唇の上に落ちるもの



 

【 3 】


 

 将汰となんか会うもんか!

 向こうから謝るまで絶対譲歩なんかしてやらない。

 こうなるまで僕は真剣に僕達の関係を思い起こすことなんかなかった。実際、将汰は僕をどういう友達だと思っているんだろう。

 冷静になってみると、メールも電話もほとんど僕からすることが多かったんじゃないか。

 話しかけてくる時も。

 宿題見せてとか、マンガやCDを貸せとかそんな要求が多かったような気がする。

 そんなの友達どうしだから、当たり前だと意識もしていなかったけど。

 そういえば、僕が本当にパニくっていた時、普段特別仲良くしてないクラスメートでさえが心配して声をかけてくれた。

 それなのに、確かに将汰は僕が煙りを浴びた様子をみて誰か呼びに行くといって実験室を出ていったはずなのに、そのまま戻ってこなかった。

 いくら女子トイレから悲鳴が聞こえたからといって僕をどうして優先させてくれなかったんだろう。

 思い起こせば、将汰に対する不満ばかりが募ってくる。

 今までそんなこと考えたこともなかった。

 少しも不安に思ったことなんかなかった。

 だけど、一度気になると将汰の僕に対する友情の不信感が拡がってゆく。

 落ち着かなくなった僕は掌をポケットにこすりつける。

 触れた手に違和感がありポケットの中でガラスが擦れるような嫌な音がした。

 神経に触るような僕の大嫌いな音。

 ポケットに何をいれていたっけ?

 その嫌な音のするものを一刻も早く処分したくてポケットに手を突っ込んだ。

 小さなビニールに入れられた綺麗な青い顆粒に近い小さなガラスのような透明な粒。

 それは僕があの実験室でのミスをつい隠すように 無意識でポケットに入れてしまった物だった。

 光にかざしてみる。

 綺麗な吸い込まれるような青。

 振ってみるとガラスのような高い音がする。

 「これか?」

 あの時の証拠なのだとすると、捨てるわけにもいかないし、かといって身近であんな神経に触る音がするのも嫌だ。

 もしかしてこれが、身体が変化した一因かもしれない。

 そうだ!

 これをどうにかして煙りを出したら……。

 いや、まてよ。

 それとも何か?これを直接飲んでみたら?

 いやいやいや、そんなのは危険だ。もしかして猛毒かもしれない。僕がそんな人体実験で死ぬのはまだいやだ。

 だけど、もちろん動物で実験する勇気もない。

 だって動物愛護団体に、もしばれて訴えられるとか、追いかけられるかもしれないじゃないか。そんな妄想をひとりで繰り広げていると気分が滅入ってくる。

 そんな気分を変えたくて僕は新鮮な空気を吸おうと大きく窓をあけた。

 コケコッコー!

 くっそ〜!

 隣で飼ってる馬鹿鶏だ!

 時間も構わず僕の顔をみると鳴くんだ。

 だけど鳴くのは僕の所為じゃないぞ。気にするもんかと気分を持ち直して僕はその青い透明なガラスのような粒を光りにかざしてジッと見るとなぜか妖しい気持ちになるのが不思議だ。

 コケコッコー!

 「うるさいぞ!」

 せっかくいい気分になりかけていたのに!

 僕が大声で叫んだと同時に手にあった小さな透明の青い顆粒が、見る間に大きく弧を描いて 外に吸い込まれるように落ちてゆくのを僕は唖然として見つめていた。

 しかも、それがこともあろうか、なんと、その雄鶏の嘴の中に入っていくじゃないか。

 「ナイス!」

 思わず笑った僕が引きつったのはそのすぐ後だった。

 コシ……コ、コ、コ、コシ……

 雄鶏が苦しそうに喘いでいる。

 しかも僕の見ているその目の前で 雄鶏の鶏冠が急速に小さくなっていった。

 「嘘だろ……」

 もしかして?

 いやもしかしなくても、隣のうるさい雄鶏は雌鶏になってしまったらしい。

 「夢じゃなかったんだよな」

 雄鶏だった雌鶏は、一回り小さくなって少しだけ痙攣してから大人しくなった。

 僕も30分くらいで戻ったんだからきっと、この鶏も戻るだろうと呑気に考えていた。

 ちょっと待てよ。ってことはやっぱりこの顆粒を飲むと僕もまた性別が変化するかもしれない。

 きっとそうだ。

 そう思ったら僕はもう、いてもたってもいられなくなった。

 先日、母が買った若つくり過ぎるレースのボレロが、庭先に干してあるのが目に入った。

 僕は慌てて庭に出ると、こっそりそれを鞄に突っ込んで走り出した。

 中に着てるスタンドカラーの白いシャツブラウスのボタンを走りながら2、3個外していく。

 そのままなんとかバスに飛び乗ってなんとか高専まで僕は辿り着いた。

 校内では補習授業や、追試の為に学校に残ってる学生は数多く僕の横を通り過ぎる。

 彼等になんの関心も抱かれないまま、僕は高専の高学年棟にある身障者や、子供連れの親の為に作られたのであろう男女兼用の大きなトイレに飛び込んだ。

 ここなら男が入って女が出てきても誰からも怪しまれない。

 僕は深呼吸して、ジーンズのポケットにあるガラスのように透明な、深い青の顆粒に近い小さな錠剤を一粒口に含んだ。

 そのとたん、ぐわっと予想以上の衝撃が僕を襲う。身体が燃えるように熱くなり僕はまるで荒川選手がイナバウアーしてる時みたいに仰け反ってしまう。

 身体が溶けてしまいそうだ。

 本当に僕は大丈夫なんだろうか?

 今更悩んでも鶏みたいに小さな鳥が大丈夫なんだ。人間にそんなに害はないだろう。そんな呑気な事を夢想しているうちに熱が少しずつ引いてゆく。

 なんとか少し呼吸が落ち着くと、僕は自分の胸部に筋肉ではないふにゃりとした圧迫を感じ、また下半身にスースーした物足りなさを感じていた。

 どうやら、また男ではなくなったらしい。

 多分、試みは成功したのだ。ボタンを外したシャツブラウスの上に持ち込んだパステルカラーのボレロを引っ掛ける。

 身につける時に予想していたような違和感がないのが、逆に変な心持ちだ。

 一応鏡で自分の姿を確認する。

 間違いなく僕のはずなのに、そこに映っている少女は母を若くしたような優しげな顔立ちだった。

 自分で見ても別人なのだからやっぱり僕とは印象が全く違うのだろう。

 悪友の将汰が僕と認識できなくても 仕方ないのかもしれない。

 ちょっと小首を傾げてみる。普通の男がやれば噴飯もののそれも、鏡の中の少女には何の違和感もないのが逆に僕の心に小さな氷の刺を落とす。

 僕は何も考えまいと首を振った。

 時間がない。何分女でいられるのかも解らないのだ。

 このままさっさと校舎の裏の寮に入り込んで、将汰のやつを呼び出して色々問いただしてやろうと考えていた。

 

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