唇の上に落ちるもの


 

【 8 】

 自分の部屋に閉じこもると鍵をかけ、まず、久しぶりに小瓶に保存してあった結晶を飲んでみた。 再び、身体が熱くなり身体が変化する感覚は、やっぱりなかなか馴れない。 変化の後は、急速に疲れせいか、部屋の姿見をみると、女にしてはどうしても多少の違和感が拭えない。

 何が不自然って、多分一番は眉や髪型なのだろう。自分のこうして冷静に姿を見ると唸らざるを得ない。まずい、なんとかしなくては。

 自分で、どうにかできる自信はとてもないから、近所で評判のヘアサロンをそっと覗き込む決意をする。普段なら絶対できない事だけど姿は女だから、イマドキは男だってサロンくらい普通だと思い込んだ。  

 それよりこうして迷っているうちに、途中で男の身体に戻った方が困るだろ?と僕は自分にツッコミを入れて、清水の舞台から逆さで飛び下りるくらいのやけっぱちな気分で、サロンのドアに手をかけた。恐る恐るそのドアを開ける。

 だが、恐れていたような不躾な視線は浴びる事もない。当然か?僕の今の姿は女のはずだから。  

 だがそれよりも独特のツンとした匂いに圧倒される。指名はいないというと柔和な男性従業員が

 「今日は何をどうなさいますか?」

 と希望を聞いてくるが何も考えてなかったので焦りまくってしまった。

 「手入れが、あまり必要なくて、ボーイッシュな髪型ってありますか?」

  僕から出るのは、普通に話してるはずなのに、愛らしい俗にいうところに鈴を転がすような声だった。 思わず、赤面して俯く。  

 「それにあまり経験がないので、眉毛とかお任せしたいんですが」

 と懇願する。 だってこれから、時々こうして女になるつもりなら男らしい眉ならいくらなんでも不味いだろう。    

 「勿論大丈夫ですよ。お任せ下さい」  

 優しく囁いた少年のような担当の美容師は、またまた僕が落ち込みそうになるほどの 甘い声で囁いた。声は甘いのにみつめる瞳が、今まで男から受けた事のない狩るような瞳に狼狽える。 やっぱり今の僕が女にしか見えないのだと自覚させられた。

 不必要にその美容師に首筋を何度も撫でられて、背筋が寒くなる。ドキドキしている間に、男にしては長めの髪も、長さをそれほど変えずにイマドキのヘアスタイルに出来上がっていく様に 僕は思わずこれはやり過ぎかもしれないと迷いがでるが今更だった。

 ヘアサロンから出ると信じられない事に、将汰の姿が出口に見えた。 一瞬将汰に会えた嬉しさに声をかけそうになったが、将汰が、見かけて待っていたのは自分ではなく偶然見かけた女の姿の方なのだと思い当たると、とたんに気持ちが萎えてゆく。

 まさか女の僕の姿をみて待ち伏せしていたのかと、更に腹立たしくなり、無視したままドアを押した。

 「あれ?髪型変えた?可愛くなった」

 サロンから出てくるのを見ておいてわざとらしく、可愛くなったもないものだ。 女ならそういう台詞も嬉しいものかもしれないが、僕は違う。

 聞こえない振りをしてそのまま、通り過ぎようとする。

 「何処に行くの?送っていこうか」

 無視されてもそれでも、しつこいくらいに付きまとってくる将汰に僕は怒りを押さえられない。 こんなに邪険に扱われて、それでもお前はいいのかよ?と。

 「お腹空いた」

 意地悪くそう呟いてみる。僕は、女の姿である限り絶対お前に靡かない。 お前はただ、僕に利用されるだけなんだぞ?

 それでもいいのか?

 と心の中で罵倒しながら。

 それなのに将汰の顔はぱっと輝いて、タクシーに僕を乗せた。 俺達は所詮高校生でバイトしていても金だってそんなに持っていないはずなのに。

 「イタリアンで美味しいところ知ってるんだ」

 はにかみながらも得意げにいう将汰の横顔を僕は複雑な思いで見つめていた。 そんなに嬉しいのか?ただ、お前の好みの女というだけで? 自分を利用するかもしれない女に、なぜそんなにも嬉しそうにするのだろう。

 タクシーを降りる時にさり気なく手を引かれ、肩を抱かれた。 女にはこんな風に優しいんだ。そう思うと涙が出るほど切なくなる。

 なんだか今の状況が現実的じゃなくてぼうっとしているとボーイに椅子を引かれて また、自分が女の姿をしていたのだと思い知らされる。 あまり入った事がないような上品なレストランだ。 メニューを見てもちっとも目に入ってこない。

 「何が好き?お腹すいてるんだよね?コースでいい?」

 顔を覗き込まれて黙って頷いた。この際だからうんと嫌な女を演じてやってもいい。

 そんな投げやりな気持ちだった。 同じ高校生で親しくもない相手にコースを頼ませて平気でいる女ってどうよ? と自分にツッコミを入れてみるが、これは僕の本当の姿ではないのだからと 思いなおす。

 前菜から次々と運び込まれる料理に値段を考えれば残す事などとても出来ないと思っていた。 だって将汰があんなに一生懸命働いたバイト代なんだ。無駄になんかできない。

 それなのに、ちっとも食がすすまないのだ。 これなら僕が苦手な我が儘な女そのものだ。 ここまでするつもりじゃなかったのに。

 口に料理を運んでもちっとも飲み込めない。多分もともと男にしては食が細かった僕は、女になって喉が細くなっているのだ。

 それでもなんとかしたくて必死に噛んでいたら、

 「食べきれなかったら、残していいんだよ」

 と将汰が、優しく言ってくる。

 「大丈夫……」

 「無理することないさ。女の子には量が多かったんだよ。それよりここのデザート すごく美味しいんだぜ」

 その優しさが逆にいたたまれないのに、デザートと聞いてなぜだか急に身体が甘さを飢えたような 気持ちになる。

 「でも…」

 「大丈夫、俺が食うからさ」

 そういって僕のお皿からチキンの塊を取り上げるとあっという間に口に運んだ。 そんなに甘やかせていいのかよ?僕は他人事のように心の中で囁く。お腹が空いたと言って高いコースを頼みながら、残すなんてとんでもないじゃないか。しかももう僕が一度口につけたものなのに食べちゃうなんて。 そう思うと妙に照れくさい。

 だけどまて、冷静になれ。将汰は僕が残したものじゃなくて、女が残したから食えるんだ。 勘違いしちゃいけない。

 「なんかあんたって生意気で擦れてるのか、ウブなんだかわからない人だな」

 ミントの乗った冷たいプラムのデザートを口に運んでいると、将汰の僕を愛おしげにみる 瞳と目があった。

 そんな情熱的な瞳でみないで欲しい。

 僕を見ているわけじゃないのに、また勘違いしてしまいそうになるから。

 「本当に無理しなくていいんだ。ただ、あんたが笑っていてくれたらそれでいい。 それでここに来た価値は充分にある」

 「誰にでも、そんな事をいったらその気になると思ってる?」

 意地悪な言葉。自分で自分が嫌になりそう。

 「まさか、今まで女の子にサービスされた事はあっても、こうしてサービスしたことなんか ないよ。でもこんな設定に自分を置くのも新鮮かな」

 相変わらず一歩間違うと自分勝手なほど前向きな奴だよな。そう思うとついおかしくなって くすくす笑ってしまう。

 「よかった笑ってくれて。笑うとますます可愛いじゃないか」

 「別に」

 「どこか、行く?映画でもプラネタリウムでも」

 「まさか、お腹が空いていたからご馳走してもらっただけ。それだけ。でも御馳走様」

 将汰は露骨に残念そうな顔をした。

 「また、あえる?」

 「お腹が空いていたら」

 「それでもいいよ。退屈な時に呼び出すだけでもいいんだ」

 そんな事をいうなんて、いつも偉そうなお前に似合わない。

 「せめて送っていくよ」

 そこまで卑屈になるなよ。僕はムッとした。将汰がそういう気持ちなら、もっと嫌われてしまえばいい。そんな残酷な衝動を押さえられなくなった。

 「迷惑……」

 本当は、ただ困るといおうと思ったのに僕の口からは出てきたのは そんな台詞で。あまりのすげない台詞に凍り付いた将汰をみて、慌ててお礼だけ言っておく。

 「でも今日は御馳走様。美味しかった」

 「俺も食事につきあってくれて嬉しかったよ」

 ばかだな……将汰がどれほど期待したって女の僕が将汰になび可能性なんかゼロに等しいのに。そう思ってから、僕は自分の立場を思い知る。女が好きな将汰を思っても将汰が僕を好きになる可能性なんか同じようにゼロだ。どうして僕はそんな当たり前で単純な図式を思いつかなかったんだろう。

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