僕はここにいる 12

Now I'm here 12



翌日綺羅が部屋を訪れたのは、まだ支度も整わない早朝だった。
綺羅の顔は強張って何かを伝えようと微かに唇を動かすが、その決心ができないという感じに見受けられた。
真珠はやさしく声をかける。
「綺羅殿、何か私にお話ですか?」
綺羅は意を決したように話し出す。
「わたくしを侍女に御所望だとか」
「私が瀧海殿にお願いしたわけではありませんが」
「困るのです」
綺羅の声は震えていた。
「御迷惑でしたか?」
真珠は何がこんなに綺羅を怒らせたのか解らなかった。
ただ真珠は、話し相手が欲しかったのだ。それが綺羅ならと最高だとは思っていたが これ程激しい反応が綺羅からあるとは思わなかった。
「私は故国から、侍女としてではなく、妃のひとりとしてまいったのでございます。瀧海様の御寵愛の 深い真珠様とはいえ、このまま侍女にでは故国に申し訳がたちませぬ」
そういうと思わず泣き伏してしまった。
真珠はすっかりおろおろして何と言っていいのか解らない。
「綺羅殿、そんなつもりは毛頭ありません。侍女などとおっしゃらず、時々気の向いた時に訪ねてくださればよいのです」
「本当ですの?」
綺羅は顔を上げて真珠を見つめた。
「えぇ、勿論です」
真珠は優しく微笑みながらそっと手をとって綺羅を起き上がらせた。
綺羅はごく自然な感じで真珠の手を外すとゆっくりと会釈して部屋を出ていく。
真珠はその後姿を呆然と眺めていた。

程なくそこへ入れ違いに瀧海が入ってくる。
「さぁ、行くぞ」
強く手を引かれ連れていかれた先は柔らかな羽毛に囲まれた部屋だった。
ここが卵の部屋だったのか。
自分の部屋から差程遠く無かったことに何か少し違和感があった。
入るなり空気が違う。
「湿度が高いな」
真珠の身体はすでに汗ばんでいた。昨夜から体調も優れなかった。
「卵に合わせているからな」
かすかな振動音もする。
高温、湿気。それに寝不足と緊張感で真珠は意識が遠くなりかけた。
真珠の背中から腰にかけてぐっと腕をまわして瀧海が真珠を支える。
「しっかりしろ。ほら、私達の子だよ」
瀧海が指差す先にビロードの保育器に包まれた、半透明の卵が見えた。
シャボンのような半透明の虹色の中に蠢く生命が垣間見える。
設備の立派さだけではなく、大切に育てられていると実感できた。
真珠の胸に今まで経験した事のない激情が襲ってきた。
堪えても、堪えてもわき上がり押し寄せてくる熱いものに押し出されるように 真珠の瞳からは涙がこぼれ落ち嗚咽を止める事ができなかった。
瀧海はそんな真珠の様子を少し勘違いしたようだった。
「興奮させてしまったな。あと、数時間で生まれるだろう。お前は部屋で待っていておいで」 瀧海の優しい言葉に真珠はただかぶりを振った。
それを押さえ込むように瀧海の唇が真珠の唇に押し当てられた。
少しずつ、呼吸が戻ってくる。
「大丈夫だ。ほら、納まっただろう」
身体の震えが納まるとなにげに瀧海の身体が真珠から離され、瀧海は卵の方に近付いていった。
部屋に入った時はあんなに蒸し暑いと感じたのに、真珠丸の背中がすっと寒くなった。
(僕を独りにしないで)
いきなり襲ってくるそんな感情に真珠自身が戸惑う。
誰かに近くにいて欲しかった。
なぜ、そんな感情が湧き出たのか解らなかったが、子供と瀧海が近くにいるというのにこの世にたった独り取り残されたような深い孤独の淵に突き落とされそうなそんな感覚にとりつかれていた。

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