まだ5月だと言うのに真夏のような暑い日ざしが照りつけている中、白い空手着を着た少年達にまじって顔の小さな指導者がくるくるとした巻き毛をたなびかせながら彼等を追い立てるように声をかけながら最後尾をかけている。
ランニングしている彼等の汗はきらきらと輝いて観るものを爽やかな雰囲気に包み込んでいく。
あれは雄斗だ。羽鷲竜斗はクーラーの効いた車の中からその様子をじっと見つめていた。
結局今年のGWも結局雄斗は空手部の指導をすることを選んだ…まぁそんなことはどうでもいいのだけれど。
自分だって仕事は山のようにある。だけどマイペースの雄斗をみているとやっぱり小さなため息が出てしまうわけで。
実際羽鷲だって今日は取引先の娘のダンスのコンペとかで2万円もするチケットを買わされたのだ。
学生時代を過ごすまでそんなお金の事など気にも留めなかった自分だが、いざ自分が自分の力で金を稼ぐようになってはじめてお金の価値が多少なりとも感じられる。
こんなのは経費で落とせるものだが、興味もないものに払う金額にしてはやはり大きいなと思う。
しかも、その取引先の専務の娘を羽鷲は実は苦手にしていた。
その娘の過剰な色気や、ことあるごとに服を掴んだり身体に触れてきたりするその仕種や、何かを訴えてくるようなその眼差しの辟易していたのだ。多分、自分をお婿候補の一角に入れておきたいのだろうがそんなのはごめんだ。
都内の有名ホテルのワンフロアーを借り切って盛大に行なわれるそのコンペの後のダンスパーティ
は遠慮させてもらおうと思っていたのだが。
そのつもりで正式なタキシードは着ずにタキシード擬のスーツで会場の片隅に顔だけ出し、専務に挨拶してすぐ帰る予定だった。
「羽鷲さん、やっぱりきてくださったのね」
羽のような軽やかなドレスとは裏腹にけばけばしい化粧の専務の娘は
嬉々として羽鷲の姿をみて走りよってくる。
これも仕事の一環だと覚悟を決めて羽鷲は柔らかく微笑んだ。
「素晴らしい演技でしたよ」
「あら、やーね。本当に御覧になっておっしゃってるのかしら?でも、いいわ。こちらにいらして。
お友達に紹介したいの。羽鷲さんみたいにお若くて要職についていらっしゃって魅力的な男性って
なかなか捜してもおられないのよ」
この手のお嬢様言葉には疲れは感じても憧れなど感じない。
最低限の礼儀は弁えて欲しいが、過剰な丁寧さなど仕事以外では落ち着かない事このうえなかった。
とはいえ、専務の娘は並以上の美人であることは間違いなく、あたりから、羨望に満ちた眼差しを受ける事が
さらに居心地を悪くしていたのだった。
それとなく解いてもちゃっかりと腕に巻き付いてくる細い腕に羽鷲はふと昨夜の雄斗を思い出していた。
男性としては決して太くはないその腕に綺麗に引き締まった筋肉がついて、その腕が竜斗を押さえ込もうとする度に、隆起した筋肉が別の生き物のように美しくうごめいた。
堅そうに見える、その腕もその表面は赤くなっても焼けない体質なのか真っ白で、その美しい筋肉を包み込む白い肌に指をすべらせるとそれは正に、つきたての餅のように柔らかかった。
くっと力を入れると一瞬で石のように堅くなるその腕に昨夜は何度
、体勢を変えられた事か。思い出すだけで赤面する。
もともと淡白だったはずの竜斗を、深く熱い快楽の美酒に酔わせたのは、雄斗だからに他なら無いのだけれど。
抱かれるばかりでずっと抱いていない……美しい顔立ちの恋人を思い浮かべると辺りのどんな華やかな
雰囲気もなぜだろうか?全て色褪せてしまうのだ。
たまにはその腕を縛ってでも喘がせてみたい…そんな事もちらりとは脳裏を掠めるのだけれど、
その後の雄斗の怒りを思えば恐ろし過ぎて本気で試そうなどとは露も思えないのだけれど。
「羽鷲さん……竜斗さん?」
専務の娘の呼び声で思わず我に返った、危ない危ない。しかもそれ以上の羽鷲にとっての最大のピンチは彼女の名前を一度聞いたはずなのに全く思い出せない事だった。
『ミキ?ミカ?ミケ?最初にミのつく2文字だったな』
「せっかくですもの、踊ってくださらないの?」 などと纏わリつく彼女に強張った笑みで微笑みながら
辺りに視線を泳がせているうち、羽鷲の視線はある一点で凍り付いた。
いるはずのない男がここにいる……しかも正装して。
そう…その男とは昨夜散々自分に無体を働いた羽生雄斗だったのだ。
しかも若くて可愛い……多分この会場にいる中でもっとも魅力的と思われる女性の腕をとっている。
「ばかな……なぜ?」
羽鷲から柔らかな笑みが消え、もうすでに頭の中には取引先の娘の事などすっかりふっとんでしまっている。
慌ててその場を離れて羽生が移動する先に同じ距離を保ちながら人々の影になりながらついていった。
「まぁ、絵になるカップルですわね」
「日本人離れしてません?とくにあの男性の綺麗な事」
音楽が奏でられ次々と競技者がステップを踏んで踊り出す。まさかと思ったが、なんと羽生もその娘の
手を優雅に取ると馴れた仕種でワルツを踊り出す。
ぴんと伸びた背筋がなんとも美しくて、あちこちから、 「ほら、あの若いカップル」
「綺麗ね……」 などという賞賛の言葉がため息と共に洩れていた。
羽鷲はただ呆然として彼等を見つめていた。
「ユウ……」
さっきまで汗まみれで走り込んでいたのはお前じゃなかったのか?
ほんの数時間前に熱く自分を抱擁した腕が自分とは正反対に思える華奢な美少女を抱いて
優雅にステップを踏んでいる。
それを羽鷲はまるで現実じゃないような面持ちで見つめていた。
そんな羽鷲に羽生雄斗は全く気がつくともなく華麗にステップを踏み続け羽鷲は呻きにも似たため息をついていた。
「竜斗さん、どうなさったの?美沙と御一緒してくださるためにいらしたんでしょ?」
後ろにぐいっと腕を引っ張られて無理矢理手をつかまされる。
ワルツなど大学で数度踊って以来だ。
はたして踊れるのだろうか?迷う羽鷲の腕を巧みにリードしながら美沙は中央に入り込んでいく。
こんな場面を雄斗に見られたくない……そう思った瞬間だった。
かなり遠くで踊る雄斗と羽鷲は目が合った。羽鷲は心臓が止まるかと思うほどドキッとする。
それなのに雄斗は何も気がつかなかったような仕種でそのまま踊っている。
まずい……冷静に考えると羽生と羽鷲は同じ立場であるはずなのに、なぜか自分の方が一方的に悪いような
気持ちになってしまうのが、いつもの事で。
もともと乗り気がしなかったのだが、ますます憂鬱な気分になっていく。
「み…ささん、すまない…最近睡眠不足で体調が悪いんだ。くるくる廻って酔ってしまったらしい。
申し訳ないけれど、お先に失礼させていただくよ」
羽鷲はそういうと、そのままあっけに取られて立ちすくむ美沙を置いたまま、小走りで会場を後にした。
雄斗がなぜ、ここにいるのかとか。相手の美少女は誰なのかとか、あんなに上手にワルツが踊れるなんて
とかさまざまな思いが頭の中をぐるぐるして本当に気分が悪くなる。
女優と財閥の会長を両親に持つ彼はやはり、あれほどまでにも華やかな場所で誰よりも輝いて見えた。
それが、何か自分だけ取り残されたようで寂しかった。
それに昨夜は学校の空手部の練習の事以外何も言ってなかったではないか?
今まで雄斗の愛情について疑った事は殆どなかったけれど、今夜はすごく不安だった。
自分のような普通の男……親の七光りだけで生きてきた男にいったいいつまで雄斗は興味を持ってくれるのだろう。
雄斗は生っ粋のゲイというわけではない。最近は殆ど浮いた話がないだけで、大学時代はそこそこプレイボーイの浮き名を流していたはずだ。
男は足場を固めれば家庭が欲しくなり跡継ぎが欲しくなる。
そんな言葉が頭を過った。 ホテルの駐車場の中でエンジンをかけたまま羽鷲は車を発進することも
できずに片手で頭を押さえていた。今まで感じた事がない孤独が襲ってくる。
「寒い……」
もしも雄斗が結婚を視野にいれ始めているのだとしたら……そう思うだけで奈落の底に落ちてゆく
感覚にとらわれる。
「独りだって俺は独立していける…」
そう呟いてみるが、そんなの強がりに過ぎない。
全く違う時間と空間を過ごしていてもいつか自分達のマンションに雄斗が帰ってくると思っていたから
何も辛くなかったし、寂しいなんて感じた事がなかったような気がする。
これが、もし雄斗が他の誰かと結婚し共に暮らし子供を育てていくのだとしたら……。
寂し過ぎてどうしていいのか解らない。
「だけど、祝福してあげなくちゃいけないよな…」
そう呟くと涙が出て止まらなくなった。
「ユウ……」
この気持ちをいったいどうしたらいいんだろう。
「ユウ……」
今まで雄斗に与えられた暖かい時間を思えば修羅場なんて演じたくはないけれど。
「雄……斗」
「何泣いてるんだよ」
いきなり乱暴にドアが開いて助手席に当たり前のように座り込んだのは誰あろう羽生雄斗その人だった。
「な、どうして?」
「お前が俺に挨拶もせずに帰るのが見えたから後を追ってきたんだよ」
「彼女は?」
「もう、約束の分は踊ったからいいんだ。お前が去年からGW、GWってうるさいから、
新人の副顧問に空手部の面倒を3日から5日まで頼んだんだよ。その代わりにあんな場所で
この格好で踊りをつきあう羽目になったけどな」
「俺も仕事で……」
「当たり前だろうよ、聞かなくたって分かってるさ。それより昨夜無理したから
辛かったんじゃないのか?大丈夫か?踊ったりして」
涙が半分出かかっているのに安心したとたん、笑いが押さえられなくなり。
「笑うか、泣くかどっちかにしろよ。それより竜……お前ちゃんと3〜5日までのホテルは押さえて
あるんだろうな?」
ぐいぐいと肩で肩を押す雄斗に運転席を代わり、慌ててホテルの手配を頼む羽鷲の顔には
照れ笑いのような複雑な表情が浮かんでいる。
「父の別荘が借りられるって……そこは温泉も引いてあるし」
それを優しい瞳でみやりながら、雄斗は穴場といわれる温泉地の別荘を目指して
静かに車を発進させた。
Fin
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