やけどするなよ


 

【 4 】

 

「小太郎に金がないのは知ってるよ。だから、こうしてお袋さんに、小太郎を呼んでもらったんだ」

「どういう意味だよ?」

「本当に鈍い奴だ。いいか?何も借金のカタに小太郎を取って食おうっていうんじゃない。だがなお前は、顔しか取り柄のないじゃないか。母親と女房をかかえた気の毒でシケたお前の身体を、俺がお前を買ってやろうっていうんだ」

 声もでなかった。血の気が引いていく。買う?買うってどういう意味だよ。

「女房を愛してるお前に、心をよこせと無理難題を吹っ掛けてるわけじゃない。 俺が時々この街に帰ってきた時に、黙って足を開けばいいんだ」

 足を開く?女じゃないのに、足を開いてどうしようっていうんだ?昔の恨みで俺に屈辱を与えて 楽しもうというのか?問いつめるのは怖かったが、きちんと聞かない訳にもいかない。

「まさか、男どうしで、何をしようっていうんだよ」

 河本は、今まで見せたことのない優しい笑みを俺に向けてそっと頬に触れた。

「ホストなんてやって、女房までもらっているんだろう?なんでそんなに擦れてないんだよ?」

 どうして俺の足は震えているのに、こいつはこんなに余裕があるんだろう? 第一、まともに考えれば男に足を開けなんて比喩か、嫌がらせに決まっている。 それなのに、どうして俺は迫ってくるこいつの唇を見つめていたくなくて、瞳を閉じたりしちゃったんだろう。

 柑橘系の薫りと共に、啄むような唇の動きに、俺はガクガクと足を震えながら為すがままになっていた。

 ベッドに倒されて不思議な感じがした。天井も壁もベッドも、何年も前に愛用した俺のもので、 俺はまるで自分の部屋に、河本を連れ込んでいるような錯覚を覚える。

 目を合わすことすら許されなかった俺達。もし、可能ならあの頃はこの部屋でこうして時を過ごすだけで、きっと背徳の薫りでいっぱいだっただろう。どうして俺は今、こうして河本のキスを受け入れているんだろう?

 ホスト時代も男が俺を指名することだって稀ながらあったのに。その時は、その金持ちの少年が美少年であったにも関わらず、吐き気がするほど嫌悪感があったはずだ。

 それなのに今は、こうして隣に座るどころか、河本にベッドに押し倒されて口づけを受けているじゃないか。いったい吐き気どころか感慨深い心持ちになっているのは、なぜだろう。胸がバクバクして 夢なのか現実なのか分からない。

「抵抗しないのか?俺が嘘を言ってるとか、少しくらい疑ったらどうだ?」

 河本は苦笑して俺の顔を覗き込んでいる。

 嘘……?

 嘘だなんてとても思えなかった。どれほど今の河本が金持ちだとはいえ、男の部屋を伊達や酔狂でこうして 隠すように造ったりするなんてあり得ない。 よくわからない感情に、俺の胸はいっぱいになっていた。 河本と、こうして触れあうのが、決して違和感がないどころか安堵するのは、なぜだろう? 相手は、金と引き換えに男の俺に身体を寄越せ、なんていう嫌がらせを言ってくる この幼馴染みに、俺は不思議と恐怖を抱けなかった。

 それどころか無くなってしまったはずの自室で、見つめあうことさえ許されなかった河本が俺を受け入れて くれていることが、なんだか俺を遠い昔に戻ってこれたかのような錯覚にとらわれて急速に睡魔が襲ってくるのをどうすることもできなかった。

 気がつくと、そこは高校時代に戻った時の様に、小さな豆電球がオレンジの光を部屋に拡げていた。 夢心地で起き上がると、ドアの部分が不自然な方向に開いて、奥の座敷の明かりが洩れる。

「寿司でも食うか?」

 河本にそう声をかけられて俺は、やっと現実に引き戻される。 いったい今後の俺はどうなってしまうんだろう? 座敷に入ると、そこには二人で食べきれないほどの寿司や料理が並んでいる。 徳利と御猪口まで用意されていて、日本酒通の俺は、思わず目を輝かせる。だけど。

「あ、でも亜矢が飯を作ってるかも」

 第一、亜矢に夕飯を作るように促したのは、河本じゃないか。 だが、その一言で河本はとたんに不機嫌な顔をして煙草に火をつけた。

「心配ないさ、さっき電話して、あっちにも寿司を運んでもらったよ。それだけでお前の女房は偉く機嫌がよかったぜ。 今夜はとことん飲むからこっちに泊まらせると言ったら、『どうぞごゆっくり』なんて清々した声をだしてやがった。お前、女房にちっとも愛されてないんだな」

 いじわるな物言いに俺は悔しくて唇を噛んだ。河本が思わせぶりににやりと笑う。

「まぁ、俺は滅多にこのホテルに帰ってこない。普段はお前が、好きなようにここで掃除するなり本を読むなりして過ごしていい。だが、決して他の人間を入れるな」

 いったい、河本が何をいいたいのか分からずに、また河本の顔をじっと見つめてしまう。

「いいか?お前には借金がある。その借金を返すには働かなきゃいけないが、小太郎にはなんの取り柄もないだろう?もう25才も過ぎていれば、まともなところは、ホストなんかやってヤクザの女なんか押し付けられたお前を雇ってなんかくれるわけがない。だから、俺がお前を買い上げてやったんだ。普段は9時から5時までここにいろ。俺がいない時は、たっぷり女房を可愛がることだってできるはずだ。だが、俺がこのホテルに滞在してる間は、階下のマンションに帰してやるわけにはいかない。俺と過ごすんだ。決して逆らうな。お前が言うことを聞くなら、ただ、お前を可愛がってやるだけだ」

 俺は河本の声をどこか、他人の話の様に上の空で聞いていた。はっきり言って、何もかもが夢のようだった。

 その夜、俺は例の座敷きの奥の俺の部屋で、河本に背中から抱き締められたまま、眠りについた。 途中河本が、「怖くないのか?」と言ったような気がしたが、そのまま睡魔に引きずり込まれるように 眠りについた。

 マンションに帰ると、案の定亜矢が、甘えるようにすりよってくる。寿司で夫を売ったくせに現金な女だ。

「河本の仕事を手伝うことになった。時々泊まりもある」

 と俺がいうと俺の職を心配していた亜矢も母でさえ、露骨にほっとした表情を浮かべて「とりあえず仕事が決まってよかったわね」とだけ言った。

 その翌日から、俺は毎日河本のペントハウスに通うのが日課になった。

 だが、何も河本から指示がないので、何をしていいのかさっぱりだ。

 部屋を掃除して河本の部屋にあるテレビでも見ようかと思ったが、ここは生活臭がないだけでなく、信じられないことにテレビもパソコンもなかった。あるのは和室の横に作られた書斎だけ。そこに大きめの仕事机と、クリスタル製の文鎮、朱肉が置いてあるだけだ。

 本は読んでもいいと言われたから、部屋を一通り掃除すると、俺はその書斎で本を読むのが日課になった。

 専門書や歴史書。

 哲学書など多岐に渡る河本の趣味が俺を飽きさせない。長時間座っても 苦に感じない特注であろう椅子に腰かけながら、俺は飽きることなく本を読み続けた。

 多分、大学時代だってこんなに本なんか読まなかった。だが、 全てが、河本も読んだ本なのだ、ここも河本が過ごす書斎なのだと思うだけで、俺は不思議な事に柔らかな羽毛に包まれるように安心することができるのだ。

 身体を買うだなんて思わせぶりな事をいわれたけど、男同士で変な事など起こり様もない。変に意識した自分はからかわれただけなんだろう。 俺はすっかり安心しきっていた。

 一通り床のふき掃除も終わって、障子についた埃を綿棒で拭う作業が、殊の外時間を食い、俺は書斎に いく前に気を失うようにして廊下で眠りについてしまう。

 いったいどのくらい時間がたったのか? 気がつくと、そこはなぜか俺の昔の部屋で俺は、高校生の時に愛用していたパジャマを身につけたまま ベッドに横たわっている。 ふと人の気配がして横を向くと、河本が優しい瞳で俺を見つめていた。

 瞳を閉じると、「キスでもして欲しいのか」といつもの傲慢そうな声がした。

 触ってくる指先や、見つめる眼差しは優しいのに、どうしてこいつは、こんなに口が悪いんだろう。 実際、俺は今まで真剣にこうなった経緯を考えようとはしなかった。 ビルになった実家の事も、そして河本の部屋に作られたなぜか不自然なくらい当時のままの俺の部屋。 河本が、そうだというのだからここで、自慰をすることもあったかもしれない。

 いったい、河本の本当の目的はなんなのだろう?

 その時の自分の心理状態がいったいどうだったのか、俺は自分でも分からない。

 彼がすごく寂しそうに見えたのだ。俺の為にここまでしてくれるというので、その時の俺は 安心しきっていたし、河本に対して愛おしさのような不可思議な感情にとらわれていた。

 長い睫毛を見ているうちに、亜矢よりよっぽど可愛い寝顔だなんて思ってしまって、 子猫にするみたいに、彼の額に軽く唇を寄せた。彼の近くに寄るとくらくらする甘い体臭が して、なぜか変な気分になり、そのまま唇にもキスをした。

 そのとたん、後頭部をぐっと掴まれたかと思うと貪るようなキスを、河本の方から仕掛けてきた。 嘘だろ?きっと彼は寝ぼけているんだ。 俺は、そう判断して強く抵抗しないうちに、近くにあったスーツのベルトで両手首を拘束される。

「や、やめ……」

 やめろと言いたかったが、その言葉は最後まで出す事が叶わなかった。

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