唇の上に落ちるもの



 

【 2 】


 

  いや、実際のところ、僕は泣きそうになるどころか本当に半べそ状態だったらしい。

 ショックで涙を溜めている僕を取り囲むように次々クラスメイトが寄ってきて、「大丈夫か?」「何があったんだ?」と顔を覗き込んでくれる。中には幼子をあやすように僕の頭に手を置いてそっと撫でるものまでいる。

 皆に囲まれて慰められる今の状況はどう考えても情けないといわれても仕方ないが……だけど、かなりのショックで、そんな扱いに抗議する元気もない。

 それなのに僕が本当に慰めて欲しい肝心の悪友将汰は、僕の様子なんか全く無視して他の連中と何かを興奮しながら語っていた。それでも僕は、なんとか将汰に聞いて欲しくて、やっとの思いで立上がり声をかける。

「将汰……僕……」

 そんな僕の声を遮るように将汰の声が被さってくる。しかもそれは、喜びと興奮にあふれていた。

「おい!ちょっとトモ聞いてくれよ。さっき、すげーふざけた女に会ったんだぜ。どこかから助けてって声が聞こえたから柄にもなく慌てて声のする方に様子を見にいってやったんだ。それなのに、いきなり俺に向って『きゃ〜』だぜ?確かによく見れば場所が女子トイレだったから慌てて飛び出したけど。それにしても、大丈夫かって聞いてくる相手にキャーは痴漢扱いで腹立つよな?俺は助けにいったのに自分がちょっと可愛い顔をしてるからって、自意識過剰だよ。」

 一瞬上っ面を聞けば否定的だけど、普段から女に辛口というか殆ど無関心の将汰にしては、まるで自慢話だ。

 まさか……まさかだよな?

 将汰が話してる女って、さっきの僕のこと?

 そう思ったのは確かなのにそれは僕かも……とどうして僕はその時言えなかったんだろう?

 それが、悪夢の始まりだったような気がする。

「それって、まさか2階の女子トイレ?だったりする?」

「そうなんだよ。どうしてお前も知ってるの?ふっざけてるよなぁ。 あの女やっぱり同じ高専の女なんだろうけど、今度会ったら、ただじゃおかねー」

 嘘だろ?

 なんで硬派だったはずの将汰がそんなに女を意識してるの?

 しかもその女ってさっきの僕の可能性が大なんですけど。

 ……なんて今更言えないよな、言えるわけないよ。そんな事。

 僕が将汰に今日あった出来事を、この奇妙な夢のような俄には信じられない出来事を相談したかったのに、どうして僕が聞く側になっているんだろう。

 とにかく僕はその場にいて、将汰の惚気に似た話しを聞くより、一人になって 今日あった事を整理したい気持ちに襲われはじめる。

「そっか、そりゃよかったな」

 僕の声はきっといつもよりかなりテンションが低かった。

「おい、なんだよそれ?お前真面目に聞いてないだろ」

 こっちの不機嫌を少しは分かれよ!

 ばか!

「聞く気分じゃないんだよ」

「なんだそりゃ?」

 当然、将汰の声も強張ってくる。たしかにいつもの僕なら、こんな険悪な雰囲気になったら先に折れていたんだろう。

 だけど、今日の僕にそんな余裕があるわけがない。

 あの変な煙を吸い込んで女になんかなってパニックになりかけてるんだ。

 女でいたのは確かに一瞬だったけど、それでも叫びながら廊下を駆け出したっておかしくないくらいテンパっているんだぞ?

 こんなに僕が混乱してるのに一番の友達の将汰が当てにならない。それどころか変な成りゆきになりそうな気配に僕はいったいどうしていいのか。

 そんな将汰の自分勝手に、無性に腹が立つ。僕は追い掛ける気配の将汰を無視して そのまま駆け出した。

「おい、待てよ。変だぞ、お前」

 だって、自分でも訳の分からない不安が襲ってきて、それは、とても将汰に説明なんかできそうになかったから。

 だけど可能性としてはあるんだよな?将汰が、僕が女になってしまったあの一瞬に間違ってときめいちゃったとか。

 いや、それはありえないだろ?あの時、身体は女だったけど確かに中身は僕のままだった。

 不思議なことに、 僕はだんだん自分がたとえ一瞬であっても、女に変化したという大事件より、将汰が、女に……たとえそれが僕であっても、ときめいたかもしれないなんて方が、ずっとずっと大問題のような気がしていた。

 

 後期の期末テストは2月の末で終わる。年間通して60点平均以下の科目があるとそれは、追試と称されて 3月の中にテストがある。

 高専に行ってる癖に、数学で落ちこぼれ気味の終わってる僕と理系は完璧なのに文系は かなりヤバい将汰も、なんとか運良く今年は追試に免れた。

 それはそれで喜ばしいことなのだけど、問題は、追試がない学生は試験の解答が終わると、なんと4月の新学期まで授業に出なくてもいいのだ。つまり実質春休みが始まる。    

 地元出身の僕はともかく、将汰は隣の市から通ってきているのだ。

 きっと実家に帰ってバイトでもはじめてしまうだろう。

 そうしたら一ヶ月以上も 僕らは会えなくなる。

 家に帰ってその事実に気がついて僕は、いったいどうしたらいいのかと急に焦ってしまった。

 このまま、喧嘩したような状態で将汰と会えなくなるのは嫌だけど、僕からいつも折れるっていうのも嫌だ。

 あの一瞬は、もしかして夢じゃないかと思う僕と、あの一件でちょっと気まずくなってメールさえしてこない 将汰を思うとやっぱり事実だったんだなと思うと不安でたまらない。

 どうして、お前は僕の事を心配しないんだよ。

 どうしてこんなに不安な時に、僕の傍にいてくれないんだよ。

 聞き慣れた着信音がして、僕はびくっと飛び上がった。

 だって以心伝心?

 それが将汰のメールだと着信音が教えてくれてるから。

『全然メールしてこないけど、どうした?人の話も真面目にきかないし、俺何かした?』

 なんだよ。

 このメールは!いつもなら腹の立たない僕もさすがにムカっとした。

『メールしてこなかったのは、将も一緒だろ?僕だって昨日、薬品がかかってとんでもないことに なったのに、何も聞いてくれなかった』

 慌てて打ち返すと両手打の将汰からは、速攻メールが返ってくる。

『とんでもないことって何?』

 僕は親指だけ使っていて将汰ほど打ち込むのが早くないから必要なことだけ打ち返す。

『メールじゃいいたくない』

 っていうか説明できないだろ?自分だって何が起きたのか把握してないんだ。 せめて心配してるなら電話をよこせよ。

 『言いたくないなら言わなくていい』

 冷たい拒絶。心臓がきゅうっと縮まった。どうしてそんなにそっけないの?それでも僕はなけなしのプライドを棚の上に押しやってメールを返した。

 『今日これから会えないか?』

 『トモが、あの失礼な女を一緒に捜し出して、ガツンと言わせてやるのに、加担するなら会ってもいいけど』

 文面を読んで、僕は携帯を床に叩き付けてやろうかと思った。 いったいお前は何様だよ。いっつも引いたり折れたりするのは僕ばかりじゃないか?

 僕と将汰との友情に対する温度差を感じるのは前からあったけど、それを僕はどこかで仕方ないと思ってきた。だけど 今回のできごとは、まさに僕にとっての限界点だったんじゃないだろうか。

 

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