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自分を見ようともしない美杉をじっと見つめていた鹿央は、ごくりと小さく喉を鳴らす。 頭で理解していたことでも、こうして目前で嫌われていることを自覚するのはあまりに辛かった。 言いたかった様々な事も飲み込んで、美杉から視線を離した。 感傷に浸っている場合じゃない、今は緊急事態なのだと自分の気持ちを引き締める。 鹿央には予感があった。 自分はもう二度とこんな切ない思いはしないだろう。 40年以上生きてきて初めて、本当の恋を知った瞬間だったから。 いつも、手に入らないものに、そんなに執着する事はなかった。 少し待っていれば、親がもっといいものを用意してくれる可能性があったから、それほどモノに執着した記憶はない。 親に愛されていたかったから、尊敬する兄にも認めて欲しかったから、生島産業で自分も兄の片腕として働きたかった。それなのに、両親も兄も鹿央にそんな事は求めていなかったのだ。 両親や兄の言う事をよく聞く人形と同じ。 だから、どれほど高価なマンションや衣類が手に入ったとて、いつも心は満たされなかった。 だけど、鹿央は知ってしまったのだ。自分が生島家の人間と知らないのに、しかも寧ろ困った部下としての存在としてしか認識していなかった、美杉との甘い夜を。 いつまでも、彼の優しい指を感じていたかった。そして彼の肌の熱さを、抱き締める強い腕をもう忘れる事はできない。 例え、錯覚だとしても、あの一瞬は確かに鹿央にとっては現実だった。 それだけを、一生の宝物として潜在意識の小箱に仕舞っておく事をいったい誰に止める事ができるのか。 あの二人で愛しあった一瞬は鹿央にとって永遠なのだ。それだけで美杉の為だけに生きていける。 そんな自分のシャボンのような儚い恋心を、鹿央は決して誰にも壊させまいと心に誓っていた。 美杉はその頃、企画部長に呼び出されていた。 部長は来客用のソファを美杉に勧めながら、秘書に当分誰も部屋に入れるなと指示してから 額を突き合わせるように話だした。 「確かに君が最終チェックをしたんだな」 「当然です。その後に改竄されたとしか思えません。だとしたら、内部に実行者がいるとしか思えない」 部長は唇を嚼むように左右に動かしていら立ちを隠そうともしない。 「その目星はついているのか」 「えぇ、大変遺憾ではありますが、今回の件に絡んでいるのが、私の部下でほぼ間違いないでしょう。ただ今回の事は、親会社の生島も絡んでいるのではないかと、私は睨んでいるのです」 「どういうことだ」 「今、我が社はグループの中でもトップの業績を上げている。新しい企画が尽く当たってますからね。反対に生島は急激に業績を伸ばした部門が、逆に焦げ付いた企業と繋がっていて、危険な状態に急速に陥ってます。我が社の収益を自分達の損失を埋めるためになんとかしたいと思っているのではないでしょうか?」 「内通者がそんな事をしていったいなんのメリットがあるのだ?元々我が社の株は生島家が持っているのだぞ」 「そこです。生島産業との株の持ち合い比率は意外と高くない。親会社でありながら勝手に株を生島に引き上げられない状況です。私はなぜ、生島産業から我が社に役員が出向 されていないのか疑問に思っていましたが、今回の事と何か関連があるのではないでしょうか?」 「ま、待て、これ以上は俺だけの判断でお前のそんな話を聞くわけにはいかない。上と詰めてくるからちょっと待っていろ」 部長はそれ以上何も聞きたくないと云わんばかりに、美杉を制すると自分は逃げるように会議室を後にした。 美杉は、唇を嚼んだ。 今の自分に誰も味方などいない。 勢いのある時は周りは、自分を必要以上に持ち上げるが、ひとたび僅かな嫌疑をかけられただけでこの扱いか……。 美杉は額に手を当てた。 四面楚歌だ。 今回の事は、ある意味はっきりしている。現段階では証拠こそないが、自分の出世を妬む誰かが一枚絡んでいるのだ。 自分を陥れて、不法にデアコーポから資金を出させて点数を稼ぎ、自分が生島産業に引き抜かれるつもりなのだろう。 やっと最近軌道に乗ってきたデアコーポにとって、今回の失態は信用を失いかねない大きな問題だったし、 もしも、これをいいがかりのように生島産業に資金を引き上げられたりしたら、想像できない程とてつもない打撃だった。 デア・コーポレーションそのものが、潰されるかもしれない……。 当然と言えば当然だろう、生島産業にとって自分達は単なる保険のような二次的な子会社で、消えても全く構わない……その程度の価値なのだから。 持ち合い比率の話を部長が知らなかったのは意外だった。 生島産業がもっていると認識していたデアの株も実は、生島産業に一時的に依託された形になっているだけだった。 では、我が社の株の大半の実質的な所有者は誰なのか? 部長は自分にミスを押し付けてなんとかこの局面を乗り切ろうとしているのだろうが、大局的にみれば、 自分の進退など、会社にとってみればほんの些細な事。 むしろ、会社存続の危機に見舞われていると言う事に、なぜあの頭の固い部長は気がつかないのか? それにしても……と美杉は首を捻った。 先日の事があるから、つい鹿央を露骨に遠ざけてしまってはいたし、現実を認めるのは辛い事だが、どう考えても最近一番変わったのは、鹿央だった。 ノンケの鹿央にますます本気になりそうな自分を戒めるために、鹿央の事はなるべく放っておこうと思っていたのだ。それが、どうしてこんな事に? 今回の犯人は鹿央なのだろうか? 確かに彼に怨まれるような事はしたという自覚はある。 酔った彼が碌に抵抗しなかったのをいい事に、たっぷりと彼を可愛がった。 まるで、愛しあう恋人達のような甘い吐息につつまれていたあの瞬間、思い出しただけで胸が引き絞らるようだ。彼との時間が自分という人間の理性を奪い普通じゃない気持ちにさせる。だから遠ざけたのだ。 その彼が、自分を陥れ、我が社まで生島産業に売ろうというのか? 美杉は深いため息をついた。 多分、そうなのだ。 認めたくはないが、鹿央しか考えられない。 彼はデアコーポに何の愛着もなく、しかも美杉を怨んでいる。 それなのに、なぜだろう? 鹿央を想う時、美杉の胸は少年の初恋のように甘く疼き、彼を……彼だけは信じたいと思ってしまうのだ。 「愚かしい……このまま、俺もデアコーポと心中か?」 そういいつつ美杉の心は決まっていた。 多分、殆どの状況は鹿央を犯人だと示している。 だが、美杉は最後まで鹿央を信じてやりたいと思った。 それが、自分の悲しいまでに愚かしい恋心なのだと美杉は唇を嚼んだ。 |