僕はここにいる 9

Now I'm here 9



その始めて真珠丸を抱いた日から、瀧海(たきみ)が姿を現す事はなかった。
身の回りの事をする経験のない真珠丸の世話をしたのは、優しげな綺麗な少年だった。
名前を沙羅(サラ)という。
正確には少年とはいえなかった。なぜなら彼は去勢されていたから。
沙羅の神経は実に細やかで絶望に取込まれ、傷付いた真珠丸を労り、滞り無く食事や身の回りの世話をした。
ぼろぼろになっていた真珠の心はその沙羅によってすこしずつ癒されていく。
しかし、沙羅は無口で殆ど自分から何か話そうとはしないタイプだった。
真珠丸も話し好きなタイプではなかったので、二人は3週間一緒に過ごしながら殆ど1日中口をきかない日もあるくらいである。
しかし、真珠丸にとっては逆に居心地がよかった。
お互いの事を何も聞かない、聞かれないそんな間だったが、二人にはなにか仲間意識のような 物が芽生えはじめており、お互いに交わす瞳は穏やかで暖かいものだった。
真珠丸が酷いつわりに苦しめられてからは、沙羅が寝ずに看病した。
生きよう、生き抜こう、生きてさえいれば必ず、また、日は昇る。
真珠丸がそうほんの少しだけ生活に微かな希望を持ちはじめていた時だった。

穏やかな日々は前触れも無く終焉を迎えた。

「子供と言うのはたった一度でも出来てしまうものなのだな」
沙羅から懐妊の報告を受けた瀧海が真珠丸の元にやってきたのは、卵で子供を生むこの国では臨月にあたる4週目に入った頃だった。
「産婆を付けなければな。多分、そろそろ卵で産み落とすだろう。
壊しては大変だ。沙羅、真珠が歩かないように見張っていなさい」
瀧海は真珠丸に対して訪れてから最後迄優しい言葉をかけることがなかった。
それどころか、瀧海がいかにも早くこの事務手続きを終わりたたがっている、そんな印象を真珠丸は持った。
白魔法を使える皇太子、瀧海が欲しいのはただ、それだけなのだ。
真珠丸は苦い思いでいっぱいになる。いっそ卵など壊してしまえ...と。
だが不本意とはいえ自分が授かった命、どんなに憎い相手の血を受け継いだものとしても 大切な命、それを一瞬でも壊してしまいたいと思った自分を真珠丸は恥じた。
悲しみとともに、自分の胎内に育つ小さな卵。
真珠丸は心底それを愛おしいと思い、優しく自分の腹を撫でた。
それからわずかの間に真珠丸は小さな玉虫色の卵を産み落とした。
それが始まったのは産婆がちょうど所用とかで洞窟を離れていた時だった。
どれほど苦しんだか解らない。
あれほど小さな卵だというのに、真珠丸は 卵を産み落とす迄10時間も苦しんだ。
その間、産婆は間に合う事がなかった。
一晩中自分の背中を優しく撫で、力強く手を握って励ましたのは沙羅だけだった。
沙羅は苦しむ真珠丸の額の汗を冷たいタオルでそっと拭いながら、 異国の歌を歌って聞かせる。意識が遠のきそうになる中でなんとか、沙羅の手のひらに 産み落とす事ができたのだった。
真珠丸は体力を使い果たしたのと安心した事で その直後意識を無くしてしまい、自分の卵がどこにやられたのか知る事はできなかった。

「私の卵は....」
意識を取り戻して真珠丸は自分の近くに卵が無い事を知る。
「瀧海さまが大切にお持ち帰りになりました」
沙羅が答える。
真珠丸は信じられないと言うように必死に首を振った。

「私の卵だ」
沙羅に言っても仕方がなかったが真珠丸は唸った。
「おめでとうございます。皇太子さまでございましたよ」
「卵をかえせ」
「お気をしっかりなさいませ。真珠様。体調が戻られましたら、すぐにも皇太子さまに御会いできるでしょう」
「卵は私の物だ」
そういうと真珠丸は涙が止まらなかった。
皇太子の卵を生んでしまったら、もう自分は瀧海にとって必要なくなってしまったのだろう。
瀧海が全く自分に関心を示さなくなった事は、真珠丸をさらに深く傷つけていた。
「せめて早く自分を真珠国に返しておくれ。もう、私は必要ないであろう」
「明日にも真珠様は後宮にお入りになるでしょう。卵が孵ったら真珠様が名実ともに皇后さまです」
「皇后なんてなりたくない。私は皇太子だ」
「そうおっしゃいますな、瀧海さまが悲しまれます」
「嫌いな人間に嫌われたってどうってことない」
沙羅の顔がさっと強張った。ふと後ろの気配に気がつくと無表情の瀧海が立っていた。
「相変わらずだな、真珠姫、まだ、皇太子などと寝ぼけた事をいっているのか?」
「瀧海さま、真珠様はずっと苦しまれておられたのです。どうかねぎらいの言葉を.....」
沙羅がそういった瞬間、瀧海の顔が邪悪な表情に変化する
「沙羅、御苦労だったな。お前はもう、お前の国に帰る事を許してやる。 どこへでも行くが良い」
真珠丸はその言葉で初めて沙羅がどこか異国の土地で捕まえられた奴隷だと知った。
二人の瞳が悲しく交錯する。

「真珠様、どうかお達者で」
「行くな、沙羅」
踵を返して走り去る沙羅を呼び止めようとして、真珠丸は瀧海の腕に引き止められた。
殆ど会話を交わした事はなかったが、真珠丸がこの洞窟でかろうじて生きてこられたのも 沙羅の存在があったからだ。
頼る者の無くなった、真珠丸は氷のように再び心を閉ざすしか無かった。

BACK TOP NEXT