池魚籠鳥 〈4〉




 それから数日は何ごともなく過ぎていったのに、ある晩佐久間が俺の部屋を出ていった直後、屋敷の外で誰かと口論している声が聴こえた。

 何ごとがおきたのかと重い身体を引きずって部屋を出てみると佐久間と大庭がやりあっている。

「お前はこんな時間までこんなところで何をしてる?」

「うるせ!俺の勝手だろ?お前こそこそこそ俺の後をつけやがって、何を企んでやがる」

 俺は辛い身体をなんとか立て直し玄関の梁につかまってやっと掠れた声をかけた。

「大庭さん!」

「大丈夫か?レオンくん」

 レオン君?レオンくんだって?俺は名前を教えた記憶なんかないから、少しだけ大庭に違和感を持った。その場を慌てて立ち去ろうとした佐久間がその『レオン』の一言で立ち止まって俺の方を振り返る。 その瞳はなぜか、怒りに燃えるように光り俺を睨み付けた。

「まずは、部屋に入ろう」

 それを無視した大庭に肩を抱きかかえられるようにしてそのままそっとソファに座らされる。 部屋の中には行為の後のティッシュがそのままになっていて、匂いも充満している。これじゃあ現場を押さえられたのと何も変わらなかった。

 隠そうと思って隠せるものではないが、大庭さんが何を言い出すのかと思わず身をかたくする。

「怖がらないでほしい。レオンくんを責めようと思ってる訳じゃないんだ。わかっている、実継(みつぐ)が無理を強いてるんだろう?」

 その時、なぜ、俺はあんなことを言ったのか自分でもわからない。

「違います、違うんです」

「だって君が誘ってる訳じゃないだろ?」

 それは絶対違うけど、佐久間だけが一方的に無理矢理って言う事にするのは卑怯すぎる。

 俺は結局受け取るべきものは受け取っているんだし、と俺が逡巡していると。

「金で友だちの身体を買おうなんて、なんて見下げた奴なんだ」

 大庭はすっかり悟ったようにいうので俺はますます焦った。

「いえ、本当に違うんです」

「じゃあ、どうしてこんなことになってるんだ?」

「ぼ、僕が、佐久間くんを好きだから……」

何を言い出すんだ俺は……。

「それは、嘘だな」

「ほ、本当です」

「じゃあ、なぜ君もあの子もあんなに辛そうなんだ?君が来てから外遊びをしなくなったのはいいが、さっぱり食欲がなくて部屋に閉じこもり勉強ばかりしていると家政婦頭が心配しているんだ」

「そ、それは」

「やっぱり君に無理を強いているんじゃないのか?」

 この人はなんて鋭い人なんだろう。だけど俺はこの人の事を何も知らない。

「僕がお金を要求するから後味が悪いだけなんじゃないですか」

一瞬大庭の顔が強張った。

「まさか、あの2000万円も君が要求したのかね?あれはあの子の留学するための前金に渡していたのだが」

「はい、実家でどうしてもお金が必要だったんです。だから佐久間君は僕が汚い男だと思って、抱いてる自分に嫌悪感を感じてるのではないでしょうか?それで抱くにも嫌になってるんじゃないでしょうか?」

多分、そうなのだ……そうに違いない。改めて言葉にするとショックが大きかった。瞼に涙が溢れてくる。

「実はね。そこまで話してくれた君だから言うが、実は実継と僕は異母兄弟なんだよ。父が正式に結婚したのは実継の母親とだが、結局父は僕の母親とずっと未だに別れていない。それは母を亡くしたあの子をどれだけ傷つけたかしれない」

「やっぱり……そんな予感はありました……だって佐久間くんと大庭さん凄く似てるから」

「だからあの子は捨てられた子犬みたいに特別に愛情を欲しがっているんだ。この佐久間興産も僕は彼の手伝いをしたいと思ってるだけなんだが、僕に乗っ取られるように思いこんでいて」

 そういって深いため息をついた。

「そうだったんですか」

「君たちが、もし、好きあっているなら別れさせるのは可哀想だと思ったが、お金が絡んでいるなら話しは別だ。彼には許嫁もいてね、こういうスキャンダルはとても困るんだ」

「はい……」

「今までの分も含めて一億で手を打ってくれないか?」

 そう言われた瞬間、たまっていた涙が俺の頬を涙が止めどなく流れ落ちた。

「不足かい?」

「いいえ……」

「じゃあ辛い想いをさせたと思うが堪えてくれ。あの子はゲイじゃないからね。子供を作る事もできる。佐久間家にはあの子の血が必要なんだよ」

 そうだ、彼に婚約者がいて、俺のお金の件も解決した。俺らには二人で寄り添う理由なんかもう何も残されていない。

「僕から実継にはよく言い聞かせるよ。お父さんや君の実家の店の面倒も引き続き僕が責任持つから安心してほしい。君さえ良ければ君を僕が受け止めてもいい」

「はい……」

 俺にこれ以上何が言えるのだろう。

 お金があっても孤独だった佐久間。

 両親の愛に包まれて何も考えずについこの前までのほほんと暮らしていた 俺。

 佐久間にとって俺はその存在すらむかつく、傷つけるにたるだけのものだったのか?

 いや、それは違う……

 彼は優しかった。

 お金も出してくれた。

 彼には彼の心を癒すペットが必要だったのだ。

 従順な人間のペットが……。

 そしてちょうど生意気な俺がその役にあまりに適任だったというだけ。

 その晩、寝静まった頃、佐久間は僕の寝室の窓をそっとたたいた。

 どういうつもりでやってきたのか?

 俺の胸が高鳴っていく。

 この期に及んで俺は佐久間に対して何を期待してるんだろう?

 窓を開けると佐久間は器用によじ登ってくる。

 もしかしたら、彼の欲望が渦巻いて眠れないからやってきたのかと思ったが、なぜだろう、あの時のような無茶苦茶な求め方はもうしない。

 優しくキスをして壊れ物を扱うようにそっと抱き締めてくれる。

 もしかしたらもう俺の身体に飽きたのかもしれない。

 そりゃそうだ。女ならもっと華奢で柔らかな身体を持っている。俺の中途半端な身体は所詮代替え品でしかない。

 第一、佐久間にはもっと他に綺麗な婚約者もいるらしい。

何を好き好んでいやがる男など抱く必要があるのか。

 もしかしたら、もう俺に飽きて抱かなくなったのかもしれないと安心するはずの気持ちに すきま風が吹きすさぶ。

 まるでこれから捨てられる子犬のような寂寥感が俺を捉えて離さない。

 捨てないでくれとペットは叫べないじゃないか。

 ただ悲しい瞳で諦めるだけだ。

 たとえ行く先がワンワンポストだろうと優しい次の飼い主だろうと ペットには飼い主を選ぶ権利などないのだから。

 こんなふうに彼に見捨てられる段になってはじめて、俺は彼に自分が好意を抱きはじめているのに 気が付くなんてなんという皮肉だろう。彼が他の女をその腕に抱くと思っただけで、この胸はまるでえぐり出されて裏返しにされるように辛い。今さら何を……と自分でも思うのだが、自覚した恋心は暴走して止まらなかった。

 呼ばれると思わなかったのにこれが最後という夜に俺は佐久間の寝室に呼ばれた。 無言で佐久間を見つめる俺に佐久間はいつものような強引なキスをしかけてこなかった。

 やっぱりもう、俺の身体に飽きたんだろう。せめて身体だけでも愛されたかったのに。 そう思って切なくなっていると佐久間が端正な顔のまま俺を気遣わしげな表情で覗き込む。

 そして彼はそっと瞳を閉じた。

 俺も自然に瞳を閉じていた。

 そっと合わさるその唇は乾き全く動こうとはしない。

 俺の方からおそるおそる唇を開いて彼の乾いた唇を労るようにそっと舐めた。

 そのとたん、彼は待ちかねたように乱暴に舌で俺の唇を割って口腔内をあばれまわった。 俺も初めて自分から舌を絡ませ夢中で彼の舌を吸い上げる。

 角度を変えながら夢中で彼の舌を愛撫し吸い込んでいる内に二人の身体はこれ以上ないというくらい密着していた。

 突然身体を突き放される。

「いけ……」

「……」

俺の方から立ち去れと言うのか、勝手な男だ。最後までペットの引き継ぎをしていく気もないのか。

「光司が待ってるだろう」

「光司さん?どうして」

 彼はただ僕の心配をしてくれているだけだ。

「ミツグに光司さんは関係ないだろ?」

「俺を名前で呼ぶな」

「いいじゃないか。だってもうあんたが、俺の飼い主じゃなくなるんだろう?じゃあただのタメの同級生じゃないか」

「うるさい。もうぐずぐず言わなくていいから、いけ」

「いかない。ミツグから出てていけばいいじゃないか」

 俺達は結局どちらも意地を張ったように先に出ようとしなかった。

「このまま、ここにいれば、俺はお前を抱くぞ」

「いいよ。抱けよ。今までだって俺に断った事があったかよ。ずっと俺の気持ちなんか無視していた癖に、もう俺の身体が飽きたからとっとと光司さんに払い下げた癖に」

 こんな事をいう未練がましい自分が嫌いになりそうだった。誰か愚かな俺を止めてくれ。

 恋はこんなにも俺を翻弄する。学校や世間の目どころか家族の事さえどうでもいいと思ってしまう程に。

「お前が嫌がっていたから」

「え?」

「いいからいけ!っていってんだろうが」

 まるで迷いこんできた野良猫を追い払うように指先だけで佐久間は俺を追い払おうとする。 そんな彼に今さら、悪あがきをしたって何になるのだろう。

 もう彼の関心が俺にないのなら、俺は綺麗な新築に上がり込んだ汚い迷い猫でしかない。 気紛れで洗ってもらって綺麗になってじゃれてくれたからと言って、いつまで彼に 纏わりついているのか。

 彼が好きなら、彼が本当に好きなら自分の立場を振り返らなければ。

 俺はもう、彼に言い返さずに部屋を出た。

 悲しい……どんなに彼を想っても邪魔でしかない自分の存在が。

 彼との狂おしい夜を思い出して胸を掻きむしりたくなる自分の 未練が情けない。

 好きだと言う気持ちが全ての免罪符になるわけなんかなくて、ただの邪魔な感情だなんて。 押さえ付けようとすれば奥底から溢れ出ようとするこの恋心をみんなどうして治めているんだろう。

 このままお金があれば海外にでも飛び出していきたかった。死ぬ勇気はなかったから。 愛してくれた両親より先に死ぬなんて考えられなくて。

 数日学校を休んで久し振りに登校するとハムスターの「みるく」がぐったりしていた。 どうやら誰も世話をしていなかったのだ。慌てて水を取り替える。

「何、勝手な事してるの?」


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