唇の上に落ちるもの


 

【 5 】

 

 「トモ、この前、泣いていたんだって?ごめんな。クラスのやつに怒られたよ。なんかトモが怖い目にあったんじゃないかって。それなのに友達の俺がきちんと聞いてやらないから、意気消沈していたんだろうって」

 そして、肘で僕の肩を乱暴に叩いた。

「悪かったよ、あの時の俺は自分の事で手一杯だったから」

 いつもと変わらぬ将汰の様子に僕はほっとして思わず微笑む。

「そうみたいだね」

「俺さ、今まで一目惚れとか、恋に落ちるとかさ、甘ったるい事いってるやつらを、バカじゃねーの?って軽蔑していたんだけど」

「うん、そう思っていたのは知ってる」

 実際、将汰は僕を含めた他のクラスメートより若干大人びていた。

「だけど、俺はもうそんなやつらを、バカになんかできなくなっちまった。こんなにも簡単に人を好きになれるって思わなかった。しかも他に何も考えられないくらい」

 弾かれたように将汰を見上げると、将汰は泣き笑いのような複雑な顔で僕に微笑み返した。

「それってこの前、言いかけていた女子トイレの……」

「そうそ、ちょっとした仲になれるんじゃないかなんて期待してたけど。俺って結構女とつきあった経験あるし、自分からあまりモーションかけなくても、だいたいの女は目が合うだけでその気にさせちゃうってかんじだったのに。それなのにたった今、そこで彼女にこっぴどく振られちまった。名前も聞けないままでさ。 それにしても、全く女って容赦ねーよな。振るんだって他にもっと言い様があるだろうって。それなのに憎めないんだよ。まだ、どこかで『本当は嘘で、照れくさかっただけよ』なんて言ってくれるなんて期待しちゃってるわけ。ばかだよ俺、しばらく立ち直れない」

 いつになく雄弁な将汰は、そのまま僕の上にのしかかってきた。いきなりの展開についていけない僕はそのまま押し倒されてしまう。

「しょ、将汰……」

「わるい、ちょっとだけこのままでいてくれよ。だってお前に泣き顔なんか見せたくないから」

 ぎゅうっと力を込めて肩を抱き締めてくる。首筋に湿り気を感じて将汰が、嗚咽を堪えて震えているのがわかる。

 いったいどうしたんだよ?将汰。

 どうしたらいい?

 僕はいったいどうしたらいいんだ?

「こんなタイミングでお前が来てくれてよかったよ。ひとりだったら、自暴自棄になって今の俺は何をするのか自分でも分からないもんな」

 普段と違う将汰、気の弱くなっている男の予想より強い力に、僕の心臓は張り裂けそうに鳴り響く。

 意識してはいけないと思うのに、密着してる部分が異常に熱かった。 頬と頬が触れあって、僕は初めて不味いと思いだした。こんなに誰かと密着なんかしたことが ないから意識して下半身が反応してしまいそうなのだ。

「いいよ。お前が辛いなら僕にできることならなんでもする」

 そう言ってしまったのは、もう無意識の言葉だった。

「トモ……ありがと…俺……」

 首筋に将汰の熱い唇が落ちてくる。

 「あぁ…トモの肌って柔らかくてすべすべして気持ちいいな」

 「よせよ、くすぐったい」

 「こうしているとなぜか、ほっとする。それになんかお前いい匂いがするし」

 「だから、くすぐったいって」

 「今日のトモっていつもより、優しいな。今思えば、あの女ってなんとなくトモに似ていたんだよ。 だから初めて会った気がしなかったんだと思う。トモが女だったらよかったのに」

 頭の上から降ってくる将汰の言葉。 僕はそんな言葉に心が抉り出されるような心地がした。

 嬉しい気持ちと、悔しい気持ちと、自分が将汰を友達以上に思ってしまっていることを自覚せざるをえなかったから。

「なんだよ。お前が泣いてるのか?泣きたいのは俺なのにお前が泣けば俺は泣けなくなるだろ」

 いつの間に頬を濡らしていたのか、そんな自覚もないまま将汰にしがみついた。

「バカ……失恋したのは俺だろ。トモが泣いてどうするんだよ」

 無骨な大きな手が躊躇いがちに、僕の頬を撫でる。そのまま彼の小指に力が入って顎を引き上げられる。 間近にある将汰の顔に気を取られているうちに、ゆっくりと僕の唇に彼の唇を落としてきた。 男臭い将汰の薫りに、嫌悪感がわくどころかぐわっと欲望が沸き上がってくるのを感じる。

「お前なら、男でもあんまり抵抗ないな。なんか俺もその気になってきた。 痛い事しないから……いいか?」

 それって僕に言ってるんだよな?

「……ん」

 殆ど息だけで返事をしている、きっと彼には聞こえていないだろう。っていうか僕の返事なんか どうでもいいのかもしれない。

「すげー興奮する…」

 無骨な大きな手が躊躇いがちに、僕の頬を撫でる。そのまま彼の小指に力が入って顎を引き上げられた。

 その瞬間、僕の中に制御できないマグマが滾っていく。

「おれ、頭の中の回線が、いくつかぶち切れちゃってるみたいだ」

「僕も……」

 そう言わなきゃ、こんな行為をこのまま続けていけなかった。欲望と衝動以外いったい何があるのだろう? だって、僕達友達同志だ。このまま雰囲気に流されてどうするんだよ。

 それなのに僕達は恋人同志みたいに何度も何度も口づけを交わす。

 身体が全部溶けて、僕はまた、女になっちゃたんだろうか?きっとそうだ。僕は女になっちゃったからこれは一時的なものなんだ……

 自分の理性にそういいきかせてはいたけれど、本能は自分を男だと自覚していた。

 そのまま僕達は男同士でかなり際どい行為に及んだ。身体の中にまで将汰が入り込むことこそ なかったが、素股を使って疑似セックスまでしてしまったらしい。

 らしいっていうのは、ずるいだろうか?

 だけどまたまた情けない事に僕は興奮しすぎて 半分記憶が飛んでいたから。

 気がついたら、身体中がべたべたして特に足の間がぬるぬるして気持ち悪かった。

「大丈夫か?」

「うん」

 もうこんな関係になってしまえば、 悩むことなど今更なのかもしれないなんて僕は甘く考えていたけれど。

 だけど、そんな簡単じゃなかった。

 将汰の態度は以前と全く変わらない事に、臆病な僕はちょっとだけほっとしていて お互いにその事には、全く触れず、何もなかったように日々が過ぎていく。

 なんとなく気まずい日々を過ごすうち、将汰が、バイトを始めた。しかもあいつの地元ではなく、この街でだ。

 もちろん、申請さえきちんと受理されれば追試組に入っていなくても、寮に残る事はできる。 だけど……。

「春休み、帰らないの」

「うん、別に帰っても親がうるさいだけだし」

 一度、去年の夏休みに将汰の家に遊びにいったが、将汰の親は、無関心ではないが、過干渉でもなかった。

「ふーん」

「金も欲しいしな」

「何か買う予定があんのか?」

「ん〜バイト代が入ったら奢ってやるから」

 そういわれた時、僕の中で繊細な張りつめていた糸が神経に触るような高い音を出して弾け飛ぶのを感じた。 そんなことは、聞いてない。何か目的があってバイトを決めたのか知りたかった。 僕が複雑そうな顔をしていたら、観念したように呟いた。

「だって地元に戻ったら、彼女と会える可能性ゼロだろ。振られてるのに自分でも自分がよくわかんねよ」

「そっか」

 胸がちくんと痛む。諦めてなかったんだ。あんなに手酷い事を言ったのに、僕にはあんな事までしたのに 女のことは、諦められないんだ。

 僕は、何を勘違いしていたんだろう?落胆する心を慰める身体が手近にあっただけなのだ。

 友達だから、ちょっとだけ将汰は僕に甘えただけなのだ。

 それなのに。

 自分があんまりばかで悲しい。

 僕は普通の男で、将汰は憧れた女に振られて気落ちしていた そんな単純な事実をすっかり僕の頭から抜け落ちていたのだ。

 照れくさいなんて考えていた。

 今後、黙ったままじゃ不味いな、友達関係をどうしようなんて考えていた。

 将汰が裏切ったんじゃない。僕が将汰の友達としての気持ちを裏切ったんじゃないか?

 恥ずかしかった。

 死んでしまいたいくらい。

 

 僕だって男だから自覚がないわけじゃなかった。愛のないSEXはゲームの延長。

 刹那の気持ち良さに欲望が流されて、終わった後は後悔だけがおいてきぼりにされている。 瞬時の欲望を友達にぶつけてしまった後味の悪さも、今の将汰にはないのだ。

 僅かの可能性をかけて、名前も知らない女に会う事だけを考えている。

 

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