唇の上に落ちるもの



 

【 4 】


 

 高学年棟から中庭を抜けて図書館に出る近道を抜けるとそこは、もう男子寮の裏玄関。

 どうやって将汰を呼び出そうかと迷っている僕の目前に、前触れなく飛び出すように近付く影。

 それはなんと僕が今、まさに探そうとしていたその相手、将汰だった。

 僕も心臓が飛び出るほど吃驚したけれど、将汰はもっと驚いたらしく、手に持っていた鞄を下に落としても気がつかないくらいで。

 将汰は、そのまま僕をじっとまっすぐに熱い視線で見つめてきた。

 一瞬お互いに睨むように真剣に見つめあってから、いきなり会うとは思っていなかった僕が、思わず逃げ腰になるのを将汰の強い腕が手首を引くように引き止めた。

 「おい、ちょっと待ってくれないか」

 まさか、いきなり急にそんな風な行動に出るとは思っていなかった無防備な僕。それをも無視して踵を返すと、今度はがっちりと腕を掴まれる。

 いつもならそんなに痛みも感じないはずなのに、いつもより細くなった僕の腕は骨に直接痛みを感じ、悲鳴を上げそうになるほどだった。

 「痛……い」

 「ごめん、やっぱり君は高専だったんだね?どこの科?何年?」

 離そうとしない腕をじっと見つめると少しだけ将汰の腕を押さえる力が弱まった。

 「痛いって言ってる。まず放せよ」

 声色が高く変化したからって、やっぱり恥ずかしくて女言葉なんか使えない。僕は精一杯将汰を睨み付けた。

 いつもなら、ここで僕らお得意の口げんかが始まるところで、僕は将汰が何を言い返してくるのかと身構える。

 それなのに将汰は照れくさそうに笑って僕の手を捧げもつように握ってきた。

 「放すから逃げないでくれる?ちょっと聞きたいことがあるだけなんだ」

 その声色が妙に甘ったるくていつもの将汰じゃないみたいだ。 僕は自分の方が恥ずかしくなって思わず照れ笑いをする。

 「笑うと可愛いね。口は僕の悪友並みに悪いのに」

 それは僕の事?なんて思っている間に、気がつくと将汰に何気なく肩を抱かれている。

 「怖がることないよ。とって食べたりしないから。女子トイレでこの前会ったのは、憶えてくれてる?」

 将汰の顔がすぐ近くにあってびっくりする。

 じゃれあって一瞬、顔が近くにある事は今までもあったけれど、 互いに「キモい顔近付けんな」「テメーだろ」なんて言い合ってきたから意識なんかする暇もなかった。

 だけど、将汰はちゃかしたりするどころか、それこそ穴のあくほど僕を見つめている。 こんなに時間をかけてゆっくりと顔を眺められたり眺めたりしたことがないから勝手が違って戸惑ってしまう?

 「どうしたの?すっかり大人しくなったね」

 そのとたんなぜだろう。僕の胸が締め付けられるように傷んだ。 これは、僕じゃない。仮面を被った別の人間みたいなもの。

 将汰は男の僕には、一生こんな風に甘ったるく囁いたり、優しくしたりしないのだ。

 そう思ったら、急に目頭が熱くなった。

 いつも一番近くにいた将汰。

 友達が出来るか不安だった僕をいつも、みんなの所に導いてくれた。

 そりゃあ多少、利用されていた感じもしないでもなかったけど。僕はそれを喜んで受け入れていたんだ。

 だから、僕にとって将汰はかけがえのない特別な存在だったはず。だけど、きっと一生将汰は、男の僕に対してこんな扱いはしない。

 たとえ子供同志みたいにじゃれあったりふざけたりしても、こんな風に真剣な瞳で僕を見つめることは決してない。 そんな当たり前の現実に、どうして僕の心はこんなにも揺さぶられてしまうのだろう。

 「会うのは2度目なのに、ずっと君を知ってる気がする」

 2度目なわけないじゃないか!

 僕らはこの1年、誰よりもずっと一緒にいたろ?

 多少……いやかなり外見は違っているけど、中身は僕なんだ。どうしてそれがお前には分からない?

 「知らねーよ。さわんな」

 いつもなら、こんなきついことをいう僕ではなかった。

 多分、将汰の見たこともない熱い視線に、常軌を逸っしてしまったのだ。

 それに、なんだか酷く怖かった。

 身体が女でも僕が女であるわけでもないのに、完全に支配されそうな 圧倒的な迫力の差を感じてしまったから。

 その言葉を聞いた瞬間、将汰の瞳は大きく開かれ顔がどんどん青ざめてゆく。

 「あ……っ」

 僕が自分の発した言葉の残酷さに気がついて何か言おうとするのを制された。

 「そうだよね。いきなりごめん。でも、本当にあんたも言い方きついな。俺だって一応、振られる経験はあるけど……さ…」

 最後までいえずに、唇を歪めて震わせた。

 ごめん……。

 いつもなら簡単にいえるその一言が、なぜかこんな肝心な時にすぐに出てこない。

 そんな一瞬の僕の躊躇に将汰の腕は、肩から将汰の手が弾けるように外れ、押し出すように僕を突き放すとあっという間に姿が見えなくなった

 僕は将汰に何を事をいってしまったんだろう。

 将汰があんなにも傷つくなんて思いもしなかった。

 女に振られたからって、あんなにいつも自信いっぱいの男が、今回は口もきけないくらい 青ざめていて。それを見ていた僕は、もっと立ち直れないような気持ちになった。

 ひとつは、彼を不本意ながら将汰を自分が酷く傷つけてしまった事。そしてもうひとつは、やっぱり彼が、自分なんかの数倍も碌に知らない女に気持ちを揺さぶらてる事だ。

 本当は僕だって頭ではちゃんと理解してる。今までだって、自分の知らないところで、将汰は女たちにこんな風に甘く熱く、優しい声をかけてきたんだろうって。

 身体が徐々に熱くなって僕は、女でいられる時間が残り少なくなったのを知る。

 先程のトイレに急いで戻ると同時に、身体の変化は急速に表れる。全身が熱くて意識が朦朧とする。 それとともにボレロが破けるかと思うくらいきつく感じ、僕はかろうじてなんとか脱ぐ事ができた。

 そのまま、ロッカーに置きっぱなしになっていたバッグパックに詰めると、また男子寮に 向った。

 勝手知ったる男子寮に、僕は卒業した先輩が置いていったのだろう上履きを引っ掛けると そのまま将汰の部屋をノックする。

 休みに入って優秀な彼のルームメイト達は、すでに親元に戻っているらしい。

 「はい…」

 硬質な将汰の声に、僕の心はまたちくりと痛んだ。

 「僕……ごめん…」

 さっきは……といいそうになったが、開かれたドアの勢いで言葉をそれ以上繋げる事が できなかった。

 「トモ……俺こそ、この前はごめんな、入れよ誰もいないから」

 強張ったまま微笑む将汰の顔が、余計に痛々しかった。

 「飲むか?」

 飲みかけのペットボトルを僕に差し出すから、僕はそのまま口をつけようとして、一瞬間接キスという言葉が 頭を通り抜けそんな自分に逆に戦いた。

 男同志で意識する方が不自然なのに。

 僕がそのペットボトルのお茶を遠慮がちに一口飲むと、将汰がすぐに奪い取って何の躊躇もなく再び飲みだした。

 

 

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