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うっすらと明るくなった窓の外の明かりが俺たちのベッドの枕元に差し込み夜の終わりを告げていた。
「伊織さん…後悔してるんですよね?」
恐神の柔らかな声で渾沌とした眠りの樹海を彷徨っていた俺も、やっとはっきりと意識を取り戻した。
「私も後悔しています……」
その言葉に思わず起き上がって彼の顔をまじまじと見つめてしまった。
彼は眩しそうな照れたような表情で俺を見つめてから俯いた。
甘やかだった空気が一瞬にして冷やかなものに変化していく。
なにか彼との間に新しい信頼関係に似た感情を掴みかけたような気がしたのは俺の錯覚だったらしい。
そりゃそうだろう。 彼にしたら熱にうかされたように若い女どころか、いい歳をしたおやじを何度も抱いてしまい、その後、冷静になれば冷や水を浴びせられたような気持ちになるのはごく自然な事だ。
42歳にもなるおやじと一晩狂気の中にいた事をまともな神経なら後悔しないほうがおかしいのに。
いったい俺は恐神に何を期待しかけていたのか?
甘いピロートークか? それとも、昨日のように今朝も抱かれることか?
そうじゃなくても、たまに彼の気の向いた時に同じような事が起きる事を
俺は昨夜はあんなに抵抗しながら、深層心理では期待していたのか?
なんと不様な……。
今どき、若い娘でもそんな期待をするほど初心でもあるまいに。
「そうだな…」
そういいながら俺の声は掠れて震えていた。
黙って頷くだけでよかったものをなぜ、返事等してしまったのか?
もう、どうなったっていい。こんな柵のある仕事なんかやめてやる…… このままホームレスになったってかまうものか。
たぶん数年なら、失業保険と僅かな貯金でなんとか暮らしていけるだろうし。
なにより、もう二度とこいつの顔なんか見るのも嫌だ。
「だから、おやじなんか抱かなきゃよかったんだ」
これ以上惨めになんかなりようがないと思ったら、俺は思わず恨み言を彼に聞かせるでもなく呟いていた。
「俺が無理矢理お前に抱いてくれと頼んだ訳でもあるまいに、今さらそんな愚痴を零されても困るな」
殆ど吐息と変わらない掠れた声で俺は抗議する。そうさ、俺は未練がましい男なんだ。
「心配しなくても、昨夜の事は誰にもいいやしないさ」
そんな自暴自棄菜な俺に恐神は、どこか頼り無さそうな顔をして無言で俺を見つめたままだ。
いつもの自信たっぷりの表情はどこにいったのか?
「昨夜の事は俺もなかった事にする。忘れるさ。まぁタチ食いのレイにやられた事だって
そんなに俺にとってはショックじゃなかったんだからな」
悔し紛れに俺はなんとか恐神を傷つける言葉を捜していた。
だってそうじゃないか? 例え、後悔したにしても、その原因の幾許かは恐神にもあるというのに。
今さら、そんな確認をせずとも昨夜の事を逆手に俺が脅したりできると思っているのか?
「お前なんか、大嫌いだ!俺はずっとずっと駿だけを思って生きていくだけでよかったのに」
彼だけを想って人生を終えたってよかったんだ。こんなしょぼくれたおやじをからかっていったい何が面白いのか?
「よくもそんな事が……」 彼の顔がみるみる紅潮していくのが解る。俺をさっきまで見つめていた戸惑った表情より今の方がずっといつもの恐神らしいぜ?
「それはこっちの台詞だ」
「昨夜は私の腕の中であんなに乱れた癖に」
「いうな!」
「貴方の身体の中にはもう僕のモノが吸収されつくしているっていうのに」
「黙れ!」 どこまで、俺を小馬鹿にすれば気が済むのか?今さらこれ以上の屈辱を俺に与えるほど彼に憎まれる後悔を彼に与えてしまったとは。
「貴方と言う人は、そんな気もないのに人に気を持たせる事はお上手だ」
何をいっているのか?
「あなたは葛西さんを一生忘れない……そんな事は知ってる。
私が必死な思いで貴方を手放そうとしている気持ちをあなたはもっともっとあざ笑えばいいさ」
そういって手を伸ばしてくるといきなりそのまま俺を組み敷いてきた。
そのまま彼の両手が俺の首にかかる。 絞め殺されるのだ…… なぜか俺はそう思った。
彼にならこのまま絞め殺されてもいい……。
そう思って瞳を閉じた瞬間に彼の唇が優しく俺の顎をとらえて愛撫しだした。
いったいなにを?
頬に落ちた何か生暖かい感覚が俺に再び諦めて閉じた瞳を開けさせる。
まさか…涙?
「こんな風に無理に身体を繋げるはずじゃなかった。ただでさえ、警戒されてるあなたに
嫌われるのは分かっていたのに。私はただ、傷ついたあなたをこの腕の中で抱き締めたかった。
あなたにとって、唯一のほっとできる港のような存在になりたかった。それなのに」
俺は涙を流している恐神を呆然と眺めていた。 こいつこそ最も涙等似合わない男ではなかったか?
「あなたと肌を合わせたとたん、理性が崩壊して自分ではどうにもならなくなっていた。
こうして快楽を貪りあう事が、あなたの信頼を遠ざけることだと分かっていたのに」
「ばかいうな……お前らしくもない」 恐神は瞳の端を潤ませたまま恨めしそうな目をして俺を睨んだ。ますますお前らしくないぞ!嫌味なくらいクールな男じゃなかったのかよ?
「『お前らしくもない』ですって?私らしいかどうかなんていえるほど、いったいどれほど貴方は私を知っているっていえるのですか?」 いったい恐神はどうしたっていうんだろう?確かにこんな弱気な男を俺は知らない…。だけど……。初めてみるそんな彼を見ているだけで俺は咽の奥に何かがつまったような息苦しい思いが襲ってきてどうしていいのか解らなくなった。きっと俺もこいつ以上に尋常じゃない顔をしているに違いないのだ。こいつに出会ってしまったことで変わったのは俺だけじゃない。恐神……お前もなんだな?
俺はそのまま彼の頭を抱きかかえるようにして彼の整い過ぎるほど整った髪に指を差し込んだ。
「知ってるさ……お前の欲望が……俺の細胞の隅々まで行き渡ってしまったからな」
冷静になっている時の俺なら赤面ものの台詞を俺は思わず口にした。 身体を重ねたからだけではない何か大切なもの……それもお前から入り込んできた。
「昨夜一晩でお前に俺は内側から作り替えさせられたような気がするよ」
恐神は泣き笑いのような顔をして俺を見上げる。その顔はどこか縋るような瞳でまるでこいつじゃないみたいだ。
「そんな事をいったら本気にしますよ」 照れたような顔のままで俺に微かに微笑み返してくる。
常に自信に溢れた憎々しいほどの恐神とはとても思えないような表情で……。これは俺だけが見るお前だけの顔だよな?
「当たり前だ!本気にしろよ」
そういって俺は恐神の髪を優しく指で梳きながら不覚にも初めて彼を可愛い……なんて思ってしまったのだった。
FIN
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