唇の上に落ちるもの


 

【 11 】

  改めて、髪の毛を整えて鏡をみる。

 どこにでもいる普通の女。これが、これから僕の顔になるのかもしれない。 青白い僕の顔に、コンビニで買った色つきのリップクリームを少しだけ塗ってみた。

 やっぱり嫌だ。化粧だけはしたくない。手の甲で拭うとべったりと淡いオレンジのクリームが ついた。

 大丈夫か?

 まだ、後戻りできるぞ?

 だけど、僕は首をゆっくりと振って、手についたクリームを 拭う。 後

 悔しちゃいけない。

 後悔したら、存在がなくなってしまう朋之があまりに可哀想だ。

 親に何も言えないで、このまま家を出る事だけが心残りだけれど。

 僕がこのまま男に戻れなくなったら、女になった僕が少しでもお母さん達に罪滅ぼしをするよ。

 どうやって将汰に会えばいいのか悩んだあげく、自分の女の姿に多少の不自然さを感じた僕は、 以前いったことのあるサロンに向った。

 初めての時は、入るのに躊躇したが、今度はもう迷いがなかった。

 店内に入ると以前、担当だった線の細い甘い印象の男性が、にっこりと微笑んですぐに迎え入れてくれる。

 「先日はありがとうございます。本日はいかがいたしましょう?」

 「セットと眉の手入れ…お願いできますか」

 「かしこまりました」

 ところが以前待たされたソファを通り越し、他に客がいたにも関わらず、奥の部屋に案内された。

 「本当は、ここはVIP用なんですよ」

 「でも、あまり持ち合わせがなくて……そういうの困ります」

 「大丈夫、ここは僕の店だし、あなたは僕のVIPだから」

 その美容師はさも、楽しそうに重厚なゴブラン織に包まれた鋏のセットを開いた。 きっとこれが彼の諄き文句の決め科白なんだろうか?

 「カットも僕にまかせてくれたら、練習用として無料でいいですけど、どうされます?」

 今後、この格好で家に帰られないとしたら、お金はいくらあってもいい、もう迷いはなかった。

 「おまかせします」

 「お客さまって顔だけじゃなくて、雰囲気とか話し方とかも僕好みなんですよ」

 そういって顔を近くに寄せてくる。多分、何処かで見た韓国俳優のような清々しい顔の彼が こうして愛想をふれば、くらっとくる女性も多いのかもしれない。

 だが、僕は今まで男として暮らしてきたから、こういうアプローチをいったいどうやって躱していいのか 悩んでいるとくすくす笑いながら、すばやくブラシと鋏を動かした。

 踊るように指が舞い、弧を描いて 髪が一ケ所に落ちてゆく。

 まるで神業だ。

 じっと見てみれば鏡の中の自分が、前よりさらに女っぽくなっていく事に自分でも戸惑う。

 どうですかというように背中を押されると、鏡の中のあどけない表情の少女が不安そうな顔でこちらをみていた。

 これが僕?

 「ありがとうございます。またきます」

 まだ、話しかけたそうにしている美容師をさらっと躱して、外をみた。

 あぁなんという偶然だろう。

 これから探そうと思っていた将汰が、都合良くサロンの入り口の近くに立っているじゃないか。

 慌てて僕が外に出て会釈をすると追いかけてきた美容師は、背後で悔しそうに舌を鳴らした。

 それを横目で確認しながら、将汰は、ぴんとした背筋をさらに反らすようにして僕に手を差し伸べてくる。

 「ここに来るとまた会えるような気がして時々来ていたんだ。でも本当にあえると思わなかったけど」

 相変わらず、女の子が喜びそうな事をさらっという。ということは偶然じゃないのか?

 将汰はそこまで、鏡の中のあどけない少女に熱をあげているのだと思うと、胸がきゅんと戦慄いた。

 だけど迷う暇もなくこうして将汰に会えたから、逆に僕の決心は、堅固なものとなる。彼の期待を裏切るかもしれないが、もう余計な手順を踏みたくなかった。

 「サロンの中の匂いでちょっと酔っちゃったみたいで……ちょっと休める所を知らない?」

 将汰が何も言わないうちに、僕から誘うような素振りを示した事で、将汰は多少戸惑っていた。 僕がこんなに直接的な事をいって戸惑っているのだろう。

 「よく知らない男にそんな事をいうと、変な誤解をされるよ。家まで送っていこう」

 あくまでも紳士な将汰。

 男の僕には、遠慮なく欲望をぶつけてきた癖に。

 「気持ち悪い……」

 そういって口元を押さえる。

 「家になんか帰りたくない……帰れない」

 それは事実だった。

 女の僕が、もしも自宅に帰ろうとしても不法侵入で訴えられてしまうだろう。 ふらついたフリで将汰に凭れ掛かると、将汰は諦めたように、体重を預けた僕の身体をがっちりと 抱きかかえる。がっちりした将汰の身体が、少しだけ僕にあの狂おしい夜を思い出させた。

 彼は、二度とあの夜を思い出したくないに違いない。激情に任せて男の僕を抱いた事実は、彼にとって 汚点でしかないだろう。

 それに比べて僕にとっては、あの夜、身体はあんなに辛かったはずなのに、なぜか甘く切なく思い出される。身体だけでも将汰に満足してもらえたことを、想うだけで満たされるというのに。

 将汰が再び妙に遠慮がちに抱き寄せる。震える将汰の指が彼の緊張を僕に伝えていた。

 「でも、このまま病院に行ったほうがいいんじゃないか」

 「病院はいやだ」

 「だけど……」

 「どこか、ゆっくり休めるところに連れていって欲しい」

 少しだけ沈黙があった後、「わかった…」と彼が連れていってくれたのは、近くにあった有名な シティホテルで、彼がキーをとってくる間、僕は、なんだかすごく悪いことでもしているかのように 小さくなっていた。

 部屋に入って彼がベッドに僕を壊れ物でも扱うように慎重に横たえてくれる。

 「なんか飲み物をみてくるね」

 そのまま冷蔵庫に向おうとした彼の腕を僕は、必死に手繰り寄る。

 「いかないで」

 「でも…」

 「ここにいて」

 「何かあったのか聞いてもいいかい?」

 こんな真摯な眼差しを向けるのが僕だったらいいのに。

 「私は魅力ない?手を出す気にもならない?」

 僕は必死だった。

 「そんなわけないよ。君は可愛いし、魅力的だ。だけど自暴自棄になってる人をなんとかしたいと 思わないよ。だって君の名前も聞いてないのに」

 僕の時は同意なんか得なかったのに、僕が嫌がっても無理矢理やったじゃないか。それなのに名前も知らない女には据え膳を添えられても、まだ遠慮して気遣うのか? そう思うと悔しくて涙が出た。それをみてますます将汰は動揺する。

 「ごめん、何か無神経な事いったかな?」

 だからまた、残酷な気持ちになって試すような事を口走ってしまう。

 「トモカ……っていうんだ。トモって呼んでくれない?」

 「トモ……」

 一瞬将汰の顔色が変わった。

 「トモ……」  

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