建て。大阪の交通の要・梅田に近く、しかも駅から徒歩2分。なんだか夢のような物件ではないか。「ここに決めた!」と私は思った。さらに情報を検討してみる。「ペットOK」。まぁ、今は飼ってないけど、将来的にはセキセイインコとか買いたいので好都合。「風呂、トイレ別」。これは重要だ。もろ手を挙げてオッケー。「木造」。うーん、ちょっと不安だけれど、まぁ家賃も格安だし、味があっていいのではないか。「'77年築」。なるほど、それで木造なわけか。納得納得。さっそく明日にでも、不動産屋に電話してみよう。

「家賃は安ければ安いほど良し」、「古いものこそ味がある」。この価値観が、たぶん私と厄介な物件とを強く結びつけている。私は一生、住まいの悩みから逃れられまい。






2001.3.15(木)

仏ルモンド紙発行の月刊誌「ルモンド2」の昨年12月号に掲載された「アルジェリア独立戦争でフランス軍の拷問を受けるアルジェリア兵」の写真。実は宴会でふざけるフランス兵の写真だったことが発覚。
(朝日新聞より)
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「戦争の悲劇」を伝えるはずの写真だったわけだが、よく見ると卓上にビール、拷問の道具であるはずの電線の先にレコードプレーヤー、拷問を待っているはずの隣の兵士が笑っているとか。なんで間違ったのか、まったく不明。

 で、今日の日記は長いので、おヒマのあるときにお読みください。

 わけあって、昼ごはんはピザでした。

 正午ごろ、玄関で「ドーン」という大きな音がした。なにかがドアにぶつかったような音だ。力をもてあました宅急便の配達員が体当たりしたのかもしれない、などと思いながら、恐る恐るドアを開けようとすると…、開かない。っていうか、動かないのである。そこで、渾身の力を込めてドアを押してみる。すると、ほんの2センチほど隙間が開き、そこから外が見えた。

 事情はすぐにわかった。ウチの前に置いていた自転車が、強風のせいで倒れたのである。ウチのアパートの通路は、自転車1台の幅とほぼ同じ幅だ。倒れた自転車は、そこにぴったり収まっていた。しかも私んちのドアの前で。もうおわかりでしょうか。自転車がつっかえ棒みたいになって、ドアを外側から押しとどめていたのである。さて、ドアはびくとも動かない。そしてここは2階。窓から飛び降りようとすれば、骨折覚悟である。どうも私は、完全に閉じこめられたようだ。ここから抜け出す方法はただひとつ、部屋の外にいる誰かに「自転車を起こしてもらう」しかない。とりあえず大家に電話してみたが、山にでも登っているのか、留守であった。ああ、助かる道は「自転車を起こしてもらう」しかない私。そう思うと、なにかこう自分でもよくわからない笑いがこみ上げる。私は狂ったように笑いながら、友人のYASさんに電話をかけた。

「閉じこめられた!」と叫んでは大笑いする友人に、YASさんも一瞬面食らったようであった。だが、のっぴきならない私の状況を理解し、すばらしいアドバイスをくれたのである。「ピザの宅配を頼めばいい。で、配達してくれた人に自転車起こしてもらえばいい」。そうか。その手があったか。私はすばらしいYASさんに礼を言い、電話を切った。宅配ピザが来るのは注文してから30分程度。つまり、30分も経てば、この状況から抜け出せる。ああ、ピザの宅配さえ頼めば…。しかしここで新たな問題だ。我が家では、これまで一度も宅配ピザを注文したことがないのである。ウチの郵便ポストに、よくピザ屋のチラシが突っ込んであったりするのだけれど、たぶん注文することはあるまいと片っ端から捨てていたので、手元に1枚もない。けれど、やっと見えた光明だ。なんとしてもピザを配達してもらわねば。ともかく電話帳でピザ屋を調べ、電話してみることに。ところが、たいていの店は留守電になっていて「平日の営業は午後4時からです」というアナウンスが流れるのみだ。ピザっていうのはアレか。午後4時を過ぎないと食べちゃいけないものなのか? しかも時刻はまだ午後1時過ぎ。開店まで3時間もある。私には「3時間も待ってられない」理由があるので、別の店、また別の店へと次々電話をかけまくった。

 やっと繋がった店は、聞いたことあるようなないような名前のピザ屋である。私は、電話帳で番号を調べてかけていること、だから手元にメニューがないことを店員さんに告げ、「なんでもいいから、一刻も早く届けてほしい」とお願いしてみた。もちろん、「自転車を起こしてもらうため」という真の目的はふせてある。だが、「なんでもいいから」と言われても、ピザ屋だって困ったろう。私がピザ屋だったら電話を切っている。しかしそこはさすが、昼からやってる『ピザ○○○○○○』だ。他店とも私とも違う。困った客の対応にも慣れているのか「今月のおすすめ商品はいかがでしょうか?」と聞いてきた。たいへん結構ではないか「今月のおすすめ」。すすめられるがままに食べてみよう、そう思った。

店員「あ、そうですか。ありがとうございます。当店では今、オープン○年記念キャンペーンを実施中でして、特にご好評いただいてるお得なメニューがございます。すべてLサイズになりますが、まずは『びっくり○○』、そして『びっくり●●』、さらにお得な『びっくり××』…」

 よくはわからないのだが、私がおすすめされている「お得なキャンペーンメニュー」には、すべて頭に「びっくり」がついているらしい。「とってもお得なので“びっくり”」なのか「お昼から開いてるので“びっくり”」なのか「あんまり“びっくり”“びっくり”言うから“びっくり”」なのか。ともかく私は、電話口で何度も何度も「びっくり」を繰り返す店員さんの声を聞きながら、全然「びっくり」じゃないごく普通のピザを注文した。

 こうして30分後、ピザ屋が来て、私んちのドアは何事もなかったように開いた。すでに自転車は、ピザ屋の手で起こされていた。見るからにバイト学生という感じの若い配達員。たぶん彼は、自分がここに呼ばれた「本当の意味」を知らない。知ったところで、人生が大きく開けるとか、時給が上がるとか、実家の庭から温泉が湧くとか、そういった慶び事が起こるわけでもないのである。

 このようなたいへん複雑な事情から、今日の昼ごはんは宅配ピザだった。ちなみにピザの「味」だが、助けてもらった恩などを加味しても、決して「うまい」といえるものではなかった。「びっくり」にしといた方が、いくらかよかったかもしれない。






2001.2.19(月)

 19日、衆議院予算委員会に臨んだ森首相。「総理にとっての夢は?」との質問に「率直に申し上げて、最近は夢をみるという睡眠状態ではない」と答えたところ、「委員たちはあっけにとられ、一瞬委員室は静まり返った」。
(朝日新聞より)
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 いや、ですからね、私はもうこの人をなんとかしてあげたい。それだけです。最後まで見守っています。

 行きもしない海外旅行のことを調べている。

 そんなわけでここしばらく、海外情報のサイトや旅行雑誌ばかり見ているのだが、これが割と楽しめる。なにしろ「行きもしない」わけだから、ホテルに空きはあるのか? とか、飛行機の手配は? とか、乗り換えとか渡航料金とか日程とか家の都合とかうどん一杯の値段とか賞味期限とか、そういった細かいことをいちいち調べる必要がない。これは、たいへん気楽なことである。ま、本当はそんなことも調べてみなければならないのだが、やはり人というもの、どうしたって最後には自ら欲するものに向かうのだな、と思う。

 たとえば先日、私は韓国の“観光”を調べていた。韓国といえば石焼きビビンバ。いや、ピビンパ? ピピンパ? ともかくまぁああいった料理が有名だし、うまいとされる店もあるのだろう。あとはロッテワールドとか、でっかいアウトレットの店も観光客に人気と聞く。じゃ、その辺の情報を集めて…、とネットに繋いだのはいいが、気がつけば私は、とある韓国の情報サイトにある「ニュース」とやらをむさぼり読んでいた。誰だって、こんなニュースに出会えば仕事もそっちのけになろうというものだ。

 どこの国でも、子どもって本当にバカだと思う一方、猛烈に韓国へ行きたくなる。ぷんぷん、ぴいぴい、ジャジャーン。目一杯ふざけてはいるが、どれも弱そうなのが気にかかる。






2001.2.9(金)

東京都日野市の都多摩動物公園が、チンパンジーに清涼飲料水の自動販売機で「買い物」をさせる試みに成功。
(朝日新聞より)
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 6歳の雄チンパンジー・チコは、去年の暮れごろから「買い物への『意欲』を見せていた」とある。人間の場合、過ぎた「買い物への『意欲』」はローン地獄とかに繋がる恐れがあるので、あまり歓迎されないし、もて余すしで大変だ。

 初対面の方と待ち合わせをすることになった。

 相手はKさんという女性だ。電話で話したことが2、3回ある程度だから、彼女を知る手がかりはその声や話し方しかない。まぁたぶん年齢は20代半ばだろう。で、笑い声がたいそう豪快なので、元気の良い大柄な人なのではないかと想像していた。「元気の良い」はともかく、「笑い声が豪快だったら大柄な人」というのは少々乱暴な気もするけれど、私がそう思ったのだから、ここはご納得いただけまいか。さらに「鋼鉄を握りつぶす手」とか「深い深い鼻の穴」とか「額に光るホクロ」とか想像は膨らむばかりだが、あんまりいろいろ書くといつまでたっても本題に入れそうにないので、この辺でやめておく。

 さて、私の思い描くKさんはモンスター化し、この世にはあり得ない姿カタチになっていきつつあった。そんな折、仕事の都合で会う必要が生じて、この度初めて対面させていただく運びとなったわけである。待ち合わせ場所はJR大阪駅の噴水前。ここ、大阪ではいわゆる「待ち合わせのメッカ」だ。休日や金曜の夜はもちろん、平日も人待ち顔のみなさんがワサワサいるところなのである。そんな中で、顔も知らない人を見つけるなど、できるわけがない。私たちは永久に会えないかもしれない。

 なにか手がかりを、と思った私は、たぶん誰もがそうするように、彼女とわかる特徴を電話でたずねてみることにした。Kさんとは、いったいどんな方なのか。

K「ああ…、まぁ身長は普通です。高からず低からず…」
私「うーん、普通ですか……。あ、じゃあ髪はどうですか? どんな髪型してますか?」
K「長さは肩にかかるかかからないかぐらいですね」
私「それは、長からず短からずってことですか?」
K「まぁそうですね。それを後ろで束ねてるかもしれないけど、その日は束ねてないかもしれません」
私「それは、束ねているかもしれず、束ねていないかもしれずってことですか?」
K「………………」
私「………………」

 背は高からず低からず。長からず短からずの髪を、束ねているかもしれず束ねていないかもしれず。結局、私が得たKさんに関する情報はこれだけである。来週水曜の午後、JR大阪駅の噴水前にこんな“どっちつかず”の方がいらしたら間違いなくKさんだが、見つけられる自信が私にはない。やはり私たちは、永久に会えないかもしれない。






2001.1.19(金)

首相「“麻耶”は“麻薬”に似ているね」
評論家・細川隆一郎氏「あまり冗談は言わない方が……」
(朝日新聞より)
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 森首相、麻薬覚醒剤防止キャンペーン映画「DRUG」の主演女優・黒沢麻耶さんを紹介されて。

 知人のMさんが5日前からダイエットに取り組んでいるという。

 失礼を承知で書くが、Mさんはかなりの方だ。正確な体重はわからない。体重をたずねても「そんなこと、妻にも明かしたことがない」と答えていただけないからだ。けれど彼の同僚によれば「どうも3桁は行ってるらしい」とのこと。3桁。つまりこういうことだ。

“かなりの方”の多くがそうであるように、Mさんがものを食べるスピードは凄まじい。以前、一緒に食事をさせてもらったことがあるのだが、テーブルに料理が運ばれてくるや否や瞬時に皿を空けてしまう彼の行為は“食べる”というよりは“一気飲み”と呼びたいようなものであった。一時の休息も置かず、次から次へと食べ物を口に運ぶ。その間、たぶん呼吸を止めているのだろう。すっかり料理を片づけた後、Mさんは心なしか息が荒くなる。そして、なんだかもうハァハァ言いながら次の料理が出てくるのを待つのである。額には汗。「なにもそこまで」とは思うが、鬼のようなMさんの気迫にはただただ圧倒されるばかりだ。

 勢いに任せて“鬼”などと書いてしまったが、Mさんはとてもよい方なのである。私の失業問題のときは、たいへんお世話になった。ときどき缶ジュースくれたりなんかもする恩人だ。だから「Mさんはかなり」などと書くのは心が痛むが、やはり現実として「Mさんはかなり」と言わざるをえないのであった。

 そんな彼がダイエット。「“あの原千晶が1カ月で8キロ痩せた!”っていう雑誌広告を見て“これしかない!”と思った」という“マイクロダイエット”に挑戦している。なんでも、食事の代わりに特製のシェイクを飲んで摂取カロリーを抑えるダイエット法らしい。シェイクにはバナナ味やココア味があるが「ウマイとかマズイとかっていうより、どれも粉っぽいのが難点」とか。

M「でもねー、考えてみなはれ」

あ、申し遅れたが、Mさんの大阪弁は上方お笑い芸人のようだ。では再び、Mさんの発言に戻る。

M「でもねー、考えてみなはれ。虚しいもんでっせー、晩めしが粉っぽいシェイクだけっていうのは」
私「はぁ、そうでしょうね。お察しします」
M「朝起きたら、なんやもう腹ぺこですわ」
私「胃なんか空っぽでしょうからね」
M「せやからねー、ものすご食えるんですよ、朝めしが」
私「はー、食いますか」
M「今日も朝からギョウザ10個食うてねー。ステーキなんかもペロリですわー」

 ギョウザ10個、そしてステーキ。どう考えても食べ過ぎではないか。しかもMさんのことだから、朝からこれらを“一気飲み”である。果たして彼は、原千晶のように1カ月で8キロ痩せることができるのだろうか。






2001.1.16(火)

                                                   

 15日、大阪府八尾市の恩智神社で恒例の「粥占神事」。米1升、小豆5合を炊いて作った小豆粥を氏子が竹筒に流し込み、米と小豆の詰まり具合を見て今年の作物の出来を占う。
(朝日新聞より)
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 平安時代から続く行事らしい。たぶん平安時代の誰かの思いつきから始まったのだろうと考えると、なんか楽しい。

 自宅の電話が止まっていた。

 先月はバタバタしていたので、電話料金の支払いをつい忘れていたのだった。それにしても“バタバタ”ってなんだ。地べたに寝転がる。手足を交互に上げ下ろし。バタバタ。←このバタバタのモデルは駄々をこねる子どもだけれど、先月の私は駄々をこねていたのではない。ただもう“バタバタ”としか表現しようのないバタバタの状態だったのである。しかしNTTは私のバタバタなんか知らないし、もう“バタバタ”自体が説明不足だから電話は止まった。

 仕事先でお会いしたSさんちの電話もよく止まるという。電話代が払えないわけではない。彼もまた「バタバタしてて、つい」のクチである。

S「止まってるときに外から自分ちに電話かけると“お客様の都合で通話できなくなってます”とか言うんですよね」

私「あ、言いますね。前に止まったときにかけたら、そういうアナウンス流れてました」

S「あれは腹立ちますよねー。僕の都合ちゃうっちゅうねん。僕的にはね、なにがあっても繋がってて欲しいわけですよ。ヨソはともかく、自分ちの電話はね」

私「あー、わかりますわかります。ヨソはともかくね」

S「それなのに“お客様の都合”って。それは“僕の都合”って言ってるわけでしょ。そりゃ違うでしょ。なんか、僕が意図的に止めたみたいじゃないですか。電話してくれた人に“かけてくるな”と。そう言ってるみたいじゃないですか。止めたのはNTTでしょ」

私「あー。ま、わかりますけどね。でも“NTTの都合”って言っちゃうのもどうでしょう。あっちも止めたくて止めたわけじゃないでしょう。……うーん、だったら誰の都合なんでしょうか」

S「え?」

私「いや、だから誰の都合なんでしょうか、と…」

S「あ………。えーっ、誰だ? 絶対に“僕の都合”じゃないないですよ。これは絶対。でもなー、かと言ってNTTもなー…」

Sさんは頭を抱えてしまった。私は「こういうときには話題を変えるのがよい」と思い、別の話を切り出した。そんなわけで「バタバタして、つい」タイプの人の電話が止まる“都合”の所在は、今もわからぬままだ。






2001.1.12(金)

 米オレゴン霊長類研究所のグループが、蛍光たんぱく質をつくるクラゲの遺伝子を組み込んだサルを誕生させることに成功。
(朝日新聞より)
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 組み込まれた遺伝子の量が少ないため、サルの皮膚や毛が光ることはないらしいです。しかし、なんで「サル+クラゲ」なのか。

 夜、友人のKさんより電話。

K「ホンマに申し訳ないやねんけどな」
私「うん」
K「ちょっと折り入っておうかがいしたいことがあるわけよ」

電話口から聞こえるのはKさんの声ばかりではなかった。なにか複数の方が、Kさんの近くで「ダーッ!」とか「オー!」とか好き勝手なことを言っているようである。

 酔っているのだな、と思った。Kさん、そして電話の向こうにいる何人かが酒を飲んでいることは、気配でわかった。おそらく皆、顔を真っ赤にし、三角帽を被ってクラッカーとか鳴らしているのだ。勢い余って肩を組み合ったり、誰かれ構わず握手を求めたりして厄介がられているに違いないのだ。押せば簡単に開くドアを引いたりするものだからどうにもならず、「出せ! ここから出せ!」と自分勝手なパニックに陥ったりもしているはずだ。酔っ払いとはそういうものだ。その酔っ払いが私に「折り入っておうかがいしたいことがある」と言うのである。

 やがてKさんの話で状況がわかったのだが、そこにいるのはKさんとNさん、そしてまた別のKさんの計3人。今日はKさんの誕生日だったので、祝いに酒を飲み、テレビを見ながら話をしていた。そんな中、ある事柄について意見が対立し、収拾がつかなくなってしまったという。それぞれ、自分が正しいと言い張って一歩も引こうとしない。そこで、なぜか私の意見を聞いてみようということになり、

K「ちょっと電話してみたっていうわけなんやな」

 ところで、そんなとても迷惑な酔っ払いであるKさんたちの「折り入っておうかがいしたいこと」の内容だが、あんまりくだらないのでここには書かない。ただ、私の回答が

私「それって藤本義一やろ」

で、そう答えたことによって彼女らの問題はすっかり解決したらしいことだけはお伝えしておきたい。

 しかし「藤本義一」と言っただけでこんなに喜んで貰えるとは。こんなこと、たぶんもうないだろう。そんな気がしている。






2001.1.10(水)

 アフリカ訪問中の森喜朗首相。南アフリカ在住日本人の集まりに出席し「想像していた南アフリカではなく、バカでかいのとバカきれいだ」と印象を語る。
(朝日新聞より)
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 困ったときには森首相。

 21世紀を迎えて10日になるが、前世紀に「○○21」と名付けられたものは、これからどうなるのだろう。

 大阪・京橋のビジネス街に15年ほど前に建った「ツイン21」という立派なビルがある。21階建なのかと思いきや「ツイン21」は38階まである。私はかつて、高層階にある中華料理店でおごってもらったことがあるから間違いない。

 名前にはその名付け親の願いが込められているものだ。我が子の幸せを願って「幸子」、少なくとも3番ぐらいは狙えるそこそこの子になってくれと「三郎」、などの例を挙げるまでもなく。「ツイン21」は「いつか21階建になって欲しい」とかで「21」とついているはずはないのであって、「いやいや、現在の21倍、798建のビルに成長させたい」とかになると、それはもう妄想めいている。

 さて、ここまで長々と引っ張ってきたが、みなさんはとっくにお気づきかもしれない。「21」が意味するのは「21世紀」なのだ。「ツイン21」が建った15年前といえば、21世紀は充分に未来であったから、「未来に向かってはばたく」とか、そういった前向きな姿勢を名前に込めたのだろう。

 今だって「21世紀」に未来のイメージが失われているわけではない。けれどそれは、私たちがまだ21世紀に慣れていないからなのである。あと10年、いや2年か3年ぐらいで私たちは21世紀に慣れる。30年も経てば、もう「22世紀に向かって…」とか言ってるに違いない。

「ツイン21」というビルが30年後までもつのか、という問題はさておき。前世紀に「○○21」と名付けられたものたちが、今でも全国各地に残る「○○銀座」という商店街や「ラフォーレ○○」というテナントビルみたいな、なんだか時代を感じさせる過去の遺物っぽくなっていくのは仕方ないのではないかという気がしている。いっそ「○○50」と名付けて「50世紀に向かってはばたきます」と宣言してはどうか。古くなるまで、あと2900年。これだけ余裕があれば、おおむね安心でしょう。






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(過去分は1999.5.19まであります)