デルフィニウム揺れる園 8 

delphinium blue



 その夜、常連からのメールで小平と熊谷が元のさやに納まったという話しが流れてくる。
 『ムーンドックで新しいカップル誕生なんだから、みんなでお祝しませんか?』
 空の事を知らないとは言え、そんな内容のメール。  
 これを知ったら空はきっと傷つくだろう。小平にストーカーをするほどに愛していたのだから。
 「ムーンドッグ」に出勤しようとマンションを出ると、マンションの入り口には見慣れない黒塗りの大きな車が横付けされていた。政治家やらやくざでも乗っていそうなその車は若者ばかりが利用するこのマンションにはどこかそぐわなくて。
 誰か住人の知人なのかと横目で中を伺う。
 まさか……忘れもしない多分、5年ぶりか?
 中から出てきたのは、多少印象が変わっていたが、間違いなく澁澤だった。
 両手にびっしり汗をかいているのに口の中はカラカラで。
 「レイ……やっと見つけた。ちょっとだけつきあってくれないか」
 心臓がバクバク鳴っている。なぜ、やっと落ち着いた生活をしている僕のところに今さらやってきたのか?
 「悪いがこれから仕事なんだ」
 「久々に会ったのに冷たいな。少しくらいいいだろう。私が店まで送るよ」
 そういっていきなり僕の腕を掴む。
 「いや、結構だ」
 慌てて捻ってその腕を振り解くと首を引っ掛けるように両肩を片手で掴まれて羽交い締めになる。
 「店に直接行って昔話しをしてもいいんだぜ」
 そういって僕の顎を持ち上げる澁澤は166cmしかない僕より、一回りも大きくて他の男達より数倍の迫力があった。
 「……それは脅しかよ」
 「そう、受け取ってもらっても仕方ないか。どうしても一緒に来て欲しい。 あれから、俺は全てを思い出したんだ。だけど……」
 澁澤の顔が焦点があわなくなるほど近くにあった。
 「聞きたくない……何も聞きたくない」
 両手で耳を塞ぐとその手に重ねるように澁澤の掌が僕を包む。
 「鈴、レ、イ……お前を忘れられないんだ」
 僕だって澁澤が忘れたくたって忘れられない。でもそれは全く違う意味でだ。
 「やめろ、離せよ!」
 僕は必死で抵抗する。
 「頼む…話しだけでも聞いてくれ」
 そういいながら無理矢理車に押し込められた。そのまま澁澤も一緒に入ってきて後ろ手にされ紐で縛り上げられた。こんな状態で何を聞けと言うのか?
 「何も聞きたくない……触るな……僕に、もう触れるな」
 澁澤は何を考えているのだろう?ふっとその固い表情に張り付けたようなアルカイックスマイルを浮かべると僕は後部座席に転がされていきなりの急発進。
 そんな状態で車を発進していったいどこまで連れていかれるのだろう。
 どのくらい車を走らせたのか?
 その間必死に拘束された手についた紐のようなものを解こうとするが焦る気持ちで指が震える。今後の最悪の展開を想像すると心臓が飛び出しそうにばくばくしとても冷静でいられない。
 どこか記憶の片隅にある人気のない公園の駐車場……多分、死角になっている場所なんだろう。結局紐はさらに固く結ばれただけだった。
 澁澤に頭の後ろをぐっと掴まれたと思うとそのまま大きな掌で掴まれたままで無理矢理唇を塞がれる。
 油断していた為か、身動きできない状態で。
 いつもなら気持ちに余裕があるから、その攻撃を躱したり逆にこちらに有利な体勢に持ってくることができるのだけど。
 
 『お前が誘ったんだ……』
 
   『泣けよ……もっといじめてやるからさ…』
 
     『お前は、俺のもんだよな、俺だけのもんだよな?』
 あの頃の記憶が何度もフラッシュバックされて息さえもできないように身体が動かない……。
 身体が冷たくなって心だけがここから幽体離脱でもしたように必死に逃げ出そうとしていた。
 怖い……誰か……僕を助けて……。
 今までどんな強面の男達にも立ち向かっていた僕の強気の勇気はすっかりどこかに霧散してしまっていて。
 まるで昔の関係を彷佛とさせるように……まさに蛇に睨まれた蛙のように、僕は身を固くしている。  
 「レイ……逃げないで聞いてくれ。俺にはお前しかいない。あんな事があった後で、俺もショックを受けていたけれど、やっぱりお前を忘れる事ができないんだ。お前のその微かに震える様や紅潮した頬に潤んだ瞳。そんなものを何度も何度も思い出して」
 「う…うぅ…」  
 澁澤の指が宥めるように優しく僕の肌を滑る。腹筋の一つ一つを舐め回すように。
  僕の内股に当たる澁澤の象徴がぬらぬらとくぼみを濡らす。
 それを僕の肌は確かに覚えていた。
 それが入り込む瞬間の息を飲むような感覚。
 「震えるな……怖くない」
 「いやだ……そら…」
 空の寂しさそうな切なげな瞳が、僕の心に灯籠の灯りのようにぼうっと浮かび上がる。
 一瞬澁澤の動きが止まった。だがまた、思い出したように動き出す。
 
 「鈴……お前が好きなんだ。何度も忘れようとした、だけど無理だった。 全てを思い出してお前に謝りたいとお前を捜したけど、いつの間にか大学もやめて実家にも連絡しなくなっていたんだな」
 いったい何が怖くて僕はこれほどまでに身体を固めているのだろう。
   澁澤が僕の感じる場所を余すところ無く覚えて貪りくわんとするところか……
      行為の激しさに対峙して優しく甘い物言いか……。  
 自分が自分でなくなる思い……そのまま過去のあの頃に囚われたまま引きずり込まれるような恐怖が僕を臆病にさせる。
 「ずっとお前も俺が忘れられなかったんだろう?だからお前はいまだに女の格好で男を漁っているって言うじゃないか」
 ちがう……と言いたかった
 ……だけど何が違うのか?  
 彼の愛撫に溺れ我を失う自分は、もうすでに高校生だったあの頃のままにタイムスリップして時空と潜在意識の混沌の中で快感に悶えている。
 「いくら他の男達を組み敷いても俺に与えられた快感をお前は忘れられない……違うか?嫌がる振りをしていたってこんなにお前の身体はよろこんでいるじゃないか」  
 快感は僕を自暴自棄にさせる。このまま快感に逆らい己の身体を守ろうとしても所詮汚れている身体なのだ。  
 誰かに操を立てなければいけないわけではない、いっそこの快感の渦に巻き込まれてしまおうかと。
 「憶えておけ。俺は他の男達とは違うぜ、お前に突っ込まれたからって怯む奴等とはな」  
 忘れたくて足掻いても忘れられないものを今さら、いったい何を覚えておけと言うのか。
 「俺は来週、上司の娘と結婚する…だがこうして切羽詰まってから初めて俺にはお前が必要だって……忘れる事なんかできないって解ったんだ。本当は麻薬のようなレイから、離れていようとずっと苦労していたのに」
 そのまま身体の奥底に彼の飛沫を感じて僕は呻いた。  
 そして彼の婚約と聞いて逆に僕の身体はどんどん冷え込んでいく。
 この関係に溺れ、苦しんだのは僕だけではなかった。
 澁澤も、婚約を前にしてこんな暴走をしてしまうほどの葛藤があったのだ。
 僕に彼を裁く権利などない……まさに同じ穴の狢。
 そして、女の格好をしてまで、男であるアイデンティティに縋ろうとしていた愚かな僕。  
 僕は、澁澤の事を愛おしく感じ、そして初めて彼を愛おしく感じる自分を心の奥底から許す事で何かが氷解した。
 そのまま身体が繋がったままの状態で、僕は澁澤をぎゅっと抱き締めた。
 澁澤が不思議そうな半分困ったような戸惑った表情で僕を見る。
 ふとそのまま視線を澁澤の背中の方に移すと、車の窓の外には空がなんとも言えないような、泣きそうというか悔しそうともいえない複雑な顔をして下唇をぐっと噛んで固まっていた。
 
 いったいいつから空はそこにいたのか?
 

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