Don't turn me on.

そんな気分にさせないで


  それは木枯らしが、最後の一葉を揺らす秋も深まった夕闇の中。 あいつがあの若い男と親密そうに、ホテルに吸い込まれていくシルエットを見て僕は呆然として立ちすくんだ。

 いつも僕に向けていたあの優しそうな瞳のまま、微笑んでそっと他の少年の肩に手をかけ、超一流のシティホテルの中に消えていく。  

 あいつは僕とは一度も肌を合わせた事すらなかった癖に…。  

 いや、それは正しくない。僕が一度も彼と寝ようとしなかった。 何度もそんな雰囲気になったのに、なぜか安売りしたくない気分だったのだ。 他の男とはすぐに寝ていたのに、今思うとなぜだったのか自分でもわからない。  

 たしかあいつは秋名という名字だった。実は下の名前もさだかじゃない。 一度くらい教えてくれたかもしれないけど、そんなに関心がなかったから 忘れてしまったのかもしれない。  

 携帯番号だって、携帯が覚えてるだけ。彼の名字が秋名と50音順で若いから ついつい便利で彼にいつも送迎をたのんでいただけだったのに。  

 それなのにいったいどうして僕は彼の後をつけたりする、こんなストーカーまがいの事をしてるんだろう? あんな男なんか鼻もひっかけてなかったはずなのに。  

 僕、三宮哲史(サトシ)は大学1年生。小柄なためかジャニ系の顔だちのためか、高校生に間違えられる事が多い。 実際、高校生の彼氏もいたことがあった。一緒に並んでも僕の方が年下に間違えられて いつも彼に甘えていたのを思い出す。  

 そう、何時頃から自覚したのか僕は男しか興味が湧かないタイプの人種で、それでも それほど深刻に悩まなかったのは、相手に不足した事がなかったからだと思う。  

 いつのまにか取り巻きみたいにぼくの御機嫌を取る連中にいつも囲まれて僕は間違いなく得意になっていた。  

 「もうおじさんだからね」と何も僕に望まなかった秋名はそれでもぎりぎり20代。ちっともおじさんには見えなかった。逆にふとした折に内包された彼のドキッとさせるような 色気が垣間見える時がある。

 もちろんたしかに秋名はそんなに目立つ顔だちでもなく、しかも強引なタイプでもない。強いて言えば金回りのいい一緒にいて様になるそれだけの男だったはずだ。  

 だけど、まるでたった今納車されてきたかのような目映いばかりの赤いフェラーリに乗った秋名は、僕をどこにでも迎えに来てくれ、行きたいと言えばどこでも連れていってくれた。たとえ、それが他の男との逢い引きの場所であっても。  

 彼のエスコートはスマートでそつがなく、しかも多少のわがままならいつでも微笑みながら聞いてくれたし、今思うと僕も相当無理も言って甘えていたような気がする。  

 予定のない週末はいつも秋名のフェラーリを呼び出して神出鬼没だった僕を、仲間達はひどくうらやましがったものだ。  

 それはどれほど僕の自尊心を心地よくくすぐったことだろう。だけど彼が何を考えてるのかなんてその時の僕にはどうでもいいことで。しかも家に帰れば秋名の顔さえ思い出せなかったに違いないのに。  

 むしろ、彼の車で辿り着いた先で、他の男をどうやって誑し込んで金を巻き上げるか。 たぶんそんな事だけが、僕の幼くも醜い関心事だった。  

 オペラやミュージカルの特別席に連れていってくれる金回りのいい大人や、高級なレストランに連れていってくれるセフレ、服や宝石などを次々とプレゼントしてくれる芸能人などそんな僕をちやほやする取り巻きに囲まれてますます僕の天狗の鼻は高くなっていた。  

 実際彼等の名字と携帯ナンバーと顔は覚えていたけれど、彼等の気持ちや生活などになんか全然関心なんかなかったはずで。  

 日々、楽しい事だけ考える。こんな時が永遠に続くと信じていた。 若さが今しかないとしたら、そしてそれが僕の唯一の魅力だとしたらそれを使わない手はないと思ったから。  

 もう彼に相手にされなくなってしまった今だからこそ、彼にばかり頼みごとをしたのも、少しは思い当たる節がある。彼は他の男たちみたいに説教臭い事を一度も口にしなかったし独占欲を露にしなかった。 明らかに他の男と逢うとわかってる時だって、責められた事どころか、頼んだ送迎を断られた事も誰に逢うのか尋ねられた事もなかった。しかもなんの見返りも求めた事がない。「ありがとう」という僕のおざなりの感謝の言葉に「またな」とにっこりと微笑むだけで。  

 それを僕は煩わしくなくていいとしか思っていなかったし、秋名が僕に嫌われるのを恐れて何も言わないのだと思い込んでいたけれど、今思い返せば秋名は僕にそれほど関心がなかったからなのだろう。  

 秋名と一緒にホテルに入った男の子はどうと言う事のない普通の少年で、それだけが僕をほっとさせたけれど、 我に返ればそんな事さえどうでもいいことだったはずなのだ。

「哲史(さとし)お前、計量経済学のリポート出した?」

 ぼうっと考え事をしていた僕を野太い声が、現実に引き戻す。

「いや、まだだけど」

「これよかったら使ってくれ」  

 そういって自分でまとめたらしいレポートを、僕に差し出す佐藤とかいう同じ学年のこいつも僕に気があるらしい。なにくれとなく頼みもしないのに面倒を見てくれる。そのまま立ち去ろうとした僕に佐藤は引き止めるようにさらに声をかけてくる。

「なぁ、お前をいつも迎えに来ていた奴いたろ」

「あぁ」  

 秋名の事だなと思わず足をとめる。

「あいつ最近、慶綾中学の子と一緒にいるみたいだな?」  

 胸がぎゅっと引き絞られた気がした。なぜなら慶綾中学は有名私立中高一環校で金持ちの子弟ばかりの学校だ。 僕の通う三流大学なんか鼻も引っ掛けないようなところで。

「あの中学生はあいつの親戚の子なんだ。最近、頼まれて面倒を見てるみたいでさ」

 僕は思わず嘘をつく。こんなところで見栄を張っても仕方ないのに。

「ふーん。親戚でも秋名の方には気があるんじゃねーの?いつも二人でべったり一緒にいてさ」

 聞きたくないのに、聞きたくなんかなかったのに、どうしてそんな話を僕に聞かせるんだ。 僕だってわかってる、だってここ数週間、僕は秋名に誘いを断られ続けているのだから。  

 最初はぼくだって、秋名が断ってきたってなんとも思わなかった。秋名がダメなら他の奴隷達に頼めば良いだけの事。 だけど、それが3日も続くと、さしもの僕も面白くなくてこう皮肉をいってやる。

『最近どうして来られないの?いつもならすぐ来るジャン』

『悪いね、サトシ……暫くは仕事が忙しいんだ」

『別にい〜いけど』

 僕は愚かな事に秋名の言い訳を信じきって疑いもしなかった。  

 だけど秋名はそんな僕の誘いを断って、あの男の子とホテルに向っていたなんて。それを知って一瞬かっと頭に血がのぼった。  

 なにが、仕事だよ……しかも、相手が中学生だなんて。 だけど、その時はそのまま気分を害して終わっただけだったはずなのに。  

 逆にもっと僕を焦らせたのは、僕が他のセフレに専門店でカットソ−を買わせてる時、秋名はその男の子に持ちきれないだけの服を買ってやるのを目撃してしまった事。  

 僕が買ってもらった薄っぺらいカットソ−だけで、万単位のこのブランド専門店で、その少年はそのブランド名が入った一番大きい袋を、いくつも店員に持たせてさらに品定めしている。きっと秋名に買わせた品物は全部で7桁はくだらないだろう。  

 ちぇっ。逃がした魚は意外と大きかったかな。   

 最初はそう思っただけけれど、その子がお仕着せのブランド品を着て試着室から出てくると、ごく普通の少年だった男の子は、なんの魅力もない毛虫が孵化して華麗な蝶に変化するように、急に華やかに映る。

「一貴は何を着ても品があるから冴えるよ」 

 秋名が何気なくその子にかけたその『品があるから』という一言は僕の心臓を凍らせる。   

 どうせ僕は普通の育ちで昔から成績も並みだった。品なんてあるわけもない。   

 秋名はあのガキの名前を呼んでえらく親密にしてる…僕に見せつけてるわけでもないのに、ただそれだけのことが、僕の心の中にざわざわとした濁りのような澱が芽生えてくる。 

 今まで、その男の子にも秋名にさえ、たいして関心がなかった僕なのにとてつもなく二人が遠く見えた。

 何より僕をいらいらさせたのは、僕が身体を提供してやっと連れて行ってもらう劇場の桟敷き席や、芸能人のレセプション、そしてはじめて行った野球の公式戦のバックネット裏にまで、彼等の姿はあった事だ。しかも誰よりも特等席をこれみよがしに占領して。   

 秋名は僕と目があえば、そっと微笑んではくれるけれど、すぐに目を逸らしてそれ以上もうなんの関心を示さない。 一緒にいる一貴と呼ばれた少年は見る度に華やかさを増し、どんどんあか抜けて魅力的になっていくのも 僕にはよくわかった。  

 前にはなぜ気がつかなかったのか……その子の涼しげな瞳やぷっくりとした赤い唇が、際立っている。 間違いなく彼の素材がよかったんだろう。面白くない気持ちを差し引いても綺麗な子だなと思う。  

 秋名があの子を大切に大切に育て、そしてそれはまさに見事に開花されようとしていた。

「あれって前にサトシのアッシ−やってた男じゃない? やっぱり若い子に乗り換えたんだね」  

 僕の焦りも知らず、佐藤が背後から声をかけてくる。

「しらないよ」  

 ばかばかしい。そんなことどうでもいいじゃないか。  

「気にするなよ。あの子よりサトシの方がもっと魅力的だから。昔から俺達のアイドルじゃん」  

 佐藤はわざとらしく僕の機嫌をとって取り入ろうとする。

「興味ない。あんなのどうでもよかったし」  

 そんな風な言い方をすれば、逆に自分が惨じめになるのは自分でもよくわかっていたけれど、もう止まらなかった。  

 しかも、その後の彼等はどこに行ってもますます目立つ話題の二人になっていた。おどおどした様子だった一貴は自信に溢れ、高そうなスーツを着込んだ秋名は、一皮剥けた一貴といつも連れ立って、みんなの噂の的になっていく。

「実際、あの子、最近垢抜けたよね。かっこ可愛くなった」

「そうそういつも一緒にいるの秋名っていったけ?前にサトシのアッシ−していた奴だよな。今まで気がつかなかったけど、改めてみるとあいつも背も高いし結構イケメンじゃね?昔、どこかで見たような顔してるしさ」  

 目立つ二人はどこにいっても話題の中心で。その度、僕はいたたまれない程の居心地の悪さを感じる。 お前は秋名に捨てられたんだって……そうみんなに言われているような気がして。   

 そして、あの綺麗で上品そうな一貴が幸せそうに秋名に微笑む度、こう後悔するんだ。もしかしたら、秋名に微笑んでいたのは僕だったかもしれないのにって。  

 実際、顔だけなら僕だって負けちゃいないと思うけど、どんなに頑張ったってあの生まれついた品の良さや、 かしこそうな感じは僕の手の届かないもののはずなのに。  

 そして僕がプライドを捨てて手に入れた全てのもの……ブランド品だったり、桟敷席だったり 芸能人のレセプションだったり……そんなものが、あの少年はなんの努力もしないでただ、秋名に微笑むだけで手に入れている。  

 だけどそれは不思議と悔しくなかった。寧ろ悔しかったのは、悲しかったのは、秋名が簡単に僕からあの子に乗り換えた事だ。  

 秋名が優しそうにあの一貴という少年に微笑む度に、僕の心は引き裂かれるんじゃないかと思うくらい 痛んだ。  

 胸が圧迫されてうまく息ができない。  

 しだいに好きでもない男達とやってくるレセプションや、顔だけしか良くない僕が身につけるブランド品そんな全ての物が薄っぺらな感じがして僕はいたたまれなくなっていた。  

 それなのに秋名は優しげに僕に話しかけてくる。

「久し振りだね哲史……今夜は帰る時、誰か送ってくれる人は決まってるの?」

「別に……タクシーで帰るから…マンションもそんなに遠くないし」

「送ろうか?」

「いいよ。他に送るやつがいるんだろう?」

「いるけど、ちょっと待っててくれたら送ってくよ」  

 あいつが優先か?当然だけど屈辱的だ。この僕に待っていろと?

「いいよ、ついでなんかに送ってもらっても嬉しくない」  

 そう言ってから、僕は思わずトイレに駆け込んだ。そのまま口にしたものを吐いてしまって。 あまりの不愉快さに涙まで出てきたじゃないか……。 こんなのは僕じゃない。あいつなんか換えのきくただのアッシーなんだ。  

 そうだ、今までだって、秋名をただのアッシーとしか使ってこなかった癖に…一度だって感謝したりうれしいなんて思って秋名の車に乗った事があったのかよ。  

 ずっとずっと秋名が僕の傍にいてかまってくれるのが当たり前だと思っていた。  

 どんなことをしたって許してくれるって…。 あの優しい瞳で全てを許して包み込んでくれる……。  

 だけど、それは裏返せば僕の事なんかアクセサリーくらいにしか感じていないってことだったんだ。 つれて歩けば見栄えがするだけの……もし無くしてしまっても取り替えればいい……。  

 そんなことにたった今、気がつくなんて。僕はその晩、体中の水分が涙になったんじゃないかというくらい一晩中悔し涙にくれていた。  

 

 僕はもうその日から誰の誘いにも乗らなくなった。  

 本気で僕の価値を認めて恋人だなんて思ってるやつは一人もいないってわかってしまったから。  

 そうなると今までキラキラと輝いていた全ての物が鉛色に変わり。 生まれてはじめて真剣に勉強しようやっと決心したのだ。 何より顔や見栄えじゃなくて自分の中身で勝負したかった。  

 僕ももうすぐ成人。若くはない。これからも僕より若くて魅力的な子がどんどん出てくるだろう。 そうなって誰にも振り返りもされなくなって、みじめな人生を送るのは悔しすぎる。  

 そんな僕が誰とも遊ばなくなってまもなく大学も3年が終わろうとしていた。  

 その頃の僕はなんとかTOEICで780点、準一級の英検も受かったので今度は一般旅行業務取扱主任者をとってみようと思い立つ。  

 僕を知ってる周りの連中は天地がひっくり返るのではないかと 驚き、過去問やら、有資格者の紹介やらをして僕の気をひこうとしてくれる。  

 でも、もうそんなことどうでもよかった。  

 襲い来る訳のわからない不安に掻立てられるように誰の手も借りずに僕はツアーコンダクターになることだけを目標に頑張りはじめた。  

 一般旅行業務取扱主任者試験は誤解が多いようだが国家免許ではない。  

 あれば、有利と言うだけの話だ。だけど英語の力もそこそこついた僕にとっては手の届きそうな魅力的な目標だった。  

 三流大学をやっとの成績で卒業すれすれの僕にはそれしか目指すものが見つけられなかった。  

 この仕事を選んだのは狭い日本の世界で自分を変えるのは不可能に思えたから。  

 まだまだ多くの柵が僕を捉えて放さない。  

 瞼も凍りそうな寒い朝、いつもの習慣で旅行のパンフレットを集めに何気なく寄った旅行会社に、一番忘れたかった彼等はいた。 逃げ出したいのに動けない、惨めな僕。

「サトシ……久し振りだね」

 秋名の声は前と何も変わらずに柔らかい。

「秋名さんも…相変わらず、仲がいいんですね、御旅行ですか?」  

 秋名は僕を眩しそうに見てから、

「ん、仕事でアメリカにいくんだ……サトシは変わらないね。相変わらず可愛いな」

「よしてくださいよ。もう、そんな歳じゃないですから、今の僕は真面目な就職活動中の大学生です」

 秋名は少しだけ戸惑った顔をした。

「君の取り巻きに頼めば就職なんて、どこでもよりどりみどりじゃないの?」

「僕はそういう柵が……嫌になったんです。今は海外専門のツアコンを目指してるんです」

 それを聞いた秋名はふと宙をみるように小首を傾げた。

「ツアコンか……知り合いに頼めば、大手でも就職を世話できるが」

「せっかくですがそんなコネは結構…必要ないです。どうせ、僕は3流大学だから弱小旅行代理店だって構わない。 だけど、もう誰の世話にもなりたくないんだ」

 秋名は本当に驚いたという顔をしている。もうお前に関わらないんだから放っておいてくれよ。

「そうか、見直したよ、サトシ!たいしたもんだ。少し見ないうちに立派な一人前の男になったんだな」  

 なぜだろう。胸の奥が急に熱くなり大粒の涙が頬を伝っていた。  

 なぜ、こんな気持ちになるんだろう。

「サトシ……」

「オレに触んな…」

 一貴が向こうから呼び掛けてくる。

「秋名さ〜ん、見積もりができたって」

 彼も高校生になったのだろう。 あか抜けて今が一番輝いている。 僕は彼を正視することができないし、こんな展開で泣いてる姿を見られたくもない。

「いいから、あっちにいけって…ほら、あいつのところ」

 だが、秋名は僕の顔を覗き込んで動こうとしない。

「この旅行の世話が一貴の最後の契約なんだ」

「だからなんだよ。いけってば」

「もう仕事は終わったんだ」

 彼の大きな手がそっと僕の頬に触れる。

「泣かないで。サトシ……仕事をさしおいてサトシを攫って行きたくなるから」  

 様々な客が行き交う店内で恥ずかしくなるようなセリフを口にする秋名。 いったい何を考えているのだろう。はるか昔……僕がつれなくした復讐か?それとも 誰にも相手にされなくなる前に自分でおとしまえをつけようとする僕への同情だろうか?  

 彼の真直ぐに僕を見つめる優しさを含んだ暖かな瞳に僕は知らずに惹かれていた。そんな大切なものを僕は自ら手放して十二分に後悔していたんだ。頼むからもう、これ以上苦しめないで欲しい。  

 出会ったばかりの頃から僕の手放した彼のあの笑顔は自分でも意識せずに僕を安心させ、満足させていた。  

 彼があの瞳で見守ってくれていたから。僕はいろんな冒険ができたんだ。僕は僕は……やっとあなたに代われる何かを掴みかけたと言うのに。

「サトシここで待っていて」

 そういわれて僕はやっと我に返る。自立するんじゃなかったのか?誰の手も借りずに。  慌てて店を出る。いや、出ようとしてまたがっちりと肩を掴んで引き戻される。

「待ってろって言ったろ?」

 そのまま手も放されずに店の中まで入ってきた。

「あ、サトシさん」  

 紹介もされた事がない一貴が知らないはずの僕の名を口にする。どうして?

「相変わらず、かっこ可愛いよな。サトシさんって。僕も憧れていたんですよ」

 にっこりと微笑む一貴の顔が眩しくてまともに目をあわせられない。こんな地味な服でこいつと比較なんかされたくなかった。

「実は一貴もやっと芸能界デビューも決まってね。これでやっと俺もお役御免だよ」

 そんな僕の戸惑いも気にせずに秋名はそっと僕の肩を引き寄せた。どんな顔をしていいのか分らないじゃないか。

「お役ごめんは酷いな。まさか今度はサトシさんのプロデューサーやるから、僕から降りるの?」

 いったい彼等は何を話しているんだろう。いや、それより惨めになるから固く抱いた肩を離して欲しいのに。

「いやいや、違う。ただ契約が切れたからさ。サトシにはこれ以上悪い虫がついたら困るからデビューはさせないよ」

「えぇ〜それってどういう意味?」

 口を尖らせる一貴を他のスタッフらしい青年が促している。  

 僕はびっくりした。まさか彼が、秋名が芸能プロダクションで働いてるなんて思ってもいなかったから。それに今の話って?

「知らなかった……仕事って本当だったんだ」

「ちょっとは僕に嫉妬してくれた?」  

 僕はむっとして顔をそむける。だって今さらなんて言ったらいいのかわからないじゃないか。  

「今まで黙っていたけど、実は僕も昔アイドルだったんだ。だからその関係でこんな仕事をしてる。だからちやほやされる人間の気持ちは誰より良く判ってるつもりだ」  

 何を言ってるんだろう?こいつ。

「だからサトシが最後に誰を一番頼りにするかよく わかってた」

「……酷いな」

 騙したつもりが騙されているのは僕だった?

「お金でも顔でも地位でも資格でもない。君のもっとも大切なものに僕はなれるんだろうか?」  

 僕は人目も気にせず秋名の首にしがみつく。ずっともやもやしていたものがすっきりと晴れて 僕の胸は暖かいものでいっぱいになる。  

「その資格はあるかもね」  

 最後まで見栄っ張りの僕に彼は優しく「それでいい」と微笑んでくれた。

 【FIN】

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