KARATE4

試される運命21


 雄斗が学校に午前中の年休願いの電話をしてからラウンジの個室をとったのとサングラスをかけた綾香があらわれたのはほぼ同時だった。

 雄斗は高鳴る胸をどうしても押さえる事ができない。なんの証拠もないのに感覚だけで真野を母だと信じ切っている自分が尋常な状態ではない事を物語っている。

 しかし、緊張してるのは雄斗だけではなかった。サングラスに手をかけた綾香の指も細かく震えている。それをみてやっと雄斗は平常心を取り戻した。

 「雄斗さん、先日はごめんなさい。突然あなたの前に現れて、その上好き勝手な事を言ってしまって。 自分を抑えられないあんな状態を想像もしていなかったの」

 サングラスを外して小さく笑う。

 その笑顔がこの年代の女性の褒め言葉としてはそぐわないが、なんとも可愛らしかった。

 「どうぞおかけください」

 雄斗が椅子を勧めると綾香はそこには掛けずに立ったままほろりと涙を流す。

 「恨んでいるでしょうね?」

 「え?」

 「私を恨んでいるでしょう?」

 「なぜ、そう思われるんですか?」

 「あなたを姉夫婦に預けっぱなしで、ずっと名乗りもしないで、その上あんな事に……。 あなたの子供時代を思うと……申し訳なくって」

 「まってください真野さん……何か誤解してるようだけど僕は子供時代決して不幸じゃなかった。 確かに父母は僕に上手に愛情を注いでくれたとはいえないかもしれない。 でも一度だって養子を疑うような出来事はなかったし、父も母も優しかった」

 そこまで一気にいってから小さくため息をつく。

 「でも、それだけだった。あまりそれ以外叱られた思い出も褒められた思い出もない。僕も小さな子供だったから構ってもらえなくてすごく寂しかった。だけど真野さん……僕の記憶違いでなければ真野さんは僕が小学校のころ一度祖母と運動会に来てくださいましたね」

 「……お、覚えているの?」

 綾香の両眼が潤み、唇が微かに震えている。

 「あの時はあの綺麗な若い女性があなただとは知りませんでした。ただ、子供心にあなたが僕にかけてくれた 『ゴールでお祖母様がまってるから頑張ってね』っていう一言は僕の琴線に触れました。今まで親にそういう言葉を掛けられた事がなかったので」

 そういってそっと畳んだ真っ白なハンカチを綾香に手渡す。

 「許して……私を許して……どうしてもあなたを産みたかっ……た」

 そのまま喉に言葉を引っ掛けながら押し出すように綾香は言葉を繋げた。

 「皆に反対されればされる程、若い私は頑だったの。彼の娘が産んだ子が竜斗というのを聞いて、名前も雄斗と似た名前をつけるほど愚かだった。 黙って子供を産み落す事が、彼に対するせいいっぱいの私にできる抵抗だったの。 姉が不妊だと知って姉の名前で母子手帳を作るくらい何も見えていなかった。姉は子供が出来ないから嬉しいだろうなんて思い上がりをして……」

 どうりでやけに似た名前だと心の中で雄斗は苦笑する。雄斗はそれに何も言わず静かに尋ねる。

 「今回、僕に会うように唆したのは、健吾だけの考えですか?」

 「あなたが子供のころ寂しくて不幸だったと聞いて、しかも今は羽鷲のボディガードにさせられてると聞いたの。それを聞いてどうしようもなく取り乱してしまって健吾さんに連絡を貰ってとるものも取りあえず、そのままあのドアを開けてしまっていたの」

 解っているという風に綾香の涙をハンカチでそっと拭ってやった。

 「あなたにお会いできてよかった。僕は両親を勿論恨んでいないし、あなたにも僕を産んでくれた事を感謝している。もちろん、こんな気持ちになるのは僕が今、成人してるという事もあるでしょうが」

 「羽鷲から連絡はきたかしら?」

 

 「いいえ、今は連絡をとるつもりはないんです。僕も公務員をしてますから、できればこのままで羽生を名乗らせていただきたい。それでは真野さんは不満ですか?」

 「いいえ、いいえ」

 ハンカチで目頭を押さえたまま真野は何度も強くかぶりを振った。

 「それだけ解れば充分です。今日はいらしてくださってありがとう。今後、僕がどうするかは、真野さんに迷惑をかけない限り暖かく見守っていただけませんか?」

 「え?」

 「時々あなたが気が向いたら遊びに来てくださったり、一緒に食事をしたって僕は構わない。 ただ、僕の将来について僕は誰にも干渉されたくない。僕があなたに相談を持ちかけない限りそっとしておいて欲しいのです」

 真野は小さく頷いた。

 真野がとんでもなく嫌な女でなくてよかった、それどころか雄斗は胸の奥にあるタールのようなどす黒く蠢いていたものが氷解しているのを感じていた。

 雄斗は黙って自分の名刺を渡すと伝票を持って席を立つ。一刻でも早く竜斗に会いたかった。会って話したかった。


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