僕はここにいる

Now I'm here 53



 翌朝、黒曜の姿はどこにもなかった。 花珠に宛てて1通の手紙だけが残されていたが、花珠はそれを開きもせずに 破き捨てた。

 「今はあのような我が儘な者にかまっている暇など無い。それぞれの持ち場を把握し、作戦遂行に 心ひとつにしなければ、成功するのは難しいだろう」

 さっそくそれぞれが活発に意見を出し合い、盛り上がっていると突然、石榴が苦しみだした。 陣痛が始まったらしい。張り詰めた空気が和らぎ、 それぞれが浮き足立っている最中、真珠は屑篭に千切って捨てられた黒曜の手紙を人目を盗んで そっと拾い上げる。

 騒ぎに乗じて手紙を握りしめると人目につかぬようそっと自分の部屋に滑り込んだ。 真珠が小さく念じると手紙は少しずつ修復され元の形に戻る。

 いけないことと知りつつも真珠はそっと手紙を開いた。

 『花珠、お前がここを去るというのなら、私こそが去ろう。 いったい私達はどこですれ違ってしまったのか? あんなに愛しあっていたというのに。

 お前が私を抱いた時、驚きこそしたがさほど苦しみはしなかった。 相手がお前だったからこそ、嫌悪感など微塵もなかったしそこまでお前を追い詰めたのかと、深く心を痛めた。

 しかし、あの日から花珠、お前こそが変わってしまった。 花と謳われたお前の美しい笑顔は消え、いつも私に口を返していた闊達さはどこにもなかった。 私に対する諦めたような態度、真珠を見るお前の痛々しいものを見るような苦渋を満ちた瞳。 それを見る度私は苛つかずにはおれなかった。

 お前を苦しめる真珠が憎かった。私を抱いた事をお前は後悔していた。 お前の腕の中で淫らに乱れた私の身体が穢れたモノに思え、どれ程苦しんだ事だろう。

 真珠に罪はない。それは私が一番よく知っていた。しかし真珠を見る度、 お前が後悔しているであろうあの夜の事が鮮烈に蘇ってくるのだ。 真珠の存在は私だけで無くお前こそを苦しめ後悔させていた。

 私が嫁いできてから、お前は一度も私を抱こうとはしなかった。 実際の処たとえ、お前が忍んできても素直になれなかった私はきっと拒んだとは思う。

 真珠を産んだ後、私が淋しさに耐えられずにお前の部屋を訪れた時、お前は黙って私を受け入れてくれた。 どれほど嬉しかっただろう。あの時、お前は過去をふっきり本当の意味で我等は夫婦になれたと思ったのだ。

 だが、違った。お前は投げやりに自らの身体を生贄の様に差し出しただけなのだ。 お前と身体を繋げ深い歓喜の中でお前の海よりも深い後悔が嵐の様に私の身体に逆流してきた。それを感じてしまった私がどれほど驚き悲しかったかお前は知るまい? 私が本当に欲しかったのは国でも子供でも無い、お前だけだったというのに。

 あの時初めて、お前に対して滅失感に苛まれた。お前の身体はすぐそこにあるというのにお前の心はもうどこにも無かった。あれからお前は私にも国政に全く興味を示さなくなり『宙(そら)の間』に篭りがちだったから。

 無論、正直にいえば真珠を見る度あの夜が痛い程鮮明に思い出すのはお前だけでは無かった、私もどうしてもこの手で真珠を抱く事ができなかった。そんな自分をどれほど嫌悪しただろう。

 このままでは、私は真珠を傷つけるばかり。真珠を手許から放さなければ、そう決心したのは瀧海どのから父王を王位から更迭させる相談を受けた時だった。

 前から瀧海の父を憎いと思っていたのだ。

 お前を唆した張本人だったからだ。

 瀧海は最初は子供だった真珠になんの興味もしめしていなかった、あまつさえ父王に真珠との政略婚姻を勧められ『黒曜殿もやっかいばらいをしたいだけではないか?』と嫌悪さえ示していた。私が真珠のホノグラムを見せ、真珠について熱く語るうちに、瀧海が少しずつ真珠に惹かれていくのが解った。

 瀧海と二人で真珠について話すのが楽しかった。 瀧海の前だけでは真珠の魅力を素直に評価し認めあう事が出来た。それは何よりも 私にとって真珠を愛する事を許された貴重な時間だった

 真珠にとっては不本意な形だっただろう?でも私も必死だった。

 毎日の様に抱いていても人形のように感情のこもらないセックスをするお前はますます私から離れてゆく気がしていた。

 どうやら私のあがきはすべて裏目に出たようだ。

 今さらだがあの突発的な事件が無ければ、紆余曲折はあっても我等は必ず精神的にも結ばれていたに違い無いと私は今でも思う。

 花珠……こんな私をうとましく思っているのだろうな?だが私はお前を諦める事ができない。

 いつかきっとお前が私を必要としてくれる日がくるまで私は自分の力を溜めてお前を見守ろう。 いつか、その日が来ると信じて。だがもし、他の者をお前が愛する日がきたら、どうか私をそっとしておいて欲しい。お前と再び愛しあう日がくるという夢の中で私を死なせて欲しいから。』

 真珠は濡れた頬から伝う熱い雫が手紙に染みないようにゆっくりと手紙を折り畳んだ。

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