嘘だといってくれ

バレンタイン番外


 天井が高い……会場に入った最初の俺の印象は先ずそれだった。

 ここは空気が違う……

 俺が住む世界と同じように人々が集まっているだけなのに、その喧噪も香水の薫りも似てるようだが全く別物……

 逆に全てが自分を拒絶してるようだ。

 お前は場違いな人間だと……。

 だが、せめて自らこの舞台を逃げ出しておどおどだけはすまい。

 

 イタリアから鳴りもの入りでやってきたオペラ。役者は勿論、舞台からオーケストラまですべて現地で 調達したものをそのまま持ってきた本格的なものだ。

 男達はタキシード女達はロングドレスで集いそれぞれ 慣れた雰囲気で囁きあっていた。

 重厚なベルベットの緞帳に相応しくすべてがハーモニーを奏でお前だけがこの世界に似つかわしく無いのだと攻められているような気持ちになりそうだった。

 こんな場所にのまれてたまるか!

 俺は胸を張って顎を引き幕がゆっくりと上がってゆくのを小さな笑みを浮かべて見つめていた。

 

 

 それは一週間前の事だ。1通の封書が恭しく俺の職場であるホストクラブに秘書を通じて直接届けられたのだ。

 「村上さまはどちらでしょう?」

 「僕ですが……」

 「恐れ入りますが、すぐに開封されて出欠の確認だけでもさせていただけませんか?」

 秘書というより執事のイメージに近い初老の男がこの場で手紙を開封するようにせまる。

 いったいどこの客だろう?

 まったくこの忙しいのに迷惑な事だ。

 そんな気持ちはおくびにも出さずに営業スマイルでにっこりと微笑むと俺はなるべく丁寧に封を切った。

 そこにはオペラの招待券が2枚同封されている。

 今話題のとんでもなく高額のオペラ……最前列……しかもペアだ。もし俺がいけないならキャンセルということなのか?

 手紙には「もし志月さま御本人が出席出来ない場合はそのままお返し下さい」と認めてあった。

 いったいこんな高価なものを見返りも無くポンとプレゼントしてくれたのはいったい誰なんだろう?

 「失礼ですが今一度、日時を御確認下さい」

 秘書が確認を促す。

 なんと2月14日……土曜のバレンタインディ……稼ぎ時じゃないか。

 眉間に皺のよった俺の顔を覗き込むように秘書が囁く。

 「この時間志月さまを拘束する形になりますので、100万円程出席料として御用意させていただきますが」

 その金額で俺の顔色は変わった。

 女達に愛想を振らずに100万円……こんな美味しい話はそうない。

 「勿論、出席させていただきます」

 即答だった……

 無論、店が簡単に休みをくれないだろうという事は解っていた。

 週末のしかもバレンタインディに休暇をとるホストなんて終わってる。

 だが、俺もそろそろこんな水商売から足を洗いたくなってきたところだった。これが潮時というものだったのかもしれない。

 散々マネージャーから文句を言われたが客を多く抱える俺にすぐに辞められるとこまるのだろう。マネージャーは最後までぐちぐちと他に示しがつかないなどと呟きながらも結局は休みを認めてくれることになったのだ。

 俺は誰を彼女として連れて行くのか散々迷ったあげく、一番美人でしかもお嬢様育ちの小池祥子を連れて行く事にした。

 隣にいるにはぴったりの女だ。

 上品で美人でしかも頭も悪く無かった。

 「私……多分夢をみているのね?志月と二人っきりでこのオペラにバレンタインディに来てるなんて」

 興奮して頬を染める祥子が妙に初々しく、こんな美人と同伴できる喜びに浸りかけた時だった。

 ふと右の首筋に熱い視線のようなモノを感じて振り向いた。

 俺はそのまま叫びそうになる。

 自分でもよく叫ばなかったと感心するくらい動揺していた。

 自分達のすぐ斜後ろの席に妙高寺グループの会長とその養子で跡継ぎの妙高寺城(きずく)が陣取っていたからだ。

 城は俺に全く関心もなければ気が付きもしないという涼しげな雰囲気で正面を見据えていた。

 これは偶然なのか?

 否、決してそうではない。

 俺はやっと気がついた。

 この高価なバレンタインの贈り物の主がいったい誰なのか。

 もう俺はオペラなど全く意識の外だった。

 自分の右半身だけがやけに熱く感じられまるで太陽を背に受けているように背中がほっこりと暖かかった。

 視線を感じながらも俺は一度も振り返りはしなかった。アンコールが終わり客がスタンデングオベーションを繰り返していた時、俺はさも知ってる人を捜す為に遥か遠くを見る振りをしながら城の方に瞳だけを移した。

 じっと顔は正面を見据えていた城がやはり瞳だけ俺に絡めてくる。

 俺達はまわりの誰にも気付かれぬように瞳で互いを愛撫しあい愛を確かめあった。

 それはほんの一瞬の出来事だったが、今までのどんなセックスよりも俺の心を熱くさせた。

 この瞬間が止まればどれほどかいいのに……。

 それは俺達だけが気がついた、熱い愛撫だった。

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