お仕置きは念入りに



 

【2】


 

 それは小さなものだったからしばらく周囲のもので気がつくものは誰もいなかった。

 影で「セクハラおやじ」というありがたくもない綽名をつけられた鹿央直樹(かおうなおき)の 変化に。

 まず第一に、用もないのに女子社員を自分の元に呼びつける事は全く無くなった。

 それどころか今までは誰かにやらせていた、コピーや部下への指示など自分でいつの間にかやっていたり、自販機でお茶を買って飲んでいたりする。

 女子社員達はそんな変化に殆ど関心を寄せなかったが、最初に気がついたのは鹿央の直属の部下の吉田だった。

 今までは横柄になんでも部下を呼びつけて仕事をさせていたのに、自分から頼みたい書類を持ってくるようになったりした事で多少の違和感があったのだが、何より指先が軽く触れただけで電流が走ったようにビクッとされてその大き過ぎるリアクションをされることに驚いた。

 一瞬自分が何か鹿央に嫌われる事でもしたのだろうかと胸に手を当てて考えてはみるが、どうも思い当たらない。

 よくよく観察してみれば、他の老若男女問わずにスキンシップを避けているようだった。

 「最近、課長代理の様子変わりましたよね」

 吉田は課長の美杉にちょっとカマをかけた。

 すると彼はあっさり

 「あぁ、ちょっと強く脅しておいたからな、暫くはみんな落ち着いて仕事ができるだろう」

 と認めたので吉田は「そうですか」とそれ以上何も言えなくなる。

 美杉も実はあれからなんとなく体裁は悪かったから、鹿央を気にしてはいても、なるべく避けていた。 セクハラしなくなったのなら、それはそれでいいんじゃないかと。

 実をいえば美杉は「課長、課長」と纏わりつく女子社員より鹿央の方がよっぽど好ましいと思っていた。

 セクハラといっても精々肩に手を置く程度、しかも女子社員が騒ぐほど、イヤらしい触り方ではなく どこかおずおずと遠慮がちに伸ばされるその手はその辺の女達よりよっぽど恥じらいがある。

 だが、ゲイよりのバイである美杉にすれば、そんな風に女子社員に嫌がられながらも おずおずと手を伸ばさずにはいられない鹿央に対して妙に面白くない気持ちになる。

 「ばかじゃないのか?セクハラと言われるのがわかっているのに、肝心な場所を触れる勇気もない」

 もっともそんな勇気があっても困るのだが。

 でも、なにより美杉が不自然だなと思ったのは、時々鹿央が何かを考え込むように窓の外を眺めている事だった。

 そんな様子だからといって鹿央が仕事にやる気がないわけではない。むしろ今までよりずっとまともに仕事をしている。

 有り体にいえば美杉は鹿央がこれほど仕事ができる男だとは正直いって思っていなかった。 いったい今までのお荷物のようなセクハラおやじの彼はなんだったんだろう?

 企画を頼むと、他にはない斬新なアイディアがでるし、資料を作らせても綺麗に早く作るのも 有り難かったが、なにより驚くことに鹿央にはセンスというものがあった。

 しかも、それは個性を強く主張する奇を衒うというものではなく、良質な物を知った大人の深みのようなものを感じさせた。

 それを見ている内に美杉の中であの時の情景が再び鮮やかな色彩と共に蘇る。

 多分、鹿央はとんでもない奇禍に出会ったとしか思っていない出来事も自分はこうしてまだ囚われている。

 『あんなことまでしなければよかった』

 目があうと露骨に顔を背けられ、廊下で出会うと踵を返して逃げられる。先日は直接書類を渡しただけだったのに、指が触れただけで飛び上がらんばかりにぎょっとして渡した書類を落とされてされてしまった。そんな風に露骨に鹿央に避けられる度、美杉の胸はちりちりと痛む。

 そうなのだ、実際あんなことまでするつもりは最初はなかったはずだった。 だけどあの時、なぜか急に腹が立って痛めつけてやりたくなってやり過ぎてしまったのだと。

 それは鹿央に所詮この会社が彼にとっての足掛けだと罵られた時だった。

 生まれながらにして銀のスプーンを銜えてきた者の驕り。

 それを感じて無性に腹が立ったような気がする。

 それでも目的はアレをシコってそれを携帯で写すだけで よかったはずなのだ。

 それなのに。

 どうしても目の前をちらつくのは鹿央の年齢の割に弾力のある白い肌。さえないオヤジだと思っていたのに、予想を裏切る肌の色やその六つに割れた腹筋を代表される鍛えられた筋肉。

 そして何よりあの色気は反則だ。堪えるように漏れる微かな喘ぎ。

 しかも、美杉の悪戯にあの初心な反応……思い出すだけで口元が緩む。

 乳首が立っているといっただけであの、焦り様。 実はその瞬間を思い出しただけで、美杉は何度か会社ですら立ちそうになって困ったことか。

 避けたいのは寧ろこっちの方のはずだ。 理性ではあんな男などセクハラがやんだのなら放っておけと忠告するのに、嫌がられると分かって尚、彼の行動から目を離せないのはなぜなのか。

 半分は自分でも分かりきっていた。努力もせずに自分の与えられた恵まれた環境に感謝すらせずに 逆に不満をいうようなタイプの人間が大嫌いだった。

 機会さえあれば懲らしめてやりたい……というのは大義名分に過ぎなくて、本当は嫌と言うほど虐めて 泣かせてやりたい衝動にかられるのだ。

 なるべく自分に関わらないでいようとする鹿央をゆっくりと追い詰め、屈辱に歪む顔がもう一度見たかった。

 そんな事を妄想するだけでぞくぞくしてしまう。

 爽やかな好青年を演じている自分にこんなどろどろした欲望が渦巻いている……その片鱗を知るのは間違いなく彼だけだろう。

 だからといって、誰が今の鹿央が美杉のあの時の行動を訴えたからといって、彼の主張をまともに受け取る者はいるだろうか?残念ながら狼少年状態の彼の話を誰も聞くわけがないのだ。

 それは彼自身も気がついているからこそ、露骨に自分を避けているのだろう。

 もう2度と美杉に付込む隙を与えたくない一心で頑張っているのだとしたら、それはそれで可愛いところがある。

 つらつらと美杉がそんな事を考えていると、窓際のデスクの辺りで大きな物音がして、音のなった方に目を向けた。

 そこには、鹿央と先日、給湯室でセクハラされたと騒いでいた小杉という若いタイピストが転んで 重なりあっている。

 「も〜いや!」

 そう憎々しげに叫んだ小杉は倒れたまま、すごい形相で鹿央を睨み付けている。

 「違う、わざとじゃないんだ」

 一方のしどろもどろに言った鹿央の顔は真っ青だった。

 「大丈夫ですか?どこか打ったところは?」

 美杉はさも、慣れた仕種ですっと小杉に手を差し出した。

 「いえ、大丈夫です」

 小杉は美杉に手を差し出されたことですっかり機嫌が直ったようににっこりと微笑んだ。

 「あ、鹿央さん、会議室にちょっといいですか?」

 美杉にそう声をかけられただけで鹿央の瞳が不安そうに左右に動く。

 「今のは、誤解だ、ちょっとよそ見をしてぶつかって……」

 「鹿央課長代理、後でゆっくりとそこでそのお話をお聞きしますよ」

 まさに心の中で舌舐めずりをせんばかりの美杉に鹿央の握られた拳は微かに震えていた。

 「会議室……ふ、二人でですか?」

 「誰かに聞いてもらいたい?」

 何を?と聞き返しそうになってから、鹿央はこれ以上反論するのをやめた。

 「いえ……」

 「じゃあ行きましょうか」

 屠殺場に連行されるような蒼い鹿央の横顔を、一瞬だけ美杉は確認してから、 先に会議室に入っていく。

 項垂れたままついてきた鹿央が部屋に入ったとたん、美杉はドアに鍵をかけた。

 「どうして鍵をかけるんです」

 鹿央はすぐに抗議した。

 「どうしてって?あなたの為にかけたんですが、それとも鍵をかけないほうがいいんですか?」

 「いえ……」

 震える声が美杉の加虐心をますます煽らせる。

 「実際、困るんですよ。こうして社内でセクハラを繰り返されると」

 「違うんだ。今回は本当に誤解だ」

 「でも彼女はそう思っていなかったみたいですね。まぁ、今までのあなたの行動を鑑みれば仕方ないでしょうね」

 「か、彼女の方からぶつかってきて……」

 「往生際が悪いな……先に警告したのに。素直に罰を受けた方がいい。もっとも彼女達の前で罰を受けたいっていうなら、彼女を呼びましょうか?」

 「それは、や、やめてくれ、頼むから」

 鹿央はすでに表情を無くしたまま手を握ったり開いたりして後退る。それを追い詰めるように美杉はゆっくりと二人の間隔を詰めて行った。

  「社内でセクハラするほど溜まってるんですね?」

 「違う……誤解だ」

 「本当は僕だってこんな事男相手にしたくないんだ。だけどこれも仕事の一環ですから」

 そんな事は美杉の捏ち上げだったが、その一言に鹿央はまさに震え上がった。

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