![]() |
|
背後から聞こえてくるのは、甲高い児島あかりの声だ。 「はっ?何が勝手?こんな小さな生き物を閉じ込めておいてここまで弱る程放っておきながらよくそんな事が言えるな」 「な、なによ。あんたがハムスターみたいなもんじゃない。 虐められれば同級生の男子に庇われるようなあんたが 何をえらそうに」 「よくいうぜ、俺は反対したんだ。誰も責任をとらないで生き物なんか飼えるわけないって。 結局いったとうりになったじゃねーか。知らなきゃ知らないでいいけどさ。ずっと俺がこいつの世話をしていたんだ。俺が放っておきゃ誰も世話をしないじゃないか? 可愛がるだけじゃ生き物は育たねーんだよ。そんな事もわからねーでこいつを飼ったのか? こんなに弱らせて誰が責任を持つんだ?」 ここまで俺は一気に捲し立てた。いつもなら聞き流す俺も今の気分は尋常じゃなかった。多分、この哀れなハムスターの「みるく」が俺の情けない姿に 準えられたのが、悔しかったからだ。 「男に媚びうってる癖に……」 俺に反論されると思わなかったのか、小島はとんでもない事を口にする。一瞬で変化した俺の表情を見つめるとさすがに不味いと思ったのか、怖いものを見たような表情で眉間に皺を寄せる。 瞬間その表情が俺の劣情を煽った。俺は生意気そうなあかりにぐいぐいと身体を押し付けると くいっと顎を上に向かせてそっとその柔らかな唇に唇を押し付ける。 嫌がる彼女の顎を捉えた。 「ばかにするな。大人しそうに見えたって俺は男なんだ。生意気なあんたが どんなに抵抗したってこれ以上の事をしようと思えばできるんだぜ」 「いや、やめて!」 彼女のおびえる顔が自分が佐久間に抱かれる顔にだぶって見える。 「やめてったら!」 そのとたん、後ろの扉が乱暴に開く音がした。 「佐久間く……ん」 佐久間が抱き合う形で重なる俺と児島を汚いものでも見るような顔で見下している。 軽蔑するような視線を投げかけると 「どうした、俺に構わずラブシーンを続ければいいじゃないか」 そういって意地悪そうに片方の口角だけをくいっと上げてみせた。 「佐久間くん……」 俺は慌てて児島を突き飛ばすように離れる。 「相手にしてもらってよかったじゃないか、児島。本当は香咲が好きだったんだろう? それとも可愛い顔だちだってこいつも普通のスケベな男と何も変わらないんだってわかってがっかりしたか?」 追い討ちをかけるように佐久間が俺にきつい言葉を浴びせかけた。 金で男に抱かれて、そのうえ平気で女に暴行を働く……きっとそんな男だと佐久間は思った事だろう。 今さら佐久間に何を見られたからといって何も失うはずのない俺なのに おれは、逃げるように教室を出た。走って、走って……つんのめりそうなくらい走って やっと生物室まで辿り着く。俺はいったい何をやっているんだろう。 佐久間に軽蔑されたってそれがなんだというんだ。 無性にむしゃくしゃして……悔しくて俺は床をどんっと叩いたり、ゴミばこを蹴散らしたりした。 その拍子に亀の餌があたりにぶちまかれ、俺は何をますます情けなくなりながら、あたりを掃除した。 亀の餌……そこでふっと我に帰る。「みるく」の世話が途中だったのだ。 弱ったあの子をなんとかしなければならない。思いがけず児島や、佐久間に出会った事で すっかり気が動転して世話も途中にして出てきてしまった。 今さら戻るのは気が引けるが、そういつまでもあの二人がいるはずがない。勝手に俺がそう解釈して 教室に戻ると二人の話し声がした。 佐久間と児島だ…… 盗み聞くつもりではなかったが、なんだか戻りずらくて結局ドアの外で話が終わるのを待つ事にした。 啜り泣く声は児島だろうか?俺って最低だ。 「いつまで泣いてるんだ」 佐久間の声が聞いた事がない程柔らかい……そんな声も出せたんだな。 「だって……きっと香咲くん、私の事嫌いになったもの」 「仕方ねーだろ?第一、あかりは天の邪鬼なんだよ。好きな子を虐めるなんて小学生並みだ。それに今回はお互い様だろ?あいつも普通の男なんだな。いいじゃないか、そういう対象に見られただけでもさ」 「酷い……ひと事だと思って」 「ひと事だよ」 そういって佐久間は声を出して笑った。たしかにお前にとってはなんの関心もないことだろう。 「男ってのはその相手が好きじゃなくたって快感に酔いしれる事ができるし、その場だけ愛を囁く事だってできる。だから、変な期待をしない方がいいってことさ」 「どういう意味?」 「別に…」 張り詰めた緊張感の漂う鉛のような沈黙を破ったのは児島の方だった。 「そういえば、佐久間君、ドイツに留学するって話はどうなったの?」 「やめた」 「どうして?コンクールに入賞してせっかく入学資格が与えられたんでしょう?」 「もうどうでもよくなったから、留学資金で豪遊しちまったよ」 2000万がたいした金額じゃないなんて嘘ばっかりじゃねーか。 どうしてそんな大切な金を俺につぎ込んだりしたんだよ。後悔してももう返せる金額じゃない。 「なによそれ……冗談……でしょ?」 「いや、おおマジ。どうせピアノにしがみついたってピアノで生きていける訳じゃない。学生の間だけの遊びだっておやじに言われたよ。二十歳過ぎたら経営の勉強をしろって言われたんだ。 そうじゃなかったら、兄貴に会社を継がせるって」 「お兄さんいたの?」 どうやら、大庭のことは、児島も知らないらしい……それを知って少しだけほっとする。 「あぁ、おやじは入り婿で外で作った兄貴だよ。佐久間の血を引いてないものに継がせていいのか?って脅された。兄貴が継ぐ事になったらまた、親戚が騒ぐだろ?俺に選択肢なんかないよ」 「だけど家は継いでも留学はしておけばよかったじゃない」 「無責任な事言うなよ。そんな中途半端な気持ちでやれるレベルじゃないんだ。才能もやる気も集まった人間ばかりが集まるんだぞ。全てを犠牲にするくらいの気持ちじゃなきゃ続かない。もう趣味の域なんかとっくに越えてたからな」 「そっか……」 「俺は香咲がうらやましかったよ。みんなに好かれて両親に愛されて努力さえすれば、金さえあれば何にでもなれる。そんなお伽噺を無邪気に信じていた」 「たしかにみんなが香咲くんに癒される感じだったわよね。可愛いって言うか一生懸命っていうか。随分前に無くした何かを持ってるって言うか」 「無邪気って言うのも時には罪だよ。汚してやりたいような残酷な気持ちにさせられるから……」 「どこが、そんなに香咲くんが気に入らないのよ。無邪気なだけなら他にもいるでしょう?」 「名前だよ」 「名前?」 「鈴音なんて音楽に関心もないのに……むかつくよ」 「ミツグだって悪い名前じゃないじゃない」 「それは、俺の本当の名前じゃねーよ。字は同じだけど、さねつぐっていうのが本当の名前だ。嫡男はこの代々この名前だそうだ。それじゃただの記号じゃねーか。遺伝子を受け継ぐだけの。ふざけんなって…」 俺は自分だけ被害者ずらして佐久間の事なんか結局なにも分かっちゃいなかった。そう思うとますますドアが開けずらくなっていた。 実際どうして俺はあの時、ドアを開けなかったんだろう。 そう思うと今でも胸が痛む。 翌朝、教頭先生が校門を開けるのを待ちわびて俺は教室に入った。 みるくのケージに駆け寄って餌箱を確認する。 ちっとも餌が減ってない。 嫌な予感がした。 元気な時なら、朝方までがさごそと動き回ってるはずだ。 手を洗ってからそっとみるくに手をのばすとみるくは下半身が濡れてぐったりしていた。 ただの下痢? ウエットテイル? このままにしていたら、大変な事になりそうだっていうのは素人の俺でも解る。 俺はハンカチにみるくを包み、移動用のゲージに入れ変えると慌てて近所の動物病院に駆け込んだ。 「この下痢は今日からじゃないね?どうしてこんなになるまで放っておいたの? 昨日ならまだ、助かったかもしれないけど、今日はもう保証できないよ。 末期に近い。抗生剤を投与してみるけど最悪の事は覚悟した方がいい」 獣医にどんなきつい事をいわれても俺に言い返せるわけもない。 昨日、あのドアを開けていたら……全部俺の責任だ。 誰も責任を取らないのも、ちゃんと世話をしてないのも解っていたはずだ。 俺はやっぱり生き物を飼う資格なんかない。 そのまま学校は早引きして、ずっと抗生剤を投与されたみるくの近くにいた。 今さらって思うけど、それでも離れられなかった。俺が一番悪い。 だって僕が一番みるくの状態が悪い事を把握していた。みんなが誰も責任を取らない事も知っていた。 児島も佐久間もみるくに関心がないことも。 それなのにみるくを見捨てたのは俺だ。 あぁ、許してみるく。 どうかどうか持ち直して……。 本当に本当にごめん。神様……もしいるならどうかみるくを助けて……。 このままみるくが死んだりしたら俺は 自分を許せないだろう。 |