月満ちる時 2-3


 

 「え?玲司?」

 意外そうだなルナ……俺で悪かったな。俺から携帯にかかってくるかもしれないなんて予想はお前にはないってことか……。

 「俺じゃ悪いかよ。古手川とやらじゃなくて悪かったな」

 今さら心の離れた相手にこんな事をいってもますます嫌われるだけだというのに笹くれだった俺の心はもう自分を制御出来なかった。

「何か急ぎだった?」

 急ぎじゃなきゃかけちゃいけないのか?怒りを堪えて努めて冷静な声を出す

「別に……ルナの声が聞きたかっただけだよ」

 たしかにそれは本音だ。半分は皮肉がこもってるかもしれないけど。

「そっか……僕も玲司の声が聞けて嬉しい……」

 俺はどきっとしてまるで純情な中学生みたいに真っ赤になった。ルナのやつ……突然なんてこといいやがるんだ?身体を合わせてる時だってそんなリップサービスをしてくれたことはなかった。そうかよ……お前やっぱり……本気で俺と別れる気だから……。だからそんな事を急に言い出したんだな?

「2.3日帰らないから夕御飯用意しなくていいよ」

 そう言ってついルナの反応を見てしまう。嘘でもいいから……最後に一度くらい引き止めてくれないか……

「わかった……出張?」

 簡単に理解してる振りなんかしやがって、本当は俺がいないからほっとしてるんだろ?

「いや、休みが取れたから友達とキャンプ。お前も行く?」

 今さらそんな風にルナを誘うなんて俺も焼きが回ったよ……未練がましい男は嫌われるのに、しつこいのもたいがいにしないとな。

「ううん、いい」

 期待はしてなかったけど、あっさりしたもんだ。やっぱり来るわけないよな。だってルナはその古手川ってやつからの連絡を待っているんだろう?

 あまりのショックでキャンプどころかどこにも行けるわけがなかった。ルナがいなければこの世界……何をしてもつまらない、味気ないモノクロの世界だ。

 もう何もする気も起きなかったが、この際だから仕事だけは熱心にやった。夢中で仕事をしてるときだけが時間を忘れられる。誰も引受けたがらない残業も俺は喜んで引受けた。切羽詰まった真剣勝負の仕事だけがルナとの確執を束の間だけ忘れさせてくれたから。

 そうして俺がまさかと思った一番悪いシナリオどうりにルナは俺に黙って部屋を出ていった。

 悪夢のようなルナの引っ越しの夜……俺はマンションの向かえのビルに呆然と立ちすくむ。

 心のどこかで嘘だと思いたかった。 ルナの荷物が次々と運び出される様を映画でも見ているようなそんな現実味のない不思議な感覚で見つめて。

 そうだ、俺はどこかで嘗めていたんだろう。

 あのマンションは俺の部屋じゃないからルナが自ら出ていけるわけなんかないと。

 ルナが俺に飽きていても惰性でもう少し俺達の関係は続いていく……今は身体だけの関係でも、そのうちでいいから、ルナが俺を好きになってくれればいい。

 どこかで納得していたはずなのに……俺は腑抜けのように声もでなかった。

 ルナ……そこまで俺は嫌われていたのか?

 俺を切なげに見つめていたあの顔は俺の為だけじゃなくて他の誰かに見せている顔なのか?

 ただただ、脱力感に襲われる。何を食べても味もしない。何を見ても心に響いてこない。 今まで恋が終わった時は次の恋の予感がしたけれど、今回ばかりは世界の終焉でも迎えるような絶望に襲われる……俺のまわりはみんな宇宙人のように同じ顔に見えたし、 話し掛けられる言葉もどこかでラジオが鳴っているような雑音にしか聞こえず、何一つ心に響いてこない。

 広い砂漠に取り残されたような孤独……ルナ……お前をもっと大切にすればよかった。

 俺のちっぽけなプライドなど粉々になるくらいみっともなく縋り付けばよかった。

 俺はルナを本当に失うなんて考えられなくて小さな事に囚われ過ぎていた。

 眠ろうとしても目覚めてしまう明星の明ける頃、ふらふらとルナのマンションに辿り着くと 夢遊病者のように合鍵をあけて部屋に入る。ただの箱になったリビングには俺の荷物だけが綺麗に纏められていた。そしてぽつんと寂しげに荷物の一番うえに萩色の封筒が置いてある。

 封筒の中から出てきたのは俺が渡したはずの30万円だった。全身に鳥肌が立つ。どうしてここはこんなに寒いのか?

 一言の言い訳も、黙って出ていく謝罪も、さよならの別れの言葉さえ書いていなかった。

 いっそ罵倒でもしてくれたら寧ろ清々しいのに。

 どうして今までの俺との生活の全てを否定するようなやりかたをする?……封筒の隅に残されていたのは鍵だけ。俺に勝手にマンションを処分しろとでもいうのかよ。

 俺はそれを見ているうちにしだいに悔しさが湧いてくる。

 たった三ヶ月だったけど俺達……今まで一緒に暮らしてきたじゃないか。

 ルナは俺の愛撫を一度だって拒絶しなかった。それどころか甘い声で啼き、色っぽい濡れた瞳のまま俺にしがみつき 俺を何度も締め付けたじゃないか。

 俺だけが悪かったのか?こんなのって酷すぎる……俺は襲いくる激情に突き動かされるように真夜中にも関わらず、思わず携帯を手にとってルナの番号を捜す。

 なんと俺の番号は着信拒否にされていた。

 俺からかけちゃいけないような気がしてずっとかけられなかったけれど、まさか着信拒否にされてるとまでは思わなかった。

 かっと頭に血が登る。

 そこまでするか?

 そこまでされる俺はお前に何をした?

 ルナをただ愛しただけだ。ちょっとだけ意地を張っていただけだ。

 俺がストーカーするような男だと思っていたのかよ。 ルナがそう思っていたならそれなら御希望どうりストーカー紛いの事をしてやろうじゃないか。 俺はルナに強く拒絶されて初めて自分の恐ろしいほどの執着を自覚した。

 ルナの大学の寮にルナが入寮した話は俺とルナの別れ話を聞いてそれをおかずに楽しもうという えげつない連中が教えてくれる。

 なんでも同居してるのは件(くだん)の古手川くんだそうだ。

 やっぱりな……俺は思わず唇を噛む。

 俺がルナの不機嫌な顔を見るのが忍びなくてあちこち自分の身の置きどころを捜して齷齪(あくせく)してる時にお前は古手川くんとよろしくやっていたわけだ。それじゃあ、俺に対してなんてもうすでに関心がある訳無いか……。ちくしょう!

 その古手川とやらは、ノンケという噂もあるが、ルナと同郷だという話だから、案外俺と同じバイセクシュアルなのかもしれない。

 きっと綺麗なら男も女もありっていうやつだ。

 そうに決まってる。

 俺だってルナにこんなにのめりこむつもりじゃなかったから、ノンケなんて言葉に安心できるはずもなかった。

 ルナに会ってもし、「今さら何をしに来た」なんて罵倒されたら、俺は多分もう立ち直れないだろう。 振られただけでも十二分に傷ついているんだ。せめて俺に文句のひとつも言わせてくれ。

 みっともなく縋り付く俺をきっぱり捨ててくれ。

 そうしないと俺はもう、前に進めない。

 だけど……ルナ……お前と別れるなんて……

 いやだ、いやだ、いやだ。

 俺が好きじゃなくてもいい。

 愛してるなんて言葉をもう欲しがったりしない。

 お願いだから、傍にいてくれ……傍にいてくれるだけでいい。

 お前が、お前だけが好きだ……好きだ……もう何もいらないくらい好きなんだ。

 お願いだから戻ってきて傍にいてくれ……ただそれだけでいいから。

 だけど勢い込んで行ったのは最初だけで後はただただ、後悔ばかりだ。 ルナに声をかける事すら躊躇われる……

 ルナの姿が見えただけで俺は情けない事に感極まって鼻の奥がつんと痛くなる。

 「ルナ!来いよ。話がある」

 そういって思わず腕を掴んだけど、あとはもう何を話したかも良く覚えてなくて。結局ルナを責めるような口調になっていた。そんな事言いたかった訳じゃないのに。そしてついつい未練がましい事を口に出す。

 「どうして、そういうことするんだよ。おれ達うまくやってきたと思っていたんだけど」

 この際みっともなくたって構うもんか。お前がいないなんてもう考えられなくて。

 「それは……我慢していたんだよ」

 その一言に血の気が引く。やっぱりな……と思う気持ちと同時に違うと言ってくれという気持ちが鬩ぎあい俺の心臓を左右に引きちぎろうとする。

 「それは俺との付き合いを我慢していたって事か?」

 お願いだから……違うっていってくれ

 「そう……だよ」

 もう、……俺の心はずたずただった。何か俺は言ったかもしれない。

 そのまま立ち去ると思っていたルナはなぜか俺に縋るような目で俺を罵倒しはじめる。

 「ずっと放っておいた癖に……友達の方がいつも優先で僕なんかいつも後回しだった癖に、 どうして今さらそんなこというんだよ。ずるいよ。ずるい……」

 「ルナ……」

 それじゃあ……まるでお前が俺を好きだったような言い種だ。ずるいのはお前じゃないか。

 「僕が大人しいからってなんでも玲司の思う通りになんかならないんだ……」

 泣くな……ルナ……お前が泣くなんて思ってもみなかった。

 お前にそんな感情があるなんて思ってもみなかった。そんな風にお前を泣かせたかったわけじゃないのに。お前に少しだけ微笑んで欲しかったんだ。

 「泣くな……悪かったよ……ルナ……戻ってこないか。頼むよ……お前がいなくちゃ、俺は寂しくって何も手につかないんだ。いま、お前が何をしてるかとか……誰かになぐさめられてるんじゃないかとか考えたら嫉妬で気が狂いそうだったよ」

 「うそだ……」

 ルナが何度も首を振っている。俺達もしかしたらすれちがっていただけなのか?

 「本当だよ……ルナ」

  「僕をルナなんて呼ぶな……」

 そういって顔を歪めるお前をはじめてみた。それは俺を少しでも好きだって思ってくれてることなのか?お前はそんな顔さえも様になるんだな。ずるいやつだよ。

 そのあと俺は夢中でルナを抱きしめて何を言ったのか……ルナが何をいってくれたのかよく覚えてない。

 覚えているのは、ただ抱きしめたルナが小さく震えていて前にもまして愛おしかったことだけ。

 そのままマンションに連れ帰って部屋でルナを抱きしめた。ルナは抵抗するどころか逆に俺に愛撫を返したりして俺達は久々のその行為に夢中になり、床の上で転げ回った。きっと明日になったら二人とも痣だらけに違いない。

 そして一番嬉しかったのは、はじめてルナから好きだよと言ってキスを返してくれた時で……。 本当にゆめの様だった。

 「もう、僕を置いて出かけないで」

 ルナにそんな可愛い事を言われて俺は 貧血で倒れるかと思った。今夜は朝まで寝かせられないだろう。

 ルナ……お前がどんなに嫌がってもお前を連れて外に出よう。俺の世界をお前にも解って欲しいから。

 もうお前を二度と俺の傍らから離したりはしない。

 

 【FIN】


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