お仕置きは念入りに



 

【13】


 

 鹿央はそのまま首を掴まれながら呻くように話だした。

「課長がどういうつもりで私を懐に入れてくださったにしろ、私はあの夜を後悔していない」

「何を……いうんだ」

 びくっとして美杉がその手を離すと、鹿央は縋るように美杉の腕を掴んできた。

「迷惑だと思うけれど、聞いてくれませんか?私は、この歳になるまで、本当の意味で物を欲しがった覚えがない。そんなに欲しがらなくても大抵のものは、親が与えてくれたし、いつか手に入るものだと思っていた」

「うやらましい事だ」

 美杉は小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。

「そうでしょうか?それはある意味、夢も希望もないという事なんですよ。私はすべての事柄から諦めている。イソップの昔はなしに出てくる狐みたいなものです。届かない葡萄は酸っぱいに違いないと いつも逃げていた。今まで少し欲しいなと思ったものでも手に入らなければどうでもいいやと納得させてきたんです」

「それで女の子にセクハラを?」

 片目を釣り上げて美杉は皮肉る。

「真面目に聞いてください。美杉さん。私にとってどうでも良くないものが現れた。それがあなたなんです」

「は?」

「最初は、ただあなたがうらやましかった。かっこ良くて、若いのに仕事が出来て、皆に信頼されていて。 そんなあなたにお仕置きをされたのが、悔しかった」

「もう、そんな事はしないよ」

 形勢が不利になり美杉は固唾を飲む。

「だけど、あの夜、美杉さんは、お仕置きと言って、私を抱いた。何の価値もない。仕事もできないただのおやじの私を、優しく愛してくれた」

「鹿央さん、あれは……」

 いきなりの展開に美杉の頭はさらに混乱する。愛してくれたって?それは俺の心を読み取っていたのかと。

「あなたにとっては、ただのお仕置きでも私のとっては、忘れられない夜だった。なぜなら、初めて素の私を あの一瞬は確かに愛してくれたと感じられたから」

「待ってくれ……それは」

 鹿央はそれ以上美杉に言わせる間もなくため息と共に言葉を紡ぐ。

「分かってます。自覚してますよ。可愛いお嬢さんならいざ知らず、こんなおやじにそんな事を言われても 美杉さんも困るでしょう。もちろん、私はあなたに何も望んでいないし……。それどころか気持ち悪いと思われないかそればかりを恐れている……」

窓に向って鹿央は、自分の心を持て余すように俯いた。

「……ただ、私は今は美杉さんの近くで仕事ができて、美杉さんの力になれればそれで充分なんだ。勝手に思うことくらい許してくれませんか?多くなんか望まない。人前で話のが迷惑なら話しかけたりしないし」

「……」

 美杉はただ、言葉を探して困惑するようにしきりに首を振った。

「なるべく目もあわないようにしたっていい。こんな私が気持ち悪って思うなら、なるべく離れるようにする。ただ、近くにいて美杉さんの力になりたい。あなたにとってほんの僅かでも必要である人間でいたいんだ。本当に本当にそれ以上は望まないから、お願いだからやめないでください」

 そういうと美杉の靴に縋り付くように、頭を下げた。その肩を抱くようにして美杉は呻いた。まだ、この状況が信じられないでいるからだ。いくらなんでも都合が良過ぎる展開だ。

「ばかだな……あんたが土下座なんかするなよ。それに泣くな。あんまり驚いて口を挟めなかっただけなんだから」

「会社を辞めないでもらえるんですか?」

「あぁ、辞めるもんか。根性のない俺にガツンと一発かませやがって」

 そういうが早いか美杉は、覚悟を決めて思いっきり鹿央を抱き締めた。

「あぁ、ちくしょう!俺もあんたが、好きだ。普通の男であるあんたを好きになっちゃいけないと ずっと自制したつもりだったけど。あの夜のあんたがあんまり可愛くて自分を押さえる事ができなかった」

 だが、それを聞いて鹿央は、喜ぶどころか顔を蒼くして唇を強く嚼みながら後ずさった。

「互いの立場が変わったからって、この後に及んでそういう事をいうんじゃないでしょうね?だって美杉……課長、本当は私を軽蔑してるでしょう?それなのにそんな事を言って、私に気を持たせるのは逆に残酷だと思いませんか?」

 震えるままの鹿央を美杉は追い詰めるように、窓際に追いやった。 下がり続ける鹿央の後ろには、最近導入されたセントラルヒーティングが迫っている。 美杉は、腰を抱くようにして美杉の行く手を阻んだ。

「それ以上行くとやけどするよ」

 その声は思いやりと優しさに溢れていた。 鹿央はそれでもまだ迷っていた。美杉の心をもう見誤りたくなかったから。

「酔いに任せてあんなふうに乱れた私を節操無しと笑っているくせに……美杉さんに好かれるなんて、まして思いを寄せてもらえるなんて有り得ない。それは私自身が一番よく自覚しているから」

 そんな鹿央の口に美杉はそっと親指でそれ以上の言葉を制した。

 唇に乗った指が、そっと乗せられただけだというのに、もう呪文をかけられたように、鹿央は動けない。

「俺も女好きだと思っていたあなたから、こんな風に熱く告白されるなんて思ってもみなかった。だから あんたに惹かれる気持ちを自制していたんだと思う。 あんたに先に告白されて嬉しかったけど、悔しかった。自分が意気地なしに思えたし、あんたが言ってるように、立場が変わって好きだと言い始めたと誤解されるのが辛いから」

 そういいながら、鹿央のすぐ傍に美杉の顔が迫ってくる。

「美杉さん…」

 優しく制された親指の間から、鹿央は声を漏らした。

「直樹……あんたはやっぱり俺よりずっと大人だよ。俺はこんな中途半端な男だけど、 好きだって気持ちは負けない自信がある。それでも俺がいいか?」

 もう、美杉の瞳も見えない……鹿央の目に入ってきたのは、重なりそうに近付く唇と遠慮がちに外された親指だけで。

「信じたいけど……やっぱり……」

 その親指がもうこれ以上何もいうなというように鹿央の瞼を閉じさせる。

「信じさせてやるさ。今夜、ベッドの中でたっぷりな」

 重なった唇から洩れる熱い吐息に、鹿央は酔ったように美杉の首を抱き寄せた。

 それから、混乱する社内が落ち着きを取り戻すのを待っている事ができなかった二人は、 仕事を言い訳にして近くのシティホテルに部屋を取った。

 「今夜は寝かさないよ」

 そういった美杉に鹿央は柔らかく微笑んで

 「あなたが寝てもきっと私が起こしてあげる」

 そういって待切れないように、ベッドの上で幾度も幾度もキスをした。 

 

 FIN

 

 【この後の二人の夜を読んでくださる18才以上の方は上の『寝かさない』をクリックしてね。】

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