魔鏡の輪廻


  遥か霞の奥に微かに鷲を象った城が朧に霞んで見える。

 あれだ…あれが我が城……せめてあそこで死を迎えられるなら……




   何処まで行っても続く果てしない泥濘に足を取られながら、私は氷雨に濡れた重い身体をなんとか部隊と共に前進させていた。

「王子……大丈夫ですか?私がおぶいましょう」


 臣下であるギリークの申し出は有難かったが、いくら屈強なギリークであっても、人より華奢とはいえ大の男を担いでこの泥濘を渡れる訳がない。

「辛くなったらお前の肩を借りる。だが、今はまだ大丈夫だ。一刻も早く城に帰ろう……」

 そう言いつつもう一歩踏み出したところで私の記憶は途絶えた。




        ☆   ☆   ☆

 寝汗でぐっしょりだった。立上がって洗面台に顔を洗いにいって驚く。 信じられない程血の気のない俺の顔が鏡に映っていたからだ。

 その顔はまるで生気と言うものが全くなく、まるで死人のようだ。 もともと色白の俺だが、これは尋常ではない。


 ここのところ毎晩の様に夢を見る。もともと健康だけが取り柄で不眠の経験などなかった俺だ。 ベッドに入るとすぐに朝がくる。それが俺の日常だったからこんなに毎夜悪夢に魘されるのが不思議でたまらない。しかも毎日続き物のように話が進んでいく。


 殆どの悪夢は忘れてしまうのだが、なぜか自分がどこかの国の王子で戦争にかり出されているシーンばかりだ。俺の仕事から考えて特にそんな夢をみる意味が分からない。

 なぜなら俺は細岡神威(ほそおかかむい)という27才のごく平凡なサラリーマンだからだ。

 確かに実家は代々何百年も続く老舗の菓子屋だが、不器用な俺が職人に向いてる訳もなく、サラリーマンになった事を少しも後悔していない。


 でも潜在意識の中ではどうなのだろう?

 やはりなにかと苦労の耐えない母に申し訳ないと思うのか……。

 今の俺にはそれぐらいしか思い当たらなかった。

 悪夢を見るようになってから日に日に疲れがたまっていた。

 疲れた顔は如実に俺の家宝とも呼べる鏡に写し出される。

 俺の部屋にある家宝の鏡……それは俺を特に可愛がってくれたおばあちゃんの形見分けの品だ。まわりの人は古くて無気味だと言って手放すように勧めたが俺は頑として首を縦に振らなかった。
 なぜならその鏡の前に立つと俺を可愛がってくれた祖母が近くにいて俺を守ってくれている。そんな感覚があるからだ。

 痛んだ部分を直してもらおうと表具屋を訪ねたらこの鏡は珍しい魔鏡の一種だと言う。それからこの鏡は俺の唯一の宝になったのだ。


 

 残念ながら、その魔鏡はそれほど価値のあるものではないらしかった。それでも俺にとっては家宝にはちがいない。

 少なくとも父親がいつも命より大事と言っている和菓子の木型よりよっぽど大切だった。

 おばあちゃんは亡くなる前に俺を枕元に呼んでこういった。

「かっちゃん、この鏡は古ぼけて汚れているけれど、不思議に困った時元気をくれる鏡なの。 この鏡の前で愚痴や悩みを言えば、夢枕にもう一人の自分が立って一緒に考え解決してくれたものです。 そんな話を誰も信じてくれなかったけれど、かっちゃんは優しいからいつも私の話を聞いてくれたわね? たとえ気休めでもいいじゃない?私だと思ってこの鏡、貰ってくれない?」

 俺は黙って頷いた。

 なぜなら、俺はおばあちゃんが話してくれたような不思議な体験を、実は俺自身が何度も経験したことがあったからだ。

 たとえば、こんな夢だ。

 長い一本道の向こうから男がひとり歩いてくる。どこかでみた男だと俺は思う。あいつ俺にそっくりだ……っていうか俺そのものじゃないのか?自分だと認識した瞬間、俺の意識は飛んでもう一人の自分の方に入り込んでいた。驚く自分を冷たく見つめている。

 まさにドッペルゲンガーそのものだが、俺の心はそんな不思議をごく普通に受け止めていた。

 おれにとってそれは超常現象でもなんでもなく、まぁそんなこともあるかもしれない……そう思っていたのだ。

 祖母から受け継がれた魔鏡は光が当たると屈折率か何かで壁に美しい天女のような絵が写し出される。

 それを見つめていると、俺はなぜか気持ちが高揚するのだ。鏡は普段映し出すことのない現実まで 映し出すのではないかと。

 その日も例の悪夢を見てしまい、俺は気を落ち着ける為に水を飲みふと魔鏡に目を向けた。

 鏡を見て俺は飛び上がらんばかりに驚いた。なぜなら、鏡の中の自分は血の気がないどころかすでに意識もないような状態で倒れていたからだ。

 俺は「あっ」と声を上げて思わず鏡の中に手を伸ばす。気がつくと俺は暗闇の中に入り込んでいた。

「カムイさま……」

「王子……」
 数人の男達が俺を取り囲む。

 「カムイさまが二人?いったいどうなっているんだ?」

 俺はふと振り返って俺の来た方を見た。 あれは俺の部屋にある魔鏡と同じじゃないか。

「俺、多分あそこから来たんだけど、そんなことより、そいつ怪我してるの?」

「えぇ、あなた様は?」

「細岡神威っていいます。鏡にここが映ったからびっくりしてしまって」

「カムイ?あなたもカムイとおっしゃるのですか?」

「おい!自己紹介なんかしてる場合じゃないだろ?病院は?こいつ、すごい血が出ていて血の気がないじゃないか?」

「ビオイン?なんの事でしょう?多分、カムイ様はもう助かりません……」


助からない?そんな簡単に諦めていいのか?医者もいなければ、点滴も受けてないじゃないか。このまま見殺しにできるか?

 俺は腰にぐっと力を入れて俺そっくりの男を抱き上げた。

 信じられないくらい軽い。

「お、お待ち下さい……」

男達が止めるのも聞かずに俺は迷わず鏡に向う。一刻を争うような酷い怪我なのに医者すらついていない。俺が腹を立てながら鏡に触れるとまた俺の部屋に戻っていた。

とるものも取りあえず俺は慌てて救急車を呼んだ。

 しかし少し冷静になると今の状態が普通じゃない事に俺は急に不安を覚えた。なぜなら俺そっくりの男が血だらけで瀕死の状態で俺の部屋に横たわっている。

 そんな状況を救急隊員は当然変に思うだろう?もしかしたら警察に通報されるかもしれない。

 鏡の中から連れてきたなどという話をいったい誰が信じると言うのか?

 まず最初に疑われるのは俺に違いない。しかし迷っていてはこの俺にそっくりな男の命に関わってくる……いったいどうすればいいのか?

 俺が逡巡していると「カムイ様……」呼び声は鏡の中から聞こえる。

「カムイ様!早くお戻し下さい、さもなければお二人とも命がありません」

 鏡を見ると鏡の向こうに必死な形相の男が鏡を叩いていた。

「一つの世界に同じ人間がふたり……時空の歪みが生じてしまいます。一刻も早くカムイさまを お戻し下さい」

俺は一瞬悩んだ、このままこの男をもう一つの世界に戻せば間違いなく治療の方法もなく死んでしまうだろう。そして俺の直感はそれが俺の死にも繋がるのではないかという気がした。

 そういう嫌な予感程、当たるものはない。もう迷っている暇などなかった。

 俺は鏡にそっと手を伸ばす。すると自然に身体が鏡に吸い込まれ男達が待つ世界に入り込んでいた。

「カムイさまは……カムイ様をどうなさるのです?」

「このままここに置いておけば死んでしまうだろう?少なくとも俺の住んでいる世界なら 病院という医者が何人もいる場所に移動する事ができる。たぶんあの怪我なら直るような気がする。それまで置いておくといいんじゃないかな?」

「医者……」

 そういいつつ男達は不安そうな顔をして互いの顔を見合わせる。

「恐れながらもうひとりのカムイさまに申し上げまする」

「なんですか?」

「ここは戦場でございます。あなたさまは戦いの経験はおありなのですか?」

 戦場と言う一言に俺は真っ青になった。戦場?だからあの男はあんなに酷い怪我を負ったのだ。

 しかも王子と呼ばれているからには、この戦いでは大将か将軍のようなものであるのだろう?

 もう一人の自分のように命をねらわれるかもしれないという危険があるのだ。

 俺は一瞬血の気が引いた。だが、もともと楽天的なタイプだ。このまま何もせずに死を待つより前進あるのみ。

「ないです、だがそんな事今更だ。それにもう一人のカムイも瀕死だったのはず。俺がいなくても暫くはあなた達でなんとかできるでしょう?」

 そこに一番ガタイのいい男がやってきた。

「カムイ様、私はギリークと申すカムイさまお側付きの護衛長でございます。カムイさまは つい、先程の戦いでもう少しで勝利を収められるところだったのですが、なんと敵の大将リョウガ王子を庇って大怪我をされたのでございます」

「敵を庇う?もっと詳しく話してくれませんか?」

「もともと、カムイさまとリョウガさまはハトコでお祖父様同志が御兄弟でしかも双児だったのです。 先代の王達は互いに自分こそ正当な跡取りであると……それはそれは長い長い戦いでした。 平和だったこの王国は南北に二分され多くの者が傷つき死んでいきました。 もうすぐカムイさまに決着という時に なぜかリョウガさまは単身カムイさまの元へいらっしゃったのです。 多分それは和平を結ばんとされる為だったのでしょうが、兵士の一人がリョウガ様を見咎め 矢を放ったのです。しかしその矢がなんとカムイさまの身体を貫いてしまいました。 私達にはカムイさまは明らかにリョウガさまを庇われたように見えました。本当の事はカムイさまにしか 解りません。リョウガさまはそのまま天馬に乗って立ち去られましたから」

「天馬と言うのはあの馬に羽が生えたやつですか?」

「左様でございます。天馬を乗りこなせるのはカムイさまとリョウガさまだけ…… 和平ならなぜ使者を立てなかったのか?悔やんでも悔やみきれません」

「それで今は王の座はどうなっているのですか?」

「もちろん、正当な王座はカムイさまのものです。だが、リョウガさまとその一派はそれを認めようとしない」

「このままカムイ王子が亡くなったら、リョウガというハトコのものになるんですか?」

「このままではそうならざるを得ないでしょう。カムイさまには御兄弟もいませんし、まして婚姻も されておりません。とりあえず、この本をお読みいただけますか?」

 ギリークに渡された本は日本語でも英語でもない文字で書かれているにもかかわらず、すらすら読む事ができる自分が不思議に感じた。

 しかし、そのような事を考える間もなく、いくつもの書物を読みふけるうちに夜が更けてゆく。

「天山に参りましょう」

 夜になって灯りを持ったギリークが迎えに来た。

「天山とは?」

「王だけが過ごす事のできる神の山です。そこなら、リョウガさまの魔術も使えません。」

「魔術を使うのですか?」

「あの一派だけに使える魔術があるのです。それを使われると身体が動かなくなります」

>俺は背筋に冷たいものが走っていくのを感じた。

「まだ、カムイは狙われるでしょうか?」

「えぇ、多分カムイさまが生きている限り……」

 それを聞いて俺は仕方なく、ギリークについていくことにした。永遠に続くかと思われる螺旋階段を 登り、足も動かなくなった頃、やっと王の間に辿り着く。ギリークは入り口まで送ってくれた後 「私はこの中には入れませんので」とそのまま俺を一人残して帰っていってしまった。

 酷く心細かったが仕方ない。俺は部屋の中をぐるりと見回した。一人で過ごすには広過ぎる部屋だ。

 パソコンもテレビもないのにどうやって時間を過ごすのか?一番先に目についたのは大きな玉座だ。 玉座は黒光りし重厚な雰囲気だった。いくつかの黒曜石を中心に様々な宝石が鏤められている。

 今までのいた他の部屋の殺風景な感じとは明らかに違う調度品が揃っている。

 正直いって居心地は悪かったが最近の寝不足とあまりにいろいろな事が今日1日で重なっていたのだろう。

 急速に眠気が襲ってきて俺は天蓋つきのベッドによじ登ると同時に殆ど意識の無くなるように眠りについた。



いつもなら、朝までぐっすりの俺が夜中に目覚めたのは何か人の気配を感じたからだ。

「カムイ……」

誰かが俺を呼び俺の顔を覗き込んでいる。

「ん……」

「カムイ……」

 ………?…………っ!

 いきなり口に生暖かいものが……もしかしてキス?

 頭の後ろに手をやって首を擡げられる。

だがそれでも俺はまだ夢の中にいた。幼い頃、母に風邪をひいた時に首を擡げられプリンや、ヨーグルトを口に入れてもらう夢だった。

甘いスプーンを待ちわびるように半開きになった俺の口に入ってきたのはプリンでもヨーグルトでもなくざらっとした舌だった。

 その舌が乱暴に俺の口の中を暴れまわる。俺はやっと目が醒めた。

「ん!んん〜〜〜〜っ!」

 乱暴に俺の口の中を蹂躙していた唇が離れて、俺はその男と目があった。

 澄んだ緑の瞳に長い銀髪の男の顔が間近にあった。そう男だ……。

「カムイ……無事だったんだな……お前が撃たれた時、生きた心地がしなかった」

 綺麗な瞳でまるで引き込まれるような気がする。

 もしかしたら、こいつがリョウガなのだろうか?

 
俺をカムイに間違えたにしても敵の大将なのだろう?なぜ、カムイにキスをするのか? 俺の頭は寝ぼけてしかも混乱している。リョウガの指が俺の胸元に手を入れて弄ってきた。

「なに?」

「抵抗するな……傷に薬を塗るだけだ…………?……傷は?傷はどこだ?」

 甘やかだった彼の表情は怖いくらいに変化して俺を睨み付けていた。


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