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ところが、亜矢は俺の予想を裏切って、まるでコーヒーのお代りでも注文するみたいに 軽いノリで俺に話しかけてきた。 「私と離婚してって言ったら怒る?」 「はぁ?」 なんのジョークだよ。全然面白くないんだけど。 「だって元々、小太郎は私との結婚にそんなに乗り気じゃなかったじゃない。本当は私も堅気のお嫁さんっていうのに憧れていただけだったし。それに、慰謝料なんかいらないよ。私ね、今の生活って本当に、退屈なの」 「何いってるんだよ?今更」 俺は本気で殴ってやろうかと思うほど腹が立った。いったい今の俺の困窮の全ての元凶が誰の所為だと思ってるんだ?俺の人生をこれほどまでに変えたのはお前じゃないか? 「小太郎、怒らないで聞いてね。あたし、実は今まで黙っていたんだけど、河本さんとつきあってるの」 誰と誰が付き合ってるって?もうここまでくると、怒るとか怒らないとかじゃなくて、頭が真っ白になる。 なぜ? どうして? なぜ、亜矢と河本なんだ? 「小太郎の事は好きなの。だってイケメンなのに子犬みたいで可愛いし、天然だけど素直だし」 俺、褒められてないぞ?ここは男として怒るべきだ。だけどやっぱりあまりのショックで言葉がでない。 「これにサインしてくれる?」 そういって目の前に出された離婚届に、俺は瞳を移しながら、亜矢と離婚する事になんの躊躇もない自分に戸惑っていた。結婚ってこんなものか?離婚ってこんなものなのかよ? そんなことより、俺にとっての一大事は、もしこれにサインをしたら、すぐに河本と亜矢が結婚してしまうのだと思うとそっちの方がずっと心を揺さぶられている自分が嫌だった。 だから、そんな自分を否定したくて俺は震える指でゆっくりとサインした。しながら一言だけ聞いた。 「もう、河本にプロポーズされてるのか?」 「やだ、小太郎!まだ私達は籍に入っていたじゃない。河本さんはそんな事は言わないわ。 でも、もし彼がポロポーズしてくれても、女は半年他の人と結婚できないんだって。 もう私達、随分シテないのにね」 最後の一言に俺は傷ついた。そうだ、俺達は、母がいるからという理由で随分夫婦での 作業をしていなかった。 どうして、セックスは、どれほど愛していても結婚前は禁断の行為で、結婚した後には、 義務に変化してしまうのか? さらに驚くことは、亜矢の話によるとすでに母には全ての事情を話してあるから、もうこのままマンションに戻らないという。なんとまぁ、さっぱりした女だろう? 結婚して1年くらいにはなるが、俺は結局彼女に振り回されるだけで、彼女の本当の事を何も分っていなかったような気がする。それどころか、彼女があれほど俺と結婚したがったのだからという傲慢な気持ちが、俺の心に隙があったのだ。 寂しい思いをさせていたのだと思う。 他人である母と二人にしていろんな事もあったろうに、俺は自分の事で手一杯で彼女の辛さを何も理解してやれなかった。 すまない事をしたとは思う。そうは思っても、自分でも不思議なくらい亜矢に未練がないのが不思議だった。 そんな自分が情けない。 結局、結婚まで決意した女を真剣に愛しあうことすらせずに、ぐずぐずしているうち、河本はきちんと亜矢の心を掴んでいたのだ。 二人が相思相愛なら喜んでやらなくちゃいけない。少なくても、もう亜矢に対する未練がないのだから。 それなのに心の奥に拡がっていくどすぐろい染みはなんだ? このまま、亜矢は河本と結婚するのだろうか?女は離婚後半年は結婚できないと聞いたが、もし互いの気持ちが決まっていたら、半年なんかすぐに違いない。 俺は慌てて首を振る。 亜矢に未練がないのなら、俺も自分の道を見つめ直さなければならない。 まさか、河本も亜矢を手に入れて俺にこれ以上の、嫌がらせをしたりしないだろう。 男の俺の体にあんな……恥ずかしい事をして、十分気が済んだはずだ。 それより俺はまず、このマンションから出て、働き口を探さなければならないんだなぁと漠然と考えて、彼の秘書に仕事を辞めたいので、辞表を郵送しなければいけないか?とメールを入れた。 その直後にすぐに携帯が鳴ったから、秘書からの説明だと思って携帯を耳に当てると、恐ろしいほどの河本の怒鳴り声が響いてきた。 「小太郎!辞めるなんて、絶対許さない。逃げたってどこまでも追い詰めてやる」 そこまで、河本に嫌われていたのかと俺は真っ青になってがたがたと震えが止まらなくなり、 手に持っていた携帯を落としてしまった。 だがなおも、携帯からは、「すぐにマンションに来い!」と怒鳴り声が響いていた。 そのまま俺は母のマンションからエントランスに出て、もうこんなことろにはいたくないと足を踏みだしたとたん、いったいいつの間に帰ってきたのか長身の河本に、腕を掴まれてやくざのように凄まれる。 「このまま真直ぐ俺の部屋に行け」 それでも俺は僅かな抵抗を試みた。まわりが不振な目で見るから、それもここでは叶わない。 二人でエレベーターに乗った瞬間俺の堪忍袋の緒が切れた。 「なぜ、お前のマンションにまた行かなくちゃいけないんだ!もうあんなところに二度と行きたくないんだよ」 「お前の希望を聞いていない」 「どうして?これ以上俺にあそこで何をしろっていうんだ」 「もう、あの女房とも別れたんだろう。それならここで暮らせ」 「暮らすって言ったって、俺の仕事はせいぜい掃除しかないんだぞ?まぁ、暇な時間に書庫の本を勝手に読ませてもらったけどな。テレビも電話も今どきパソコンもない、あんな何もない場所で夜まで何の仕事があるんだ。下のマンションに戻るのは当然だろ」 「あそこはお前の母親に貸してる。小太郎に貸したんじゃない」 俺はしだいに戸惑っていた。これならまるで河本が俺と暮らしたがってるみたいじゃないか。 亜矢と結婚しようっていう男が、いったい何をいってるんだろう?亜矢さえに捨てられた俺への同情か? 「ここだって、お前のマンションなんだろうが」 俺は確かめるみたいに小声で呟いた。 「そうだ、滅多に来ないが、このビルはすべて俺のモノだ。教えただろう?お前は、俺がここにいろといったらここにいればいいんだ」 やっぱり俺を侮辱したいだけなんだな? 「嫌だ」 「いや?ふざけるな。俺に借金をしてるのを忘れるな。お前に選択権などない」 思わず下唇を噛んだ。 「そんなに俺が憎いなら、こんな場所に閉じ込めて辱めるより、コンクリートで固めて海に捨てたらどうだ?それならもう、一生互いの嫌な顔を見ないで済むじゃないか」 大きな破裂音とともに頬に焼けるような痛みが走る。 倒れながらも俺は河本を下から睨み付けた。 「何も知らないくせに」 |