お仕置きは念入りに



 

【8】


 

鹿央が目覚めた時、ホテルの部屋には誰もいなかった。

 当然だろうと思う気持ちと寂しいような気持ちが複雑に絡み合う。

 昨夜の自分はどうかしていた。酔っぱらったとはいえ、お仕置きと称して好き放題されたのにあんなに感じて……喘いでしまった。

 お仕置きのつもりであんなことまでやってしまったのに、それを喜んだ自分を美杉はいったいどう思っているのだろう?

 軽蔑……しているだろうな。

 鹿央は深くため息をついた。

 若い女性にセクハラ擬きをするだけじゃくて、叱責にまで、喜んで感じてしまうなんて。節操が無さ過ぎる。

 軽蔑を通り越して、きっと気味悪がっているに違い無い。

 そう、思うとどっと落ち込んだ。男同士で性行為が行なわれる事があるとどこかで聞いた事があったが、自分には一切関係のない事だと思っていた。

 自分がノーマルだからというより、少なくても某芸能事務所に所属しているような美少年達の対極にいると思うからだ。

 どうしてこんな事になってしまったのか?自分でいくら考えても判らない。ただ、これ以上美杉に部下として迷惑はかけたく無いとだけは思う。

 そのためにも、仕事だけはしなければと決心をさらに強くした。今までばかばかしいと思っていた仕事も今はそれしか自分に残されていないのだとやっと気がついた。

 少なくても仕事さえすれば、美杉に迷惑はかけないはずだ。

 仕事にさえ打ち込めば、こんな中途半端な気持ちはきっとなんとかなるだろう。

 鹿央はそう思って身体を起こしたが、思うように満足に立つ事も出来ない。

 しかも、冷や汗と発熱という最悪の状態でなんとか、ホテルを抜け出し部屋に帰って着替えを済ました後、待たせていたタクシーに倒れ込むように乗り込んで職場のあるビルの名を運転手に告げた。

 鹿央の体調は最悪だった。

 それにも増して昨夜のあれこれが断片的に忘れようとしても、生々しく思い出されてしまうのが辛過ぎる。俯き加減で仕事をしているのに、なぜ美杉の声や、通りすがりに目に入る背広の柄で畏縮してしまうのか。

 あれから、美杉も気まずいのか、直接美杉に仕事を回されなかったので、鹿央はしっかり手持ちぶさたになった事を悩んでいた。

 しかし運良くネットの中で、自分の交友関係から仕事のチャンスがないか探したことによって、その結果、ことの外大きな仕事が舞い込む結果になった。  

 それから数日間、体調の悪さと新規の仕事に追われ、結局美杉と一言も言葉を交わさなかった事に鹿央はしばらく気付かなかった。

 仕事が急速に忙しくなったおかげで、足りなくなった人員を埋めるために急遽、新人が二人派遣されてきた。

 そのタイピストとシステムエンジニアは二人ともまだ若い女性。しかもその華やかな雰囲気と愛らしい顔立ちですっかり社内の男性達は色めきだつ。

 それは、数日して彼女達が課内ですっかり馴染んだ頃のこと。

 何かに取り付かれているように独りで一心不乱にモニターを眺めて 何かを打ち込んでいる鹿央。

 彼に派遣社員の一人で長内香奈は、すっとその机に紅茶の入ったカップを置いた。

 会社に備え付けの紙コップではなく、どうみても私物のジノリ社の繊細なカップだ。

 しかもそこからは、ベルモットの馨しい香が仄かに漂っている。

 カップに気付いた鹿央がふっと顔を上げて微笑む。彼のお気に入りのだったからだ。

 「ありがとう」

 「いえ」

 二人の会話はそこで終わったが、その香奈の後を先輩格である麗華が追いかけてきた。

 「香奈ちゃん、知らないの?あの男はセクハラ男なのよ。気をつけないと」

 「あら?そうなんですか?私もよくセクハラに遭うんですけど、鹿央さんにそんな視線や雰囲気を感じた事なかったから」

 「私もされたのよ。最近は美杉課長が釘をさしてくださったから収まってるけど」

 「え?どんな」

 麗華は一瞬で不機嫌になった。

 「肩に手を置いたり、彼氏と仲良くしてるかなんて聞いてくるのよ」

 「そうなんですか?でも私は何もされてないし」

 「されてなくても、あんな男を調子づかせちゃだめよ」

 その言葉で香奈は少しだけ挑戦的な顔を返す。

 「あんな男って……鹿央さんて独身なんですって?しかもお金もちのおぼっちゃんみたいですよね?着てる服とか、どれもイタリア製のブランドものだし。靴だって普通のサラリーマンには、なかなか買えないものですよ。デートならともかく普段に毎日、あれだけ揃えてるのってすごいと思いません?」

 そこに一緒に派遣された佐藤由宇が口を出す。

 「そうそう、私達みたいにあちこち短期間で移動してると、男を見る目も肥えてくるんですよ」

 「なにいってるの?あんなくたびれたオヤジ」

 その一言に香奈と由宇はバカにしきったような冷たい瞳を向けた。

 「本気でそう思っているなら、私達のじゃましないでくださいね!先輩」

 その言葉を裏付けるように、二人は何か隙を見つけては、鹿央に近付こうとする。

 吉田達もそんな二人の様子をみて、少しづつ鹿央に対する認識を改めつつあった。

 実際、美杉のお仕置きに懲りたのか、余程の事でもなければ、鹿央は女子社員に近付くどころか、話しかけもしなくなっていた。

 身の回りの事も、美杉に出会ってから、随分と気遣うようになった鹿央は、元来さっぱりとした顔立ちを していたから、由宇と香奈達の影響もあって鹿央の評判はすこぶる好転していた。

 実際、セクハラなんていう不名誉な枕詞から解放されてみれば、鹿央は歳の割に品のある綺麗な顔立ちをしている。モニターを見つめる真剣な瞳や、そして受話器を肩と顎に挟んで最近とみに早くなったキーボードを打つ指先、全体的におっとりとした気品のようなものさえ、感じられる。

 「鹿央課長代理って、この銘柄も飲まれます?」

 などと言う感じで、入れ代わり立ち代わり、頼みもしない英国王室御用達の高級紅茶が手作りのマフィンと一緒に運ばれてきて、他の男性社員を驚かせる。

 奇妙な事にいくら鹿央が避けていても、派遣社員の方から、何かとかかわりを持とうとしているようだった。  

 しかしそんな自分の周りの事情をよそに、鹿央の仕事は多忙を極めていく。

 不自然な事に美杉は自分から仕事を鹿央に回さない代わりに、鹿央が何をしていても一切文句をつけてこないようだった。

 同じ課で仕事をしているはずなのに、全く違う課で仕事をしている形になっていても、二人の間に漂うぴりぴりとした緊張感に誰も口が出せない。

 今までどこか、離れて見ていた仕事も実際自分の手で構築することになると、意外にやりがいを感じ、 鹿央はますます仕事にのめり込んだ。

 実際、鹿央の現在の立場や、年齢や親のバックボーンによる人間関係の恩恵をかなり受けてはいた。

 しかし、何より、現場にいながら現場にいなかったような鹿央の中途半端な存在が不思議に他には真似出来ない新しい発想を生み出しているらしかった。

 都合のいい事に鹿央の考え出した試作品も、すぐに作られ不具合があれば、すぐに変更される。

 恐らく鹿央の両親にしてみれば、安いおもちゃを買い与えるのとなんら変わらない感覚だったのだろうが、

 鹿央にすると今までで、初めて充実した社会人生活を送っているような気持ちになり、 仕事面ではその、順調振りが怖いくらいだった。

 美杉に完全無視されているのを除くのなら。

 あの、お仕置きと称された信じがたい夜から、鹿央は美杉にその存在がまるでないかのように 無視され続けていた。

 もともと今までの鹿央は、言われなければ仕事なんか極力さけてきたから、自分から 美杉に何か言う事などできなかった。

 しかも、あの思い出したくもない夜の事を考えないようにしてきた。 いったい美杉はどうして自分にあんな事をしたのだろうか?

 お仕置きと呼ぶにはあまりに甘い夜だった。

 鹿央も決して嫌じゃなかったと今は思う。

 感じてしまった……それだけではなくて 鹿央の心の深く沈んだ小箱の上を、美杉という羽毛が幾度となく撫でるように落ちて降り積もった。

 その羽毛に包まれて今まで決して開こうとしなかった小箱がゆっくりと開きかけたような感覚があったのだ。

 あれは、錯覚ではなかった。

 僅かに開いた小箱の口に、今でも次々と羽毛が入り込んでくる。鹿央は繊細なそれを傷つけるのが怖くて小箱の口を閉じる事ができないのだから。

 BACK  NEXT TOP