出る杭は打たれる 4 





 「もう今夜はこのまま服をお召しになってお引き取りいただいて結構です」
 恐神はこともなげに言い放つ。
 よくもまぁ、そんなことが言える……俺をこんな恥ずかしい格好に剥いたのはお前だろ?
 俺は自分から脱いだわけじゃないぞ。
 そんな怒りを押さえながら、黙々と身支度を整える。悔しい……年下相手に。
 「では、明日は我が社でミーティングしましょう。担当の者も同席させてください」
 ふっとそこで気の弛んだ俺の耳朶に掠めるように唇を寄せた。
 「な、何を……」
 「まだ、何もしてないでしょう?なにをそんなに意識なさっているのか?」
 「だ、だけど」
 口づけようとしたじゃないいか……そう言おうと思って結局やめた。
 二人だけの部屋で直接されたわけでもないのに大騒ぎする方がおかしい。
 おかしいのはわかっているのだが……。
 「なにか、イオリさんはいい香りがしますね。男がくらくらするようなフェロモンの一種なのかな?」
 なにを考えてそんな事をいうのか。
 これが女相手なら充分セクハラだろうが、男同士ならいったいどうなのだろう?
 どこに訴えてもきっと俺の意識し過ぎという扱いしか受けられないだろう。
 むかむかする気持ちを押さえながら、ネクタイをきつく締め「では、また明日伺います」 そういってそのまま恐神の顔を見ずに部屋を出ようとした。
 そのとたん、腕を後ろにぐっと引っ張られて体勢を崩し、恐神の腕の中にまるで抱き締められるように 倒れ込んでしまった。
 「あ……っ」
 「ほら、まだネクタイが曲がってます」
 そういいながら、恐神が実際触れたのはシャツブラウスの襟の中で。
 「首にもしっかりと弾力がある……」
 「なに……」
 俺が慌てて飛び上がると。
 「ネクタイを直しただけだ。矢萩さんは意識のし過ぎですよ」
 そう恐神はにやりと笑って、「ではまた明朝」そういって倒れた俺を顧みもせずに部屋を出ていく。
 いったい今のはなんなんだ。
 奥歯をぎりぎりと噛み締める。
 実際のところ俺は彼に何もされていない。
 それなのに、この焦燥感はいったいなんなのだろう。
 身体はまるで媚薬でも飲まされたかのように妖しく疼いている。
 だが、とてもどこかに寄ってこの身体の疼きを帰るような気分ではなかった。
 たしかに裸にされかけたが、それ以上何をされたわけでもない。
 されたというなら、タチ喰いのレイにされた事の方がもっと凄かった。
 それなのにあの時の俺はそれをどこか受け入れ、楽しんでいた。
 なぜならあの時は俺にも間違い無く非があった…… それはつまり、俺がレイにやられなければ、俺がレイをやろうとしていたに他なら無いのだが。
 だけど、今夜は違う。大きなチャンスの皮を被ったとんでもない罠を張りめぐらされていたのだ。
 たまたま、レイにやられたと判ったから、強姦されなかったのが、そうでなけれなそれに近い行為に 及んでいた事は想像に難く無い。
 なぜ?
 なぜ、俺なんだ?
 まるで、細かい詰め等どうでもいいような言い方をしていた。
 そして、あのような料亭の離れを自宅がわりに使うことが許されているなんて、自分が 認識していたより遥かに力がある男なのかもしれない。
 それにしてもなぜ?
 『何に縋るものがあるわけではないあなたが、必死で一人でいきていこうとする様は、とてつもなく男の劣情を誘いますね』
 あの言葉になぜか背筋にぞく、ぞくっとする。
 自分でもいつもの自信に満ちあふれた自分では無く、意気消沈しているという自覚はあった。
 それが、しょぼくれたおやじに見られるならどうという事も無いが、劣情を誘うなんて……自分には最も遠い言葉だと自覚していたのに。
 確かにいつもの自分なら、むしゃくしゃした事は、どこかのゲイバーにでもいって、可愛い男の子を漁って憂さ晴らしでもしていたはずなのだ。
 こんなことで、今後やっていけるのか……そう思うとため息も深くなるばかりだった。
 
 
 「矢萩部長代理、ちょっといいですか?」
 翌朝、いつものように職場につくと嫌でも山のように仕事が追いかけてくる。 普段なら、それがやりがいだと思えたはずなのに、今の俺はなぜか今一つやる気が出ない。
 「何かお疲れの様ですが、お手伝いできることはございませんか?」
 そういって俺の顔を心配そうに覗き込むのは、企画課にこの春から配属された森本課長。今年32才。
 やる気の溢れた若手有望株のトップに位置している。爽やかそうな笑顔の影に何かを感じるのは最近俺がすべてに対して疑心暗鬼になっている為かもしれない。
 「あぁ、そうだな。では、できれば取引先の恐神朔太郎氏についてもう少し詳しく調べてくれないか?先日商談を詰めていた際、何かひっかかるものを感じてね。 肩書き以上の権限を持たされているようなんだ。東京大学の法学部を出たからと言うだけの理由ではなさそうだ」
 それを聞いて森本は返事の代わりに引き出しから茶封筒を取り出し、俺に差し出した。
 「実は今回の取り引きを始めるにあたってある程度私の判断で調べさせていただきましたが、どうも妙高寺家と恐神家には表面上のつながり以上の関係がありそうですね。代々世襲制で妙高寺家の財産管理などをまかされてます。今の会社管理になって表面上は、正式な手続きを踏んではいるようですが、実体は恐神氏の一族が相当の権力を持っている様です」
 森本課長から手渡された書類を捲ると、それを裏付けるようなデータが並び写真等も揃っていた。
 聞いてるだけでますます背筋が寒くなる。
 そんなやつになんで俺みたいな普通の野郎っぽい男が目をつけられるのか?
 しかも、森本は自分の判断でこうなる事を予測してこれだけの事を調べたと言う。
 自分が恋愛問題に腑抜けている間にこれだけ世の中は動いているのだ。
 叱っていいのか褒めていいのか迷っていると、ちょうどそこに秘書課の各務が、電話を回してきた。
 「部長代理、恐神さまから、お電話でこれからすぐに資料を持って来て欲しいとおっしゃってるのですが」
 「私一人で来いといってるのか」
 おそるおそる聞いてみる。この時点ですでに気迫で飲まれているような気はするが、 考えないようにする。
 「いえ、そんな事はおっしゃってませんでした」
 他に何か意図があるのだろうか?あの時、恐神は一人で来いとはいったが、それは会社ではないはずだ。
 何か言われたら部下だけその場で帰せばいいと判断して、できる限り優秀な部下を3人ほど選んでいざ出陣とばかりにその1時間後には松森製作所企画部にそのまま乗り込んだ。
 松森側では、すでに会議室に恐神他、数人が待ち構えるように待機していた。
 「大丈夫、なんとかなりますよ。まかせてください」
 どっちが上司かわからないような台詞を森本に吐かれ、俺はむっとしてぎろりと睨みをきかせたつもりだったが、森本は逆ににっこりと柔らかい笑みを返してくる。どうも調子が狂う。
 先方の大会議室は、各種の機材も揃ったどこかアメリカを思わせるような流線形デザインで統一され、 馬蹄を思わせるU字型のテーブルは深いワインレッド。一瞬アンティーク家具と見間違えるような機能的な椅子は 深い辛子色だった。
 この色……フランスのド・ゴール空港の案内版の色に近いな。
 色によって人間というのは様々な心理状態を誘発されると聞いた事があるが、この部屋にも そういう意図を感じる。
 恐神と俺はちょうど正面スクリーンに近い正面に座るような配置になっていた。
 軽く会釈をする俺に、恐神はすっと瞳を俺に見据えて意味深な笑みを浮かべる。
 俺はそれに気がつかない振りをした。若手のプレゼンが着々と進む中、俺はそのプレゼンに不備が無いか 集中していたが、突然くいくいっと肘を肘で突かれて目だけをその肘を突いた相手、隣の森本に向ける。
 「気のせいかもしれないのですが、先ほどから恐神企画部長がまるで野球のサインのような仕種をされるのです」
 「は?」
 「意図は計りかねますが何かのサインかもしれません」
 俺はそれまで、なるべく見ないように避けていた恐神に目を移した。

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