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kohinoor 10 |
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かさかさという音はしだいに大きくなる麻蔵がはっとしたように上を向くと 次の瞬間には2.3 mほど吹っ飛んでがざっと大きな音をたてた。 「大丈夫ですか?」 元木が差し出された大きな手のひらに掴まろうとして、顔をあげてその人物を見た瞬間 ぶるっと震えて後ずさる。 「あ、有賀さん……」 「先輩はまだ、ここに来て無いんですね?それにしてもとんでもない野郎だ」 有賀が麻蔵の方に向かおうと足を踏み出すと、麻蔵は足を引きずりながらも脱兎のごとく逃げ出した。 「まぁ、放っておこう」 有賀は麻蔵の後ろ姿を暫く睨んでいたが追い掛けるつもりはなさそうだった。 「あ……なぜ?」 元木が不思議そうな顔で有賀を見つめる。 「先輩はいまごろあちこち捜しまわってますよ。元木くんもうっかりさんなんだなぁ、 携帯を忘れていくなんて」 脳天気な有賀の物言いが恨めしい。 「一緒じゃ無かったんですか?」 自分の声色に皮肉が混ざる不愉快さは、逆に元木のプライドを傷つけていく。 「一緒ですよ」 有賀は事も無げに言い放った。だが、有賀の後ろから現れたのは森川ではなかった。 一度寿司やで見かけた女性だ。 「僕の婚約者です。深雪っていうんだ。深雪、先輩に連絡してくれた?」 「すぐ来ますって」 その可愛い女性はにっこり微笑む。そんな仕種に元木の胸はきゅんと切なくなる。 婚約者として紹介され幸せな微笑みをもらす彼女が羨ましかったのかもしれない。 森川は信じられないほどあっというまにやってきた。 「祐也……」 そういうと折れんばかりにぐっと元木の身体を抱き締める。 「痛いってば」 「痛いじゃないだろ?どうしてそう無鉄砲なんだい?」 森川は泣き笑いのような表情で元木を見つめている。元木は思わずその胸にしがみつくと わぁわぁと声をあげて泣き出した。 怖かった。すべてが怖かった。何より、森川を失うのが最も怖かった。 人前で無くみっともなさよりも、森川が自分を捕まえに来てくれて自分の元に戻ってきてくれた事が一番大切だったから深い歓喜が元木を包み、細かい事すべてがどうでもよかった。 「アツアツだな……」 有賀が苦笑している。 「私達だってアツアツじゃない」 深雪が有賀の腕を掴んでそっと肩に頬を寄せ有賀の手を取ると自分のお腹に導いた。 「寒くなってきたわ。赤ちゃんが風邪を引いたら大変よ……」 思わず、男3人が顔を見合わせる……。 「赤ちゃん…て……?」 深雪はぽっと頬を染める。 「早く式をしないと目立ってくるじゃない」 有賀は呆然として脱力したように座り込み、両頬には熱い涙が次々と流れ落ちる。 深雪は愛おしむようにそっと有賀の背中を撫でた。 「まさか……俺に……子供ができるなんて……」 森川は祐也を強く抱き締めながら微笑んだ。有賀の気持ちは森川に手をとるように解る。 結婚はしても子供はできないと思っていたのだ。彼が真性のゲイだということは森川が一番よく知っていた。 森川を想って出来た子供とはいえ、自分の分身ができる喜びはかけがえのないものに違い無い。 たとえ、彼女に対して決して恋心が芽生える事はなくても、有賀なら愛情深く家族を大切にしていくだろう。 「おめでとう」 祐也も驚きながら顔を綻ばせる。 「……おめでとう、本当に……」 「ありがとう、先輩……俺、ここに来て先輩達に出会えてよかった」 「まさに雨降って地固まるだな」 そういいながら、森川はそっと祐也の顎をとってキスをする。 「ちょっこんな人前で……」 「いいじゃないか、お互いにこんな寒い街で寒々とした時を過ごしたんだ。 すこし位熱いことしないとね」 有賀と深雪は苦笑しながら立ち去ることに決めたらしい。 「結婚式には来て下さいよ。お二人揃ってね」 「やだってば、あ、有賀さん……待って……僕らも行きます」 祐也の声は甘い森川のキスの中に消えていった。 春風はそよそよと熱い二人を纏わりつき、そよいでゆくが恋人達はお互いの体温だけしか 感じる事はできなかった。 FIN |