魔境の裏側 14 


 「涼夏……神威は?」

 未練がましいそんな台詞に私はますます胃が痛くなった。

「お前が神威なのかと思っていたが?」

 涼夏の声は強張って冷たい。いっそ放っておいてくれればよいのに。そんな 八つ当たりがますます私を不機嫌にした。冷たくした方が親切な事もある。身勝手だが私はそう思ってしまう。

 私の事を軽蔑したなら、もう私という人間がいらないのならその方がずっと親切だけれど、 今さら自分を元の恋人に重ね合わせて裏切った涼夏が私にそこまでの気を使うまでもない。私から諦めよう……その方がお互いに傷が浅い。

 「私もカムイという名を持ってるのは本当です」

 「神威に聞いたよ」

 「私の世界にもうひとりのリョウガがいたことも?」

 「あぁ……私はその男の身代わりだったのだな」

 「たしかに最初はあなたと彼を重ね合わせていた事を否定はしません。私には区別がつかなかった」

 「そうか最初は……か?……俺はお前とこの世界の神威が別人だと少ししてすぐ気がついたよ」

 「それで……私に恨み言をいいにいらっしゃったのですか?裏切り者と……」

 「今でもそいつが忘れられないのか?」

 「え?」

 「今でもそいつの身代わりか?」

 「違う……」

 「神威が言っていたよ。お前達は命が繋がっているって。そうだとしたら、俺とそのリョウガとも命が繋がっているのか?俺が死んだらそいつも死ぬのか?」

 「涼夏……ばかな事をいうのはやめてくれ」

 何をいっているのだろう?なぜ死ぬなんていうのか?涼夏に私に裏切られた事がそこまでの価値があるなんて思いもしなかった。それとも裏切られた怒りで我を忘れているのか?

 「俺がこんなにばかになってしまったのもみんなお前のせいだ。自分が理性的な人間だと思っていたけれど、こんなマグマのような感情があったなんて自分でも信じられないよ」

 「涼夏……お願いだ」

「お前をそいつに渡したくない……渡すくらいなら刺し違えてやる」

 信じられない涼夏がそんな事をいうなんて……私は思わず涼夏にしがみついた。

「なんだ……お前はそいつを庇うって言うのか?」

「嬉しい……」

「は?」

  「嬉しいんだ……」

  涼夏が訳がわからないという顔できょとんとしている。その顔がなんとも愛らしかった。 その首にしがみついて思わず唇を重ねる。

  「な、なんだ?」

  彼は耳朶まで真っ赤にして口を押さえた。

 「このままこの世界にいてもいいのかな……もちろん神威が許してくれたらだけど」

 「カムイ……」

 「涼夏は私の知ってるリョウガじゃない…でも…だからこそ心を許せたんだと思う。リョウガに傷つけられた心を癒してくれたのはあなただけだった。あなたと私の知ってるリョウガは別人だったから……だから……」

  太い彼の腕が私を持ち上げるようにきつく抱きしめそれ以上の言葉を遮った。

 「最後まで言わなくても判る……お前がこの世界でどれほど努力を重ね苦労してきたか。そして お前の世界でどれほど心を傷つけられてきたか。だからこそこの世界でどれほど異邦人として 怯えながらもお前の故郷を捨てようとしてきたか……」

 涙が熱い思いとともに顎を伝っていくつも溢れ落ちてゆく。悲しい時や苦しい時にも……それどころか親が死んだ時ですらこれほど涙を流したことはなかった。いつも泣きたくても何かがそれを制御してきたのだ。悲しみも苦しみも感じないように。なぜ、こんなに涼夏の言葉は私の心に沁みるのだろう。

 「カムイが俺の胸で泣いてくれる……それだけでいい。思いっきり泣くといい」

 散々嗚咽を洩らし、子供のように声をあげて泣いている間、涼夏は私の髪を宥めるように梳いてゆく。

 やっと我に返ってやっと私は涼夏に肝心な事を聞いていない事を思い出した。

「神威は?彼はどこに?」

 「神威が心配か?お前達はなんだかんだといいつつも優しいな」

  「お前達?」

 今度は私が首をかしげる番だった。

 「神威は向こうの世界でのお前の立場を話してくれたよ。お前を信じて優しくしてやって欲しいと。自分達がどれだけ生きていけるかわからないが、お前の辛かった半生の分を取りかえすほどに愛してやって欲しいと」

 どういう思いで神威がそれを言ったのかと思うと胸を引き絞られるようだ。あんなに罵倒していったくせにカムイの何もかもを一番理解してくれるのは、 神威だった。そして彼は何も知らぬあの暗黒とも思える世界に独りで旅立っていったのだ。

 ふと思い付いて涼夏に尋ねる。

 「涼夏には確か婚約者がいらっしゃったのでは?ユーリーとかいう」

 涼夏は困惑したような複雑な笑顔を向ける。

 「優里の事か?嫉妬してくれるのは嬉しいけど、もう彼女とはなんでもない」

 「いえ、彼女もきっとあちらの世界と繋がっているのです」

 「なんだって?」今迄の事をかいつまんでユーリ−の事を説明する。

 「会わせていただけませんか?彼女に」

 有無を言わさぬ私の高圧的な物言いにさえ、ただじっと聞き入っていたが決心したように涼夏は車のキーを取った。

 「じゃあ、一緒に行こう」

 優里を喫茶室のプライベートルームに呼び出すと彼女はすでに我等より先に到着していた。

 「お久しゅうございます。カムイさま」

 その長い金髪はすでに危険な感じに揺らめいていた。

 「静まれユーリー。お前は向こうの世界から来たのだな」

 「たしかに私はユーリー。だがカムイさまと同じように我等にも一心同体のようで別々の感情があるのです。どうか私をユーリーと呼ばず、優里とお呼びくださいませ」

 彼女の威嚇するような冷たい瞳の輝きに私は涼夏を庇うように腕で涼夏の行く手を制した。

 「そう呼ばれたかったら、まず、武器であるその長い髪をこれで縛るといい」

 そういって玉虫色に輝く透明の紐をやおら胸ポケットから出すと彼女に投げ付けた。

 「カムイ様…」 彼女は私から目を逸らさずに紐を拾い上げすっと後頭部に投げるようにしてその見事な金髪を縛り上げた。

 「そんなに警戒なさらないでください。カムイ様ほどの魔導師相手に私が一人でいったい何ができると お思いですか?お噂はかねがね伺っております。お噂以上にすてきなお方ですね」

 「くだらん事をいって、優里とやら、勝手に寄るな。ただではすまんぞ」

 「カムイ!」

 「涼夏…下がっていて、下手に近寄ると卵でも産みつけられかねない」

 優里は寂しそうにその美しい顔をゆがめる。こんな顔に騙されてはいけない。 これが彼等の最大の武器の一つなのだ。

 「……私達はたしかに同族で番う事はできないけれど、見境なく卵を産みつける程 節操なしではありません。それに私はもう、本当の意味でのユーリーではないのです」

 「どういう意味だ?」

 「輪廻の鏡のうち、一つはカムイさまの家が、二つ目をリョウガ様の家が保管していたのは御存じですよね」

 「だからこそ、私が今、ここにいるのだ」

 「最後の一枚は我等の種族が保管していたのです。それが、先の戦いで壊れてしまった。私はその破片を手にこの世界にやってきました。私は完全に彼等に同調できなかった。だからできそこないとして生殖器を切り取られたのです」

 そういって束ねた髪をそっと私達に向けた。私は一瞬身構えたが彼女のその髪は不自然に裾が拡がり その場所が我等が髪を切るように無惨な状態で切り取られた事を知った。

 無意識に手が伸びて彼女の髪をそっと手に取った。

 ……なんて……なんて残酷なのだ。

 「同調することのできない私をこの世界に送り込んだのは皆のせめてもの優しさ…私はこの世界で生きていきます。カムイ様はなぜ、この世界にいらして私を尋ねてきて下さったの?」

 ショックで口も動かなくなっている私にそっと近付いてくる。

 「あなたが、涼夏に近付いたのは何か目的があると思ったのです、それが知りたかった」

 「でも、カムイさまは、あちらの世界の方。私と涼夏の事はかかわりがないのでは、ございませんか?」

 

 その一言は私の心を抉るようだった。

 「私ももうあちらの世界には戻れない」

 そう私が言ったとほぼ同時に涼夏も叫んでいた。

 「優里!お前と私こそもう、終わった関係だろ?カムイはここの人間になるんだ」

 その涼夏の一言で私と優里は思わず涼夏を振り返った。

 「涼夏……」

 「カムイをもう向こうの世界に戻さない。カムイは俺と一緒に暮らすんだから」

 いきなり突飛な事を言い出すものだから、私は真っ赤になった。 優里はそれに反応せず何も聞かなかったかのように優しげに微笑んでいる。

 「誤解されては困るのですがそういう意味ではなかったのです。 涼夏さんがお幸せになるならそれはそれですばらしいこと。この世界では 子供を持たなくても伴侶を得る事ができるとか?それこそが私の理想です。ただそれだけ。 でも、もしも私でお手伝い出来る事があるなら、なんなりとおっしゃって下さい。 今はこの世界で私達3人しかこの事情をしらないのですから少しでもお役にたてるなら それこそ本望です」

 彼女が私達を気遣ってそれ以上の質問をしてこない事がさしもの私でも気がついた。 とんでもない誤解をしかけたのに、彼女の言う事はすべて辻褄が合っている。信じて良いのかもしれない。 敵のように感じていた彼女が暗闇に浮かぶわずかな灯火のような気がして、 心底ほっとしていた。

 「カムイ……」

 涼夏が肩を抱いてくる。その指先にすら私は浅ましく反応しそうになり。

 「さっきは庇ってくれてありがとう。興奮して優里に俺達の事を話してしまったりしてすまなかった」

 そんなことを言われても私は俯くしかない。

 「さっき言った事、本心だから」

 「え?」

 「一緒に暮らしたいって言う事も。お前を帰したくないっていう気持ちも」

 「あ…」

 「返事は急がない。でも俺はそう思っているって解って欲しい。そして俺達がしっかりしないと 向こうの神威達も落ち着かないだろう?」

 そういって顔を覗き込んでくる。

 「僕もあなただけだ。あなたはリョウガと瓜二つに似ているけれど、やはり別の人格だ。 向こうの世界のリョウガとは互いに惹かれ合っていたにしても分りあえなかった。 あなたが、僕の魂を救ってくれたんです。あなたを神威にも優里にも渡したくはない」

 「カムイ…」

 「しがらみはまだまだ、残っているけれど私を選んでもらって良いのだろうか?」

 「あたりまえだ、もうお前しか考えられないよ」

 「ほんとうに?」

 「当たり前だ、こっちにおいで」

 優里がいなくなった個室で二人きり、誰が入ってくるともわからないのに私達は 互いの唇を貪りあう。 このまま二人が一つに解け合って時が止まればいいと。

 時間も空間も全てがこの一瞬のためにあるのではないかと思う程 甘美な夜だった。
 
 Fin

  


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