月のつめ痕 (8)

ラブリーボーイズの園・2 参加作品(ぺんぎん)



 縫殿がいないのに気が付いた百春は這うように縫殿の部屋に辿り着いた。 聞き違いかと思ったが中から縫殿の啜り泣く声がする。 開いているドアの隙間から中を覗くと肩を震わせて泣いている縫殿が小さく見えた。 

 震える縫殿の肩の振動を見つめながら百春は足音もたてずに部屋に入る。 僅かな視界の中に縫殿の真っ白な肌に浮かぶ三日月の形のつめ痕が細かく震えているのが眼に付いた。 ところどころ、つめ痕は綻んで桜の花びらのように薄桃色に色付いている。あぁなんて綺麗なんだろう。

 「縫殿……どうして泣いてる?縫殿も痛かったのか?」

 振り向いた潤んだ縫殿の表情にいつもの冷たさと自信は欠片もなかった。 無邪気に見上げる百春を縫殿はそっと抱き締めた。

 「モモもう、解放してやるよ。モモは自由に潮見をうけいれてやってもいいんだ」

 「どうしてそんな酷い事がいえる……」

 百春は首を振る。そこまで潮見の幸せだけを考える程縫殿は潮見を愛しているのだ。

 「貰った指輪も嵌めていい、潮見を受け入れてやってくれていいんだよ」

 それはこの家を出ていけと言う事だろうか?いやだ、縫殿の傍にいたい。傍にいるだけでいいのに。

 「僕は、縫殿の傍にはいられないの?」

 「そうじゃなくて、僕はもう二人をじゃましたりしない。僕に遠慮したり、気を使う必要なんかもうないんだ」

 「やっぱり、縫殿は僕が憎くてこんな事をしたんだね?」

 知りたくなかった真実を自ら暴こうとするように百春が呟く。このまま黙って身体だけでも愛されている方がずっと幸せなのにもう、それすら許されないのか?

 「……」

 今度は縫殿が絶句する番だった。

 「そこまで縫殿に嫌われていたんだ。僕はこんな事しなくても、潮見さんと縫殿のじゃまなんかする気はなかったのに」

 そういうと百春は痛む身体を押して部屋を出た。 一度は縫殿に掴まれた手首をするりとすり抜けると、必死に走っていく。 ところどころよろめき、あちこちにぶつかりながらも、スピードを緩めようとしない。 凄い勢いでドアを開けると大急ぎでがちゃりと鍵を閉めた。

 縫殿は百春の言葉を反復する。百春は何と言った?まるですべてが誤解で百春は縫殿を慕ってるように聞こえないか?

 百春の今の言葉をそのまま信じたい。でも、『勘違いするな』とモモに拒絶されるのが怖い。躊躇する縫殿の白い肩にそっと手を置く者がいた。

 「お父さん……」

 「モモの気持ちは解ったんだろう?今、行かないと後悔するぞ」

 「だって、お父さんは……反対じゃないの?」

 「あの時、あぁ言ったのはお前に本当の素直な気持ちに気が付いて欲しかったからだよ。 確かにモモには財産があるが、我が家にもお前が困らない程は充分あるからな」

 お父さん、やっぱりお父さんは僕の大好きなお父さんだ。

 「本当に?でもお父さんはいいの?」

 「お前が幸せになる事が私にとっても幸せだからな。さぁ、長くモモを泣かせるな」

 そういうと邦彦はゆっくりと縫殿の両肩を押した。 縫殿は少しはにかみながら頷くと、モモの部屋をノックする。反応はなにもなかった。

 「モモ、開けろよ」

 「いやだ、あっちにいけ」

 「開けないと酷いよ、解ってる?」

 なぜか、縫殿の声色はイジワルで楽しげだ。 いやな予感に百春がおずおずとドアを開ける。

 「……モモはもしかして、潮見と僕がどうにかなると思ってるの?」

 縫殿はからかうような瞳で百春を覗き込んだ。

 「潮見さんが好きなんだろう?みっともない僕なんか……」

 百春はいじけたように俯いた。それをみて縫殿がさも可笑しそうに声をあげて笑い出した。すでにすっかり縫殿は年上の余裕を取り戻している。

 「誰がみっともないって?それに僕はあんなガタイの良い男を抱くほど悪趣味じゃない」

 沈みがちだった百春の頬に赤みがさしてゆく。それってもしかして?でも、でも?

 「じゃあ、潮見さんは本当にただの幼馴染みだったの……か?」

 「バカだな、モモは……。僕よりバカじゃないか」

 満面の笑みで縫殿が百春を抱き締める。縫殿ってこんな顔もできたんだ。百春は眩しそうに縫殿を見つめる。信じて良いのだろうか、この幸福感を……。

 「ひどい言い方だね。やっぱり縫殿はイジワルだ」

 「ふふ、気になる子は苛めてみたいのは、男の本能だよ」

 縫殿は片頬でにやりと笑った。

 「ね……もう少し、このままでいい?」

 安心したように百春は縫殿の背中に凭れてそっとつめ痕をなぞる。

 「だめだ、今度はもっとじっくりとお前を味わわないとな」

 そういうとゆっくりと百春に覆いかぶさっていった。



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